婚約破棄の断罪劇場で泣くお前に、聖女が木綿のハンカチを差し出すまで(※スカッと異世界転生・短編完結)
「アリシア・モンフォール。お前との婚約を破棄する。涙を見せぬ女など、聖女に値しない」
大聖堂の断罪劇場。王太子レオンが、芝居がかった仕草で私に指を突きつけた。
その隣で、ぽろぽろと大粒の涙をこぼす『真の聖女』ミレーユ。観衆は感動にすすり泣いている。
そして私は——一滴も泣けない体で、ただ立っていた。
(涙が判定基準とか。この国の聖女選抜は、情緒で動く宝くじか)
心の中だけでツッコミを入れる。顔は涼やかなまま。眉一つ動かさない。
説明しておくと、私はアリシア・モンフォール。前世は現代日本の緩和ケア病棟の看護師だ。享年三十四、死因は過労。患者の涙を拭い続けて、自分は最後まで一度も泣けずに死んだ。
そして転生したこの世界の価値観が、また振るっている。
『聖力=涙の量』。
涙を流すほど神聖とされる、倒錯した国。鑑定石は『涙を流す力』しか測れず、私のギフトを『偽=無能』と弾き出した。
「アリシア。何か申し開きはあるか?」
レオンが勝ち誇って言う。申し開き。ふむ。
隣のミレーユが、そっと袖口で目元を押さえた。
——ああ、玉ねぎの匂いがする。ついでにショウガも。
前世で何百回と刻んだ食材の催涙成分を、私が見抜けないとでも?
(涙の詐術師さん。お見事です。だけど黙っておいてあげる)
なぜなら、私はもう、この茶番に付き合う気がないからだ。
私は無言で、ポケットから一枚の木綿のハンカチを取り出した。
色褪せて、何度も洗われて柔らかくなった布。前世から持ち越した、たった一つの宝物。母の形見だ。
観衆がざわめく。「白旗のつもりか」「命乞いだろう」
違う。これは私の、決意の合図だ。
*
「何だ、そのみすぼらしい布は」
レオンが鼻で笑った。「最後まで、聖女らしからぬ女だ」
私はハンカチを握りしめたまま、静かに口を開く。
「殿下。一つだけ、申し上げてもよろしいですか」
「許す。涙ながらの謝罪なら聞いてやろう」
(涙ありきでしか会話が成立しない男だな、この人は)
私は微笑んだ。たぶん、生まれて初めてくらい穏やかに。
「分かりました。聖女を辞めさせていただきます」
劇場が、しんと静まり返った。
レオンの勝ち誇った顔が、わずかに固まる。想定していた台本——泣き崩れて縋る女——が、目の前で消えたからだろう。
「な……っ、待て。お前は今、自分が何を捨てるか分かって——」
「分かっております。何も惜しくありません」
私は深々と一礼した。喚かない。怒鳴らない。
ただ、すべてを置いて踵を返す。
そう。これが私の流儀だ。『静の断罪』。
背後でミレーユが、勝利を確信した震え声で囁くのが聞こえた。
「あぁ、可哀想なアリシア様……どうか、お元気で……」
(玉ねぎ、ちゃんと隠しなさいよ。袖から覗いてるわよ)
私は振り返らなかった。
大聖堂の重い扉を押し開けると、外には乾いた風が吹いていた。
空が、やけに高い。
前世でも今生でも、私はずっと他人の涙を拭く係だった。それが当たり前で、報われなくても文句一つ言わなかった。
でも——もういい。
「行こう」
誰に言うでもなく呟いて、私はこの腐った国の中枢に背を向けた。
ハンカチを、ぎゅっと胸に抱いて。
(さて。私の本当の力が、どこかで必要とされる場所はあるかしら)
*
辺境の冒険者ギルドは、王都の大聖堂とは何もかもが違っていた。
泥と汗と酒の匂い。飾り気のない木の机。そして、生きるのに必死な人々の、嘘のない顔。
「あんた、回復術師かい? ちょうど人手が足りないんだ!」
そばかすの目立つ受付嬢が、書類を抱えたまま身を乗り出してきた。名前はノラというらしい。
「東の村が魔物の瘴気にやられてさ。村人が次々、原因不明の昏睡状態に陥ってるんだよ。鑑定では『絶望に呑まれた』って——」
