第3話 夜風と本音
ファストフード店を出ると、夜の空気は思ったよりも涼しかった。
昼間の熱気が嘘みたいに引いていて、風が頬を撫でるたびに、体の中の余計な力が抜けていく。
「ほら、こっち」
村木が先に歩き出す。
街灯に照らされた横顔は、昼間より少し大人びて見えた。
「公園って、どこの?」
「駅の近くの。夜は人少ないし、話しやすいんだよ」
「話す前提なんだな」
「そりゃ話すだろ。逃避行ってのは語り合うもんだ」
「初耳だよ」
「俺が今決めた」
村木は軽く笑った。
その笑い声が、夜の空気に溶けていく。
公園に着くと、案の定ほとんど人はいなかった。
街灯の下にブランコが二つ並んでいて、風に揺れてかすかに軋む音がする。
「ほら、座れよ」
村木がブランコを指差す。
「……俺、ブランコとか久しぶりなんだけど」
「いいじゃん。たまには子どもに戻れよ」
「お前はいつも子どもだろ」
「褒め言葉として受け取っとく」
村木はひょいとブランコに座り、軽く足で地面を蹴った。
俺も隣に座ると、鎖がきしむ音が耳に心地よい。
しばらく無言で揺れていた。
夜風が吹くたびに、二人の影が地面に揺れる。
「なぁ、守本」
村木がぽつりと口を開いた。
「今日さ、逃げてよかっただろ?」
「……まぁ、悪くはなかった」
「悪くはなかった、ねぇ」
村木は笑いながら、俺の横顔を覗き込む。
「本当は、ちょっと楽しかったんじゃね?」
「……」
図星すぎて言葉が出なかった。
「ほら、黙るってことは図星」
「うるさい」
「うるさいって言えるくらいには元気になってるじゃん」
「……お前、ほんとよく見てるよな」
「そりゃ見てるよ。守本のこと」
まただ。
またその言葉だ。
心臓が跳ねるのを、どうしてこいつは気づかないんだろう。
「……なんでそんなに俺のこと気にするんだよ」
「なんでって……」
村木はブランコを止め、足を地面につけた。
そのまま、少しだけ真剣な顔になる。
「守本、最近ずっとしんどそうだったから」
「……」
「生徒会の仕事も、クラスの仕事も、全部一人で抱え込んでさ。
誰かに頼ればいいのに、絶対に頼らないだろ」
「頼られたら断れないだけだよ」
「それ、逆に言えば“頼るのが苦手”ってことだろ」
「……っ」
図星すぎて、また言葉が詰まった。
「守本ってさ、誰かに迷惑かけるのが嫌なんだよな」
「……まぁ、そうだけど」
「でもさ、迷惑かけられない関係って、友達じゃないだろ」
「……」
「俺は守本に迷惑かけられてもいいし、守本が困ってたら助けたいし、
守本が逃げたいって思ったら一緒に逃げたい」
「……なんでそこまで」
「なんでって……」
村木は少しだけ視線を逸らした。
珍しい。こいつが照れるなんて。
「……守本のこと、放っておけないからだよ」
その声は、いつもの軽さがなかった。
胸の奥に、じんわりと熱が広がる。
「……俺、そんなに頼りなく見えるか?」
「頼りないんじゃなくて、頑張りすぎなんだよ」
「……」
「守本はさ、誰かを助けるのは得意だけど、自分が助けられるのは下手なんだよ」
「……そうかもな」
「そうだよ。だから今日は俺が連れ出したんだ」
村木はブランコから降りて、俺の前に立った。
街灯の光が背中から差し込んで、輪郭が少しだけぼやける。
「守本、無理すんなよ」
その言葉は、思っていた以上に優しかった。
俺は、返事ができなかった。
喉の奥が熱くて、言葉が出てこない。
村木はそんな俺を見て、ふっと笑った。
「ほら、また黙る。分かりやすいなぁ守本は」
「……うるさい」
「うるさいって言えるなら大丈夫だな」
「……お前、ほんと調子いいよな」
「守本が相手だと調子よくなるんだよ」
「……っ」
また心臓が跳ねた。
村木は気づいていないふりをしているのか、本当に気づいていないのか。
どちらにしても、タチが悪い。
「なぁ、守本」
「なんだよ」
「俺さ、守本にはもっと頼ってほしいんだよ」
「……」
「迷惑とか思わなくていい。俺は守本の味方だから」
「……なんでそんな簡単に言えるんだよ」
「簡単じゃないよ。でも、言いたいから言ってる」
村木は真っ直ぐに俺を見た。
その目が、夜の光を反射して少しだけ揺れている。
「守本がしんどいと、俺もしんどいんだよ」
「……」
「だからさ、頼れよ。俺に」
その言葉は、胸の奥に深く刺さった。
俺は、ずっと誰にも言えなかったことを、
こいつには言ってもいいのかもしれないと思った。
「……村木」
「ん?」
「……ありがとな」
「お、素直じゃん」
「調子乗るなよ」
「乗るよ。守本が素直になるなんてレアだし」
「……ほんと、お前って……」
「俺って?」
「……なんでもない」
言えない。
“優しい”なんて、絶対に言えない。
村木は俺の言葉の続きを待っていたけれど、
俺が黙ると、ふっと笑ってブランコに戻った。
「よし、じゃあ次はどこ行く?」
「まだ行くのかよ」
「当たり前だろ。逃避行はまだ終わってない」
「……お前、ほんと元気だな」
「守本が元気ない分、俺が元気出すんだよ」
「……勝手に決めるなよ」
「勝手じゃないよ。俺の意思だ」
その言葉に、また胸が熱くなる。
(……なんでこいつといると、こんなに振り回されるんだろう)
でも、その振り回される感じが、
今日はなぜか心地よかった。
「ほら、行くぞ守本」
「……はいはい」
俺は立ち上がりながら、夜空を見上げた。
星はほとんど見えなかったけれど、
それでもどこか、明日が少しだけ軽くなる気がした。
村木と一緒なら。




