第8話『スキル一個とワンコの運動で世界がざわついた件』
──ズシン、と地面に尻をついた。
「……なんか体力ごっそり持ってかれたわ……」
荒い息が止まらない。
足に力が入らず、地面の感触が変にリアルだった。全身が鉛みたいに重い。これが──魔力切れってやつか。
「当然です」
すぐ隣で、カナがぴたりと控えていた。
表情は変わらない。だが声色には、わずかに責めるような響きが混じっている。
「主様が先程放った魔法──あれほどの規模ならば、いくら主様であっても疲弊は避けられません」
「いやまぁ……確かに。MPの消耗やべぇのは体感したけど……」
ぐったりと呟きながら、ふと気になった。
「んーでもさ? MPって……上限とか、増やせたりすんのかな?」
希望はあるのか──その問いに、カナは即答する。
「スキル次第、でしょうね」
……やっぱスキルか。なんでもスキル頼りの世界すぎんかコレ。
「ただし……」
カナは静かに続けた。
「MPとは、“心のエネルギー”に近いもの。生命力と通じる要素も多く……スキルによる増幅にも限界はございます」
「……ふむ」
なるほど。心と命に関わる力、ね。
つまり……MPとは、俺の精神力そのもの。
──なら、精神ドーピングすれば良くないか?
思考が軽率なのは自覚してる。でも、この疲労感は本当にヤバい。立ち上がるのも億劫すぎる。
「……よし」
意識を集中する。
「スキルウィンドウ、展開」
⸻
【スキルウィンドウ展開】
【スキル取得】
使用可能経験値:(上限表示突破)
取得候補:
【真理なるマナの輪廻】──10,000,000EXP
└ 魔力の消費が最大限に軽減される
└ 周囲環境から魔力を吸収する
└ 魔力生成量が極大に増加する
→ イエス!
──取得スキル:
【真理なるマナの輪廻】
⸻
「……えっぐ」
目を疑った。
スキルの効果説明がどれもやばすぎる。
最大軽減、自然吸収、極大生成──って、要するにMPの自動補充機能付きってこと!?
「一千万……!?」
必要経験値を見て、二度目の目眩。
カナ召喚の十倍だぞ!? 魔力一回復したいだけで“忠臣十人分”の消費ってどうなってんだよこの世界!?!?
……でもなぁ。
(疲れ……いやだ……)
背中が草の上に倒れかける。
もうどうでもよくなってきた。
これは贅沢でも浪費でもない──そう、これは仕事終わりのアリナミン。心の投資。経費です、経費。
「取得!」
気合いで宣言。
即時、魔力が身体を巡り、微細なスパークのような刺激が全身を走った。
「……うおっ、すげぇ。すでにちょっと楽かも」
そんな俺の前に、ゆっくりと──村人の一人が歩いてくる。
どこか、おずおずとした態度。敵意はない。
「……ありがとう」
彼は言った。
「その……兵士を、追い払ってくれて……」
「いや、まぁ……もとはと言えば、こっちが……」
俺が言いかけたところで──
「平伏しなさい!」
カナが間髪入れずに言い放った。
「この方は、あなた方を守護された偉大なる主──恩人であり、光明であり、神威であらせられる方!」
「ちょ、カナ!? 話盛るのやめ……」
「主様、ここで情けを見せてはなりません。威光こそ、畏敬を生むのです」
いつの間にか、村人は深く頭を垂れていた。
周囲の者たちも同様だ。
さっきまで距離を取っていた村人たちが──俺たちに、膝をついている。
(うわ……これは完全に“見ちゃった”やつらの反応だ……)
異常な魔法、異常な忠誠、異常な力。
常識が通じない存在を前にした人間は、恐怖と崇拝でしか身を守れない。
今の俺たちは、明らかに“やばいやつ側”になっている。
「……まぁ、とりあえず戻ろっか。体力限界だし」
「承知いたしました。お背をお貸しいたしましょうか?」
「い、いや歩くからいいよ。せめてそれぐらいは人間でいさせて」
そう言って村を離れようとしたその時──
別の村人が、今にも泣きそうな顔で俺たちを呼び止めた。
「ま、待ってください……!」
彼の声は震えていた。
