第90話『認められたくて、届かなくて。──ネミアの涙と扉の向こうで』
シルヴァニア王国――。
「主様を救い出すのです! 敵は殲滅!
主様を脅かす者は、たとえ神であろうとも徹底的に制裁を!!」
『「おおおおおおおおおお!!!」』
「なのだーーー!!」
壇上で拳を掲げ、国民を煽るカナ。
その横では、よくわかっていないままテンションで乗っかるクー。
そしてその前には──
包丁、斧、スリッパ、果てはフライパンまで構えた民衆。
誰もが「主様を救う」という大義のもと、殺気立っていた。
もともとシルヴァニアは兵の少ない国。
だからこそ、いまや国民総出の戦闘態勢である。
遠くでその光景を見つめるのは、リリィと白蓮。
「ちょっと……あんた、止めて来なさいよ!
このままじゃ本当に戦争になるじゃない!!」
リリィが声を荒げる。
視線の先では、カナが壇上から腕を振り上げ、群衆が熱狂していた。
白蓮は頬に手を当て、ため息をひとつ。
「無理やろ……それにな?
うちはシュン様に一刻も早う会いたいんや。
せやからまぁ……国の一つや二つ、な?」
「“な?”じゃないわよ!? どうすんのよ!?
あの子、本気で出撃するわよ!!」
リリィが悲鳴を上げるが、白蓮は気にも留めず扇子をパタンと閉じる。
「ほな……うちの旦那さん、迎えに行ってまいりますわ」
そう言って、白蓮はメイド部隊を引き連れ群衆へと加わる。
そのすぐ先頭を歩くのは、メイスを担いだカナ。
行軍が始まった。
リリィは頭を抱えて叫ぶ。
「あーーー! もう! ばかーーー!!」
彼女の叫びは、軍靴の音にかき消された。
──そして。
少し離れた建物の影で、その様子を見守る二つの小さな影。
「や、やばいの……お姉ちゃん……」
「ええ……やばいわね……」
震えるリゼとフィナ。
彼女たちはこの国の“危険度”を、肌で理解していた。
(この軍の標的になった国は、更地になる……)
しかもエルフの国――リュミエール樹海王国では、
戦を起こすか否かで内乱寸前。
もし、仮にもし、
獣王国で両軍が鉢合わせしてしまったら――。
「……止めなきゃ」
「う、うん……!」
二人は顔を見合わせ、決意を固める。
最悪の未来を防ぐため、そっと行軍の列に混ざった。
──“主様救出”を掲げたこの行軍が、
3カ国の火種になることを、誰もまだ知らなかった。
────────────
一方その頃──。
自国がまさか戦争準備に入っているなど露ほども知らず、
俺はいま、人生でいちばんちびりそうになっていた。
いや、ほんとに。出そう。
「さぁ行くか! 義理のお父様を唸らせてやるぜ!」
……とか言ってた三秒前の俺、口縫い付けたい。
扉を開けた瞬間、そこにいたのは――
たてがみを揺らし、肩幅はドア二枚分。
金の瞳に幾筋もの傷跡。
二足歩行のライオン。
いや、ライオン顔のゴリラ。
全盛期のアーノルド・シュワルツェネッガーが毛皮を着て仁王立ちしていた。
沈黙。
俺はそっと隣を見る。
猫耳。尻尾。美少女。
……いやもう、親子設定どこいった。
(DNA! 遺伝子! 血のつながりどこぉぉぉ!!)
心の中で絶叫していると、ネミアが一歩前へ出た。
尻尾がわずかに揺れ、声はほんの少し震えている。
「お父様! お話があるの。
この人間と私、結婚することになったにゃ!
獣王国に……お父様の力になってくれるって!」
ネミアは笑顔で、ほんの少し怯えを滲ませながらも明るく言った。
すると、父親はライオンとは思えないほど満面の笑みを浮かべ──
「おお! そうか? 力を貸してくれるのか!」
豪快に笑いながら、俺の肩をガシッと掴んだ。
鉄塊みたいな手。めちゃくちゃ痛い。
俺は恐怖でひきつり笑いを浮かべながら、必死に首を縦に振る。
その様子を見て、父親はさらに上機嫌になった。
「そうか! そうか! 昨日のことは水に流そう!
いやぁ、良かった! お前ほどの実力者が俺につくのか!」
(あれ? 意外と喜んでくれてる……?
しかも思ってたより……怖くない人?)
ネミアの怯えからは想像できなかった。
昨日――同族をあれほど傷つけた罪人を、
娘の婚約者だからと許す度量。
見た目とは裏腹に明るく、穏やかな空気に包まれ、
俺の恐怖心もほんの少しだけ和らいだ。
ネミアも、あまりに喜ぶ父の姿に
目を潤ませながら笑った。
「よかった……お父様のお役に立てて……
これで少しは、私のことを見な───」
だが、その言葉は最後まで届かなかった。
「お前、いつまで居るんだ。」
氷のような声。
父親が娘に向ける目ではなかった。
それは――ただの“モノ”を見る目。
ネミアの頬が、すっと引きつる。
「で……でも私……がんばって……
ほら! 結婚も───!」
「やっと役に立ったかと思えば、
貴様など替えのきく道具にすぎん。」
声に温度がない。
そのひとことひとことが、
心臓を踏み潰すように冷たかった。
「お前を人間にやれば、力を貸すというのなら喜んでやろう。
貴様がいなくとも、また次を作ればよいだけだ。
わかったらさっさと引っ込め。鬱陶しい。」
「……っ」
ネミアの瞳から、
音もなく涙がこぼれた。
「お父様……わたし……」
その声は、
まるで壊れた楽器のように掠れていた。
小さな背中が震えながら、
扉の方へと歩き出す。
「待てよ! ネミア!」
俺は咄嗟に呼び止めた。
怒鳴るように声を出したのは、
多分、俺らしくなかった。
「ちょっと! あんた父親なら、
娘の結婚をもっと喜んだり、怒ったり、心配したりしろよ!」
……だって、
ネミアはあんなに頑張ってたんだ。
たった一日しか一緒にいないけど……
──それでも! 俺は見たんだ!
