第87話『森が目覚め、獣が吠える夜』
「よく来てくれた……狂剣と、エルフの女王よ───」
奥の瓦礫に腰を下ろす男は、この廃墟に似つかわしくないほどの威厳を纏っていた。
その存在ひとつで空気が変わる。
威厳、誇り、そして揺るぎない“王”としての強さ。
「私は──ラグナド獣王国の国王、ウルザールだ。
俺に付き従え……劣等種共──!」
狼のような鋭い双眸。
全身に漲る覇気。
ただ立っているだけで、周囲の空気が押し潰されそうな圧を放っていた。
周りの兵士たちは、条件反射のように跪く。
ギルはハッとした。
自分も、一瞬だけ膝を折ろうとしていたのだ。
そのことに小さな苛立ちを覚え、同時にウルザールへの“恐怖”を自覚する。
だが、隣のミュゼリアを見ると――
彼女の姿はまったく揺らいでいなかった。
その佇まいには、王の威圧にも負けぬ品格と覚悟が宿っていた。
エルフの女王は、決して劣っていなかった。
ウルザールは、次の瞬間に豪快に笑った。
「はっはっはっはっ! すまぬ、試すような真似をしたな!
流石だ……その眼差し、誇り、そして気迫……!
貴公らならば、安心して話ができそうだ!」
ミュゼリアが一歩前に出る。
声は落ち着いていたが、確かな威厳を帯びていた。
「正直……驚きました。
あなたの側近をこの灰域で見かけたとき、まさか国王自らが私たちに会いたいとは。
――単刀直入にお尋ねします。
獣王国はなぜ、私を攫ったのですか?」
ギルは周囲の兵の動きに注意を払いながら、黙して聞いていた。
ウルザールは静かに目を閉じ、低く語り出す。
「……私がこうして貴公らと会うと決めた時点で、ある程度は察しておるのだろう?
エルフの女王よ。
――その通りだ。今、我が国ラグナド獣王国は“反乱”によって乗っ取られている。」
ミュゼリアは目を細めた。
信じがたいという表情を隠さない。
「貴方ほどの王が……?
その力、その統率、その誇り……あなたが反乱を許すとは、到底思えません。」
ギルもまた、胸中で同意していた。
この男からは尋常ではない覇気が漂っている。
最初の一言から感じた“重み”も、嘘ではない。
――この強さは、もしかすればカナ様と同等……いや、それ以上かもしれない。
ウルザールはゆっくりと笑った。
「……レオニール。
奴は強い。だが、恐るるに足らぬ存在だった。
私は奴の“凶暴性”を危惧し、かつてこの灰域へと追放した。」
重々しい声が、廃墟に響く。
兵士たちですら息を呑み、誰一人動かない。
「だが……それから数年後。
奴は“世の理”を外れた者どもと手を組み、再び我が前に現れたのだ。」
ミュゼリアはその言葉に反応する。
目を伏せ、唇がかすかに動いた。
「……教団……」
「そうだ。」
ウルザールの声が低く響く。
「奴らは“器”としての強靭な肉体を求め、レオニールと取引を行った。
今、我が国で何が起こっているのかは掴めぬ。
だが――貴公が拉致された理由とも、深く繋がっているのは間違いない。」
その瞬間、空気がさらに冷たくなる。
ミュゼリアは、静かに口を開いた。
その声音には、揺るぎない女王としての威厳が宿っている。
「――それで?
私たちをここに呼んだ理由は、その“反乱”に関する謝罪なのですか?」
ウルザールは、一瞬だけ目を細めた。
その金の瞳に映るのは、過去の痛みと、未だ消えぬ誇り。
「……それも、ある。」
低く響く声。
灰域の空気すら震わせる重さだった。
「私は、反乱を起こしたレオニールと剣を交えた。
だが、敗れた。
崖から落とされ、意識を失いかけたその時――見たのだ。
奴の背後に立つ“影”を。」
ミュゼリアが息を呑む。
ギルは無言で耳を傾ける。
「……あれは恐らく、“教団”の幹部。
姿までは見えなかったが、あの一瞬で、俺は理解した。
――“敗北を知らぬ王”であった俺の心に、確かに刻まれた。
あれは恐怖ではない。
絶望そのものだった。」
部屋の空気が、わずかに冷たくなる。
灰域の静寂が、まるで“息を潜めた”かのように。
「……それから私は、傷ついた身体を癒しながら考え続けた。
あの影に対抗しうる者は、この大陸にいるのかと。
そして探した。
“強者”を。
“光”を。」
ウルザールの瞳が、鋭くギルを捉える。
「勿論、貴公のことも調べさせてもらった……
“狂剣”ギルよ。」
ギルはわずかに目を細める。
「……私なら、敵うと?」
ウルザールは首を横に振る。
その仕草には、王としての誠実さが滲んでいた。
「いいや。
俺は知っている。貴公は強い。だが――その強さの根は“己”ではない。
“主”だ。」
ギルの眉がわずかに動く。
次の瞬間、ウルザールは静かに言葉を重ねた。
「ギル。貴公の主……シュン殿と言ったか?