「行きます」
即答した私に、ノラが目を丸くする。
「……即答かい。変わった子だねぇ」
村は、静かな絶望に沈んでいた。
ベッドに横たわる村人たちは、目を開けたまま涙を流し続けていた。瘴気が心を蝕み、悲しみだけを無限に溢れさせる呪い。
私は一番ひどい老人の枕元に膝をつき、木綿のハンカチを取り出した。
そっと、その頬を伝う涙に布を当てる。
——吸い取る。
悲しみを。痛みを。後悔を。
ハンカチが淡く光った。老人の涙が止まり、濁っていた瞳に光が戻る。
「……ここ、は……?」
「もう大丈夫ですよ」
私は次々と村人の涙を吸い取っていった。これが私の本当のギフト——【共感】。
他者の涙を受け止め、浄化し、治癒に変える力。
国の鑑定石は『涙を流す力』しか測れなかった。だから『涙を受け止める力』を持つ私を、無能と断じた。
私は泣けないんじゃない。
他人の涙を引き受けすぎて、自分の分が——残っていないだけだ。
最後の村人が安らかに眠りについたとき、ノラが呆然と立ち尽くしていた。
「すごい……あんた、聖女なんてもんじゃない。本物だよ」
「いえ。私は王都で『偽聖女』と判定されて、追い出された身です」
ノラが、ふんと鼻を鳴らした。
「はぁ? 何それ。涙の量で測るっていう、あのバカげた信仰? ……あのさ」
彼女は、まっすぐ私を見た。
「涙の量より、苦しんでる人を救える方が、よっぽど聖女でしょ」
胸の奥が、じんと熱くなった。
前世から今生まで、誰も言ってくれなかった言葉だった。
——その時。村の入り口の大木の陰で、何かが、もぞりと動いた。
二メートルを超える巨体が、必死に身を隠そうとして、まったく隠れていない。
*
「……あの。そこの大木の陰の方」
私は声をかけた。
「全身、はみ出ていますよ」
びくりと巨体が跳ねた。
のそりと姿を現したのは、褐色の肌に角と尾を持つ竜人の偉丈夫。戦傷の刻まれた強面に、鋭い眼光。一目で歴戦の武人と知れる威圧感の塊だった。
「Sランク剣士のガイゼル様じゃないか!」ノラが叫ぶ。「辺境を守る将軍様が、なんで木の陰でこそこそ……」
「……隠れてなどおらん」
地を這うような低い声。だが、その目元が——わずかに赤い。
(泣いていた? この人が?)
ガイゼルは咳払いをして、ぶっきらぼうに言った。
「貴殿の……治癒を、見ていた。村を救ってくれて、感謝する。それだけだ」
「……ああ」「すまん」と、極端に言葉数が少ない。
だが私には分かった。前世、何千人もの患者を看てきた目だ。
この人は、泣くのを必死にこらえている。
ノラがこっそり耳打ちしてきた。
「ガイゼル様ね、ほんとは涙もろいの。戦友が死ぬたびに、隠れて泣いてんのよ。でも竜人の誇りがどうとかで、人前じゃ絶対泣かないって決めてて……もう十年、ずーっと自分を責めてんの」
泣きたいのに、泣いてはいけない。
泣けない自分を、嫌い続けて十年。
——ああ。私と、逆だ。
私は他人の涙を引き受けすぎて泣けなくなった。この人は、自分の涙を押し殺しすぎて泣けなくなった。
気づけば、私は彼の前に立っていた。
「ガイゼル様。少し、よろしいですか」
木綿のハンカチを、そっと差し出す。
「我慢なさらなくて、いいんですよ。あなたの涙は、私が受け止めますから」
ガイゼルの瞳が、大きく揺れた。
「……っ、おれ、は……竜人の、将軍で……泣くわけには……っ」
「泣ける人が強いんです。私は、そう信じています」
ハンカチが、彼の頬に触れた。
その瞬間。
十年こらえた涙が、堰を切ったように溢れ出した。
大の男が、二メートルの巨体を震わせて、ぼろぼろと泣く。
「うっ……ぐっ……すまん、すまん……っ、止まらん……っ」
ハンカチが、淡く優しく光る。彼の長年の自己嫌悪が、後悔が、布に吸い込まれて浄化されていく。
