第三話
次の日曜日、桐野と六時に待ち合わせていた。
私は久しぶりに光司の働く店、スターボックスに来ていた。厨房近くの奥まった席に座る。そこから少し離れた所に竜介が座った。
私より竜介の方が緊張している様子だった。光司も用事がないのにうろうろしていた。その様子が頼もしくて、そして笑える。
私はアイス・カプチーノを飲みながらそれを眺めていた。ここにも私の事、こんなに気遣ってくれる人がいたことがうれしい。きっと孝江も非番だったらきていたかもしれなかった。
桐野は五時まで勤務をして、それから一度、帰ってからくるとのことだ。私達は五時半から待っていた。見ると竜介は既に何か注文して食べ始めていた。待ちきれなかったと見える。
そこへ颯爽と桐野が現れた。一生懸命に食べている竜介の肩をポンと叩き、こっちへ向かってくる。不意を突かれた竜介はむせ返っていた。
いつも病院で見かける爽やかな笑顔の先生。しかし、白衣ではなく、紺のポロシャツ姿を見ると別の顔にも見える。
「僕も早くきたつもりだったけど、待たせていたんだね」
と、私の前の席へ座った。
「ここ、光司くんの働く店だし、どうせ家でも時間になるまで待っていたんです。だったらこっちに来て待ってる方がいいって言って・・・・。竜介くんはもうお腹が空いたみたいで食べてますけど」
「うん、見た。今日の竜介くんはずいぶん厳しい顔をしているね。まるで君が敵に襲われるんじゃないかって警戒しているよう」
桐野は笑いながらちらちらと竜介を見る。
私も竜介の方を見た。
なんともバツの悪いという顔をしながら食べていた。私は大丈夫、という意味でちょっと手を振った。竜介も口をもごもごと動かしながら手を振った。
光司がいらっしゃいませ、と言いながら桐野に水とメニューを渡す。
「先生、お久しぶりです。いつも知明がお世話になっています」
「あ、こんにちは」
私はもう注文品を決めていたから桐野がメニューを眺めている様子を見ていた。
不思議だった。今、目の前にいるこの人が父親かもしれないなんて。私達は面識があったから、こうしてすんなりと会う気になったが、もしもなにもないまま、祖母への手紙に会いたいからと言われたら、こうすんなり会う気になっていただろうか。まず祖父母が会ってからだろう。
「今日は竜介くんも剣道の練習、ないの?」
「はい、今日は日曜日ですし、そろそろテスト前なので」
あ、そうか、とうなづく桐野。
知明の夜間透析の時はいつも桐野が顔を出すと言っていた。その時、知明も学校のことを話していたのだろう。
「あのう、私と竜介くん、今、一緒に暮らしているんです。知ってました?」
自分のことを話そうとして、ちょっと意地悪にこんな言い方をしていた。そして桐野がどんな反応をするのか見てみたかった。
桐野はかなり驚いていた。つきあいはじめて同棲したのかと受け取ったみたいだった。父親でなくても驚くだろうと思い直し、私はすぐに反省した。私ってひどい。
「あ、ちゃんと説明します。竜介くんの叔母さんと光司くんの家に間借りしているんです。シェアハウスって言うか。祖父母が引っ越して私、一度学校の寮へ入ったんですけど、三年生と同室で気を使ったし、規則が厳しくて孝江さんが部屋が空いているって言ってくれたので、そのお言葉に甘えてしまいました」
桐野は安心した様子だ。
「なるほど、まあ確かに一緒に暮らしている、ね」
「はい」
「前はつきあっていないって言って、必死で打ち消していたけど」
今日も竜介が一緒に来てくれていた。桐野としてもそのあたりを明確にしておきたいのだろう。
「私、つい最近まで他にボーイフレンドがいたんです。どうせ、冷えていた関係だったんですけど、竜介くんと会ってからますます心が離れたって言うか」
そこまで話して、桐野がまた驚いた目をむけていることに気づいた。
「私、二又とか、かけていませんよ。竜介くんのこと、好きになったらボーイフレンドへの熱が急激に冷めてしまって、ちゃんと別れてから竜介くんとつきあうことになったので・・・・・・」
言い訳のように必死になっていう。
「いや、そういう事じゃなくて、高校生ってもう大人なんだなって感心しているんだよ」
なんとなく、恥ずかしくなった。呆れられているかもしれない。
桐野は真顔になって私を見た。私も少し緊張してかしこまった。
「本当によく似てる。君が綾乃さんの忘れ形見だって、すぐに気づかない方がおかしかった。今ならそう思う」
