第79話『国際連邦設立会議と、主様家出騒動』
リュミエール樹海王国——
シルヴァニア王国の北、途絶の森に抱かれた国。
ここは古来よりエルフが治め、どの国とも争わず、どの国にも寄らずに来た。
だが、その森にも、いまざわめきが走っている。
玉座の間に設けられた評議の輪では、声が重なり合っていた。
「ですから! 魔族との共存を掲げたアステリオン王国に抗議を——いや、少なくとも態度表明を出すべきです!」
「待て。われらは森民。森が無事ならば、それで良い」
「良くない! もし魔族が版図を広げ始めたら、次に標的になるのは我らだ!」
対立は二つに割れていた。
——“静観派”。森の保全を第一に、外の風に背を向け続けるべきだという者たち。
——“共栄派”。いずれ来る脅威に備え、どこかと結び、盾とすべきだという者たち。
いつもなら、このざわめきは女王の一言で凪いだだろう。
だが、今回は違う。
女王が——いない。
一月ほど前。
日課の森の巡察で、護衛の目が届かぬ一瞬の陰りに、女王は忽然と姿を消した。
誘拐か、自らの失踪か。脅迫状も要求も、侵攻すら何もない。
——沈黙だけが、一月分積もった。
外と交わらぬ誇りは、変わり続ける情勢の前で不安と化し、女王不在がそれに拍車をかける。
もはや「静観」のままでは、静観できない。
長老が杖で床をこん、と叩く。
「どちらにせよ、このままでは女王の捜索も、外敵の備えも覚束ぬ……。
大賢者殿に助力を請うのはどうじゃ」
ざわり、と空気が揺れた。
なぜ、この国が外界の脅威から長らく無縁でいられたのか。
理由は単純だ。森を覆う、大賢者の結界。
招かれざる者が近づけば、道はねじれ、森は遠のく。
幻惑の大結界——それを大賢者は、こんな言葉とともに残したという。
『エルフは萌えに必須。滅んだらダメ。』
……記録に残すべき言葉だったのかはさておき、結界は数百年にわたり森を守ってきた。
「だが、大賢者殿は……すでに数百年、姿を見せておらん。人の身なら、とっくに——」
別の老臣が口ごもる。
すると若き文官が、そっと巻物を掲げた。
「風聞ではありますが——近年、各地で“規格外の大魔法”を振るう者の目撃が相次いでおります。
名は定かならず。ただ、かつての厄災を思わせるほどだとか」
「厄災だと?」
「大賢者が、還ったというのか……?」
森の奥、葉擦れが一段深くなる。
外の風が、結界の薄皮に触れた気がした。
——いずれにせよ、選ばねばならない。
女王不在のまま、森を閉じるのか。
それとも、扉を叩きに行くのか。
長老は静かに頷いた。
「使いを出そう。結界を知る者へ。“萌え”を語り、森を守った御仁へ。
——女王の行方と、これからの森の行方を問うためにな」
森はざわめく。物語がまた、動き出す。
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一方その頃――アステリオン王国と鉄峰連合の会合。
「……うむ。では、決まりだな」
アステリオン王が静かに頷く。
「三国連邦の設立、そして代表は――シュン殿で」
場の空気が張り詰める。
長き戦乱の果てに築かれる“和解”。
その象徴として異邦の青年の名が挙がることに、誰もが小さく息を呑んだ。
魔族領の元まとめ役、ガルザが深く頭を垂れる。
「アステリオン、鉄峰……長き戦の元凶たる我らに、これほどの慈悲と提案を……いかほど礼を尽くせばよいか……」
アステリオン王は穏やかに微笑む。
「必要なことです。魔族・ドワーフ・人――数百年のわだかまりを越え、手を取り合う。
それを現実に近づけたのは、他ならぬシュン殿の働き。
今、魔族単独で立国を宣言すれば、世界に無用の不安を広げるだけ。ならば三国で新秩序を掲げ、そこに“どの種族も受け入れる”と明記する。
