第80話『狂剣ギル、地獄修行帰りに女王を救う(※誤解)』
「あ〜〜〜チョモランマ処理とかやってられるかぁぁぁーーーッ!!」
シュンは書類の束をデスクに叩きつけ、そのまま家出した。
もう何もかも嫌になっていた。
「大体さぁ! 俺が国王だからって全部押し付けすぎだろ!?
書類!印鑑!確認!再提出!……お役所か!!」
道を歩きながら拳を振り上げる。
疲労と不満で脳がショートしているのが自分でもわかる。
だが止まらない。
「やっぱり役場的な行政組織を作んねぇと無理だよな……ったく、誰だよ国王って!?
今すぐ出てこい、ぶん殴っ……──って俺だわ!!」
完全に自分で自分にブチ切れていた。
道端の石を蹴るたびに小動物が逃げていく。
通りすがりの村人は、国王の姿と知らずに「面倒そうな旅人が来た」と目を逸らした。
「でもなぁ……家出したはいいけど、行くあてもないんだよなぁ……
てかこの方向、どこに向かってんだ……?」
腹は減る。喉も渇く。
せめて温泉とかあればいいのに、とどうでもいい願いを浮かべながら歩いていたその時。
前方に、風を揺らす銀髪が見えた。
二人の少女――いや、よく見れば長い耳。
ひと目でわかる。エルフだった。
一人は気が強そうな美形系。
もう一人はおっとりした可愛い系。
ふたりとも神話の中から出てきたような完璧な造形だ。
(ま、まさか……現物のエルフ!? 俺、異世界に来て初のエルフ遭遇!?)
心臓がドクンと跳ねる。
だが、オタクとしての経験が理性を働かせた。
(落ち着け……ここでいやらしい目で見たら確実に罵倒される!
俺は紳士! 見ない! いや見たいけど見ないッ!!)
呼吸を整え、背筋を伸ばし、道を譲って深く頭を下げる。
完璧な所作。紳士。完璧だ。
……の、はずだった。
すれ違いざま、強気な方のエルフが小声で呟いた。
「……ゴミが。なんで外界の者はこうも変態ばかりなのだ、汚らわしい……」
(ガーーーーン!! いやチラ見はしたよ!? でもガン見は我慢したんだよ!?)
おっとり系の方が、にっこりと微笑みながら追い討ちをかける。
「姉様、仕方ありませんよ。この猿……すごく頭悪そうですし。
ごめんなさいね、お猿さん?」
(グハァァァァァァァ!! やさしめボイスで精神破壊してくるタイプぅぅぅ!!)
家出開始からわずか一時間。
国王シュン、路上で膝をつき、涙を流す。
「……俺、もう帰ってもいいかな……」
そんな膝をつくシュンを、哀れに思ったのか。
さっき罵倒してきた気の強そうな方のエルフが、引き返してきた。
「……へっ?」
「ごめんなさい。言い過ぎたわ。
過去の文献を読んで“外界の人とのコミュニケーション”をマスターしたつもりだったけど……
どうやら何か、間違えてしまったようね」
そう言って、ハンカチを差し出す。
薄緑色の刺繍糸がほどこされた美しい布だった。
「あ……ありがとう……」
シュンは涙を拭いて、ハンカチを返そうと顔を上げる。
「汚物が……汚らわしい……」
……めっちゃ不機嫌だった。
「あっ……洗って返します……」
(やばい……また涙出そう……)
すると彼女は慌てて言った。
「ち、違うのね!? 文献には“どういたしまして”って意味だって……!」
「いや流石にその文献おかしいだろ!?
どこの言語で“汚物”がサンキューなんだよ!!」
おっとりした方が、慌ててフォローに入る。
「文献は間違いないの! 大賢者様が残した、由緒あるものなの!!」
その瞬間、シュンの目が虚ろになる。
「大賢者! またお前かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
(マジであいつ、異世界に性癖まで輸出してんのかよ!?)
「“あいつ”って……もしかして大賢者様を知ってるの!?」
ぐいっと顔を近づけてくる。距離が近い。
耳が触れそう。いや、息が当たってる。
「い、いや……知ってるというか……まぁ、その……」
(やべぇ、地雷臭がする。スルー安牌スルー安牌)
おっとりした方が、涙目で話し出した。
「私達……エルフの森から来たの。
最近、この辺りで“厄災級の魔法”を使う人が現れたって噂を聞いて……
もし何か知ってたら、教えてほしいの!」
彼女の声は震えていた。
まるで国が滅びかけているような、切実な響きだった。
「……知らんわけじゃないけど……あんまり関わりたくないというか……」
シュンの言葉に、おっとりエルフは唇を噛んで泣き出す。
強気な方がその肩を抱き、優しく撫でた。
「お願い……些細なことでもいいの!」
「うぅ……こ、この先にシルヴァニアって国があるんだけど……
そこに“リリィ”か“白蓮”って人がいる。
その人たちに相談すれば、何とかしてくれると思うよ?」
(嘘は言ってない! 大賢者に会ったことあるし! あの二人、こういう面倒事大好きだし!)
