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One Love ラプソディー  作者: 五十嵐。
第五章 物事は人の意志と関係なく起こっていく
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手紙 

 祖母が朝食を終え、片づけをしていた。私は居間の片隅にたたんでおいた布団を元の押入れに戻していた。竜介の寝ていた布団も片づける。

 掃除を済ませてから、一人で例の手紙を読もうと思っていた。掃除機をかけていると祖母が声をかけてきた。


「おばあちゃんね、ちょっと近所のお店にお昼の買出しに行ってくる。由紀乃はゆっくりしてて」

 今、朝食を済ませたばかりなのに、と言いかけて祖母の意図がわかった。私を独りにしてくれるためだ。祖母は何も言わなくてもわかってたみたいだった。


 ぱたんとドアが閉まると、私はすぐさま手紙を持ってベランダへ出た。外にある椅子に座り、まず最初の手紙を取り出していた。

 それは几帳面な字で、神宮字綾乃様という母の名前が書かれている。


 そこには突然の手紙で驚かせたことのお詫びと桐野の近況が綴られていた。そして当時の、あやふやなまま別れてしまったことを丁寧に詫びていた。


 桐野は別の大学へ進んだばかりで、早くその環境に慣れるように頑張っていた。気づいた時には別の州にいるはずの母と連絡が取れなくなっていた。すぐに実家の方へ手紙を書いたが、返事がなかったらしい。それで桐野のことをひどく怒っていると思ったと書かれていた。


 きっとその手紙は母が読み、処分していたのかもしれない。私を独りで産む決心をしていた。子供のことが桐野にわかったら、ひどく動揺するだろうと思うから。

 医者をめざして渡米、やっと念願の大学へ編入できた直後なのだ。そんな時、ガールフレンドが妊娠して産むつもりでいると知ったら、あの桐野にとって重荷になるだろう。

 だから、母も初めは私を堕胎するつもりで日本へ帰った。でもできなかった。そのまま日本でシングルマザーとしてやっていく決心をしていた。

 もし、母が生きていたら、この手紙で寄りを戻していただろうか。桐野は三十を超えるまで独身でいた。結婚はしたが一年ほどで別れていた。もし母が生きていたら、子連れでもいいからという人と結婚していただろうか。


 その手紙の最後には、桐野らしい謙虚な言葉が書いてあった。

《君がまだ怒っていなければ、旧友としてお茶でも一緒に飲みませんか》と。

 この手紙を祖母が受け取り、母は十六年前に亡くなったと書いた。


 次の手紙にはひどく驚いた様子がうかがえた。

 母が亡くなったこと、かなり動揺していた。全く知らなかった、病気なのかそれとも事故なのか、差支えなかったら教えてくれということが書かれていた。それだけ桐野の必死さと戸惑いが伝わってきた。


 その理由を祖母は書いたと言った。もしかするとこの人が私の父親なのかもしれないと思うからだ。引き取ってくれとか責任をとれというつもりはなかったが、その原因を知った桐野からの便りは途切れた。

 それは当然のことかもしれない。母との間に身に覚えがあるとしたら、その子供は自分の子の可能性がある。しかもその出産が原因で亡くなった母。昔のことを怒っているかどうかを問うどころではなかった。


 そして一番新しい手紙。

 前回の母の死の理由を知ってから、返事を出さずにいたことの詫びが書かれていた。なんて返事をしていいのかわからなかったという。


 母の子供は、つまり私のことだけど、たぶん自分の子だろうと書いてあった。

 その部分を読んで、私は手紙を持つ手に力が入った。その言葉の重みを受け止めていた。やっと今、父親というその存在が浮かび上がった。

 桐野は子供の存在を知ってから、いつもそのことが胸の内に合ったという。

 しかし、突然十六歳の娘と言われても、その存在をイメージすることは雲をつかむような気持ちだったと語っていた。

 その気持ちはよくわかった。私が父親の存在をイメージするのと似ているから。想像するたびにその人のイメージが変わり、顔のない男性がそこにいた。


 桐野は初めて病院で私を見かけたとき、すぐに母を思い出したという。確かに私は母に似ていると言われていた。年も同じくらいで顔も似ている、まさかという思いがあったと。しかし、そんな偶然があるはずもないと打ち消していた。ただ、それからは桐野のイメージする娘像は私に成り代わったらしい。