百年先まで続く和平は、“理想”ではなく“構造”で示すべきです」
鉄峰の王が顎鬚を撫でながら低く言った。
「問題は、過剰に反応する他国だ。……どのみち、奴らは動く。避けられん」
ガルザは静かに息を吐き、低く続けた。
「……“教団”の影が、確実に動いています。
ファルカンはただの末端。
我らもアステリオン潜伏時に何度かその尻尾を追いましたが――危険すぎた。
最後に掴んだのは、獣人国での不穏な動きです」
鉄峰の王が眉を寄せる。
「不穏、とは?」
ガルザは報告書を一枚、卓上に滑らせる。
「“再臨派”――大賢者の復活を至上とする連中。
古代遺跡と魔法遺物の買い占め、信徒の急増、資金の流れは商会を三つ噛ませ追跡困難。
ラグナド獣人国では神殿が地形ごと消失。残ったのは焦げ跡と転移・召喚の焼痕のみ。
彼らにとって“平和な連邦”は信仰の敵。新秩序を“再臨”で塗り替えるつもりでしょう」
沈黙。
鉄峰の王が拳を握りしめる。
「奴らの勢力はもはや地下の異端ではない。
商会を通じ、金を動かし、聖職者を抱き込み……国を飲み込みつつある。
まるで、世界のうねりそのものだ。」
ガルザが唇を噛み、低く吐き捨てる。
「……我らが争っていた、その間に。
どれほど奴らに世界を蝕まれたか――考えるまでもない」
アステリオン王は目を閉じ、ゆっくりと頭を垂れる。
「愚かだった。我らが、だ。
目の前の争いにばかり囚われ、背後に潜む影を見ようともしなかった……」
そして静かに顔を上げる。
「――だが、もう遅れは取らぬ。
今こそ“流れ”を断ち切り、この時代を取り戻す時だ」
王は椅子から立ち上がり、背筋を伸ばす。
「……ならば、なおさら急ごう。
連邦は“希望”であると、世界に示さねばならん。
対教団の共同警備条項、情報共有、越境追跡の枠も――条約本文に織り込む」
ガルザが深く頷く。
「“再臨”を謳うなら、我らは“今”を守る。
過去の幻影に縋る者どもに、未来を渡すわけにはいかん」
鉄峰の王が静かに口角を上げる。
「……いい言葉だ。ならば我ら三国で、流れを止めよう。
“知”が“信仰”に負けたままでは、この世界は二度と立ち直れん」
重い沈黙が落ちた。
だが、その静けさの奥には確かな決意の熱が灯っていた。
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一方その頃、シルヴァニア王国では――国を揺るがす一大事件が発生していた。
「しゅ、主様が……家出ぇぇぇぇぇっ!?」
カナが絶叫し、そのまま白目で崩れ落ちる。
「さがすのだぁぁぁ!!!」
クーが廊下を全力疾走。
「撫で撫でノルマがたりてないのだぁぁぁっ!!!」
「ふむ……草の根掻き分けても探すしかないなぁ」
白蓮は腕を組み、妙に落ち着いた声で言う。
が、続いた言葉が怖すぎた。
「……で、もし誘拐なら──国ごと……な?」
(※笑って言ってる)
メイド達は真っ青になっていた。
「監視の義務を怠った!」と責められる未来が頭をよぎる。
だがそんな不安など、目の前の三人の暴走に比べれば可愛いものである。
そして、机の上に残された一枚の置き手紙。
『チョモランマが無くなった頃に帰って来ます。探さないでください。
――シュン』
一同、固まる。
「……チョモランマ?」
カナ、再び白目。
「しゅ……主様……異世界登山を……っ」
クーは拳を握る。
「チョモランマたおすのだぁぁ!!!」
白蓮は頭を押さえながら深いため息。
「……シュン様……一体、何と戦ってはるんや……」
──そう。
彼女たちはまだ知らない。
“チョモランマ”とは――
山のように積み上がった、書類の別名であることを。




