第84話『外交術(大賢者式)は爆発する』
シュンがラグナド獣人国で大騒ぎを起こしている頃。
そんなことは露ほども知らず──
シュンの国、シルヴァニア国では。
エルフの姉妹――姉のリゼと妹のフィナが、“重要参考人”として捕らえられていた。
……もっとも、“捕らえられていた”といっても。
「お姉ちゃん! この“けんちん汁”ってやつ、すっごく美味しいの〜♪」
「確かに……どうやって調理しているのかしら。茶色のスープなのに、こんなに深い香り……」
――実態は、超快適な宿泊体験だった。
部屋には鍵もなく、窓は開放。
食事は三食つきで、昨日の晩も今朝も、胃袋が泣いて喜ぶラインナップ。
「お姉ちゃん? どうするの? 早く“大賢者様”探さないと、みんな困っちゃうの……」
「どうって言っても……ねぇ?」
鍵がかかっていない。
……つまり、かける必要すらない。
逃げられないからではなく、「逃げる」という発想が無意味。
この国では、逃亡=物理的に無理ゲーである。
リゼは窓の外を覗いた。
次の瞬間、口が半開きになる。
丸太を肩に担ぎ、坂道を軽々と駆け上がる少年。
それを見たフィナが小さく呟く。
「……お姉ちゃん、丸太って……走って持ち上げるものなの……?」
「知らないわよ!? うちの森じゃ転がすのが限界よ!!」
さらに目を凝らすと――
露店の屋台では、包丁を振るう料理人の姿があった。
だがその動きが速すぎて……
「……あの人、止まって見えるんだけど……?」
「違うの、速すぎて“静止してるように見える”のよ!」
パンを焼く香り。
石を積む音。
そのどれもが、筋肉と魔力で物理を殴り倒していた。
この国、生活力がすでに戦力だった。
一応、リゼとフィナは“リュミエール樹海王国”の近衛兵。
女王直属、実力は保証付き。
だが――
「……ここ、強者の見本市なの……」
「ほんとよね。一般市民の段階で、うちの国の隊長クラスを超えてるんだけど……」
包丁の音がリズムを刻む。
地面が軽く震えた。
ふと視線を向けると、洗濯物を干しているだけで竜巻が発生していた。
「ちょっ!? お姉ちゃん!! 洗濯で竜巻起きてる
の!!」
「干すってレベルじゃないわね!? もう“気象魔法”よそれ!!」
極めつけは、通りの向こうで見かけたメイド。
たおやかな微笑みを浮かべ、優雅に庭の手入れをしている。
……その手には、片手で引き抜かれたオークの巨木。
「お庭に似合わないからって、根ごと抜いたわよ今!?」
「お姉ちゃん……あのメイドさん……ちょっと怖いの……」
「“ちょっと”で済むかぁぁぁ!!」
そんな異常の中でも、国民の表情は穏やか。
誰もが笑顔で働き、誰もが幸福そうに暮らしている。
……この国、強すぎて平和だった。
「お姉ちゃん……これ……どう考えても、戦争したら終わる国なの……」
「フィナ……多分ね、戦争“しない側”なのよ。されたら終わるのは世界の方。」
それを聞いて、フィナは小さく頷いた。
「……この国、ぜったい大賢者様がいるの……間違いないの!」
「えぇ……私もそう思うわ。
だってこの異常さ、普通の人間にできるわけがないもの。」
二人は顔を見合わせ、うなずき合う。
まるで楽園。
しかしその実態は、神々の動物園。
二人は下手な言動はエルフ族の滅亡と理解した。
──すると、扉が開いた。
奇抜なピンクと黒のドレスに身を包んだ小柄な少女が、
まるで舞台の主役のように登場した。
「やっほ〜♡」
ひらりとスカートを翻しながら、
金色の瞳で二人を見下ろす。
「あいつらじゃ話になんないから〜♡
しかたな〜くギルドマスターであるリリィちゃんが、
自ら来てあげたわよ? おマヌケさん♡」
リゼは一瞬、固まった。
(……子供? いや、口調が完全に喧嘩売ってるわね)
しかも“おマヌケさん♡”である。
おそらく生まれて初めて言われた。
内心イラッとしたが、リゼは堪えた。
ここはエルフの代表。感情的になるのはご法度。
彼女は深呼吸を一つ。
そして、心の中で唱える。
【エルフの正しい礼儀作法 著:大賢者】
第六章「下等生物との接し方」
リゼは完璧な微笑を浮かべ、口を開いた。
「あら? 低俗な人間種ね? 臭い息が鼻につくけど、話を聞いてあげるわ?」
(言えた!! 一字一句、完璧に言えた!!)
