第二章 ―幼馴染とオカルト研―
図書室で史料を集めた結果、ほんの僅かだが桜の樹についてわかることがあった。幸運にも僕らの学校は結構の立派な歴史を持っていて、図書館にも地域から寄贈された貴重な史料が持ち出し禁止で存在していたりする。もっとも、それらの恩恵を受ける生徒などめったにいないのだけれど。
桜の樹に関する史料はほとんどが格調高い古い文章で書かれた厳めしい本で、読み進めるだけでも骨が折れた。桜の樹の言い伝えなんてものが最近になるまで忘れ去られたものだったのだ、史料も必然的に古くなっていくのは仕方ない。ブームの火付け役になった記者はよくこんな埃被った言い伝えなんて探し出したものだと感心する。
桜の樹の歴史を簡単に説明するとこうだ。今公園になっている土地は元々由緒ある家柄の屋敷だった。その主人に大変な恩義を受けた高名な神主が、お礼の印に庭に植えたのがあの桜の樹であるという。当時から春になると美しい花を咲かせた桜の樹は、春になると毎年多くの人を集めて宴会を催す場となった。そして元々「縁を確かにする」と言う意味を込めて贈られた桜の樹は「家と家との結びつきの象徴」としての役割を果たし始める。一年に一度、町から一組の男女が選ばれ、桜の開花後最初の満月の夜に桜の木の下で盃を交わす風習が生まれた。史料によるとそのようにして結ばれた男女は常に円満な生活を送ったということで、次第に桜の樹は縁結びの言い伝えを生んでいったようである。やがて儀式を簡略化するような形で「満月の夜に桜の木の下で接吻をする」という現代の言い伝えにつながる縁結びの形が成立したとされる。このあたりが明治から大正あたりの話らしい。記者が引っ張り出してきたのはどうもこの時期の言い伝えだったようだ。
今日の収穫は桜の樹にまつわる歴史程度のもので終わってしまった。一見呪いを解くのには役立たない情報にも見えるが、これでも十分に前進したと言える。このような情報が何かの形で役立つということがないとは限らない。一つでも多くの情報を持っていればとっかかりとなるものも見えてくる。時計を見ると、下校時刻の六時が間近に迫っていた。六時になると図書室も閉まってしまうので今日はこの辺りで切り上げることにしよう。僕は先ほど交換したばかりの小鳥遊のアドレスに今日の進捗を報告するメールを送信し、帰路についた。
玄関のドアを開けると、玄関にはいつもはない女もののサンダルが行儀よく並べられていた。
「あら翔一、今日は遅かったわね。美穂ちゃん来てるわよ」
「おう」
返事もそこそこに階段を上がって自分の部屋を目指す。今になって朝のやり取りを思い出し、しまったと後悔していた。あの時はまだそのつもりはなかったが、結果として美穂には嘘をついてしまったことになる。高校に上がってからは滅多にうちに来たりはしていなかった美穂がわざわざ僕の帰りを待っていた理由と言えば、今朝の一件が関係していると考えるのが妥当だろう。
何と言い訳したら良いのか悩みつつドアを開けると、待ちくたびれたのか僕のベッドの上でスヤスヤと眠る美穂がいた。
ウェーブのかかった髪が横顔を半分ほど覆い、無造作にベッドに広がっている。待っている間に読んでいたのか、左手は人差指を文庫本のページに差し込んだまま頭上に投げ出されていた。暖色系のワンピースの胸元は多少ゆとりがあり、綺麗な鎖骨が目に飛び込んでくる。ゆったりした裾が微妙に乱れて、つま先から白くまぶしい太ももまでがあらわになっていた。いつの間にか女らしく成長していた幼なじみの無防備な姿に、僕の視線は行き場を失い右往左往してしまった。僕はあえて少しぶっきらぼうに美穂を起こす。
「おい美穂、人のベッドで寝てんじゃねぇぞ」
「んん……あ、お帰り翔ちゃん」