ひとしきり泣いたあと。ガイゼルは真っ赤になって顔を背けた。
「……み、見るな。今のは、その……目に砂が入っただけだ」
「砂、ですか」
「……ああ。盛大に入った」
ノラが噴き出すのを、私はかろうじてこらえた。
(この人……こういう人なのね)
強面の竜人将軍が、照れて尾をぱたぱたさせている。なんだか、可愛い。
そうして私は、辺境で『涙を吸い取る癒やし手』として、静かに評判を集めていった。
だがこの頃——遠く王都では、すべての始まりであるはずの『嘆きの大樹』が、密かに枯れ始めていた。
*
それは、ある朝突然に起こった。
王都の中心にそびえる『嘆きの大樹』——この国の聖力の供給源が、暴走した。
千年分の嘆きを溜め込んだ大樹が、瘴気の涙を雨のように降らせ始めたのだ。それを浴びた国民は次々と倒れ、絶望の昏睡に陥る疫病災害。
王都は、阿鼻叫喚の地獄と化した。
「ミレーユ! お前の聖力で大樹を鎮めろ!」
王太子レオンが叫ぶ。『真の聖女』ミレーユが、震えながら大樹の前に進み出た。
「は、はい……っ。聖なる涙よ、どうかこの嘆きを鎮めて——」
大粒の涙をこぼし、祈りを捧げる。観衆が固唾を呑む。
——だが。
大樹は、びくともしなかった。
瘴気はますます濃くなり、ミレーユの涙など歯牙にもかけない。
「な、なぜ……っ、わたくしの聖なる涙が、効かない……っ?」
その時、彼女の懐から、ぽろりと何かが転がり落ちた。
——刻みかけの玉ねぎと、すりおろしたショウガの包み。
劇場のような静寂。そして、ざわめき。
「玉ねぎ……?」「あの涙、まさか……」「催涙の、仕込み……?」
レオンが、信じられないという顔でミレーユを見た。
「ミレーユ……お前の懐から落ちたそれは……玉ねぎ、と……ショウガ……? お前の涙は、本物では、なかったのか……?」
ミレーユの儚げな仮面が、剥がれ落ちた。
「……っ、だ、だってぇ! この国は涙の量でしか聖女を測らないんでしょう!? なら、たくさん泣ける女が一番偉いに決まってるじゃない! わたくしは、ただ賢く立ち回っただけ——」
「黙りなさいよ」
群衆の中から、誰かが叫んだ。
「あんた、偽物の涙で本物の聖女を追い出したのか!」
「どのツラさげて聖女を名乗っていたの!」
糾弾の声が、津波のように押し寄せる。
そしてレオンは、ようやく——本当にようやく、気づいたのだ。
この国がずっと讃えてきた『涙を流す力』。
それは、何の役にも立たない。
大樹を救うのは、暴走した嘆きを『受け止める力』だ。
「涙を、流す力と……受け止める力は……違う……?」
レオンの顔から、血の気が引いていく。
彼が『偽聖女』と断じて捨てた女。
涙一つ流さなかった、あのアリシア・モンフォールこそが——。
「アリシアを……探せ! 今すぐ、彼女を連れ戻すんだ!」
だが、もう遅い。
瘴気の雨は、王都を呑み込もうとしていた。
*
「アリシア。王都が、大変なことになっているらしい」
ギルドに駆け込んできたガイゼルの表情は、険しかった。
ノラが青ざめた顔で報告書を読み上げる。「嘆きの大樹が暴走……瘴気の涙の疫病で、王都が壊滅寸前だって。聖女の偽涙が露呈して、もう誰にも止められないって……」
私は、静かに立ち上がった。
「行きます」
「待て」ガイゼルが私の腕を掴んだ。「あの国は、貴殿を捨てた連中だ。義理立てする必要はない」
その通りだ。レオンも、ミレーユも、私を無能と嘲笑った国民も——一人として、私を正当に評価しなかった。
でも。
「あそこには、何の罪もない人たちが、苦しんでいます」
私は彼を見上げた。
「前世で私は、最後まで誰かの涙を拭いて死にました。報われなかった。それでも——後悔はしていません。だって、それが私だから」
ガイゼルが、ぐっと言葉に詰まる。
