そうだ、カフェに行こう
小学生の頃、大人になれば何かが変わると思っていたわけだが、高校生になった今、あの頃に漠然と抱いていた幻想は打ち砕かれていた。
この思想に意味はない。なんか、ちょっと哲学者ごっこがしたかっただけだ。
決して、一人で学校に行くのが寂しかったわけではないのだ。
鵜場にも彼女ができた。
三大欲求のうち、食欲が大きくなりすぎて、性欲があるのかないのか分からない鵜場である。
暴食の化身みたいな男だ。
暴食の鵜場……ちょっとかっこいいのが腹立つ。
可愛い彼女が鵜場にもできたのだ。
ならば、俺にできないわけがない。
だから俺も欲しい。
先に好きな人を作れ?
大丈夫だ。
彼女ができてから好きになれば問題ないはずだ。
俺もキラキラしたい。
おじさんになった時、過ぎ去った今を思い返して、あの頃は良かったな、なんて言ってみたい。
あれ? なら別に恋愛じゃなくてもよくね? 恋愛にこだわる必要性なくない?
その時、俺の横をいちゃつくカップルが通り過ぎていった。
「ねえ、今度の休みどこ行こうか」
「そうだなぁ。そういえば駅前に新しいカフェがオープンしたらしいよ」
「あ、行きたーい!」
楽しげな声がドップラー現象のように近づき、遠ざかる。
……羨ましい!
しかし、カフェか……カフェ、どんなところだろうか。
思えば俺って、家でゲームをするか、鵜場と飯を食ってるかぐらいしかやってなくね?
俺が学校以外で遭遇した異性って、お店の店員さんと妹の友達くらいだぞ。
あれ、これ彼女とか以前の問題じゃね?
家で黙々とゲームしているだけの男に、果たして彼女ができるだろうか。
もっとこう、イケてる感じの行動を取って、人生経験とかそんな感じのものを積んで、自分をそれっぽく飾り付ける努力が必要なのではないか?
ほら、孔雀も羽を広げるし。
つまり、俺に足りないのは経験だ。
恋愛以前に、外界との接触が足りない。
俺は決意した。
カフェに行こう。
別に女の子と行くわけではない。
一人だ。
一人でカフェに行くのだ。
寂しくなんてない。
これは下見である。
未来の彼女とキラキラするための、尊い予行演習なのだ。
爽やかな朝日を浴びながら、俺はそう決意した。
◇
放課後になり、鵜場とその彼女である沢田さんと校門前で別れると、俺は財布の中身を確認した。
「四千円……」
お小遣いをもらってまだ日が浅い。早々に使い切るわけにはいかないが、仕方ない。
授業料だと思うことにしよう。
そうして、駅前までやってきた俺は、新しくできた喫茶店の入る建物に向かった。
スマホで検索したら普通に出てきたよ。便利だよね、スマホ。
建物の前にたどり着く。自動ドアをくぐって店内に入ると、挽きたてのコーヒーの香ばしい香りが鼻先をくすぐった。
匂いは好きなんだよな。匂いは。
奥のカウンターでは、笑顔の店員さんが接客をしていた。
「ん?」
店員に見覚えがあった。
というより、クラスメイトだった。
……帰ろう。
「あ、田澤じゃん。ウケる」
ダメでした。
「あ、鯉沼さん、ここで働いてたんだ。奇遇だね」
鯉沼 聖。
クラスのギャルである。
ザ・陽キャである。
ちなみに俺と鯉沼さんは、学校での接点はない。
接点がないのに、いきなり田澤である。
しかし、呼び捨てにされても腹が立たないくらいの陽キャである。格が違う。
あと可愛い。
付き合いたい。
「ウチ、ここでバイト中。制服が可愛いんだよね。ほら、見て見て。どう?」
眩しくて目が潰れそう。
「可愛いです」
「なんで敬語? ウケる」
ウケたらしい。何よりである。
「てか、田澤ってこういうところ来るんだ」
普段は来ないけどね。ちょっと人生経験を積みに来ました。
……言えるわけない。
「いや、ちょっとコーヒーを嗜みに」
