3話
部活を早く切り上げて、知明の病院へ向かう。病棟へ行くと、面会室のデイルームに二人はいた。
「おう、由紀乃」
「竜介くん、早かったのね。もう来てたの」
知明も笑顔を向けてくれる。
「元気そう。退院近いんでしょ」
「うん、木曜日になった。後は透析室に通わないといけないけど、夜間に入れてくれるって」
「夜間?」
「昼間、働いている人や学生とか、学校が終わってから週三回受ける。昨日、どんな様子か見てきたんだ。結構若い人たちもいた。大学生や家庭を持つお父さんとか」
普段、私達の生活の中で、見た目には普通にやっている人たちの中にそんな面があるなんて今まで知らなかった。
みんな生きていくために努力して、そして笑う。健康のありがたみなんて、病気をしないとわからないかもしれない。日夜、何事もないことをみんなが感謝しなければならないものなのに。
「学校へ行ける」
と、知明はものすごくうれしそうだ。
竜介なら、学校へ行くことがそんなに楽しいかっていうところだろうけど、知明の本当に行きたかったという心を知っているから何も言わないでいる。
「お母さんは? もう帰られたの?」
「うん、ボクがよくなっているから最近は早く帰る。父さんの夕食、作るから」
私が授業のノートを渡す。
そこへまた、知明の主治医、桐野がきた。
「また、揃ってる、同じ顔」
竜介は殆ど毎日きているから、もう先生とも顔見知りになっている様子。
「先生、また泊まり? 家へ帰らなくっていいの」
と友達に言うような口調で言ってる。
「まあね、この近くにある病院の寮だけど、着替えを取りに行くだけ」
と笑う。
「先生、独身なんだ」
と知明も聞く。
「去年、離婚したんだ。今は花の独身だよ」
「花ってとこがよくわかんないけどな」
竜介が突っ込んで笑った。
桐野先生はチラチラと私を見ていた。その視線に知明も気づいていた。
「あ、竜介と、この神宮字さんがつきあってます」
「えっ私達、まだそんな・・・・」
知明が突然、そんなことを言うから竜介と私ははにかんでいた。
しかし、桐野先生を見ると、いつもの笑みが消えていた。意外なほど真剣な顔をして私を見ていた。
「君は神宮字って言うのか・・・・」
私は先生のその反応に驚く。もちろん、竜介も知明も驚いて桐野をみていた。
「はい・・・・そうですけど」
まるで、その名字に敵意があるかのように睨んでいる。いつも温和なこの先生にしては少し怖いくらいの反応だった。
「先生・・・・、どうかした?」
知明が心配そうに桐野の顔を覗き込む。桐野はすぐに、いつもの顔に戻っていた。
「あ、ごめん。知り合いも神宮字って言うのを思い出して」
「なんだ、それだけ? 先生、噛みつきそうな顔をしてたよ」
と、竜介が少し安心した顔で言った。
「ごめんな。そんな顔してたか」
桐野が、無理して笑ったように思える。
私が持ってきたノートを手に取った。
「見てもいい?」
と私の方に向き直った。その顔はもう、いつもの優しそうな先生になっていた。
先生は、私の名字を聞いて反応した。本当に知り合いにいただけなのだろうか。怖いくらいの真剣な目をしていた。
今はノートの中をみて、知明と勉強の進み具合を屈託なく、話していた。それでも時折、桐野が私へ向ける視線に気づいていた。
その目はさっきのような怖い目ではなく、ほのかに優しさを増した柔らかな目だと感じていた。
桐野は、一通りのノートに目を通し、頑張れよと言って自動販売機でコーヒーを買い、デイルームを後にした。
「先生ってさ、奥にある医局の一室に寝泊まりしてるんだって。寮っていうのが、一駅先にあるらしいけど、その距離が中途半端だって」
「ふぅ~ん」
病院の先生もいろいろ大変なのだろう。
知明の病院を出る。
「光司くんのところでご飯、食べていこう」
「うん」
今日は家に帰らず病院へ寄るからと言ったら、じゃあ二人とも夕食は店で食べろと言われたらしい。
光司も大変だろうと思う。みんなのスケジュールを見て、誰が夕食を家で食べるのかチェックして用意する。
竜介が、剣道仲間の失敗談を面白おかしく話してくれていた。広い舗道だから横に並んで歩いても他の人の邪魔にならない。
さっきも知明に、二人はつきあってますと言われた。みんながそう思っているのに、二人の中ではその一線は越えられないままだ。
私は思い切って竜介に近寄って歩く。手をつないで歩きたかった。そして、彼女にして、と言いたかった。でも、どきどきして、なかなかそのタイミングがつかめないでいた。
豊和の時はあんなに積極的に告白できたのに。だから、竜介にもあっけらかんとして言えると思っていた。今は自分でも驚くほど、勇気がいると感じていた。
豊和の時は、断られてもあたりまえという心があったかもしれない。しかし、竜介の場合は一緒に住んでいるのだ。毎日顔を合わせなければならない。
もしも、「ごめん、由紀乃。オレ、そんなつもりじゃなかった」なんて言われたらどうしようと思う。自分だけが舞い上がっていたとしたら・・・・。怖かった。
それでも手をつないでみようかと思ったとき、竜介が私の手を取った。
え?、私の思い、伝わったの?
「信号、青だ。走って渡るぞ。早くしないと赤になる」
横断歩道の青がチカチカと点滅していた。
「うん」
私もその手を握り締めて走って渡った。竜介は走り慣れているから、私のペースに合わせて手を引っ張ってくれている。息も乱れていない。
「なんだよ。たったあれだけ走ったのにもう息が乱れてんのか。南高のバドミントン部も大したことねぇな」
「そう、大したことねぇ、です」
私は、一度つないだ手を離したくなくてギュッと握っていた。竜介もそのままでいてくれて、私達は光司の働く店に入っていった。
金曜日、学校の寮の管理人から電話があった。
実家への手紙がきていて、新しい住人となった奥さんがわざわざ届けてくれたとのことだった。その奥さんとは一度だけ会っていた。まだ若い人で、もうすぐ子供が生まれるから一軒家がほしかったのと嬉しそうに語っていた。その時に、私は自分から、南高に通い、今度はその寮に入ると言った覚えがあった。
知り合いにはそのほとんどに、早くから住所変更のお知らせを送っていたはずだった。その網の目をくぐって、以前住んでいた家に届けられたのだ。
明日は朝早く、祖父母のマンションへ行く予定だった。私がそれを持っていくのにちょうど都合がよかった。
その一通の手紙は、祖母宛てだった。