2人の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうなの♪」
「えーっと、文献でお礼は……そうね、“ゴミなりに頑張ったわね。少しは見直したわよ”……よし、完璧!」
2人は満足げに微笑んで去っていった。
背中には太陽の光が差し、絵になるほど美しかった。
……内容を除けば。
シュンはその背中を見送りながら、ため息まじりに呟いた。
「その文献……マジで燃やしとけ……」
──まさか、その“文献”こそが、後に世界規模の誤解を生む「大賢者式恋愛指南書」であることなど、
この時のシュンはまだ知らなかった。
────────────
同じ頃、ラグナド獣人国の近くの森。
暗い森の奥を、一人のエルフが駆けていた。
ドレスは破れ、血と泥にまみれ、呼吸は荒い。
「はぁ……はぁ……っ……くっ!」
枝が頬を裂く。土が滑る。
それでも止まらない。止まったら、終わる。
「見失うな! いくら女王でも、この地じゃ魔法は使えねぇ! 遠くには行ってねぇはずだ!」
背後から響く怒号。
追うのは獣人の戦士たち。牙を剥き、笑う声が近づいてくる。
「早く……森に……戻らないと……!」
拘束されていた数週間。
魔力は封じられ、体力も尽きかけていた。
それでも彼女は走った。民に迫る危機を伝えるために。
「いたぞ!!」
包囲された。
逃げ場はない。
「くっ……あなたたちの目的は何!?
私を閉じ込めて……何の得があるというのです!」
「得なんざ知らねぇよ。命令なんだよ。
……足の一本くらい、折ってもいいよなぁ?」
リーダー格の獣人が刃を光らせる。
「誰か……助けて……!」
祈りにも似た声。
だがこの地では、祈りが届く神などいない――
「まったく……修行中に限ってこういう騒ぎだ。
カナ様に帰りが遅れたら……次はどんな“地獄”が待ってるか……
はぁ、見捨てるって選択肢があれば楽なんだがな」
片目に傷を持つ男――ギルが、木陰から姿を現した。
リーダー格が鼻で笑う。
「人族……? 二十人相手に勝てると思ってんのか? 今すぐ逃げろ。」
ギルは首を傾げた。
「二十人? ……少ねぇな。」
「は?」
剣を抜く。
金属音が、森を裂いた。
「主様……すぐにこのゴミ共を始末し、貴方の元へ帰ります……」
次の瞬間、叫び。
「きぇぇぇぇぇいッ!! さぁ、かかってこいゴミどもォ!!」
「第四戦技《瞬斬連》!!」
目にも留まらぬ動き。
獣人たちの拳が空を切り、瞬間――四人が崩れ落ちる。
「なっ……!」
ギルは剣を軽く振り払い、静かに告げた。
「主様のために鍛え抜かれたこの身が……貴様ら如きに劣るとでも?」
リーダーの顔色が変わる。
「まさか……狂剣……!? 強者を見かけちゃ片っ端から決闘してる、あの……!」
ギルは笑った。
「狂剣か……そう呼ばれるほどには、狂ってるんだろうな。
起きてる間はメイスでぐちゃぐちゃにされ、
気を失えば治され、またぐちゃぐちゃにされる。
……それも全部、主様のためだ。」
目の焦点が合っていない。笑いながら泣いているような顔。
リーダーの背筋に冷汗が走る。
「ヒャッハァァァァァ!!」
「第三戦技《疾風》!」
空気が弾ける。
気づけばギルは目の前にいた。
「第五戦技──《連殺拳》!!」
怒涛の連打。
リーダーの体が宙に浮き、拳が雨のように降り注ぐ。
血飛沫が舞い、森が朱に染まる。
「あひゃひゃひゃひゃ!!」
その狂笑に、残った獣人たちは恐慌して逃げ出した。
静寂。
返り血を浴びたギルと、呆然と立つエルフ女王だけが残る。
女王は震える唇で呟いた。
「す……素敵……王子様……」
ギル「え、俺?」
その夜、森に新たな誤解が生まれた。
――“エルフ女王を救った狂剣王子”という伝説が。
そしてこの誤解が、後の外交を数ヶ月混乱させることになるのだった。
◆ あとがき小話:年齢の壁は越えられない ◆
「主様! 主様ぁっ!!」
珍しく、自国民が全力で駆け寄ってきた。
息切れしてるし、嫌な予感しかしない。
「どうした?」
「主様の……その……周りの女性たち……いや! 単刀直入に聞きやす!!
なんでそんなモテるんですか!!?」
「いや別にモテてるわけじゃ──」
「でも幅広い年齢層から好かれてるって噂で! どんな魔法使ってるんですか!?」
「……幅広い?」
冷静に考えてみる。
まず、クー。
元は大賢者の相棒で、何百年も生きてる。年上。しかも規格外。
次に白蓮。
魔族で、大賢者と面識あり。何百年どころか……“生きた歴史書”レベル。年上、確定。
リリィ。
不老の呪いで何百年も。……はい年上三連コンボ成立。
「……ちょ、待てよ!? 全員年上じゃねぇか!?」
民「えっ? まぁ主様から見れば多少は……年上かもしれませんが……」
「多少ってレベルじゃねぇよ!? もはや文化遺産だぞ!!」
民「でも、カナ様は主様と同じくらいに見えますよね?」
「……カナ?」
確かに。
あれは俺がスキルで召喚した。つまり、年齢的には俺と同じくらい……!
──と、思った次の瞬間。
「……待てよ。俺が召喚したってことは……召喚した時点から年齢カウント……?」
沈黙。
脳内で計算。
……五ヶ月。
「一番アウトじゃねーーーか!!!」
民「ひぃっ!? 申し訳ありません主様ぁぁっ!!
神聖なお方をそんな目では決してぃぃっ!!」
民は涙目で逃走。
……なんで俺が犯罪者みたいになってんだよ。
「いや、待て。あの子、見た目大人だし、心も成熟して──」
──脳裏に浮かぶ、「主様ぁ♡」の笑顔と「愛とは献身!」のメイス。
「……ダメだ。年齢とか以前に、あれは色々アウトだわ……」
(今日も俺の平和は遠い。)




