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第82話『灰域へ──王女を背負い、獣の国を逃げる夜』



ギルはエルフの王女を背負い、夜の森を駆けていた。

……正確に言えば、本人はそんなことまるで知らない。


 


(助けたのはただの“エルフ”だ。……いや、“品格があり妙に綺麗なエルフ”ではあるが)


 


せいぜいその程度の認識だった。

むしろギルとしては、背中に感じる妙な密着感の方が気になっていた。


 


(さっきから……やたらと抱きついてきてるな……首が絞まる……!)


 


地獄の特訓を受ける前のギルなら、確実に歓喜していた。

「美女に抱きつかれた! ご褒美か!?」と。

だが今の彼は違う。


 


(主様の元へ一刻も早く帰りたいのに……この女、何処までくっつく気だ!?)


 


――その背中で、王女は別の意味で燃えていた。


 


(あぁ……なんて強くて頼もしいの……!

 長いこと森で女王を務めてきたけど、こんな胸の高鳴り……五百年ぶり!)


(あの赤く染まる剣! 鋭い眼差し! そしてこの逞しい背中!!

 これこそ……運命の出会いっ♡)


 


……どうしてこうなったのか。

互いの心境はまるで正反対のまま、二人はラグナド獣人国の外縁を疾走していた。


 


「いたか!?」

「いや、いねぇ!」

「まだ遠くには行ってねぇはずだ! 国境を絶対通すな!」


 


夜風に怒号が混じる。

国境線には、獣人の哨戒部隊が灯りを掲げて立っていた。

夜目が利く彼らの監視を抜けるのは至難の業。


 


「……くっ、ここもダメか……」


ギルは歯噛みする。

地理には詳しい。

だからこそ、このラグナド領から“異国の者”を逃がすのがどれほど難しいかを理解していた。


仮に自分一人なら突破できる。

だが背中の女を無傷で守り抜くとなると話は別だ。


 


「きゃ! 怖い♡」ぴとっ


 


(……なんだこの女!? 抱きつく角度が完璧にわざとだろ!? 下ろすぞコラァ!)


 


言いたい衝動を、ギルは必死に飲み込んだ。

主様の名を汚す真似だけは絶対にできない。


 


「あの……! 動きにくいので、もう少しだけ優しく掴まっててください!」


「ご、ごめんなさい……でも、このままでは見つかるのも時間の問題よね……?」


 


ギルは少し意外そうに眉を動かした。

(状況は理解してる……思ったより冷静だな)


 


「えぇ。実際、正面突破は不可能です。

 あなたを守りながら大勢とやり合うのは……正直、厳しい。」


「で、でも……見捨てないのね?」


「当然です。見捨てるなんて選択肢は、最初からありませんから。」


 


(きゃ♡ かっこいい……!)


王女は一瞬、顔を赤らめるが、すぐ真剣な表情を作る。


 


「一つだけ……突破できる可能性がある場所があるの。

 国境の南、“カロニア灰域”。」


 


ギルが目を細める。


「……滅亡国、ですか。獣人に焼かれた隣国……」


「そう。今は廃墟だけど……あそこなら監視も手薄。

 地形も入り組んでて、獣人はあまり近づかないの。」


 


ギルは考える。

(カロニア灰域……あそこには近づきたくは無いが……)


 


「奴らの匂いが微かにするぞ!」

「追え!」


 


追手の声が迫る。

もう迷っている時間はない。


 


「……決まりだな。」


ギルは女をしっかりと抱え直し、息を吐いた。


 


「ところで……あなた、名前は?」


 


「ミュゼリア……」


 


「そうか。──ミュゼリア!」

ギルは足に力を込め、魔力を解放した。


「少し、掴まってろ!」


 


風が弾ける。

大地が一瞬、抉れた。


「第四戦技──《疾駆しっく》!!」


 


森を裂くような疾走。

夜風を切り裂き、光る獣眼の包囲を抜けていく。


ミュゼリアはただその背中にしがみつきながら、胸を焦がしていた。


(あぁ……私、この人に命を預けたい……♡)


(あぁ……主様……俺、早く帰りたい……!!)