目を覚ました美穂は大きく気持ちよさそうな伸びをすると文庫本にしおりを挟んで丁寧に閉じ、少ししわになった服を綺麗に伸ばしていく。
僕は荷物を机のわきへ置き、キャスターを転がして椅子をベッドの方へ向けて座った。その過程を、美穂は寝ぼけ眼をこすりつつ見守っていた。
「今日はずいぶん遅かったね?」
「ちょっと用事があってな」
「そっかー、待ってる間についうとうとしちゃった」
いや熟睡してましたよ。
「それで、何でまた俺を待ってたりしたわけ?」
「あーそうそう。忘れてた」
忘れてたのかよ。忘れさせておけば良かったかなと少し後悔する。
「翔ちゃん、私に嘘ついたでしょ?」
「嘘?」
「今朝の話だよ。小鳥遊さんと付き合ってないって」
「あー……」
「いろんな人に聞いたけど、みんな付き合ってるって言ってたよ?クラス公認のカップルだって」
「うっ……」
「どうして嘘なんかついたの?」
美穂は腰に手を当てて、ちょっとだけ眉を吊り上げて見せる。あー怒ってらっしゃるなぁ。
「いやほら、照れくさくてさ……」
「私たち幼なじみじゃない」
「幼なじみだからこそ照れくさいってこともあるだろ?」
親しき仲にもなんとやらだ。
「うーん……」
美穂は納得がいかないという感じで腕を組む。左右から圧迫された胸がぐにゃりと形を変える。本人は気づいていないのかもしれないが非常に目の毒だ。健全な青少年の前でそのような行為を行うことは非常によろしくないということを自覚しなければならない。
「じゃあ、小鳥遊さんと付き合ってるのね?」
「お、おう……」
「本当に?」
「本当だよ」
「小鳥遊さんのこと、好き?」
「えっ」
直球で来るなぁ……
「好きだから付き合ってるんでしょ?」
「いや、その」
「好きなの?」
「えーっと……」
「す、き、な、の?」
美穂は一音一音区切って発音する。同時にどんどん身を乗り出してくる。どうやら僕が答えるまでこの尋問は続くらしい。勘弁してくれ……
僕は意を決して、喉の奥から声を絞り出す。
「す、好きだよ……」
顔が紅潮するのが自分でもわかる。もうやだ.……こんなの拷問だよ……
しかし、美穂は納得していないようで「うーん……」と小さくつぶやく彼女の尋問はまだ終わってくれなかった。
「翔ちゃん、まだ何か隠してることあるでしょ?」
「何だよそれ」
「分からないけど、なーんか様子がおかしいんだよね。翔ちゃんが何か隠してるときいつもそうだもん」
「そんな曖昧な……」
「翔ちゃん、根が正直だから嘘つくときちょっと自信なさげになるんだもん。今朝はそんなことなかったのに、今は何か隠してるみたい」
伊達に幼なじみやってないな、と思う。美穂には嘘はつけないみたいだ。
「分かった、降参だよ。正直に話す」
僕は美穂に、一連の出来事を話すことにした。信じてもらえるかは微妙なところだったが、これ以上それらしい嘘をついても通用しない。それにしても、美穂がこれほどまでに頑固に追及してくるとは思わなかった。
「ということだ。まぁ、こんなめちゃくちゃな話信じろって方が無理があるかもしれないけどね」
途中で何か横槍が入るかと思っていたが、美穂は黙って最後まで聞いてくれた。
「じゃあ、私の記憶の方が間違ってるってこと?」
「一応、そういうことになるかな」
美穂は記憶を確かめようとするかのように頭を両手で抱えるとうーんと首をかしげる。
「私以外のみんなの記憶も?翔ちゃんと小鳥遊さん以外全員の記憶が?」
「まぁ、そうなるな……」
そういう言い方をされると、こちらもちょっと不安になってくる。僕の語尾は少し弱いものになった。僕と小鳥遊は張本人だからまだしも、傍から見れば僕ら二人だけが間違っているという方がずっと自然なのだ。
美穂はしばらくうんうん唸っていたが