「その……先程倒された兵士……あれ、アステリオン王国の……正式な部隊のものでして……」
……ああ。やっぱり。
俺は頭を抱えたくなった。
よりによって、隣国の兵士を地中に沈める地獄魔法で皆殺ししてしまったわけだ。
この村が、無関係でいられるはずがない。
「お、おそらく……彼らの報復が……この村に……」
村人たちは、明らかに怯えていた。
それも当然だ。
王国側から見れば、“反乱分子”が村ごと現れたようにしか見えないだろう。
だがその瞬間──
「ならば、我が領地へ来なさい」
カナが、ぴしゃりと断言した。
「この地を、我が主の庇護のもとに置きましょう」
「ちょ、お前今なんて!?」
「“我が主の庇護下”ならば、誰であろうと手出しは許されません」
カナの声には、絶対の確信があった。
言葉の一つ一つが重く、周囲に沈黙が落ちる。
村人の中には、涙を流す者すら現れた。
「……うっ……そんな……そんな場所が本当に……」
「主様は、あなた方に安息を与えられました。もう恐れる必要はありません」
「いや待って、俺そんなつもりで……」
否定しようとしたが──できなかった。
あの顔を見てしまったら。
飢えて、震えて、傷ついて、それでも生きてきた人々が──救われたと思ったその顔を。
今さら、「やっぱ違うんで」とは言えなかった。
「……くそっ、これ……完全に押し切られてるよな……」
俺は、こっそり呟いてから──
肩を落として言った。
「……わかったよ。とりあえず、しばらくな?」
その言葉に、村人たちは土下座せんばかりに頭を下げた。
カナは、微笑んでいた。
たぶん、満足気に。
────────────
その頃───
──禁忌の森外れ、茂みの影から“それ”は現れた。
風に揺れる銀の髪。
野生味を帯びた金の瞳。
そして何より──まるで大型犬のように、しっぽをぶんぶんと振る少女。
「たいわーーーっ!」
その叫びと共に、ぴょんっと地面を蹴った。
軽い。あまりにも軽い着地。だが、放たれる気配はまるで嵐のごとく。
「……な、なんだこの……」
その場にいた武装集団が、思わず足を止めた。
トルグ鉄峰連邦──山岳地帯を拠点とする、ドワーフ主体の重装部隊。
本来ならば、正面から挑んでくる者などいないはずの集団だった。
その前に──ノーガードで笑う少女。
そして……
「我らは、トルグ鉄峰連邦の調査団だ」
隊の中央、ひときわ背が高く、重厚な金属装備を纏った男が前に出る。
「数日前、禁忌の森より強大な魔力と轟音が観測された」
声は朗々と、響くように。
「加えて、いくつかの村から“人が森に消えた”との報告あり。我々はそれを受けて調査に来た──」
言葉は丁寧だった。だが、その目には警戒と殺気が宿っている。
少女──クーはそれをまったく理解していなかった。
ただ、こう返した。
「たいわした! じゃあ──」
しゅるるるっ、と風が鳴く。
「ガッて、やる~っ!」
その言葉と同時に、クーの姿が──掻き消えた。
「っ、全員下がれ!!」
隊長が咄嗟に叫ぶ。だが、もう遅い。
──空気が、裂けた。
クーの身体が霞のように溶け、次の瞬間には姿を消していた。
「くっ……!」
隊長は即座に腰を落とし、大斧を逆手で構える。研ぎ澄まされた直感が告げていた。
来る。
左──ッ!!
斧を振る。刃が空を断ち──風ごと斬った。
しかし──いない。
気配が後ろに跳ぶ。回避しながら、風圧で距離を取り、クーはふわりと着地して笑っていた。
「おぉぉぉおおおッッ!!」
隊長が吼える。体格からは想像もつかない瞬発力で、一気に踏み込む。
その巨斧は、質量だけではない。“砕くため”に鍛え抜かれた技術が込められている。
一撃──横薙ぎ。
森の空気が割れるような衝撃。
だが。
「ぴょーん♪」
クーの体が、残像を残して跳ねた。軌道が、読めない。
重力を無視した跳躍と、加速するステップ。
直後、別角度から斬撃が飛ぶ。
それは空間ごと削るかのような一閃で、隊長は咄嗟に斧を振り下ろして受け止め──
ガギィィィィィィィン!!!