「……分かった。なら、おれも行く。貴殿一人では、行かせん」
「ありがとうございます」
そうして私たちは、王都へ向かった。
暴走する大樹の前に立ったとき、瘴気の雨が私の頬を打った。
千年。
この大樹は、千年分の人々の嘆きを、たった一本で受け止め続けてきた。誰にも拭ってもらえず、ただ溜め込んで、ついに限界を迎えた。
——ああ。あなたも、私と同じね。
誰かの涙を引き受け続けて、自分の分は誰も拭ってくれなかった。
「大丈夫よ」
私は木綿のハンカチを取り出し、大樹の幹に、そっと当てた。
「今度は、私が受け止めるから」
ハンカチが、まばゆく光った。
千年分の嘆きが——悲しみが、痛みが、後悔が、すべて、たった一枚の木綿の布に吸い込まれていく。
「……信じられん。千年分の嘆きが、たった一枚の布に……」
ガイゼルが、呆然と呟いた。
そんなことが可能なのか、と誰もが息を呑んだ。
でも、できた。
なぜなら、このハンカチは——母の形見であり、『どんな涙も受け止める』という、前世から今生まで変わらない私の信念の、結晶だから。
瘴気が晴れていく。
降り注いでいた涙の雨が止み、雲の切れ間から光が差した。
倒れていた国民たちが、次々と目を覚ます。
大樹は、穏やかな緑を取り戻していた。
「国を救うのは『流す涙』ではなかった。『受け止める手』だった。——それを、証明してみせただけです」
*
静寂の中、レオンがふらふらと歩み出てきた。
かつての傲慢さは、影も形もない。
「アリシア……アリシア! 私が、間違っていた!」
王太子が、衆人環視の中、地面に膝をついた。額を地につけ——土下座した。
「私は、愚かだった……! 『涙を流す女』を選び、『涙を救える女』を捨てた……! どうか、どうか戻ってきてくれ! もう一度、私の婚約者に——いや、私の聖女に……!」
観衆がどよめく。
私は、彼を静かに見下ろした。
怒りも、憎しみも、もうなかった。あるのは、ただ凪いだ水面のような、穏やかな決別。
「殿下。お顔を上げてください」
レオンが、すがるように顔を上げる。
「あなたは一つ、勘違いをなさっています」
「勘違い……だと?」
私は、はっきりと告げた。
「私は前世から今生まで、ずっと誰かの涙を拭く係でした。あなたの涙も、きっと喜んで拭ったでしょう。——あの頃の私なら」
一拍、置く。
「なら……!」
「ですが、もう違います」
私は、隣に立つガイゼルを、ちらりと見た。彼は無言で、けれど力強く、私のそばにいた。
「私はもう、あなたの涙を拭く係ではありません」
レオンの顔が、絶望に歪む。
『失ってから気づく』——彼は今、その言葉の意味を、骨の髄まで思い知っているのだろう。
少し離れた場所では、ミレーユが衛兵に取り押さえられ、なおも喚いていた。
「離してよ! わたくしは悪くない! 悪いのはこの国の制度で——!」
(それは、半分だけ正解よ。倒錯した制度に乗っかったのは、あなた自身の選択)
私は、踵を返した。
二度目の——けれど今度は晴れやかな、退場。
ガイゼルが、隣を歩く。
「……良かったのか。本当に、あの男を許さなくて」
「許す許さない、ではないんです」
私は微笑んだ。
「私はただ、自分の人生を、自分のために生きると決めただけ」
大聖堂の扉が、背後で静かに閉まった。
もう、振り返らない。
*
辺境に戻る道すがら、夕陽が長い影を落としていた。
「アリシア」
ガイゼルが、ぽつりと言った。普段の寡黙さからは想像もつかないほど、たくさんの言葉を、不器用に紡ぎ始める。
「おれは……ずっと、泣けない自分が、嫌いだった。竜人の誇りだの、将軍の威厳だの……そんなもので、自分の心を、縛り続けてきた。だが、貴女が、おれの涙を受け止めてくれた。あの時、初めて……生きていて、いいんだと思えた」