「翔ちゃん、嘘言ってないよね?」
と尋ねると、まっすぐと目を見つめてきた。
「ああ、全部本当のことだ」
僕もまっすぐそれを見つめ返す。後ろめたいことなんて何もない。
「分かった、信じる」
「え、マジで?」
「だって、本当のことなんでしょ?」
「おう、もちろんだ」
「確かに信じられないような話だけど、今度は翔ちゃん嘘言ってないみたいだし。それに、翔ちゃん本当に困ってるみたいだから」
美穂の態度が少し和らぎ、呆れたように肩を落とす。今の美穂は慈悲に満ち溢れていた。こんな話を信じてくれるのは美穂ぐらいのものだと思う。本当にありがたい。
「そういうことなら、私も協力してあげる」
「え、良いのか?」
「だって、二人だけじゃ大変でしょ?他の人にはあんまり話せないだろうし」
「まぁな」
正直ホイホイ人に話したいようなことではない。
「今情報を集めてるんだよね?」
「そう。とにかく今何をしていいか見当もつかないからな」
実際図書館で情報は集めたものの、それで何か次に繋がるものが得られたわけではなかった。
「オカルト研には行ってみた?」
「オカルト研?うちってそんなのあったのか?」
唐突に表れた名前に多少困惑する。この学校にそんな怪しげな部活があったとは初耳だった。それに、そんな怪しげな集団が何かの役に立つとは思えなかった。
「毎年文化祭で占いの館とかやってるんだよ。クラスにオカルト研の子がいてね、去年は私もお手伝いしたから知ってるんだー」
文化祭の記憶と言えば、近藤と校内一周食い倒れの旅をしたことくらいしかなかった。あの時は無茶した近藤がトイレに走り、長蛇の列に絶望していたのが最高に印象的だった。
「あの時二年生だから、今三年生の橘先輩っていう人がすっごくいろんな話に詳しくてね、面白い話いっぱい聞かせてくれたんだ。なんか、お父さんが民俗学?の学者さんか何かで、小さい頃からそういう話いっぱい聞かせてくれたんだって。桜の樹の話もすっごく詳しかったよー」
「本当か!?」
これは思わぬところで大収穫だと思った。そんなの、図書館なんかでちまちま調べるよりもずっと効率的じゃないか。
「それで、部室ってどこにあるんだ?」
「部室棟の端っこの方だけど、分かりにくいから明日連れて行ってあげるね。何回か遊びに行ったけど先輩はいつもいるから多分いきなり行っても大丈夫だと思うよ」
「わかった、じゃあ明日の放課後お願いしたい。小鳥遊にも連絡しておく」
「うん。授業が終わったら教室で待っててね」
美穂は笑顔で言う。
「やけに楽しそうだな、人の一大事だっていうのに」
「えへへ、でもね、なんか懐かしいななんて」
「懐かしい?」
「放課後に待ち合わせなんて、もう随分してなかったもん」
「そういえば、そうか」
確かに僕らは最近本当に疎遠だった。きっかけがきっかけとはいえ、こういう形でまた一緒に行動するというのは確かに少し懐かしくもあった。
翌日、終礼が終わると程なくして美穂が教室にやってきた。
「あ、翔ちゃんお待たせ」
「おう、早かったな」
「終礼早めに終わったからね」
美穂は両手でぶら下げた鞄をパタパタと動かす。
「お、美穂ちゃん久しぶりじゃん!元気?なになに?翔一君浮気ですか?」
「お前はさっさと部活行け」
僕は近藤のケツを容赦なく蹴り飛ばした。
「いってぇ!冗談じゃんかー」
「翔ちゃん暴力はダメだよー」
「大丈夫、近藤だし」
「ひでぇ!俺にも人権はあるんだぞ!」
近藤は涙目で訴えかける。だが、因果応報の名のもとに人権はしばしば無視されることがあるのだ。世界はそうやって回っている。
「そうだよー近藤くんとは言え暴力は良くないよー」
美穂さん、それ微妙にフォローになってないですよ。