俺は何を言っているのだろうか。
「そう。何にする?」
俺の失言をスルーしてくれた鯉沼さんに促され、メニューを見る。
「……ブレンドで」
唯一、意味が分かったものを注文するしかなかった。
なぜ、日本のコーヒーショップに入って、メニューの読解ができないのだろうか。
俺の通っている学校は、そこそこの進学校のはずだ。最低限の日本語力は備わっているはずだ。
「ブレンドね。かしこまりー。大きさは?」
「……一番小さいので」
「はいはい、ショートサイズね。砂糖とミルクは?」
「ブラックで」
「おお、田澤ブラック飲むんだ。大人だねえ」
違いのわかる男、田澤行成……。
飲めるかは未知数だ。
まあ、なんとかなるだろう。
俺は二郎系ラーメン屋で野菜マシ、アブラマシマシを完食した男だ。
「そうだ、田澤。コーヒーと一緒にケーキも食べなよ」
弾けるような笑顔で、鯉沼さんがケーキのカウンターを指さす。
実に可愛い。
そして、ちゃっかりしている。
「じゃあ、ショートケーキ一つ」
「はい、毎度あり!」
ふ、チョロいぜ。
支払いを済ませ、鯉沼さんからケーキとコーヒーを受け取ると、俺は空いている席を探した。
しかし、新しくオープンしたばかりということもあり、空席が見つからない。
「マジかよ……」
途方に暮れて立ち尽くしていると、後ろから声をかけられた。
「お兄ちゃん?」
振り向くと、そこにいたのは妹の真由だった。
中学生が学校帰りに寄り道とは感心しませんね。
真由の向かい側には、妹の友人である三枝 千尋ちゃんが座っていた。
肩にかかるくらいの髪に、くりんとした大きな目。真由より少し大人しそうに見えるが、こちらを見る表情は人懐っこい。
目が合うと、小さく会釈してくる。
「お兄さん、こんにちは」
「千尋ちゃん、こんにちは。いつも真由と仲良くしてくれてありがとね」
笑顔で社交辞令を言ってから、俺は妹に向き直った。
「相席、よろしいか?」
「え? 嫌だけど」
即答だった。
「頼むよ。席空いてないんだよ」
「ええ……ごめん、チッヒー。愚兄が一緒でも大丈夫?」
「あたしは全然大丈夫だよ」
実の兄を愚兄扱いする真由とは対照的に、千尋ちゃんが快くうなずいてくれたおかげで、なんとか人心地がつくことができそうだ。
実にいい子だ。
妹にも少し見習ってほしい。
「はあ、チッヒーに感謝しなよ。お兄ちゃん」
「千尋ちゃん、ありがとね」
千尋ちゃんにお礼を言って真由の隣に腰を下ろすと、真由は少し俺から離れた。
今さら、こんなので傷つくほど俺は軟ではない。
妹とはそういう生き物なのだ。
「それより、お兄ちゃんなんでこんなところにいるの?」
「少し、気になったんだよ」
「こんなところによく一人で来れるよね」
「鵜場が捕まらなかったからな」
「じゃあ、日にちをずらして鵜場さんと来ればいいじゃない」
「なんで?」
鵜場が捕まらなかったら一人で来ればいいのだ。
むしろ、なぜ鵜場と一緒に来なきゃならんのだ。
「一人で来て寂しくないの?」
「……孤独を楽しんでこそ、人生に深みが出るってもんだよ、真由」
俺は震える声で、ものすごく適当なことを言った。
「すごく深いです」
千尋ちゃんは、そんな純粋な目で見つめないでほしい。
騙しているみたいじゃないか。
「そう、人生に深みが出るんだよ。このコーヒーみたいに」
引っ込みがつかなくなった俺は、そう言ってコーヒーカップに口を付けた。
「……苦」
そう、人生とはほろ苦いものなのだ。
「お兄さん。苦いなら、ケーキがおいしく食べられますね」
なるほど。
苦さがあるから甘さが引き立つ。
人生も同様だと。
「千尋ちゃん。なかなかやるな」
「?」
俺の呟きに、小首を傾げる千尋ちゃん。
実に可愛らしい。
そして真由は、しらけた顔で見ないでほしい。




