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第98話『闇に沈み、光に還る』

『あらかた退避したか……』


魔王の声が頭の奥で低く響く。

作戦は、次の段階へと進む。


 


目の前には――

黒い化け物を取り込みつつ、蠢く無数の触手。

それらの境界はもはや曖昧で、

“どこからが敵でどこまでが世界か”すら分からない。


 


「なぁ魔王……本当に、あれの中に入るのか?」


 


『さっさと行け! 考えるな、感じろ!』


「いやいや!? そのノリで行ける案件じゃねぇだろ!?」


 


震える手を押さえつけながら、

俺は平泳ぎのような動きで空を掻き――

少しずつ、あの黒の塊に近づいていく。


空気が重い。

喉が焼ける。

触手の表面が、心臓の鼓動に合わせて脈打っていた。


 


『いいか小僧……あれに触れた瞬間から、奴はお前を取り込もうとする。』


「そりゃあ、見た目からしてそんな感じだよねぇ!?」


 


『そこでだ。私はあの化け物を先に門の向こうへと返す。

 貴様は……耐えろ。』


「出たよ根性論!? お前ほんと上司にいたら嫌われるタイプだぞ!」


 


『門を閉じ次第、奴――クラウスナーの破壊を行う。

 奴は何としてでも取り込もうと、ありとあらゆる“揺さぶり”をかけてくる。

 決して、自分を見失うな。』


 


(……見失うな、ね。

 俺が俺でいられなくなる瞬間――それが、たぶん一番怖いんだ。)


 


「――あーーーー! どうとでもなりやがれぇぇぇぇぇ!!」


叫びながら、俺は触手へ腕を突き立てた。


冷たい。

それなのに、焼けるように熱い。

皮膚がきしみ、骨の奥まで“誰かの声”が流れ込んでくる。


 


そして――視界が、真っ黒に沈んだ。


 


────────────


「私!元気になったらパパとママとたっくさん!お外で遊ぶ〜♪」


「もう少しの辛抱だからね?」


優しそうな両親に手を引かれた子供がこちらに歩いてくる

子供は何処か痩せこけ……体調はあまり良くは無さそうだ


両親は俺を見ると

「先生……この子を……どうか!!」


俺はしゃべっていないのに声が発せられた

「あぁ……任せなさい……必ず元気にして見せましょう……必ず……ね」

その声は酷く楽しみを堪えるそんな感じがした


──────



両親と別れ子供の手を引きながら歩く

子供はそのやつれた顔から想像出来ない笑みで話しかけてくる

「ありがとう先生!私!元気になったらいっぱい

い〜ぱい!勉強して先生見たいな凄いお医者さんになるの♪それでね!私みたいに弱い人を沢山助けて!」


廊下を歩いていくと古くさびれた鉄の冷たい扉の前で止まる


その先はダメだと声に出そうとしたが声は出なかった



──────


「私! 元気になったらパパとママとたっくさん! お外で遊ぶ〜♪」


「もう少しの辛抱だからね?」


 


優しそうな両親に手を引かれた子供が、こちらに歩いてくる。

細い腕、痩せた頬――けれど笑顔はまぶしいほどだった。


 


「先生……この子を……どうか……!」


 


俺は喋っていない。

けれど口が勝手に動いた。


 


「あぁ……任せなさい。必ず元気にしてみせましょう……必ず、ね」


 


その声には、妙な熱があった。

慈愛ではなく、何かを抑えきれないような愉悦。


 


──────


 


両親と別れ、俺は子供の手を引いた。

その手は小さくて冷たく、笑顔だけがまっすぐだった。


 


「ありがとう先生! 私、元気になったらいっぱい勉強して先生みたいなお医者さんになるの!

 それでね! 私みたいに弱い人をたくさん助けるの!」


 


(……そんな言葉、聞きたくない)


 


気づけば、古びた鉄扉の前に立っていた。

冷たい風が頬を撫で、奥からは、誰かの泣き声がかすかに響いている。


扉の先に踏み出す瞬間、

声を出そうとした――だが、喉が凍りついたように動かなかった。


 


──────


 


場面が、切り替わる。


 


光は消え、闇だけが残っていた。

湿った空気。金属の擦れる音。

そして、震えるような小さなすすり泣き。


 


目の前には“台”。

そこに横たわる小さな影。

周囲には怯えた子供たちの瞳。


 


「先生! やめて! 私、悪いことしてないよっ……!」


 


俺の手が勝手に動く。

止まらない。止めようとしても、指一本すら動かせない。


 


(やめろ……頼む……!)