「なーんか、相変わらず美穂ちゃんって翔一のお母さんみたいだな」
「何だよそれ」
どちらかというと僕が保護者みたいな気持ちになることもあるくらいだ、と思っている。
「まぁ仲良くなー俺は部活行ってくるよー」
近藤はふらふらと部活へと行ってしまった。
「じゃあ、俺らも行くか」
僕は鞄を肩にかけ、帰りの支度をしていた小鳥遊の方を振り返る。
「そういえば、小鳥遊は美穂と面識はなかったよな?」
「ええ」
「初めまして、一之瀬美穂です。いつも翔ちゃんがお世話になっています」
ああ、これはお母さんっぽいな……
「私は小鳥遊雪乃。よろしくね、一之瀬さん」
小鳥遊は笑顔で答える。僕には絶対に向かない笑顔だ。それはいわゆる人当たりの良い、誰にでも優しい小鳥遊の平常運転の笑顔であった。
僕ら三人は並んで歩き出す。オカルト研の部室があるという部室棟は、僕らのいる校舎と一階の渡り廊下で繋がっている。かなり古い建物であちこちガタがきているが一応現役だ。一階、二階はサッカー部や野球部などの主要な屋外系運動部の部室で占められており、三階に上がると文芸部や新聞部等の部室が配置されている。
僕らは行き先を知っている美穂を先頭にして、隣に小鳥遊、後ろから僕がついていくような形で歩いた。
「一之瀬さんはどこまで知ってるの?」
「ん、どこまでって?」
「いや、何というか……」
「美穂は基本的に全部知ってるよ。俺らがそういうんじゃないってのも」
後ろから口を挟む。
「全部話したの!?」
小鳥遊が振り返り、頬を赤らめて僕をキッと睨む。
「仕方ないだろ!じゃなかったらどうやって説明するんだよ」
「そんなの、何とか考えてよ!」
無茶を言う。
「翔ちゃんは悪くないよー私が無理やり聞き出しちゃったの。ごめんね?」
「あ、いや謝らないで」
小鳥遊はうろたえる。
「そうだぞ。お前が謝る事なんかない」
「何よその言い方」
「本当の事だろ」
「あなたが言うことではないでしょう?」
「ったく、うるさいなぁ」
言い争う僕らを見て、美穂が「ふふっ」っと笑う。
「何笑ってんだよ」
「ううん、意外と仲良いんだなって思って」
「そんなことねぇよ!」
「そんなことないわ!」
「あっ」
「うっ」
僕らは見事にハモってしまい、バツが悪くて黙り込む。そんな様子を見て、美穂は更に「ふふっ」と笑っていた。
そうこうしているうちに僕らはオカルト研の部室の前についていた。階数を上っていくごとに年季がましていく部室棟の最上階の更に一番端に位置するオカルト研の部室は、古びた木製のドアに施された厳めしい装飾と、ボロボロになって剥がれかけた『オカルト研究会』の板によって何とも言えない世紀末冠を演出していた。初めて訪れた僕と小鳥遊は思わず「うっ」と声を漏らす。
「大丈夫だよー見た目はこんな感じだけど、中は案外綺麗なんだから」
美穂はにこにこしながらドアをノックする。振動でドアがわずかに軋みを上げる。
「橘先輩―いますかー」
返事はない。
「いないんじゃないか?まだ来てないのかもしれないぞ」
「ううん、先輩はいつもいるから大丈夫。あ、ほら」
ドアの内側で人が動く気配があった。それからドカッと何かにぶつかる音、ドサリと何かが床に落ちる音、ガラガラと何かが崩れる音と「うわあ!」と言う短い悲鳴が聞こえる。大丈夫かよ。
程なくして足音が近づき、勢いよくドアが跳ね開けられる。
「はいはいはい!って美穂ちゃん。久しぶりじゃん!」
ドアの中から現れたのは予想していたのとはかなり違う人物だった。オカルト研の凄い先輩というから、てっきりこう暗くて、細長くて、今にも消え入りそうな声でしゃべる夏でも常に長袖の黒魔術師のような風体の人を想像していた。しかし、実際の橘先輩はどちらかというとそれとは真逆のタイプに見えた。ところどころはねてぼさぼさになった髪の毛は飾り気のないゴムで無造作に結わえられており、着崩した制服から伸びる四肢はいかにも健康的で快活な印象を与えている。少しハスキーな声と自信に満ち溢れたような表情はまさに姉御という感じだ。僕の中のオカルトというイメージとは全く合致しない。
