第93話『哲学と狂気の白衣おじさん』
シュンは小屋の中で目を覚ました。
薄く開いたまぶたの隙間から、差し込む光が視界を白く染める。
日差しの角度からして――昼頃、らしい。
「まぁ……昨日バタバタしたもんな……」
重たい体を起こし、隣のベッドを見る。
そこにあるはずの姿は、もうない。
「……流石に起きてるか。寝かしといてくれたのか?」
部屋にネミアの気配はなかった。
まだ半分寝ぼけたまま、目をこすりながら扉を開けると、廊下には一人の兵士が立っていた。
(まぁ……脱出騒ぎもあったし、見張りはつくか)
「なぁ、ネミア知らない?」
俺が尋ねると、兵士は短く頷いた。
「ネミアでしたら、別室にてシュン殿をお待ちです。」
「……あ、そうなんだ。」
そのまま、案内されるままに兵士の背を追う。
廊下の空気は妙に冷たく、靴音だけが響いた。
◆ ◆ ◆
(……まだ歩くの? ていうか、別室ってどこ?)
階段を降りるたび、空気がどんどん重くなる。
壁の灯火が少なく、薄暗い石壁が延々と続く。
やがて、気づく。
(これ、地下……だよな? いや、まごうことなき地下!)
(……ちょ、待て、別室ってまさか……牢屋コース!?)
いや、落ち着け。考えすぎだ。
そう自分に言い聞かせた瞬間、兵士がふいに口を開いた。
「なぜ昨日、逃げ出さなかったのですか。」
唐突すぎる質問に、少し間が空いた。
格好つけた返しでもしようと思ったが、何も浮かばなかった。
「……だってさ、女の子泣いてたら、見捨てられないじゃん。」
兵士は数秒、沈黙し――
「下心ですか?」と、真顔で返してきた。
「どう変換されたんだよ!? 違ぇよ!!」
兵士は淡々と続ける。
「あなたが昨晩、脱出を拒んだせいで我々も危ない橋を渡る羽目になっている……まぁ、いいでしょう。
ウルザール殿下から、あなたの保護と救出を命じられています。今度はネミアも一緒に連れ出します。」
(……え、今“救出”って言った?)
俺は思わず兵士の顔を覗き込んだ。
「昨日……助けに来てくれた、あの獣人か!?」
反射的に頭を下げる。
「いや本当すみませんでしたぁぁぁ!!」
兵士は苦笑し、少しだけ肩をすくめる。
「貴方は噂で聞く人物像より、ずっとお人好しに見える。……ですが、気をつけてください。今から向かうのは、この国の“闇”です。」
「闇……?」
「ラグナド獣王国の本当の王――ウルザール殿下に謀反を起こした男、レオニール。
奴は“良からぬ者”と繋がっています。」
「良からぬ者? ……王位乗っ取りとか、金儲け系のやつ?」
「それならまだ可愛いものです。
奴らは同胞を秘密裏に集め、地下で何やら行っている。
先月だけで、我々が把握しているだけでも二十人が“戻っていない”。」
(いや、え? 何それ……方向性がサイコなんですけど!?)
「……あんたは、何でそんな奴の兵に?」
兵士は立ち止まり、静かに言う。
「ウルザール殿下に忠を誓っています。
敵の動向を探るのが、私の役目。
今回あなたの脱出を手助けしたことで……正直、もうバレているかもしれません。」
「い、いまからでも引き返したり……?」
「ありません。」
(ですよねぇ……!)
覚悟を決め――決まりきらないまま、俺はその背を追い続けた。
やがて兵士が立ち止まり、重厚な扉の前で振り返る。
「……ここから先は、我々でも滅多に入れません。どうか、慎重に。」
(そんなこと言われたら怖いに決まってんだろ……)
ギィィ……と、軋む音。
開いた扉の向こうから漂ってくるのは、鉄と薬品の混じった、鼻を刺す匂い。
ひんやりとした空気が頬を撫で、背筋を冷やす。
視界の奥、光の届かぬ闇の中で――
鎖の音が、微かに鳴った。
部屋の中には、白衣を着たおっさんがひとり。
ニコニコと笑いながら、こちらを出迎えるように立っていた。
横の兵士が、低く息を呑む。
「……クラウスナー医師……!?」
俺は小声で兵士に囁く。
「知り合い? あのおっさん、誰?」
兵士は戸惑いを隠せない表情で答える。
「あの人は、世界的に有名な外科医だ……。我が国でも一度呼んだことがあるが……
彼が、なぜこんな場所に……?」
クラウスナーは俺たちに気づくと、相変わらずの笑顔で言った。
「お? 来たか。まぁまぁ、二人ともそこに座りたまえ。」
(なにこのゆるいテンション。怖っ……!)