 


耳の奥で、硬い音が鳴る。

金属が触れ合うような、ぞっとする音。


光が一閃し――視界が白く弾けた。


 


「直ぐに……相応しい器になるからね」


 


その言葉だけが、焼き付いた。


 


──────


 


再び、白い廊下。

隣を歩くのは――あの少女。


「調子はどうだい?」


「はい……先生……良好です」


 


その声は抑揚がなく、表情もまるで仮面のようだった。

心を持たない人形のように、ただ歩く。


 


廊下の奥では、両親が待っていた。

泣きながら駆け寄り、娘を抱きしめる。


 


「先生! 本当に……ありがとうございます!」


 


少女が笑った。

けれど、その笑顔の奥には、何もなかった。


 


(やめろ……離れろ……それはもう……!)


 


吐き気が込み上げる。

息が詰まる。

それでも目を逸らせなかった。


 


◆ ◆ ◆


 


再び視線が切り替わる。


 


「子供たちのことをもっと見てあげて! あの子たちは、あなたの道具じゃない!」


「何をそんなに……面倒だな。 また作ればいいだけだろう」


 


(やめろ……その声……もう聞きたくない……!)


 


目の前の女性が、俺を睨んでいる。

その背後には、怯える子供たち。

中には、小さな猫獣人――ネミアの姿もあった。


 


「この悪魔! 私はこの子たちと出ていくわ!」


 


世界が歪む。

音が遠ざかる。

手が勝手に動いた。


 


(やめろ……頼むから……!)


 


一瞬、風が吹いた。

誰かの悲鳴。

何かが崩れ落ちる音。


 


そのあと、静寂。


 


「お前たち……いいか。お前たちの価値は、私が決める。

 私が“創った”。……私のために、生きろ。」


 


子供たちは震え、ただ頷くしかなかった。

その瞳に映るのは、絶対の恐怖――そして、服従。


 


──────





 それからも、俺は数え切れない地獄を見た──。





 心が、 


 




 精神が、 


 




 深い深い底なしの闇へと沈んでいった。


 



始めは震えていた感情も、いつの間にか黒い海に溶けていく。

 光が消え、音が遠ざかり、ただ冷たい静寂が身体の中を満たしていった。


 


 そんな中で、ふと一つの断片が目に留まる。


 「今日! 兵士試験に受かったにゃ!」


 嬉しそうに報告してくるネミアの声。小さくて、それなのに届く。


 ――そこで、記憶の世界が斜めに歪む。


 「だからどうした? 当たり前だろ……わざわざ話しかけてくるな! 鬱陶しい……道具の癖に……あの女に似て! 使えんゴミめ!」


 (なんだその言葉は……!)


 ネミアの目から、ぽつりと涙が落ちる。






 (ふざけんな……)





 (ふざけんな……ふざけんな……)




 (こんな不条理がまかり通るなんて……)




 (理不尽だ――)





 (そんな理不尽なんて……!)



 「認めてたまるかぁぁぁぁ!!」






 ──声が裂け、世界がガラスのような音を伴って砕け落ちる。




 


 気付けば、目の前にいるのはクラウスナーとレオノール。

 その背後には、数えきれぬ犠牲になった者たちの影が黙って立ち尽くしている。


 自分の身体を確かめる。拳が、確かに握れる。


 (立つんだ。今ここで終われるか、俺は――)


 クラウスナーが叫ぶ。声は怯えに震えていた。

 「な、なぜだ!? 何故だ! どうやって抜け出した! この化け物めが!」


 俺は何も答えず、ただ前へ出た。


 「テメェらみたいなゴミが……許せねぇ! ただそれだけだ!」


 拳を振り上げる。感触は重く、世界は一瞬で白く染まった。


  ──そして、衝撃。


 クラウスナーの顔面に拳がめり込み、音が鳴る。

 その一撃が空間を震わせ、張り詰めていた闇が弾け飛ぶ。


 


 光が、差した。


 


 振り返れば、背後にいた人々がゆっくりと顔を上げていた。

 怯えと絶望に覆われていた瞳に、わずかな光が戻る。


 まるで、長い夜の果てに朝日を見つけたかのように。


 


 (……ああ、そうか)


 


 俺は拳を下ろし、かすかに笑った。


 「これで……少しは報われたか、みんな……」


 


 吹き荒れていた風が静まり、

 闇の世界を包んでいた圧力がゆっくりと消えていく。


 白い光の粒が舞い、犠牲になった者たちの姿が淡く揺らぎ――

 やがて穏やかな表情のまま、ひとつ、またひとつと消えていった。


 


 その最後の瞬間、彼らが確かに微笑んだ気がした。


 世界は静かに、真っ白に染まっていく。

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