「お久しぶりです先輩」
「最近来てくれないから寂しかったよ。今日は他にもお客さんがいるみたいだね?」
「あ、はい。こっちが幼なじみの翔ちゃんで」
「相馬翔一です」
「こっちが翔ちゃんの……えっと、クラスメイトの小鳥遊さんです」
「小鳥遊雪乃です」
美穂に紹介されて、僕らは順番にペコリと一礼する。
「あー君が翔ちゃんか、話は聞いてるよ」
いったいどんな話を聞いているのか少々不安だ。
「まぁこんなところで立ち話も何だから、とりあえず入って入って。ちょっと待ってね、今スペース作るから」
橘先輩は素早く部室の中に戻ると、わずかに顔を見せる床の部分を飛び石のように上手に使って中央のテーブルまでたどり着き、散乱した本を隅へと積み上げてスペースを作っていく。
「中は案外綺麗なんじゃなかったのか?」
僕は小声で美穂に耳打ちする。
「あはは、この前まではそうだったんだけどね……」
「あーこれね、いつも掃除してくれてた先輩が卒業しちゃってさー今年になってからはこんな感じなんだ。ごめんね足の踏み場がなくて。その辺のもの普通に踏んじゃって良いからね」
どうやら聞こえてしまったらしい。地獄耳だ。
先輩は足場を探してぴょんぴょん飛び回りながら、同時に机にスペースを作りつつ、どこからか椅子も三脚用意してきた。驚くべき器用さだった。僕らがまるでボードゲームのように次に進める場所を探しながらやっとの思いでテーブルまでたどり着くころには、四人が座って話せる場所がすっかり出来上がっていた。僕らはそのテーブルに適当に腰掛ける。
「さて、改めて自己紹介をさせてもらうよ。私がこのオカルト研究会の部長にして唯一の部員、橘涼子だ。よろしく」
僕と橘はそれぞれ「よろしくお願いします」と改めて一礼する。
「で、今日はどうしたのかな?入部希望?まぁやめといた方がいいよこんなとこ。今時流行んないしさーもっと楽しい部活なんていくらでもあるんだから」
橘先輩はアハハと笑う。どこまでもオカルト研のイメージとはかけ離れた人だった。
「いえ、入部希望とかではないんです。今日はちょっと頼みがあって、美穂に連れてきてもらいました」
「あー入部じゃないんだ。それは賢明だ」
橘先輩はまた笑う。
「それで、頼みってのは何?何か占ってほしいの?それとも誰か呪って欲しいとか?でも申し訳ないけどねーアタシはそういうのやってないんだよね。美穂ちゃんから聞いてるかもしれないけどねーアタシは研究専門。今この部にはオカルト部らしいオカルト部員はいなくってさー」
「いや、そういうのでもないんです」
何だこの人……一人で突っ走る人だな。本当にこんな人を頼っても大丈夫なのだろうか……
「翔ちゃんたちは、今桜の樹の言い伝えについて調べてるんです。先輩ってそういうのに詳しいですよね?」
「あー桜の樹。確かにあの辺は専門だよ。あ、分かった。つまり君たち二人が付き合ってて――」
『違います!』
僕と小鳥遊は声をそろえて否定する。
「そう力いっぱい否定することないじゃないか」
先輩は拗ねたように口をとがらせ、椅子を後ろに傾けてプラプラと揺れた。
うーんどう説明したものか。問題の出来事を説明しようにも、また小鳥遊に怒られるのも嫌ではあった。チラッと小鳥遊を盗み見ると、彼女も困ったように俯いてモジモジしていた。
「じゃあ君たちはいったいどういう理由で桜の樹について調べてるんだい?桜の樹の話って言っても色々あるからねぇ。目的が分からないと私もなかなか話すのが難しいんだ」