不安と、期待と、
そして――たった一つの願いを抱きしめて、
ここに立ったネミアを───
それを、こんな一言で壊すなんて。
レオニールは面倒そうに溜息をつき、
目の前の“俺”すらも見ていなかった。
「全く……人間という生き物は、
道具に愛着を持つのか? 面倒な生き物だな。
まぁ――あれが欲しければくれてやる。
あれで足りなければ、他の兄弟も見繕おう。」
(こいつ……っ!!)
拳を握る。
喉の奥が、焼けるみたいに熱かった。
俺はネミアの後を追う。
そのとき、背後から低い声が落ちた。
「……協力はしてくれるんだろうな?」
俺は、振り返らずに頷いた。
ただ、それ以上は何も言わず――
扉を閉めた。
残された部屋の中で、
レオニールは小さく吐き捨てる。
「まったく……使えん道具だ。
認められたいなどと欲を掻きおって……
道具は道具らしく、貢がれていればいいものを。
本当に不出来な失敗作め。」
手を叩くと、奥の部屋から
数人の獣人の娘たちが現れる。
「あれだけでは心を掴めぬかもしれん。
お前たちも貢がれてこい。」
「はい、お父様……」
彼の瞳には、愛も情もなかった。
ただ――“数”としての娘しか、映っていなかった。
◆ ◆ ◆
ネミアは自室に閉じこもってしまった。
鍵をかけ、呼びかけても反応がない。
「ちょっと!? ネミアさーん! あの! ペットのシュンですけど!
いれてぇぇぇ! 俺の寝床(小屋)はこの部屋の中なんですよぉぉぉ!」
……なんの反応もない。
俺は扉の前にへたり込む。
この国で他に行くあてなどないし、
無言の扉に話しかけた。
「なぁ? ネミア?
あんまし……こんな事言いにくいけどさ。
あんな親父、捨てて俺の国に来ない?
少なくとも……あんな奴の言いなりになるよりはマシじゃね?」
背中を預けた扉に、ガンッと何かがぶつかる衝撃が伝わる。
「別にさ……親に認めてもらうことが、お前の価値じゃないだろ?
だって街の奴らだってお前のこと、あんなに慕っててくれて……
別に一人から嫌われてもさ。
他の大勢の人は、お前の良さをちゃんと理解してくれてるじゃねーの?」
再び、背中に衝撃。
「あーもう! なんだよさっきから! 言いたいことがあんなら直接言えよ!
一応……偽物でも……夫だろ……?」
「うるさい……にゃ……」
微かな声が聞こえた。
次の瞬間、扉越しに“背中を預け返される”感覚が伝わる。
「なんだよ……うるさいって。
でも一応だけど……なんだ……俺は少なくとも、お前を道具扱いするあいつに腹が立った。
自分の娘を見ろって……一生懸命で、みんなから好かれて、一人のために自分の気持ちを押し殺して行動して……
それなのに……あいつは……」
思い出しただけでも腹が立つ。
よくよく考えれば、いくら仮とはいえ愛情もない他人と結婚する覚悟。
誰でもできることじゃない。
扉の向こうから、震える声が返ってきた。
「お前に何がわかるにゃ!!
お父様に認めてもらいたいって気持ちの何が悪いにゃ!!」
「私はずっと……ずっと努力して……
獣王国で認められて、それなりの地位に就いたのに……
褒められなくて、見てもらえなくて……」
「お父様が国から追い出された時だって、全部捨ててついていったのに……!」
俺は言葉に詰まる。
転生前の自分と重なった。
努力して、努力して、努力して……
それでも何も報われなかった自分。
そんな俺が、
“認められなかった努力の痛み”を抱えたこの子に、
何を言えるっていうんだ。
「もう……どうでもいいにゃ……
結婚も解消にゃ……どこへでも行くといいにゃ……」
「はぁ? お前、それ本気で──」
言い終える前に、背後から柔らかい何かが俺を抱きしめた。
「人間さん? 夜のお楽しみは私達が……♡」
振り向くと、猫系の獣人の娘たちが数名。
薄布のような服に、艶っぽい笑み。
「いやいやいや、俺は別に……この部屋に小屋あるんで……」
断ろうとした瞬間、反対側からも抱きつかれる。
「今、別れたでしょ? なら私達が“つがい”に……ね?」
そのまま力づくで引きずられる俺。
例え華奢に見えても、相手は獣人。
腕力が違いすぎる。
「ちょっ、ネミア!? 助けろ! おいぃぃぃ!!」
しかし扉は沈黙したまま。
「助けて誰かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 俺の貞操がぁぁぁ!!」
俺はそのまま、床を引きずられていった。
その扉の向こうで――
ネミアは、泣き笑いのまま、そっと耳を塞いでいた。