今やシルヴァニア王国の国王にして、魔族領で“かつての魔王”に匹敵する存在を討ち取ったと聞く。
――俺は、あの影を討つために力を求めている。
貴公の主殿に頼みたい。
どうか、その力を……この獣王国に貸しては頂けぬか。」
その瞬間、王が――頭を垂れた。
灰色の瓦礫の上で、王が深々と頭を下げる。
誰も息を呑むことすらできなかった。
「ウルザール陛下!? そ、それは……!」
ギルは慌てて一歩前に出る。
その表情には動揺と敬意が入り混じっていた。
「どうかお頭をお上げください!
……主殿が魔族領へと旅立たれてから、私自身お会いできておりません。
修行の旅に出ていたもので……今、主様がどこにおられるのかも把握できておらず……!」
ウルザールは顔を上げた。
その表情には、言葉にできぬ重さが宿っている。
「……そこに関して、だが。」
ギルは息を呑む。
王の口から出ようとしている“何か”を、直感で悟る。
「今朝方――ラグナド獣王国の正門に、“魔道ゴーレム”が出現した。
王都は甚大な被害を受けた。
そしてその直後――“一人の人間”が拘束されたと報告を受けている。」
ミュゼリアの目が見開かれ、ギルの血の気が引いた。
「そのような……規格外の魔法を扱える人間など、
俺の知る限り――“一人”しかおらん。」
一瞬の沈黙。
続くのは、ギルの震える声だった。
「まさか……主様が……!」
焦燥が爆発する。
ギルは思わず駆け出そうとする。
「ならば今すぐにでも向かわねば! 一刻の猶予も――!」
ミュゼリアが咄嗟に腕を掴む。
その声は鋭く、しかし必死だった。
「いけません! 単騎で乗り込むなど自殺行為です!」
「ですが! 主様が危険に――!」
「落ち着きなさい、ギル!」
二人の視線がぶつかる。
それでもギルは歯を食いしばり、拳を震わせた。
ウルザールが、静かに口を挟む。
「……焦るのも無理はない。
だが、我が国にはまだ“忠義”を捨てぬ臣下が残っている。
その者たちに伝令を出した。
上手く接触できれば、シュン殿の所在を掴めるはずだ。」
ギルはその言葉に、拳をゆっくりと握りしめた。
「……主様……どうか……ご無事で……」
その呟きは、祈りというより“誓い”だった。
誰も動かないまま、灰域の風だけが静かに吹き抜けていく。
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──リュミエール樹海王国。
夜の帳が森を包み、月光すら枝葉に裂かれ、地に届かない。
その最奥。
古き大樹の根元に、わずかな灯がひっそりと瞬いていた。
幹をくり抜き造られた密会所。
そこに集うは、王国を支えるはずの重鎮たち。
長命のエルフにして、いまや臆病な老獣。
ひとつの蝋燭を囲み、囁きすら恐れるほどに声を潜めていた。
「……なんだと? あの獣どもが女王を逃しただと!?」
「あり得ん……これでは計画が……っ あのお方にどう申し開きを……!」
怒気と焦燥が交錯する。
木卓に拳を叩きつけた音が、静寂を裂くように響いた。
「落ち着け! まだ灰域の中だ。
女王は完全には逃げておらん。今からでも兵を動かせば──間に合う!」
――ミュゼリア、獣王国より脱出。
その一報は、まるで燃えさしの炭を投げ込まれたかのように、密室の空気を一気に熱した。
「それで……かのお方の指示は?」
「……連絡は、まだだ。だが動かねばならん。
次の“報告”で結果を示せねば、飛ぶのは我らの首だ……!」
再び沈黙。
揺れる灯が、彼らの顔を赤黒く染め上げる。
「問題は……エルダン様だ。」
「穏健派筆頭にして、女王の一番の忠臣。あの方をどう動かす?」
リュミエール王国は、今や真っ二つに割れていた。
ひとつは――女王救出を掲げる“強硬派”。
もうひとつは――千年の誓い“不干渉”を守る“穏健派”。
長き森の民の誇りと、平穏を望む理が、同じ根を共有しながら反発し合っている。
だがその均衡を保つ一本の柱があった。
女王ミュゼリアの最も信頼する老臣、エルダン。
彼は国を、そして女王を、“理想”で支えていた。
「……エルダンの影響力は絶大だ。
国の半分は、彼の言葉ひとつで動く。」
「それでも民の焦燥は強まっておる。
女王を救えと叫ぶ声は、もはや日ごとに膨れ上がるばかりだ。」
「ならば――その“理性”を崩すしかあるまい。」
卓の上で、ひとりが薄く笑う。