先輩は困ったように腕組みをする。
「例えば――」僕は思い切って口を開く「不慮の事故で桜の樹の言い伝えを実行してしまった男女がいたとして、その二人はどうなるのかなぁ、とか?」
先輩はしばしキョトンとしていたが、弾けるように大声で笑った。
「そんなの気持ちの問題なんだからどうともならないだろう。言い伝えは所詮言い伝えさ。確かに民間で信仰される伝承というものがある一定の効力を統計的数字として示すということは考えられる。だけどね、それは社会心理学的な効果のもたらす効能であって、魔術的な契約や神通力のようなものではないよ。そのからくりを論理の力で解き明かすのがアタシの研究って訳だ」
僕は少々意外だった。オカルト研の部長と聞いて、当然のように桜の樹の言い伝えを信じていると思っていたのだ。
「あの、先輩ってオカルト研の部長さんなんですよね?」
小鳥遊が恐る恐るという感じで尋ねる。
「ああそうだよ。でもね、オカルトを研究するって言ってもいろいろあると思うんだ。そりゃあ自分が占いやら黒魔術やらに手を出すのも、パワースポットを巡るのも、オカルトグッズに凝ってみるのも面白いとは思う。そういうやりかたをアタシは否定しようとは思わない」
先輩はそういって、部室の棚に並んだ水晶玉やら何に使うかもわからない怪しげなアイテムを指さす。恐らくそれらは先代の部員たちが集め、残していったものなのだろう。
「だけどアタシの場合はね、オカルトってものがどういうものなのか、どうして人間だけがそういうものに心奪われるのか、そういうことを解き明かしていくことの方に興味があるんだ。アタシ自身はオカルトの大半は眉唾物だと思ってる。そりゃあ中には、どうしても科学では説明できないというものも混じっているとは思うよ。科学はまだ完成品じゃあないんだ。だけどね、その大半が実体もない、存在もしないものだからこそオカルトっていうのは魅力的だ。存在もしていないのに、間違いなく多くの人に影響を与えるだけの力を持ってる」
先輩の目は活き活きとしていた。まるで夏休みの壮大な計画を語る小学生のような純粋でまっすぐな瞳だった。この人は悪い人じゃないなと確信する。と同時に、この人は一筋縄じゃ行かないなとも確信する。
「じゃあ先輩は、もしあの桜の樹がその、科学では説明できない力を持っていると言ったら、どうしますか?」
「あの言い伝えが本当にそういう力があるものだって、君はそう言いたいのかい?」
「あるいは、言い伝えとはちょっと違う形で」
先輩は僕に向き直る。その目つきは、先ほどまでの子供の用にきらきらしたものとはがらりと変わっていた。
「と、言うと?」
今の先輩は、獲物を見つけた猫のような目をしていた。
「僕たちは……桜の呪いにかかってしまったんです」
美穂に語ったのとおおよそ同じような話を語る間、先輩は手の中で器用にペンをくるくるとまわしていたが、一通り聞き終わると「ふむぅ」と唸り、腕組をして背もたれにもたれかかった。個人的にその姿勢は着崩した制服と豊かに育った胸の合わせ技で良くないことが起こるので遠慮して欲しかった。
「申し訳ないけど、にわかには信じがたいねぇ」
「ですよね……」
そう簡単に信じてもらえる話でないことは重々承知だ。
「だけど、興味深い」
先輩はにやりと笑う。
「最初はアタシをからかいにきたのかなとも思ったよ。自分がからかうのには良い材料になる変わり者だって自覚くらいは持ってるしね。だけど」先輩は小鳥遊を指さして「それでこんなにはにかむのは筋が通らない」
指摘された小鳥遊は更に赤面する。事故はノーカンとか言ってた本人が一番ノーカンに出来てない。