 


二人の“想い”は、まるで別の方向に向かいながら──

夜の闇の中を、カロニア灰域へと駆け抜けていった。





────────────




とある獣人国の廷臣の間は、怒号とざわめきで震えていた。


「テメェら――たかが人間一人に、追手を振り切られて帰ってきたのか!?」


声の主は王座に座る獣人――だが王ではない、その風格だけで群を震え上がらせる存在、レオニールだった。獅子のようなたてがみを揺らし、眼光は冷たく、言葉は鋭い剣のように刺さる。彼がひとたび咆哮すれば、床鳴りのように場が静まる。


だが、今は静寂すらが緊張に裂かれている。床には、追って来た者たちが一列に並ばされていた。首だけが――短く、無造作に横たわる。顔のない瞳孔が、残された者たちを黙らせる。逃げ出した者も多い。報告を怯えてできなかった者もいる。しかし、死体となって帰ってきた男の報と、人質の行方不明、そして予期せぬ乱入者――“狂剣”と呼ばれる謎の人間の出現が、この場を最悪の方向へ追い込んだのだ。


レオニールは険しい声で畳みかける。

「お前ら、俺を舐めているのか?」


全員が背筋を伸ばす。空気が一瞬で引き締まり、誰もが口を開けずに怯える。先に出たのは、震える声。

「い、いえ……滅相も……あなた様ほどの――」


言い終わるより早く、床に転がる首の一つがぐらりと動いた。その静かな揺れは、言葉よりも重い威圧を場に叩きつける。


「誰が喋ってよいと言った?」

レオニールの低い声が落ちると、言葉を続けようとした者の喉元は凍りつき、声は詰まった。獣人たちは力と掟で秩序を維持する。言葉より先に、首切りの審判が行われることもあるのだ。


この国で、誰よりも強いのは誰かと問えば、名が挙がる――レオニールの名はその筆頭だ。しかし彼は国の王座にはつかない。あまりに凶暴で、支配者としての“統御”に向かないからだ。だが、支配される側の畏怖は絶対的だ。周辺諸国を震わせた“厄災”のような破壊力と、獣人らしい好戦性が混じり合い、彼を恐るべき存在にしている。


「お前ら……何としてでも見つけ出して連れてこい。良いな?」


命令は鋼のように押し付けられた。衆は慌てて部屋を飛び出す。残った者は床の首を眺めながら、互いに視線を交わすだけだ。だが、その緊張は長くは続かなかった。王座の背後、薄暗い影の中から――低い声が滑り出たのだ。


「レオニールよ……計画は、どうだ? 順調そうには見えぬがな。そんなことで我らの幹部の座が取れると思うか?」


その声は氷のように冷たい。言葉を囁く影は動かず、しかし場の温度を凍らせる。レオニールの肩が小さく震え、彼は咄嗟に王座から飛び降り、影に向かってひざまずいた。いつもの豪胆な咆哮は消え、代わりに見せる焦燥は犬のように卑しい。


「必ずや! ご期待に添います故、どうか――!」


影はくすりと笑った。

その笑みは、音ではなく“温度”として空間を支配する。

ひと息で、部屋の空気が凍りついた。


薄闇の向こうで、黒衣の輪郭がぼやける。

だが、見えなくても分かる――そこに在るものは、決して“人”ではない。


「……まぁ、精々励むがいい。

 すべては“厄災”の復活のためにな」


声が終わった瞬間、空間そのものがきしんだ。

視界の端が歪み、床石が悲鳴を上げる。

世界が一瞬、“拒絶”した。


影は、音もなく消えた。

残されたのは、息を吸うことすら忘れそうな圧力の残滓だけ。


 


レオニールは膝をついたまま、長い時間、動けなかった。

獣人族の誇りも、戦場で培った勇猛も、この存在の前では塵に等しい。

理解していた。

教団は、国家ではない。

だが“世界の法則”そのものをねじ曲げる何か――

神の呪いを、平然と扱う連中だ。


彼らに逆らうということは、存在ごと消えるということ。

一国など、彼らにとって“埃”にすぎない。

邪魔なら潰される。

必要なら喰われる。

抵抗するという概念が、最初から存在しない。


 


レオニールは、震える手で床を掴み、ゆっくりと立ち上がった。

呼吸が荒い。額から流れる汗は止まらない。

だが、恐怖は隠せないままでも――

生き延びるために、彼は“演じる”しかない。


「……やる……やりますとも……」


掠れた声で呟く。

震える足が、血の跡を踏む。

その赤黒い汚泥の上を、彼は這うように前へ進んだ。


己の意志ではない。

恐怖が、彼を動かしている。

理性が、教団への服従を選んでしまっている。


 


――“彼ら”の命に背けば、世界の理ごと消される。


レオニールは、震える瞳で閉ざされた扉を見た。

その向こうには闇が広がり、

そして闇の底には、なお息づく“化け物たち”が蠢いている。


「……やるしかねぇ……やらなきゃ……俺も、国も、飲まれる……」


かすれた呟きは、誰にも届かない。

ただ、恐怖だけが――獣の誇りを食い潰していった。










あとがきご報告


どうも、作者の pyoco です!


突然ですが──

キャラのビジュアル、公開致しました!


なろうでは各登場回に挿絵として追加!

カナ・クー・リリィ・白蓮の4人が登場シーンごとに反映されています。

(カクヨムでは挿絵機能がないので、活動報告で公開しています!)


ぜひ見てやってください

今後ともよろしくお願いします!

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