第91話『導火線は、もう灯っていた』
俺はベッドの上に放り投げられた。
「ちょっ……待った! まだ心の準備が!!」
見渡すと、猫獣人が――1、2、3……6人!?
多くない!? しかも、どこかみんなネミアに似てる。
「ささ♪ そんなこと言わずに……父に力を貸してくれるんでしょ♡?」
「なら、私達はお父様からの贈り物にゃ♡」
あの父親の顔が脳裏をよぎる。
怒りが、またこみ上げてきた。
「嫌だ!! そんなロマンチックの欠片もねぇ初めてなんて、絶対イヤだからな馬鹿やろぉぉぉぉ!!」
必死の抵抗。
だが、二人がかりで両腕を掴まれ、動けない。
「ロマンチックとか……可愛いにゃ♡」
「大丈夫にゃんよ? すぐ気持ちよくなるにゃ♡」
「話通じねぇぇぇぇ!!!」
──貞操の危機。
まじでこの世界、倫理観どうなってんだ。
その瞬間――。
バルコニーの窓が勢いよく吹き飛んだ。
夜風と砂埃、そして数人の影が部屋に雪崩れ込む。
「うわっ!? な、なんだ!?」
飛び込んできた獣人たちは、猫獣人たちに一斉に殴りかかった。
悲鳴と衝突音。室内は瞬く間に修羅場。
数人が逃げ、二人だけが拘束される。
「ご無事でしょうか!? シルヴァニアの国王よ!」
「……は?」
「私達はラグナド獣王国の本当の国王、ウルザール様に忠を誓う者!
あなたを救出せよとの勅命を受け参りました! さぁ、奴らが兵を呼ぶ前に!」
「いや待って、救い出すって何!? ウルザールって誰!? 俺まだ自己紹介もしてないけど!?」
混乱する俺の腕を、獣人の一人が掴む。
「詳しい話は後ほど! 伝令によれば、あなたのお仲間も国王の元に居られる! さぁ急げ!」
「仲間!? まさか……カナたちか!?」
もう訳が分からない。
でも、勢いに押されてバルコニーへ走る。
──その時。
バンッ!
部屋の扉が勢いよく開いた。
そこに立っていたのは、涙で目を腫らしたネミアだった。
「何をしているのです! 早く!」
その顔には、怒りと悲しみと……諦めが混じっていた。
手を引かれながらも、俺の足は止まった。
(……違う。そんな顔、させたくねぇ)
「くそっ! なんなんだよ国王って! 知るか!」
俺は救出隊の手を振り払った。
「ネミア!!」
呼びかけると、彼女は胸の前で手を握りしめ、視線を逸らした。
「あぁもう!!」
俺はネミアの元へ駆け寄る。
外では兵士の怒号。足音が迫る。
ネミアが半歩下がり、声を震わせた。
「なにしてるにゃ……!? 早く、逃げるにゃ!!」
「うるせぇ! どうつもこいつも、自分の目的ばっか押し付けやがって!
俺がどうするかなんて、俺が決めるわ!!」
その叫びに、ネミアの瞳が大きく見開かれる。
その中で、かすかに光った。
「時間が……! もう引くべきです!」
「仕方ない……撤退するぞ!」
救出隊の一団は、闇に紛れて去っていく。
残されたのは、俺と、泣きそうなネミア。
「……どうして、戻ってきたにゃ」
「お前を置いて逃げるとか、できるわけねぇだろ……バカ」
ネミアの唇が、震えた。
けれど、何も言わない。
外から近づく兵士の足音だけが、二人の間に響いていた。
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シュン脱走未遂の知らせは、すぐにその男の耳へ届いた。
「……くそ。あんな“贈り物”どもでは役不足だったか……!」
レオニールの目が、一瞬だけ焦りで揺れる。
――そのとき、王室の隠し通路が音もなく開き、数足の足音が静かに部屋へ侵入した。
「どうした、レオニール。……随分と、動揺しているようだな?」
低く響く声。人の神経を逆撫でするような、冷たい音色。
レオニールは反射的に肩を震わせ、跪いた。
「い、いえ……問題ございません、クラウスナー様!