「それで、君たちはその呪いを解きたい。そのために手掛かりを探してここに来た、そういう事でいいのかな?」
「はい、全くその通りです」
「だとしたら、残念だけどアタシでは力になれそうもない」
先輩は両手を肩の高さに挙げてお手上げのポーズをする。
「さっきも話した通り、アタシの専門は人間なんだ。オカルトそのものじゃあない。とても興味深い話なんだけどねぇ、アタシの出る幕はないみたいだ」
「そんな……」
僕らは肩を落とす。せっかく手をかけたと思った有力な手掛かりがここでついえてしまえば、また振出しまで逆戻りだ。
「まぁそう気を落とさないで。アタシでは、力になれそうにないって言っただろう?」
「えっ?」
「アタシの親父の話、美穂から聞いてない?」
「あっ」
そういえば聞いていた。お父さんが民俗学者だとか。
「特別に親父に話を通してあげるよ。桜の樹に関してはアタシなんかより何倍も詳しいよ。それにあの人なら、言い伝えそのものについても少しは力になってくれるかもしれない」
「どういうことですか?」
先輩は、少しためらうようにし話し出す。
「あの人は学者だけど、元々は神職者でもあったのさ。神主の家系なんだ、ウチって」
「え、そうだったんですか!?」
美穂が驚いたように口を挟む。僕も意外だった。失礼なようだが、何も言われなかったらこの人がそういう家系の人だとは思えない。
「ああ、まぁあんまり話したいことでもないから言ってなかったかな。そういう親父に影響を受けながらも反発して、いつの間にか迷信やまじないの類を自分なりに研究するようになったんだ。残念ながら、未だに親父の背中は越えられないけどねー」
先輩は苦々しく笑う。それはつまり、僕らの話が先輩の考え方を否定し、お父さんを肯定することを意味していた。
「なんか、すみません」
「どうして謝ったりするんだい?アタシはむしろね、こうして貴重なサンプルを持ってきてくれた君たちに感謝してるよ。否定しているだけじゃ何にもならない。科学じゃ説明のつかないものがあれば、説明のつくように足掻くのがアタシの仕事さ」
この人は強い人だな、と思った。
「ということで、この話は親父に通しておいてあげるよ。今調査で家を離れてるから、返事が来るまで少しかかるかもしれないけど」
「ありがとうございます!」
僕らは声をそろえてお礼を言う。
「ただし、一つだけ条件がある」
先輩は右手の人差指を立てて、僕らの前に突き出した。条件……嫌な予感がする。まさかお金を取るとかそんなことはないだろうが……
「な、何ですか?」
しばしの緊張の後、先輩は肩をすくめると、緩く両手を広げて言った。
「部室の掃除をしてくれないか?アタシ一人になってからというもの、荒れ放題でさ」
先輩はアハハと笑う。
かくして、僕らのオカルト研大掃除が始まった。
数日後、橘先輩のお父さんから連絡が来たということで、僕らは再度オカルト研の部室に集まっていた。
僕らの夜まで続いた大掃除によって、オカルト研の部室は見違えるほどに綺麗になっていた。散乱していた書籍は綺麗に整頓されて本棚に並び、怪しげなグッズの類も綺麗に埃を払われて生まれ変わったようだった。その部室の一番奥、おそらくそこが定位置なのであろう一つだけある上質な椅子に腰かけた橘先輩は、僕らが揃ったのを確認すると口を開いた。
「さて、親父から連絡がきたわけだが、とても長ったらしい話だったのでかいつまんで説明する」
良いのかよそれで。僕は少しだけ不安になる。
「一つ目、親父が協力してくることになった。上手く行けば君らの言う“呪い”を解く手助けができるみたいだ」
「本当ですか!?」
小鳥遊は顔をパッと輝かせる。
「まぁまぁ落ち着いて話を最後まで聞く。二つ目は少し残念な知らせだ」
残念な知らせ?