衝突。火花。重金属と魔獣の爪が激突する。
「が……っ、はぁ……!」
斧を軋ませながらも、押し返した。
クーの爪を弾き返すことに成功した。
だがその代償に、地面が裂け、隊長の足元は大きく抉れていた。
「──まだだ!」
隊長は吼える。
重心を下げ、全力で“突進”に移る。
次の瞬間、斧の柄でクーの腹を突くように打ち込んだ。
命中。
「っ……!」
クーの身体が吹き飛び、数メートル先の木をへし折りながら転がる。
地面に叩きつけられたその瞬間、土煙が舞った。
「──やった、か……」
そのわずかな安堵が、命取りだった。
「……いたい。今のいたいのだ……」
煙の中から、笑い声。
そして。
“複数”のクーが、同時に姿を現した。
「いっぱいいるのだ〜!」
視界の全方向に、“銀髪の影”が現れる。
隊長が斧を旋回させ、防御態勢を取るも──
後ろから、回し蹴り。
「がっ……!」
巨体が浮き、地面を滑って倒れ込んだ。
重装の鎧が音を立ててひしゃげる。斧は手から滑り落ち、土の中に刺さる。
……呼吸が、止まった。
見上げる視界に、銀の少女。
しっぽをぱたぱたと揺らしながら、にこにこ覗き込んでいた。
──そして言った。
「たいわ、できたのだ〜♪」
その姿は、もはや──神話の災厄に近かった。
土煙が舞い、隊長が地面に倒れ伏していた。
その上に、銀髪の少女。
にこにこ、しっぽをぶんぶん。
もう戦う気はなさそうな笑顔で、ぺたんと腰を下ろした。
──その時だった。
風を裂いて、馬が駆ける。
武装した兵士が一人、緊迫した面持ちで現場に滑り込んできた。
「たっ、隊長! 緊急報告ですッ!!」
「……今それどころではないのだがな……」
立ち上がりかけていた隊長が、鋭い目つきでそちらを振り向く。
クーは特に警戒もせず、地面に指で“にくきゅう”の落書きをしていた。
「……話せ」
「はっ! 境界付近の村にて──“大賢者級の魔法”が発動したとの報告が!」
「……なに?」
その一言に、場の空気が変わった。
「アステリオン王国側の哨戒兵数名が、地面ごと“消えた”とのこと。
現場には巨大な魔力痕が残されており……まさに、数百年前の記録と酷似していると──」
「……っ!」
隊長は歯を食いしばり、わずかに肩を震わせる。
「この娘といい……なぜ、同時にこうも“化け物”が動き出す……?」
目の前の少女と大賢者級の魔法。
それぞれが別地点で、“災厄”として発見され始めた。
この森が、今、各国の均衡を揺るがす中心になる──そんな予感が、彼の中を掠める。
──そして。
「おい、小娘!」
隊長が、ふらりと立ち上がる。
「今日は……これで“お預け”だ!」
「え~~!? もー終わり~~? クー、まだまだやりたーい!」
クーが名残惜しそうに唇を尖らせる。
その表情は、戦闘を終えた猛獣というよりは──遊び足りない犬だった。
「すまんな! だがまた今度、“全力”で相手をしてやる!」
隊長が、敬意を込めて拳を胸に当てた。
「うん! クー、がんまんするー! つぎは、もーっと、つよくなるー!」
兵士たちが隊長を囲い、撤退の準備を始める。
馬に乗る者。歩を速める者。
誰もが無言で、クーの存在を一瞥するのみ。
──敵わぬと、理解したからだ。
「あるじーーっ!」
クーが、森へと駆けていく。
「たいわしたーー! なでなでーーっ!!」
その背には、ちぎれんばかりに揺れるしっぽ。
嬉しそうに、誇らしげに。
まるで──
**「世界を脅かしたこと」すら知らずに、**いつも通り“主のもと”へ帰っていく。
その背を、隊長は静かに見送った。
「……あれが、ただの“獣”なら……この世界、もう何が起きてもおかしくないな……」
隊長達は帰路につきながら
一人の若い兵士が、前方を歩く男に声をかけた。
「……ガリウス隊長。あの少女……いや、“あの化け物”は……いったい何者なのでしょうか……」
ガリウスと呼ばれた男は、しばし沈黙した。
そして、低く息を吐き出す。
「……俺も、わからん」
「は?」
「だがな、あのまま続けていたら……たぶん、俺が“やられてた”」
「なっ……!?」
兵士の顔が驚愕に歪む。
「ですがっ、隊長は“我が国の英雄”とまで謳われるお方……! もしフル装備で挑んでいれば……!」
「……勝てるとは思うさ」
ガリウスは前を見たまま、静かに言った。
「だが、その場合──**“勝った”ではなく、“生き残った”が正解だ**」
兵士の口から、言葉が消えた。
それほどまでに。
あの銀狼の少女は、“戦”の概念を逸脱していた。
ガリウスはふと、クーの最後の言葉を思い出す。
──「たいわしたー! なでなでー!」
……理解不能。
だが、確実に“戦場”を破壊する存在。
「とりあえず、帰って報告だ。
……こりゃ、戦況も──動き出すぞ」
銀の災厄。
森の異常。
そして──境界線での大魔法。
世界は、もうすでに“転がり始めていた”。
第8話・完。