例の“器候補”はまだこの城の内部に……逃がしてはおりません!」
影から現れたのは、白衣を纏う男だった。
両腕に幾重もの魔導具を巻き付け、銀の光脈が皮膚の下で脈打つ。
その背後では、フードを深く被った数人のエルフが、息を潜めて控えている。
クラウスナー――かつて“奇跡の名医”と呼ばれ、数多の命を救ったとされる男。
だがその実態は、生命そのものを弄ぶ異端の魔導医師。
今や獣王国とエルフ国、双方に根を張る狂気の実験者であった。
「……都合がいいではないか。」
クラウスナーは薄く笑う。その笑みには、一片の温度もない。
「お前の娘の一人が、あの“器候補”に惚れ込んでいるのだろう?
ならば――餌として使え。愛など便利なものだ。鎖にも、刃にもなる。」
レオニールは震える声で応じた。
「は、はっ……必ずや!」
クラウスナーは白衣の裾を払って歩き出す。
だが、レオニールが恐る恐る声を掛けた。
「し、失礼ながら……なぜここにエルフが?」
一瞬、空気が止まる。
クラウスナーは振り返らずに答えた。
「あぁ……私が呼んだ。次の段階を動かすためにな。」
その瞬間、跪いていたエルフの一人が、わずかに肩を震わせた。
クラウスナーは何の前触れもなく歩み寄り――黒いメスを静かに滑らせる。
肉が裂ける音。
続いて、腕が泡立つように崩れ、溶けていく。
エルフは叫び、床を叩き、爪で石を削った。
部屋に残るのは、嗚咽と震えだけ。
「こいつを地下へ運べ。」
命令は短く、淡々としていた。
獣人の部下が引きずるように連れ去ると、残された者たちは息すら潜める。
レオニールの歯が、カチカチと鳴っていた。
クラウスナーは、そんな空気を愉しむように口角を上げた。
「さて――獣王国とエルフ国の戦を、いつ始められる?」
レオニールの背筋が凍る。
「せ、戦争……? な、何故そのような……!」
クラウスナーは首をわずかに傾げた。
「まだわからんのか。お前が私に差し出すと約束した“獣人の素体”だけでは足りぬのだ。」
「最初の契約では……! 私の王位と引き換えに、獣人を数十名、それにミュゼリアの拉致……!
確かに失敗しましたが、代わりの人材を――!」
「黙れ。」
刃のような一言。
クラウスナーの吐息が、部屋の温度をさらに下げた。
「……これだから獣は。
いいか? 私が求める“器”は、貴様らの命よりも価値がある。
全てを差し出せとは言わん。――ただ、戦を起こせ。
死者と負傷者を“素材”として献じろ。……それで足りる。」
メスの刃先が光を反射し、レオニールの頬をなぞる。
冷たい金属の線が、皮膚の上を滑った。
「私は別に、お前が王でなくとも構わん。
戦を起こし、私を満足させる者が現れれば――王はすぐにでも替えてやる。」
レオニールの顔から血の気が引いた。
クラウスナーは、怯えるエルフたちへと視線を移す。
「お前たちもだ。
戦を仕掛けさえすれば、家族ごと見逃してやろう。
私を待たせるな。……わかるな?」
エルフたちは一斉に頭を下げた。
「承知致しました。
エルダンを焚き付ける材料は既にございます。直ちに動かしましょう。」
クラウスナーは満足げに頷くと、レオニールを見下ろした。
「お前も、“器”の準備を怠るな。
――戦は、こちら側から起こさせる。」
その声は、決定を告げる鐘のように低く響いた。
反論の余地など、初めから存在しなかった。




