第89話『ペットから始まる義理の息子ライフ』
「おはようにゃ♡」
朝日が差し込む、穏やかな朝。
乱れた服でシーツに包まる彼女――ネミア。
そしてそのベッドの横……
──ではなく。
部屋の片隅。
どう見ても犬小屋の中で丸くなっている俺。
「おはようございます……」
優雅な朝、とは。
テーブルには、朝から香ばしい肉料理。
コーヒーのいい香りが立ち上る。
ネミアはにこやかにナイフとフォークを手に取り、優雅に食事を楽しむ。
そしてその横──
……床。
皿に盛られた細切れ肉を、俺がむしゃむしゃ食っている。
「てっ!! “つがい”って何だよ!?
ベッドじゃねぇのかよぉぉぉ!!」
全力の抗議。ペットの逆襲である。
ネミアはフォークを口に運びながら、にこり。
「ん〜……つがい、にゃ♡」
「どこがだよ!!!」
(俺だって昨日、“お願い”からの“寝室”でちょっとはドキッとしたんだよ!?
下着の確認までバレないようにしたのに!! なのに! 無言で! 指さされる小屋!!)
「なんでだよ!! なんで俺の周りはやべぇ奴しかいねぇんだよ!!」
そんな俺を横目に、ネミアは遠い目で天井を見上げて一言。
「……今日も平和にゃ……」
⸻
食事を終え、ネミアの部屋にて二人きりになった。
ネミアは誰もいないことを確認すると、昨日の牢屋で見せた“あの雰囲気”にすっと戻る。
「お前? 朝からピーピーうるさいにゃ」
ピンと背筋を伸ばしたネミア。
俺は反射的に両膝をつき、即・土下座モード。
「はいっ! 申し訳ございませーーん! 調子乗りましたぁぁぁ!!」
……わかった。
この猫娘、誰かが見てる時と二人きりの時で、人格が別だ。
普段:上目遣いでにゃんにゃん。
今:殺し屋の目。
「お前、あんま調子乗ってると……」
――首元に親指をスッと横に。
その一瞬のジェスチャーで、全身の血の気が引いた。
「申し訳ございませーん!! 調子乗りませーん!!」
(怖い! “にゃ”で終わってるのに怖い!!
なんで語尾にゃで人を脅せるんだよ!!)
ネミアはベッドに腰掛け、脚を組む。
その目はもう笑っていなかった。
「“つがい”の件だけど、あれはフリにゃ。
お前は私の言うことを聞いてればいいにゃ」
「……と、言いますと?」
「俺、たいしたことできないんですが……」
ネミアは鼻先で嗤いながら、平然と言い放つ。
「別にお前に期待してないにゃ。
ただ――お父様がお前に興味を持ってるにゃ。
だから、お前を手懐けて、お父様に認められる。
お前はそのための道具にゃ」
その瞳には、嘘のない決意が宿っていた。
この子、たぶん本気でそう思ってる。
「お父様って……どんな人なんだ? 怖いのか?」
(“つがいになったにゃ♡”の次の瞬間、
“俺の娘に何してんじゃゴラァ!”で死亡コースは嫌だぞ!?)
ネミアは俺の顔を見て、小さく笑う。
「お前が想像してるほどじゃないにゃ。
安心していいにゃ」
その笑みはどこか寂しげだった。
「まぁ……その、出来る範囲なら俺も協力するよ。
この国の人にも迷惑かけたしな」
「まぁ、全然期待してないけどにゃ♡」
(ぶち殺すぞ……このクソ猫がぁぁぁ!!)
拳を握った瞬間――
“スッ”
首を切るジェスチャー。
笑顔のまま、無言の脅迫。怖すぎる。
俺は即座にひれ伏した。
「ははぁぁぁぁ!! 何なりとぉぉぉ!! お命だけはぁぁ!!」
ネミアは尻尾をふりふりしながら、にこやかに微笑んだ。
「よし。まずは言うことをきけにゃ。
で、次は――」
(あ、次あるんだ……今日も地獄確定じゃん……)
朝の光が差し込む部屋の中で、俺は静かに悟った。
──“つがい”どころか、立場は完全にペットである。
⸻
俺はネミアの三歩後ろを下がって歩く。
……いや、これもう“護衛”じゃなくて“下僕”の距離だろ。
「ネミアちゃん♪ こんにちは〜!」
「ちわにゃん! また今度お店顔出すにゃ〜♡」
「ネミアちゃーん! 俺と結婚してくれー!」
「ん〜鏡の前で顔面土木工事してから来るにゃん♡」
「ネミアちゃん、今日もパトロールご苦労さん!」
「任せるにゃ〜♡」
……なんだこの子。
めっちゃ人気者なんだけど。
どこを歩いても声をかけられる。
みんな笑顔。みんな優しい。
人望、厚すぎない?
「おっ、新しい部下かい? ネミアちゃん、これ持ってきな!」
果物屋の店主が、りんごを二つ放り投げてくる。
反射的にキャッチする俺。ナイスキャッチ。たぶん今日一番の成果。
「ありがとにゃん♪ ちなみに部下じゃなくて――旦那にゃ♡」
ピタッ。
ネミアが俺の腕にくっつき、満面の笑み。
果物屋の店主、完全に固まる。
(おいおいおい!? そんな事を言ったら……!!)
