あなたと入れ替わりたい人がいる7つの理由
ある朝、誰かと入れ替わる夢から覚めてみると、青年の体は真っ白な空間に浮かんでいた。
「ここは何処だ?」
辺りを見回し、背後に見知らぬ女性が立っていることに気づく。
「君は?」
「私は入れ替わりナビゲーター、あなたに“入れ替わり”を提案する者です」
「入れ替わりだって?」
「はい。私どもは誰かと入れ替わりたい方を探し出し、理想の相手と入れ替わってもらうことを生業としています。昨日、あなた様の願望を夢という形で確認しましたので、こうしてお迎えにあがりました」
女性は、にこやかに笑う。
「確かに、そういう願望を持ってるけど、タダで入れ替われるわけ?」
「お代は、今のあなたの体と人生で、前払いになります」
「それって、死ぬってこと?」
「いえ、入れ替わりですから、死ぬわけではありません。現在の体と人生を他の方に譲り、他の人の体と人生を手に入れることになります」
青年は考えた。職場では使えないクズ扱い、家では“早く孫の顔が見たい”というプレッシャーを受ける日々。趣味もなければ貯金もない。そんな楽しくもない毎日を送っているのだから、こんな“今の自分”なんか捨てて、もっと楽しい“他の誰か”を満喫しよう。何も死ぬわけじゃないんだからと。
「よし、わかった。入れ替われる対象を教えてくれ」
「何か、ご希望はありますか?」
「そうだな……。職場じゃ使えないクズ呼ばわりだから、デキる男がいいな」
「かしこまりました。では、最初の入れ替わり対象をご紹介します」
幽体離脱した青年の意識が連れて行かれたのは、とある会社の一室だった。そこでは爽やかに笑うイケメンが、他の社員から仕事を頼まれていた。
「これ、今日中に頼むよ」
「わかりました、今日中にやっておきます」
そんなやりとりが結構な頻度で行われている。イケメンの仕事は次々に溜まっていったが、それを片っ端から片づけているようだった。頼む人は口々に“彼がいてくれて助かる”だの“彼に任せておけば安心”だの言っている。もはや、仕事は彼にやらせて当たり前という風潮があるようだ。
「なんだか、デキる男ってのも大変そうだな。次々に仕事が来る……。こんな重圧、俺には耐えられない。……っていうか、俺が入れ替わったら、デキる男じゃなくなるよな。能力もないし。やっぱ、デキる男はヤメにしよう。そうだ、子持ちがいい。それなら、もう“早く孫の顔が見たい”なんて言葉を聴かなくて済む」
「かしこまりました。では、次の入れ替わり対象の元に行きましょう」
青年の意識が連れて行かれたのは、とあるマンションの一室だった。いかにも優しそうな旦那が、ヒステリーを起こした嫁に怒鳴られていた。嫁は泣き続ける乳児を抱えたまま、“もっと育児に協力して”だの“夜泣きで起きるのは私だけで……”だの言っている。隣の家からは壁を叩かれ、“静かにしろ、何時だと思ってるんだ!”という声が聴こえる。
「これはキツい……。子供の世話をするくらいなら、両親の小言を聴いてる方がマシだな。やっぱ、子持ちはヤメにしよう。そうだ、金持ちの独身がいい。それが一番、自由気ままに生きられるだろう」
「かしこまりました。では、次の入れ替わり対象の元に行きましょう」
青年の意識が連れて行かれたのは、とある豪邸の一室だった。部屋の中は荒らされ、タンスの中身などが散乱している。家の主と思しき男性はロープで縛られ、覆面の男が部屋の中を物色していた。
「もしかして、強盗に入られてるのか? そりゃ金持ちは狙われやすいだろうけど……。こういう怖い思いをするのはゴメンだな。やっぱ、金持ちはヤメにしよう。そうだ、美人の独身がいい。男より女の方が面白いかもしれない」
「かしこまりました。では、次の入れ替わり対象の元に行きましょう」
青年の意識が連れて行かれたのは、とある会社の給湯室だった。美人が通り過ぎると、ヒソヒソ話が始まる。やれ部長とデキてるだの、やれ依怙贔屓されてるからミスしても許されるだの、他の女性社員に陰口を叩かれているようだった。終いには、あるトラブルの原因を彼女にしようという算段が始められる。
「美人が僻まれるって、こういうことか……。こんな陰湿な人間関係はゴメンだな。やっぱ、美人はヤメにしよう。そうだ、美人がダメならブスはどうだろう?」
「かしこまりました。では、次の入れ替わり対象の元に行きましょう」
青年の意識が連れて行かれたのは、とある居酒屋の個室だった。そこでは男性三人と女性三人が向かい合い、何やら楽しそうに話をしていた。いわゆる合コンである。だが、女性三人のうち、見てくれの良くない子が話し始めても、目の前にいる男性陣は完全スルーだった。
「ああ、わかる……。俺も相手にしないや。こんな扱いを受けてたら、そりゃ性格も歪んで、“美人は性格が悪い”なんて性悪なことを言い出すよ。あの言葉って、男どもの注目を美人から逸らす為にある、彼女らの生存戦略なのかもな。やっぱり、ブスはヤメにしよう。高望みはしないで、役職がついた会社員辺りが妥当かもしれない」
「かしこまりました。では、次の入れ替わり対象の元に行きましょう」
青年の意識が連れて行かれたのは、彼が勤めている会社の一室だった。いつも彼の仕事ぶりを注意している課長が、何かの書類を手にした部長に叱責されている。よくよく見ると、その書類は青年が携わった仕事の報告書だった。
課長が一礼して廊下に出ると、課長の同期が待っていた。
「使えない部下を持つと大変だな」
「まぁ、そういうなよ。彼も彼なりに頑張っているんだから。ただ、人より要領が悪いだけさ。今度は、彼がミスをしない程度の量にしないとな」
「お優しいことで……。俺も、お前の元で働くクズ社員になりたいよ。あれこれ配慮してもらって、さぞかし楽な人生だろうよ」
青年は課長の配慮に気づき、自分の至らなさにシュンとなった。同時に、課長の同期の言葉が胸に突き刺さる。
「それでは、いったん戻りますね」
青年の意識は、真っ白な空間に戻された。
青年の目の前には、今まで見てきた人の生活が、テレビ画面のように映し出されている。中には、自分の日常もあった。
「それでは、入れ替わる人を選んでください。私は、これで失礼します」
「何処に行くんだよ!?」
「あなたと入れ替わるんです。これで、ようやく楽な人生が送られます。あなたに負けないクズになって、楽な一生を謳歌しようと思います。この空間は退屈でした。それでは、ごきげんよう」
そう言うと、入れ替わりナビゲーターだった女性は、青年の日常が映し出された箇所に触れ、その姿を消したのだった。
元青年の前には、入れ替わりたくない日常を映したものだけが残った。