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騎士団長様は、悪女の掌の上。  作者: 吹雪やよい


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1/1

婚約しよう。

中世魔界――。


 魔族たちが暮らすヴァルディア王国。その王国騎士団を率いるのは、若干十九歳の青年、ルイス・ウォリックだった。


 若すぎる。


 そう陰で囁く者も少なくない。


 だが、ルイスは実力だけでその地位を勝ち取った。剣技も魔力も一流。何より、誰よりも高い誇りを持っている。


 ――そんな彼にも、唯一敵わない相手がいる。


「ルイス!」


「……」


 王城の廊下を歩いていたルイスは、聞き慣れた声を無視した。


「ルイスってば!」


「…………」


「ル・イ・ス!」


「うるさい」


 仕方なく振り返る。


 そこにいたのは、銀色の髪を揺らす少女――フィーナ・シュヴァルツ。


 十八歳。


 紫色の瞳を細め、悪戯っぽく笑っている。


「やっと振り向いた」


「最初から無視していると分かっていただろう」


「うん。でも、ルイスって三回呼ぶと絶対振り向くから」


「……そんな法則を勝手に作るな」


「昔からそうだよ」


 フィーナは楽しそうに笑った。


 それが妙に腹立たしい。


 幼い頃からそうだった。


 ルイスが剣の練習をすれば横から口を出し、魔法の勉強をすれば邪魔をし、少しでも格好をつけようものなら、すぐに笑われる。


 それなのに。


 落ち込んでいるときだけは、誰より早く隣に来る。


 だからルイスは、彼女を嫌いになれなかった。


 ――いや。


 むしろ、その逆だった。


「それで、何の用だ」


「大事な話」


「嫌な予感しかしない」


「失礼ね」


 フィーナは頬を膨らませる。


 そして、突然言った。


「私と結婚しない?」


「断る」


「即答!?」


「考えるまでもない」


「ひどい!」


 フィーナはむっとする。


 しかし次の瞬間には、また笑っていた。


「じゃあ、私が他の人と結婚してもいい?」


「……好きにしろ」


「本当に?」


「お前の人生だ」


「じゃあ、騎士団の副団長さんとか」


「駄目だ」


「なんで?」


「……あいつは駄目だ」


「ふふっ」


「何だ」


「別に?」


 フィーナの目が楽しそうに細められる。


「ルイスって、ほんっと分かりやすいね」


「意味が分からない」


「じゃあ、私が誰かに取られても平気なんだ?」


「…………」


 ルイスは答えなかった。


 フィーナはそんな彼を見て、満足そうに笑った。


「そっか」


「何がだ」


「ううん。何でもない」


 その日からだった。


 フィーナは妙に距離を詰めてくるようになった。


 朝になれば迎えに来る。


 昼になれば隣に座る。


 仕事が終われば待っている。


 そして毎日のように言うのだ。


「ルイスって、私がいなくなったら困る?」


「困らない」


「じゃあ、私が明日から王都を離れたら?」


「……好きにしろ」


「ふーん」


「何だ、その顔は」


「別に?」


 ルイスには分からなかった。


 フィーナが何を考えているのか。


 ただ一つだけ分かることがある。


 自分は、彼女にいなくなってほしくない。


 絶対に。


⸻


 数日後。


 王宮で晩餐会が開かれた。


 両家の婚約話が正式に進められることになったため、二人も出席することになったのだ。


 会場に入った瞬間、フィーナがルイスの腕に自分の腕を絡めた。


「おい」


「何?」


「近い」


「婚約者なんだからいいでしょう?」


「まだ婚約していない」


「じゃあ、今日する?」


「……」


 ルイスが黙る。


 フィーナはくすりと笑った。


「ほら、また黙った」


 その夜、フィーナはやけに美しかった。


 銀髪は月明かりのように輝き、紫の瞳にはいつもの悪戯っぽさがある。


 ルイスは何度も視線を逸らした。


 見ていることを、彼女に気づかれたくなかった。


「ルイス」


「何だ」


「私ね」


 フィーナが小さく笑う。


「今日、誰かにプロポーズされるかも」


「……は?」


「さっき、そういう話をしてる人がいたの」


「誰だ」


「秘密」


「フィーナ」


「でも、断るつもり」


「……なぜ」


「好きな人がいるから」


 心臓が跳ねた。


「……誰だ」


「教えない」


「お前な……」


「知りたい?」


「……」


「じゃあ、ルイスが聞いて」


「どういう意味だ」


 フィーナは笑った。


「自分で考えて」


 そう言って、彼女は人混みの中へ消えていった。


「……何なんだ、あいつは」


 ルイスは頭を抱えた。


 だが、その直後。


 王家から、二人の婚約について正式な承認が下りたという知らせが届いた。


 両家も婚約に賛成している。


 あとは――本人たちが意思を示すだけ。


 ルイスは一人、庭園へ出た。


 月が綺麗だった。


 そこにフィーナがいた。


「……フィーナ」


「来たね」


「お前、俺を呼び出したのか?」


「うん」


 フィーナは月明かりの下で振り返った。


「私ね、ずっと待ってるの」


「何を」


「ルイスが言ってくれるのを」


「……何をだ」


 フィーナは答えなかった。


 ただ、紫色の瞳で真っ直ぐに彼を見つめる。


 ルイスの胸が激しく鳴る。


 ずっと言えなかった。


 幼い頃から。


 何年も。


 何度も。


 彼女が他の男と話すたびに嫉妬した。


 笑いかけられるたびに嬉しかった。


 隣にいることが当たり前になりすぎて、失うことなんて考えたくなかった。


 なのに、たった一言が言えない。


「……俺は」


 ルイスは拳を握った。


「俺は、お前が好きだ」


 フィーナの目が少しだけ見開かれる。


「ずっと前から好きだった」


「……うん」


「お前が誰かのものになるなんて、耐えられない」


「うん」


「だから――」


 ルイスは彼女の前に立つ。


 そして、まっすぐにフィーナの目を見た。


「俺と結婚してほしい」


 沈黙。


 数秒後。


 フィーナはふわりと笑った。


「はい」


「……」


「喜んで」


 ルイスは固まった。


「……本当に?」


「うん」


「後悔しないか?」


「しないよ」


「俺は、お前が思っているほど優しくないぞ」


「知ってる」


「頑固だ」


「知ってる」


「意地っ張りだ」


「それも知ってる」


「……なら」


 ルイスは少しだけ笑った。


「一生、俺の隣にいろ」


「うん」


 フィーナは彼の手を取った。


 その瞬間、彼女の瞳からほんの一瞬だけ笑みが消えた。


 ――これで、いい。


 誰にも聞こえないほど小さく呟く。


 けれど次の瞬間には、いつもの天真爛漫な笑顔に戻っていた。


「ねえ、ルイス」


「何だ」


「プロポーズ、もう一回して」


「は?」


「ちゃんと聞きたい」


「……お前、さっき聞いただろう」


「もう一回」


「嫌だ」


「じゃあ婚約破棄しようかな」


「お前……!」


 フィーナは楽しそうに笑う。


「冗談だよ」


 ルイスは深い溜息をついた。


このときのルイスは、まだ知らない。


 幼い頃から続いてきた、フィーナとの他愛ないやり取りも、積み重ねてきた約束も、やがて王国そのものを揺るがす出来事へと繋がっていくことを。


 そして――。


 フィーナがなぜ、自分との婚約を急いでいるのか。


 その理由を知ることになるのは、まだ少し先の話だった。

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