「君らが親父に会いに行くのは来月の満月の日、つまり今から約一か月近く先になる」
「一か月っ!?」
眩暈がいてきた。たった数日間でももうかなり息苦しい生活をしてきたのだ。一か月もこんな状態が続くなんて考えるだけでもぐったりしてくる。しかも今月と言うと……
「一か月って言ったら、体育祭も挟むじゃない!」
小鳥遊は勢い余って立ち上がる。
そうなのだ。わが校の体育祭はもう今月末に迫っていた。わが校は生徒の自主性を重んじるという方針に従い、あらゆる校内行事において生徒会への負担はかなり大きくなっている。実際この時期は、小鳥遊を含む生徒会の人間はかなり忙しく動き回っていた。
「仕方ないさ。親父曰く、君たちの“呪い”は桜の力と月の力、両方の力に信仰の力が結びついた特殊な条件下で引き起こされた一種の契約だとかいう話だ。再び条件のそろう満月の夜にしか、契約の解除は望めないんだとさ」
「そんな……」
小鳥遊は再び椅子に腰をおろし、がっくりと肩を落とす。やっと光明が見えたと思った矢先のこれだ。落ち込むのは僕も同じだった。
「こればかりはどうにもならないからねぇ。もちろん君たちがそれまでの間、自分でお祓いやらまじないの類やらをあてを探して試してみるってなら止めようとは思わないよ。ただまぁ信憑性のあるものがどれだけあるのかはわからないから、おすすめしないけどさ」
先輩も困ったように眉尻を下げる。
「なんだかんだ言ってさ、うちの親父の実力は確かだ。そういう世界の人間で、アタシが認めてるのは世界中であの人だけさ。右も左も金の亡者のペテン師ばっかりだからねぇ」
恐らくそれが、先輩を研究に駆り立てる一因でもあるのだろう。
「わかりました」
僕は覚悟を決めた。
小鳥遊も、どうやら他に道はないということは分かっているらしい。俯いて「うぅ……」と不満な声を漏らしながらも、それ以上の文句を続けようとはしない。
「それじゃあ、決まりだね」
先輩はよどんだ空気をかき消すようにパンと手を打った。それだけで少しだけ、空気が変わった気はした。
「詳しい予定はこうだ。来月の満月の日、君らは朝から双子山に登る」
「山に登るんですか!?」
これはちょっと予想していなかった。山なんてほとんど登ったことがない。
「ああ。でも山と言ってもそう険しいものじゃないさ。本格的な登山用具なんかは必要ないし、ハイキングに行くのとそう変わらないよ。まぁ安心して良いさ」
「はぁ……」
「あれの背の高い方の頂上付近に神社があって、その境内に大きな桜の樹があるんだ。その樹があの桜の樹の母株だ。親父は調査で先にそちらに滞在しているそうだから、当日はアタシが引率してあげるよ」
先輩はぽんと自らの胸を打つ。
「わざわざありがとうございます」
「ああそうだ、もう一つ。当日は泊りがけになるからそのつもりで。帰りは夜中を過ぎるし、それから下山するのは危険すぎるからね」
「泊りですか?」
小鳥遊は困ったように声を上げた。
「ああ、親御さんには親父が連絡してくれるってさ。その辺は上手くやってくれるらしい」
先輩は予想していたかのように言う。その辺りは流石に抜かりないらしい。
「あの……」
美穂が恐る恐るという様子で手を上げる。
「私もついて行って良いですか?」
そういえば、美穂は頭数に入っているのだろうか。
「翔ちゃんが心配で……」
「ああ、そう言うと思って人数は四人になるかもしれないと伝えておいた」
「良かったぁ」
不安そうにしていた美穂はぱぁっと笑顔になる。この先輩優秀だな。
「それでは、他に質問はないかな?」
先輩は僕らを見まわし、問題がないことを確認する。
「よし、じゃあ計画は以上。次の満月まで、頑張ってな」
「はい」
改めて言われて、僕らは肩を落とす。
「まぁほら、途中でやっぱり解きたくなくなるなんてこともあるかもしれないしね」
「やめてくださいよ!」
先輩は悪戯っぽくニヒヒと笑っていた。