 戸惑いだけの子供の存在だったが、もしも私がその娘だったらと考えたらしかった。たまに顔を見て、知明や竜介との会話を聞いていると、こんなことが話題になり、関心のあることが具体的に想像できるようになったと。これならば、自分も少しづつだが、父親になれるかもしれないと思ったと書いてあった。

 私が母の子供だと知ったのは、知明が神宮字と名字で呼んだからだ。あの時の桐野の驚愕の表情は覚えている。

 あの時に私が母の忘れ形見だと確信したという。一度でいいから二人で話がしたいと祖父母に願い出ていた。


 私は全てを読み終えて、手紙を封筒へ返す。

 目の前にそびえる富士山を見つめた。

 この手紙から伝わってくるものは、病院で見かけて親しい笑顔を向けてくれるいつもの桐野、そのものだった。

 誠実で、やさしくて素敵な人。


 父親の存在がわかったら、もっと興奮状態になるのだと思っていた。母を一人で死なせてしまったこと、今まで何も言わないで放っておかれたことなどの怒りをぶつけ、それでいて、ああ、この人を母は愛したのだ、と子供の目からではなく、一人の女性という落ち着いた目で見るのだと。


 でも自分でもどうしちゃったの、というくらいに冷めていた。心の中にもしかして、という思いがあったからかもしれなかった。自分でもかわいくないくらいに冷静でいた。


 何かをずっと考えていたような、いないような感じでずっと富士山を目の前にしてぼうっとしていた。無心になるってこういうことなのかもしれない。自分で考えまいとしていた。これからどうなるのか。どう受け止めるのか。自分は桐野を父親として、どう接していけばいいのか。


 そこへ祖母が大きな皿盛りのお寿司を買って帰ってきた。

 私のいるベランダに声をかけてきた。

「横着しちゃった。おじいさんと二人だとね、外食もしなくなったし、いつもの物を作ってさっと食べちゃう毎日だから。由紀乃たちが来ているときくらいちょっと贅沢しようと思って」


 見るとかなり大きめのお寿司の盛り合わせだった。六人分はある。きっと夕べの竜介の食べっぷりを見て、これを選んだのだろう。

「これにサラダを作って、お吸い物も用意すれば足りるわよね」

 私は祖母の言葉にうなづいた。十分すぎるほどだ。

 祖母に読み終わった手紙を差し出した。祖母は顔を引き締めた。


「どうする? 心の整理がつくまで待ってもらってもいいんだよ」

と言って、祖母は桐野の手紙を受け取った。

 私の心は決まった。

「会うよ。そして本当の父娘なのか調べてもらおうと思ってる」


「えっ」

 よほど驚いたのか、祖母は理解できないという顔を向けてきた。

「お母さんが生きていれば、桐野さんがお父さんってわかるんだと思うけど、ただ、桐野さんはあの時につきあっていた人、ということだけ。もしかすると内緒で他の人とつきあっていたかもしれないじゃない。だから、誰にも何も言わないで帰国していたってこと、あり得る」

 まだ祖母はあっけにとられた顔をしていた。なんてことを言うんだろうと。

「だから、親子鑑定をしてもらいたいの。それならすんなりと受け入れられるでしょ」

 祖母は呆れていた。

「全くもう、この子は。他人事のようにそんなことを言って・・・・」

「いいじゃない。もし、違ったらそれはそれでいい。私達は今まで通りでいられるし、先生は解放してあげられる」

「そりゃあ、そうだけど」

 祖母はまだ口ごもってブツブツ言っていた。

 子供のくせに、かわいげのない反応だったかも。でも、一番先にそう思ったのだ。情が移る前にこういうことはきちんとした方がいい。


「今日、帰ったら電話してみるね。あ、メールでいいかな」

というと、祖母が睨んで言った。

「だめ、ちゃんと電話をしなさい。そんな大事な事、メールでなんて軽々しく……これだから最近の若い子は・・・・」

 祖母の小言になった。

 私は長くなりそうだと思いながら、ペロリと舌をだし、サラダ用のきゅうりを洗い始めた。

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