……だが、店主は次の瞬間、豪快に笑った。
「そりゃめでてぇじゃねぇか! おいあんちゃん、ネミアを泣かせんなよ!」
「は、はいっ! 泣かせません!! たぶん!!」
ぺこぺこと頭を下げる俺。
なんかもう、流れで婚約成立みたいな空気になってるんですけど!?
街の空気は明るくて、偏見なんてこれっぽっちもない。
俺が人間ってだけで冷たい視線が来るかと思ってたのに――
(……あれ? 案外、獣人って優しいかも……?)
そう思った、その瞬間。
バンッ!!
路地裏の壁に背中を押しつけられた。
目の前にはネミア。
顔が近い。耳がピクピクしてる。
目? 完全に笑ってない。
「……もっと、みんなの前で“仲いいアピール”するにゃ。
さもないと……」
首の前で、スッと横一線。
(やっぱり獣人怖ぇぇぇぇぇ!!)
俺は涙目でコクリと頷く。
ネミアは満足げに尻尾を一振りし、また笑顔に戻った。
「よしっ、じゃ行くにゃ〜♡」
再び“人気者モード”に切り替え。
さっきまでの殺気はどこへやら。
……表と裏の切り替え、秒かよ。
(あ、やっぱりこの国、油断ならねぇ……!)
⸻
そこからは――死ぬ気で“ラブラブ”を演じた。
そう、命を懸けた茶番である。
街の人とすれ違う、その瞬間。
俺は全力で叫んだ。
「ネミアちゃま大好きぃぃぃ!!」
テンションだけで乗り切るタイプ。もう思考は投げた。
「どうしたにゃ♡ 人間♡」
笑顔で返しながら、ネミアの肘が――
俺の腹に、めりッと沈む。
「ぐほぁッ!! …………きょ……今日も……いい……天気だね……」
「そうだにゃ♡」
通りすがりの街の人々は、ほっこり笑顔で囁く。
「仲がいいわねぇ〜」
「ラブラブ〜♡」
俺はその背中を見送りながら、腹を押さえて前屈みになる。
「なんで肘鉄なんだよ!? 天気の話題よりも胃液が出るわ!!」
ネミアは涼しい顔で答えた。
「にゃって、キモかったから……」
「お前が“ラブラブしろ”って言ったんだろうが!!」
「人間のラブラブって、あんなにグロいにゃ?」
「グロいってなんだよ!? 仕方ねぇだろ!? 経験ないんだからぁぁぁ!!」
……そう。
俺は彼女がいたことなんて一度もない。
ひとつだけ学んだ――俺のイチャイチャの定義は“グロい”らしい。
「そもそも! なんだよ“人間呼び”って!
一応“夫婦のフリ”なら名前で呼べ! 名前で! シュンって名前があるんだよ!」
ネミアはめんどくさそうに肩をすくめる。
「はいはい、シュンにゃんね?」
(ふざけやがってこの猫ぉぉぉ!!)
そんな俺の怒りをよそに、ネミアは尻尾をひと振り。
そして、さらっととんでもない一言を口にした。
「じゃ、アピールも終わったし……そろそろ会いにいくかにゃ」
「ん? 誰に?」
「お父様にゃ♡」
(サラッとエグいイベント告知すんなぁぁぁぁぁ!!)
街の空が、急に曇った気がした。
……胃痛は、まだ治っていない。
────────────
俺はネミアと並び、城の一番奥――国王の間の前に立っていた。
……いや、正確にはガクブルで立たされていた。
「も……もしかして……国王?」
ネミアは少しだけ目を泳がせ、曖昧に笑う。
「えっと! 今は国王の代わりにゃ! だからほぼ国王にゃ!」
──ほぼ国王ってなんだよ。
半分王様みたいに言うな。
(てか“ほぼ”ってなんだ、“ほぼ”って……!)
そんなツッコミを内心でぶち込みながら、俺は冷や汗だらだら。
もう胃の奥がひっくり返ってる。
「緊張してゲロ吐きそう……」
だってそうだろ!?
いきなり“娘さんください”イベントが国の偉い人で、
俺は昨日まで牢屋の中だったんだぞ!?
どう転んでもぶち殺される未来しか見えねぇ!!
ネミアの方をちらっと見ると、
彼女も珍しく表情が固い。
耳がぴんと立ち、尻尾が落ち着かない。
「……表と裏、完璧に演じ分けるお前でも、
親に婚約者連れてくるのは緊張すんだな……」
ネミアは拳をぎゅっと握り、
決意を込めた声で言った。
「失敗できないにゃ。
ちゃんとやってみせるにゃん」
その言葉には――自分自身に言い聞かせてるような響きがあった。
演技でも強がりでもなく、本気の覚悟が滲んでる。
俺は、少しだけ息を吸い込んで言った。
「まぁ……なんだ……任せろ!
泣いてでも、抱きついてでも、靴を舐めても、
俺たちの結婚を認めさせてやる!」
──そして、ネミアの反応。
一歩引いて、冷ややかな目で俺を見た。
「靴を舐めるって……やっぱりシュンってキモいにゃ……」
「うるせぇ!!」
怒鳴ったら少しだけ緊張が和らいだ。
ネミアもふっと笑う。
その笑顔を見て、ちょっとだけ救われた気がした。
こいつが笑うなら、まぁ――死んでもいいか。
(いや、死ぬのはイヤだけど!)
「さぁ行くか!義理のお父様を唸らせてやるぜ!」
俺は大きく深呼吸し、
震える手で扉に手をかける。
──義理の息子としての初戦が、今始まる。
ネミアです