リゼは心の中でガッツポーズ。
横のフィナも目を輝かせる。
(さすがお姉ちゃん! “あなたは下等生物だけど寛容な私が聞いてあげる”編……完璧なの!)
──ピシィ。
空気が割れた。
目の前の少女――リリィの笑顔が、
ゆっくりと凍りついていく。
「い〜まのはぁ〜♡……聞かなかったことにして“あげる”♡」
声が甘い。
だがトーンが地の底。
(やばいやばいやばいっ!? 声が三度下がった!?)
リリィは笑顔を保ちながらスカートをひらりと回し、
楽しげに尋ねた。
「それでぇ〜♡ リリィちゃんが〜♡ やさし〜く♡ 話を聞いてあげるからぁ〜♡
二人はぁ〜どうしてこの国にぃ〜♡?」
リゼは少し考えた。
(……失敗した? いや、完璧だったはず!
じゃあ……もっと褒めればいいのよ!!)
彼女の脳裏に浮かぶのは第二章。
【エルフの正しい礼儀作法】
第二章「まずは相手を褒めるべし」
そしてリゼは堂々と、満面の笑みで言い放つ。
「何それ? 雑巾? 人間のセンスって、猿が頑張って葉っぱを巻いたみたいね。
恥ずかしい……ふふっ♡」
(決まったッ!! これで完璧!!)
フィナは拍手した。
「お姉ちゃん! 本当に凄いの! “猿比喩での褒め方”まで完璧なの〜!!」
(※褒めてない)
──ピシッ。ピシピシピシ……。
空気が完全に張り詰めた。
リゼが顔を上げると――
そこには、笑顔を保ちながら目だけ完全に死んでる少女がいた。
「このお洋服はねぇ〜♡」
リリィの声が、甘く沈む。
「“ゴスロリ”って言ってぇ〜♡ と〜っても可愛いお洋服なのぉ♡」
スカートの裾をつまみ、ゆっくりと回転する。
笑顔のまま。目は笑っていない。
「でぇ〜♡ どれがぁ〜♡ 猿の葉っぱぁ〜♡? んん〜?♡」
(あっ……詰んだ)
リゼもフィナも、同時に悟った。
この国で最も怒らせてはいけない存在を怒らせたと。
リゼは口を開こうとするが、声が出ない。
代わりに、フィナが前に出た。
妹の小さな体が震えていたが、瞳だけは決意に満ちていた。
【エルフの正しい礼儀作法 著:大賢者】
第九章「相手への好意を伝える奥義」
(まさか……フィナ、それをここで!?)
リゼが息を呑む。
フィナは深呼吸し、全力で叫んだ。
「べっ……別に少しぐらいは見直したの! 下等動物にしては……ね!?
でも勘違いしないで欲しいの! 対等なんかじゃないんだからねっ!!」
──それはもはや、ツンデレのテンプレ。
しかし、彼女の中では“最大限の友好表現”だった。
(フィナ……まさか奥義まで……! なんて勇敢なの……!)
リゼは妹の成長に涙ぐみそうになる。
が。
次の瞬間、背筋を凍らせた。
リリィの顔が……“変わっていた”。
笑顔。
なのに、空気が“鬼”。
背後には――数え切れないほどのナイフが浮かび上がっていた。
「ヒッ!?」
まさに“即死級の殺気”。
リゼとフィナは硬直した。
リリィが一歩、踏み出す。
「ねぇ〜♡ 今の……“下等動物”って部分、もう一回言ってみてぇ〜♡?」
「ひぃぃぃぃぃぃぃ!?!?!?」
その瞬間、扉が勢いよく開いた。
数人のメイドが飛び込んできて――
リリィを後ろから羽交い締めにする。
「リリィ様!! 落ち着いてくださいっ!!!」
「お客様です!! 外交案件です!!!」
リリィ「殺す!! 絶対あのガキ共!! 殺してやるんだからぁぁぁぁぁ!!!」
メイド「暴言!! 暴言出ました!!!」
リリィ「離せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
バタンッ!!
扉が閉まり、部屋は静寂に包まれた。
リゼとフィナは、固まったまましばらく動けない。
やがてリゼが、震える声で呟いた。
「……フィナ。外交って、命懸けなのね……」
フィナは青ざめながら頷いた。
「お姉ちゃん……もう二度と……“褒め方編”は使っちゃだめなの……」
そして外では、メイドたちの声が響いていた。
「ギルドマスター、再び暴走です! 至急避難経路を確保!!」
「近衛兵、第一・第二部隊待機!!!」
──外交、失敗。
──国際問題、秒読み。




