第四話
一体、私はどうしちゃったんだろうって思う。これじゃまるで、愛しい恋人との別れのようだった。私には一応、豊和という彼氏がいるのに。
竜介の姿が見えなくなるまで外に出ていた。竜介も時々振り返る。角を曲がるところで、最後に大きく手を振った。
竜介が視界から見えなくなり、やっと家へ入る決心をした。
家へ入り、小さな声で「ただいま」と言った。それを待っていたかのように、祖母が顔を出した。私の顔を見ると安心したかのように笑顔を向けてきた。内心、心配だったのだろう。
「ゆっくりだったのね。誰のところへ行ってたの?」
台所にも段ボール箱が積まれていた。たった三人しか住んでいなかったのに、こんなに荷物があるのかと思う。
祖母は、台所のテーブルに煎餅の入った菓子鉢を置き、お茶の用意をしている。
どうしよう。適当に誤魔化してさっさと自分の部屋へ入ってしまおうか。夕べよく眠れなかったというのも口実になる。いつもなら、そうしていたかもしれなかった。
けれども竜介のことを誤魔化したくなかった。別にやましいことはなにもなかったからだ。叱られるかもしれない。でも、言おうと思った。
「実はさ、私。夕べ、クラスメイトの双子の弟で、加藤竜介くんっていう人と出会ったの」
チラリと祖母を見る。
私の口から男の子の名前が飛び出してきて、厳しい表情になった。でも、もう後にはひけなかった。
「意気投合して、オールナイトのカラオケハウスに行って、明け方になってから彼の叔母さんの家に泊めてもらったの。竜介くんって叔母さんの家に住んでるから」
要点だけを言う。
祖母は黙って聞いていたが、その表情は固かった。
「男の子の家に泊めてもらったってことなのね。年頃の女の子がすることじゃないね」
やはり祖母は怒っているみたいだった。
「はい、ごめんなさい。私もそう思う」
自分でも反省はしている。
しかし、すぐに祖母の表情が柔らかくなった。
「そう、実はチラリと見えたの。由紀乃が玄関先で男の子と話していたのを。その人なんでしょ。その竜介くんって」
「あ・・・・・・そう」
「家の前まで送ってくれたのね。でも、最初からあの人と会う約束をしてたんじゃないんんでしょ」
そう、そうだった。友達のところへ泊るからと言って出てきたのだった。それが最初から竜介のところであるわけはなかった。こうなったら、祖父母が話していたことを聞いたと言ってしまおうと思った。
「あのう、ごめんね。実はさ、夕べ、私、おばあちゃんたちが話していたこと、聞いちゃったの。お父さんかもしれないっていう人からの手紙のこと」
祖母が不意をつかれたような表情でいた。
「由紀乃・・・・」
「いいの。別にお父さんのことは。だって、顔も見たこともないし、今更親子だって言われてもピンとこないしさ。でもね、嫌だったのは、おばあちゃんたちが、それを私に内緒にしていたこと。もう私、そういうこと、理解できる年だもん。それなのに黙っていられたことがショックだった。それでちょっと発作的に誰かの家へ泊ろうって思って」
祖母は私の心の傷に気づいたようだった。
「だってさ、もうすぐおじいちゃんもおばあちゃんも引っ越しちゃうんだよ。離れ離れになるのに、そんな内緒事、水くさいでしょ」
「ごめん」
と、わたしを見つめて言う。
「あれは綾乃の知り合いだったという人からの手紙。近々帰国する予定だから、久しぶりに会わないかという内容だったの。その人は綾乃が亡くなったこと、知らなかった。当時、留学していた向こうの友人とはあまり連絡が取れなかったから無理ないんだけど。私が綾乃は亡くなったという手紙を送ったら、いつ、どうしてという返事がすぐにきた。言おうか言わないでおこうか迷ったの。もしかしたら、もしかするかもしれないって思ってね。当時、綾乃とつきあっていた人を知っているかもしれないし、そう思ってまた返事を書いたの」
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
「でも、それっきりで返事がなかった。その後、年賀状を送ったんだけど、宛名不明で戻ってきた。だから、今はその人、どうしているかわからないの」
祖母の気がかりはそれだったらしい。祖父母も今の住所から引っ越すことになっている。もし、その後、その人が連絡をくれてもわからないかもしれなかった。接点がなくなってしまう。
「そんな感じで、由紀乃に話をする段階じゃなかったの。でも、こんな手紙が来たって、見せてもよかったかもね。ごめん。見る?その手紙」
一瞬、どうしようかと思った。見たい。でも、母が亡くなった原因を知ったその人は手紙の返事のないまま、引っ越してしまった。がっかりしたくなかった。ただの友人だったかもしれない。子供を産んで亡くなったなんてわかって、なんて返事を書けばいいのかわからなかったのかもしれない。
「あ、今は・・・・いい。もう少し時間がたってから、もしかすると読ませてもらうかもしれない。それまでおばあちゃんが保管しておいて」
「それでいいなら」
「うん。私ね、その人がお父さんだって名乗ってきたのかと思ったの。それを教えてくれなかったってひがんでた。でもさ、そのおかげで竜介くんに会えたんだよ」
「ああ、彼ね。いい感じ。おばあちゃんの好みのタイプ」
おどけるように言う祖母。二人ではじけるように笑った。
「一応、おじいちゃんには由紀乃が手紙のこと、知ってるって伝えておくね。でも、夕べ、由紀乃が男の子の家に泊めてもらったってことは内緒。今、おじいちゃんに卒倒されても困るから。引っ越しの準備、まだ終わってないし」
いつもの祖母のペースだった。私は苦笑しながらうなづく。
「あっちのマンションが落ち着いたら、週末、遊びにおいで。竜介くんと一緒に。泊まれるから。もちろん部屋は別だけどね」
竜介くんと私は別に付き合っているわけじゃないのにと思う。
私の部屋も梱包済みの箱があった。もうすぐこの部屋ともお別れだった。寮生活、卒業するまで過ごさなければならない。
カバンをそのまま床において、ベッドへ横になった。
竜介のことを考えていた。
本当の両親がいても、竜介のように一緒に暮らさない事情があるのだ。友人たちも親と喧嘩したとか、理解してくれない、干渉され過ぎるとかかなり親をウザったく思っている人が多い。本気ではないと思う。だって、彼女たちはちゃんと家へ帰っていく。本気で親を嫌いになることなんてないはずだ。
もし、私の父親だという人が現れたらどうしよう。私も本気で嫌うことはできないと思う。できたら会ってみたい。母が愛した人を。たとえ、妊娠した母を捨てたとしても全く顔も、存在すらわからないよりはましかもしれなかった。
誰かが言っていた。
《虹ってさ、あんなにきれいで、見ると誰もが心が明るくなるのに、雨が降らないとあらわれないんだよ》って。
物事や人生は、きれいな虹だけを期待するんじゃなくて、その前の雨、ごたごたや問題に立ち向かい、乗り越えていくことが大事なんだろうって思う。それを乗り越えればきれいな虹が出るって。