その声は湿って、冷たかった。
「エルダンさえ何とかできれば……森は動く。」
「……だがどうやってだ? あの老人は、どんな圧にも屈せん。」
「――手はある。」
その囁きに、全員の視線が集まる。
火の揺らめきが、男の顔を妖しく照らす。
「“大賢者”だ。」
「……ほう?」
「エルダンの孫娘たちが“大賢者の捜索”に出たのは知っているな?」
「あぁ……『大賢者を探す』という名目で、双子を国外へ出した。
緊迫する国内を鎮めるための、あの老人らしい一手だった。」
「そうだ。あの老人は、あの姉妹を宝のように可愛がっておる。
……だがな、偵察の報告が届いた。」
沈黙が落ちる。
誰も息を飲む音すら立てない。
「姉妹は――“シルヴァニア王国”という新興国で、拘束されたそうだ。」
「なっ……!」
「シルヴァニア……? 聞いたこともない……!」
「いや、むしろ……好機だ。」
その声には熱があった。
だが、それは忠誠の熱ではなく、もっと歪んだもの――渇望。
「身内が囚われたと知れば、エルダンは理性を失う。
その感情を利用すれば、軍を動かす大義が立つ。」
「……ふむ。穏健派の象徴が自ら戦を望めば、誰も止められまい。」
「そういうことだ。
女王のため。民のため。
――その建前の下で、この国は“外”へと踏み出す。」
その瞬間、密会所を包む空気がねじれた。
正義と謀略の境界が、音もなく溶けていく。
木の根を這う虫の音すら、いつの間にか消えていた。
「どう転ぶかは分からん。
だが――千年眠り続けた森が、ようやく目を覚ます。」
誰とも知れぬ声が呟く。
そして全員の瞳に、同じ光が宿った。
それは“忠誠”ではなく――“野望”そのものだった。
情勢整理
(※軽くネタバレを含みます
不要な方はスルー推薦)
物語はいま、いくつもの国が一本の線で繋がろうとしています。
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シルヴァニア王国
平和を築いたはずのシュンは、書類業務から逃げ出した結果、国ごと飛び出して獣人国ラグナド付近へ。
残された仲間たちは、エルフ姉妹の来訪をきっかけに外交問題へと発展。
白蓮は調停、カナは暴走、リリィは情報収集──それぞれが別の形で動き始めている。
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ラグナド獣王国
かつての王・ウルザールは反乱により追放され、灰域に潜伏。
元側近レオニールは“教団”と手を結び、国を掌握。
捕らわれた“人間の少年”──それがシュンである可能性が浮上し、国は混乱の渦にある。
ウルザールはミュゼリアとギルに接触し、教団の暗躍を告げた。
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リュミエール樹海王国
女王ミュゼリアの失踪と、孫娘リゼ&フィナの拘束報が重なり、
穏健派と強硬派の間で国論が真っ二つに割れている。
女王の忠臣エルダンがかろうじて均衡を保っているが、
「孫娘拘束」の知らせが届けば、その理性すら崩れかねない。
千年の眠りを続けてきた森が、いままさに目を覚まそうとしている。
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教団
各国の裏と表を行き来し、政治・宗教・戦争すら操る影の組織。
目的は、“かつて世界を滅ぼしかけた大賢者”の再現。
今回は、エルフの女王を拉致し、エルフ国内の戦争を誘発。
さらに獣人の肉体を利用し、“器”の作成を企てている。
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現在の情勢
・シルヴァニア:エルフ姉妹拘束で外交問題化
・ラグナド:ゴーレム事件で混乱、人間拘束報
・リュミエール:強硬派が台頭、戦の火種
・教団:すべての裏で糸を引く存在
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それぞれの思惑は、まだ誰にも見えていない。
ただ確かなのは──すべての流れが、ひとりの男へと帰着するということ。
“かつての厄災”の魔法を継ぐ者。
──シュン。
この世界は、再び彼を中心に回り始めている。