言われるがまま腰を下ろすと、俺は恐る恐る尋ねた。
「あの……それでネミアは……?」
クラウスナーは指先をくるくると回しながら、まるで授業でも始めるように言う。
「君は、“肉体と精神の関係”を考えたことはあるかな?」
(え? 唐突すぎない!? なんでいきなり哲学!?)
「……えーっと……身体を鍛えれば……精神も鍛えられる……的な……?」
おっさんはにやりと笑い、目を細める。
「なかなか良い答えだ。だが惜しい──!」
次の瞬間、その笑みの奥に狂気が滲んだ。
「崇高なる魂には、それを受け止める“器”が必要なのだ!
私は数多の種族の身体を解き明かしてきた! 器だ! 器こそが真理なのだよ! うひひひひ……!」
(何このおっさん……気持ち悪ぅぅぅ!!)
「あ、あはは……。で、ネミアは?」
クラウスナーは、俺の問いを無視して酔いしれるように続けた。
「私の専門は“大賢者様”の魂を受け止める器の創造だ。
獣人は肉体の強度こそ十分だが、魔力の親和性が足りん。
そこでエルフの女王に目をつけたのだが──ふふふ、より良い素材が手に入った。」
(また大賢者!? 絶対ろくな方向に進まねぇやつじゃんこれ!!)
「は、はは……それは良かったですねぇ……で、ネミアは!?」
クラウスナーは怪訝そうに首を傾げた。
「そんなにあの娘が気になるのか? 立派な器を持っていながら、中身は凡俗だな。……まぁいい。」
そして、軽く手を叩いた。
「おい、レオニール。例の娘を連れてこい。」
奥の扉が開き、レオニールが現れる。
全てを諦めた様な目のネミアを、乱暴に引きずるように。
「ネミア!? おいっ……!」
クラウスナーは満面の笑みで告げた。
「取引をしよう。君が“器”の提供を承諾すれば、
そこの娘と兵士は解放してやろう。」
「はぁ!? 器!? 死んでもごめんだわ!」
俺は立ち上がり、ネミアの手を掴んだ。
「行くぞ! こんな奴らの言うこと聞いてたまるか!」
だが、ネミアは動かない。
まるで心ここにあらず、といった様子で、視線も合わなかった。
「……なんでだよ……!」
レオニールが鼻で笑う。
「滑稽だな、小僧。そんな使えん道具に執着するとは。」
「道具道具ってうっせぇんだよ、この顔面ライオンゴリラが!!
テメェみたいな見た目だけの奴と違って、ネミアは努力して、みんなに慕われてんだ!
親だからって何言ってもいいと思うなよ!!」
ネミアは俯いたままだ。
その沈黙に、レオニールの瞳が冷たく光る。
「ネミア。命令だ。小僧が従わぬなら、自ら舌を噛み切れ。」
息を呑む。
ネミアの肩が震える。だが、返事はない。
「全く……使えん道具だ。」
爪が閃き、ネミアの喉元を浅く裂いた。
赤い線が伝う。
「さぁ、小僧。選べ。」
「……クソが……!」
その瞬間、隣の兵士が剣を振りかぶった。
「貴様らに王を名乗る資格などない!!」
しかし、次の瞬間――
黒い閃光が走る。
クラウスナーが、音もなく兵士の横を通り抜けた。
そして、兵士の肌がボコボコと泡立ち、沸騰したように焼け爛れていく。
叫び声。焦げた肉の匂い。
俺は思わず喉を押さえ、吐き気をこらえた。
「うっ……!」
クラウスナーは笑いながら、部屋の隅の箱を開ける。
そこから取り出したのは――エルフの遺体だった。
彼はそれを、まだ息のある兵士の上へ放り投げる。
肉がぶつかる鈍い音。
そして、そこから聞こえ始めたのは、肉と骨が擦れ合う異音。
呻き声。
蠢く影。
二つの身体が融合し、醜悪な塊となって蠢き出す。
(やめろ……やめろよ……!)
クラウスナーは愉悦の笑みを浮かべたまま、
「また失敗作が増えましたね。まぁいい。もうすぐ戦争が始まります。
実戦でデータを取らせてもらいましょうか。」
そう言って、黒いメスを持ち上げる。
「この神器は二つの魂を“合成”できる。
……さぁ、どうする? ネミアの醜い姿を、見たいか?」
息が止まる。
言葉が出ない。
心臓が、ゆっくりと沈んでいく。
――もう、選択肢なんて残されていなかった。