彼は、立ち止まった。
夕陽に照らされた強面の竜人が、真っ赤になっている。
「だから、今度は……おれが。貴女の涙を、受け止めたい。一生、そばで」
不器用な、けれど真摯な告白だった。
私は——その瞬間、自分でも驚くことが、起こった。
目の奥が、熱い。
視界が、じわりと滲む。
(……あれ? 枯れ果てたと思っていた涙腺が……)
他人の涙を引き受けすぎて、自分の分は一滴も残っていないはずだった。
なのに。
ぽろり、と。
頬を、温かいものが伝った。
生まれて初めて——前世から数えて、ようやく初めて。
私は、自分のために、泣いていた。
「……あ。私、泣けるんだ……」
声が、震える。
「アリシア……? どこか、痛むのか——」
「違うんです。誰かを助けるためでも、誰かの代わりでもなく……ただ、自分が嬉しくて、流れる涙なんです」
ガイゼルが、慌てて何かを探した。そして——私の手から、そっと、あの木綿のハンカチを取った。
色褪せた、母の形見。
『どんな涙も受け止める』、優しさの結晶。
彼は、大きな手で不器用に、私の頬の涙を、そのハンカチで拭った。
「……ようやく、貸しを返せた」
泣き笑いの私に、彼が照れたように言う。
前世で、患者の涙を拭い続けて、報われずに死んだ看護師。
その献身が——今、ようやく。
搾取ではなく、愛として、報われた。
(お母さん。私、ちゃんと、幸せになれたよ)
ハンカチの中で、優しい記憶が、そっと微笑んだ気がした。
*
数ヶ月後。
枯れたはずの『嘆きの大樹』の根元に、小さな双葉が芽吹いた。
千年分の嘆きを浄化された大樹は、今度は健やかに、新しい命を育み始めている。
そして辺境の冒険者ギルドには、新しい看板が掲げられていた。
『涙、吸い取ります。――癒やし手アリシア』
ノラがそれを見上げて、にやにやしている。
「いやー、すっかり名物になっちゃったねぇ。今や辺境一の有名人だよ、二人とも」
「二人とも、とは?」
「またまたぁ」ノラが肘でつついてくる。「ガイゼル様、最近ずーっとアリシアにくっついて離れないじゃない。隠れて泣いてた頃が嘘みたい。ねぇ、いつ式挙げるの?」
「……ノラ。仕事に戻れ」
ガイゼルが赤面して、ぼそりと言う。尾が、落ち着きなく揺れていた。
(尾が、落ち着きなく揺れている。……隠せていませんよ、将軍様)
私は、くすりと笑った。
王都からの使者も、何度か復縁の打診に来た。レオンは廃嫡されかけ、ミレーユは詐術の罪で裁かれたと聞く。国の聖女制度も、『涙の量』ではなく『人を救う力』で測るよう、見直しが進んでいるらしい。
そのすべてに、私はもう関心がなかった。
ここに、私の居場所がある。
私の力を、まっすぐに必要としてくれる人たちがいる。
それだけで、十分だった。
——その時。
ギルドの扉が、コンコン、と叩かれた。
見慣れぬ装束の人物が、立っている。
「失礼。こちらに、『涙を吸い取る癒やし手』がいると伺いまして」
異国の訛り。隣国の、使者の紋章。
「我が国にも、長年涙を溜め込み、苦しむ者がおります。どうか——お力を、お貸し願えませんか」
その手には、一通の依頼状。
私は、木綿のハンカチをそっと握りしめ、立ち上がった。
ガイゼルが、当然のように隣に並ぶ。
「行くのか」
「ええ」
私は、晴れやかに微笑んだ。
「だって——涙、吸い取りますから」
新たな涙が、私を待っている。
そしてそれを受け止める手は、もう、一人ぼっちではなかった。
(――次なる涙の物語は、また別のお話)
*
【後書き】
現代の看護師が異世界で報われる話が書きたかったです。木綿のハンカチは“流す涙”より“受け止める優しさ”の象徴。残酷な描写タグは保険です。スカッと+癒やしの短編をどうぞ。次章『涙、吸い取ります。』にて、また別の涙をお届けします。