「そうですね、よく似てるって言われます」
桐野が私をじっと見つめた。私を、というよりも私の中の母の面影をおっていることに気づいていた。
料理が運ばれてきた。私達はしばらく無言で食事を始めていた。
その間ずっと私は母のことを聞きたくてしかたがなかった。写真からの母はいつも優しく笑っている。どんなふうに先生とつきあっていたのか知りたかった。桐野も何をどう話していいのかわからないでいるのだろう。
「私と竜介くんは交差点で出会ったんです。私が知明くんだと勘違いしていて、先生は・・・・母とどうやって知り合ったんですか」
思い切って言ってみた。
桐野はハッとした表情を見せた。
「そうか、綾乃は何も言ってなかったんだ」
桐野がぽつりと言った。
ごく自然に母のことを綾乃と呼んだ。さっきの綾乃さんという言い方よりもずっとしっくりくる。いつもそう呼んでいたのだろう。
「綾乃とは大学のイベントのボランティアで一緒になった。僕は初めて会った時からずっと綾乃を目で追っていた。向こうもそんな僕に気づいてくれて、すぐに二人で出かけるようになっていた」
私にもその二人の情景が目に見えるようだった。
「僕の両親はとっくに別れていてね、二人は顔を合わせればいつも喧嘩していた。母は、いつも僕のために我慢しているんだと言っていた。でも、僕は一緒にいることがつらいなら別れればいいんだと思ってた。子供のために無理をして一緒にいるなんて誰も幸せじゃなかった。それで高校の時に無理を言ってアメリカへ留学したいと言って家を出た」
いつも穏やかな桐野にしては険しい顔で語っていた。
桐野の両親は、彼がアメリカへ行った直後に別れたそうだ。父親はすぐに再婚し、母親は自分の実家近くの田舎へ越して行った。
もう帰る家はないと思ったという。父親にはなんとか二十歳になるまでお金の援助をしてもらい、それもすべて後に返済すると約束した。
だから、人一倍勉強をし、念願の医学部へ入ったのだ。こんなに屈託のない笑顔をする桐野の家庭がそんなに複雑だったとは想像もつかなかった。
「あの時、綾乃も喜んでくれた、少なくともそう思っていた。浅はかだね。その年のクリスマスには僕のところへ遊びに来ると約束していた。僕はそれを信じて他の州へ引っ越していったんだ。でも、すぐに連絡が途絶えた。彼女のルームメイトに電話すると、綾乃は日本へ一時帰国すると言っていたが、そのままもうアメリカには帰らないという連絡があったって。僕はすぐに手紙を書いた。でも返事はこなかった」
桐野は一度、言葉を切る。
「綾乃が怒ってる、そう思った。唯一、僕が安らぎを感じさせてくれる人だったその綾乃に嫌われたと思ったんだよ。その事実を受け入れるのが怖くて、もう忘れようと思った。まさか綾乃が一人で子供を産もうとしていたなんて考えてもみなかった」
「お母さん、おばあちゃんに一緒に子供を育ててくれるかって頼んだんだそうです。一度は処分するために産婦人科を訪れたけどできなかったらしくって・・・・」
桐野が目を丸くしていた。
またこういう言い方をしてしまった。反省する。すぐに私は言葉を繋いだ。
「でも母はそれをしなかったんです。産むって決心した時の母は本当にうれしそうだったって」
桐野がほっとした顔を見せた。
「よかった。由紀乃ちゃんは望まれてこの世に生を受けたってこと、わかっていたんだね」
はい、とうなづいた。それがわかっているから自分でこういうことが言えるのだ。
先生は私の事を本当に心配している。この人がわたしの父親かもしれないということが本当にうれしくなった。
「ね、先生」
「ん?」
「親子鑑定をしてください。DNAを調べれば簡単にわかるんでしょ」
桐野はハッとして私を見る。
なんだか驚かせてばかりいるみたい。そんなに私の言動って奇抜なのかと思う。
「そんなことしなくても君は・・・・僕の娘だ」
「私、きちんと形から入りたいんです。血のつながりがあるって証明されたらもっと遠慮しないで甘えられると思うんです」
桐野がじっと私を見つめていた。しかし、私は気を変えるつもりはない。
「じゃ、親子ってわかれば先生って呼ぶのと、はい、っていう他人行儀な返事も変わるのかな」
「はい・・・・あ、たぶん、そうなるかと・・・・」
そう、父とわかればもっと甘えられるだろう。
「わかった。来週中、いつでもいいから病棟へ来て。検査しよう。でも、もし違ったとしても、もう由紀乃ちゃんは僕の子供だと思っている」




