第78話『国家機密より焼き芋を優先する国』
キキは、主様──シュンからいただいた焼き芋を、
誰にも奪われずに食べるため。
休憩室まで、あとほんの少しのところまで来ていた。
「ここまで……いろんな困難がありましたが……ようやく───」
廊下を早足で進む。
そのとき──視界の端に、柔らかな光が差し込んだ。
「……きれい……」
足が止まった。
中庭のベンチに腰掛け、クー様の頭を撫でていらっしゃる白蓮様。
陽光がまるで彼女のために用意された照明のように降り注ぎ、
白い髪と尾がきらめいて、まるで現実じゃないみたいに眩しかった。
(……まさか……本物の天女様……?)
見惚れていると、白蓮様がふわりと微笑み、
手をやさしくあおぐ。
「こっちおいで」
その一言だけで、空気が変わる。
声が風に混ざって、花の香りみたいに広がった。
呼ばれるまま近づくと、白蓮様は静かに言葉を紡ぐ。
「あんた、確かキキちゃんやね? うちのこと……怖ない?」
「こ、怖いだなんて全然! むしろ……その……お綺麗で……」
白蓮様は、少しだけ安心したように微笑んだ。
「うち、魔族やからね。心配しとったんよ」
そう言って、隣の席をポンポンと叩く。
促されるまま腰を下ろすと、ふわりと尻尾が包み込んだ。
「あったかい……」
「ありがとなぁ♪」
微笑む白蓮様の瞳が、光を溶かして揺れる。
(ああもう……惚れちゃう……惚れちゃう……!)
その時。
白蓮様の膝で寝ていたクー様が、ふわぁ〜っと大きな欠伸をした。
「ふわぁ〜……よく寝たのだぁ〜」
その寝起き姿がまた可愛い。
が──
(やばい。クー様、焼き芋センサーついてるっ……!!)
案の定、クー様がスンスンと鼻を動かす。
「ん〜? なんか、いい匂いするのだぁ〜」
(あ、バレた!? バレた!? よりによってこの距離感で!?)
クー様が顔を擦り寄せてくる。
「なにか持ってるのか〜?」
「うっ……!」
(だ、だめ……この焼き芋だけは……命より大事……!)
そんなキキを横目に、白蓮様がクスクス笑う。
「クーちゃん? ステーキ食べに行くんやろ? はよ行かんと、なくなってまうで?」
「ステーキが……なくなる!?」
(いや、そんなことないでしょ!?)
ツッコむ間もなく、クー様は立ち上がった。
「そんなのか!? 早く行くのだ! 白蓮!!」
全力疾走で駆け出すクー様。
白蓮様は立ち上がり、着物の裾を払って優雅に微笑む。
「大切なんやね♪」
そう言って、ウインクひとつ残し、
光の中をゆっくりと歩き出した。
陽光の中に消えていく二人の背中を見送りながら──
(……惚れちゃいそう……ていうかもう惚れてる……)
胸の前で焼き芋を抱きしめ、キキは再び廊下を歩き出す。
まだ、任務は終わっていない。
キキは、遂に休憩室の扉に手をかけた。
長かった戦い──ようやく、終焉のときである。
「ここまで……長かった……!」
扉を開け、椅子にどさっと座り込む。
胸ポケットから“焼き芋”を取り出し、両手で大事そうに包む。
「遂に……遂に! いただきま──」
──ドゴォォォォンッ!!
建物全体が揺れた。
机がガタガタ鳴り、壁の絵がずれる。
「……え?」
廊下の方から、メイドたちの悲鳴が飛び込んでくる。
「キキ! 早く来てぇっ!!」
「ギルドマスター様と白蓮様が喧嘩してて部屋めちゃくちゃぁっ!!」
「このままじゃカナ様にどやされるぅぅ!!」
「えっ……でも今から私……!」
次の瞬間、さらに轟音。
床がビリビリと震え、天井から粉が落ちる。
有無を言わさず、両脇から仲間に腕を掴まれる。
「うわぁぁぁ!! 私の焼き芋ぉぉぉぉ!!」
──運命は、非情だった。
◆ ◆ ◆
片付けを終え、へとへとになって休憩室に戻るキキ。
「……やっと、終わったぁ……」
ぐったりと廊下を歩き、休憩室の前に立つ。
手を伸ばした瞬間、ふと思い出す。
「あっ……焼き芋……♡」
胸元を押さえる。
そこにもう温もりはないが、あの幸せの味は確かに覚えている。
目を細め、ほっと微笑んで──扉を開けた。
「……え?」
視界に広がったのは、完食された焼き芋の皮と、
幸せそうに笑うメイドたちだった。
「マナ〜、もう一個ないの? この芋めっちゃ甘い〜!」
「うんうん! ねっとり系って言うの? ほっくほく♡」
「なんかね、幸せになれる味がする〜!」
(えっ……えっ……嘘でしょ!?)
「ねぇこれどこから出てきたの? 机の上に置いてあったけど〜」
「誰かの差し入れじゃない? 最近この国に来た冒険者のとか♡」
(わ、私の……あの時の……主様の……!!)
キキはぷるぷる震えながら机を指差す。
「そ、それ……! わ、私の焼き芋なんですけどぉっ!!」
「えっ、そうだったの!?」
「ご、ごめんね!? 机にあったからてっきり──」
「てっきり“みんなのオヤツ”かと!」
「“みんなの”なんて言ってないですぅぅ!!」
涙目でテーブルを見つめる。
皿の上には──最後の一欠片だけ。
(せめて……一口だけでも……!)
震える手を伸ばす。
だが、その瞬間──
「──あっ、それ最後のね。私がもらうね♡」
すっと横からライラが摘まみ、ぱくり。
「ん〜♡ 優勝っ♪」
「ライラぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
休憩室の天井に、キキの悲鳴が響き渡る。
その場の全員が一斉に肩をすくめた。
「うわ、キキ泣いた……」
「だって疲れてるのに……かわいそうに……」
「じゃあ今度、焼き芋パーティしようよ!」
「うぅ……違うのぉ……主様が焼いてくださったのぉぉぉぉ!!」
沈黙。
「──え?」
「しゅ……主様が……?」
「え、え、えっ!? あ、あれ主様製!?」
一斉に青ざめるメイド達。
「ど、どうする!? 食べちゃった!?」
「これ、処刑案件じゃない!?(小声)」
「ヤバいヤバいヤバい!!」
「も、もう遅いですぅぅぅぅぅぅ!!!」
涙をぽろぽろこぼしながら、キキはテーブルに突っ伏した。
休憩室には。
甘い焼き芋の香りと、メイド達の絶叫が、長く長く響いた。
──────
キキは涙を拭いながら、ふらふらと帰路についた。
「うぅ……主様……せっかくくださったのに……」
夜風が冷たい。
胸の奥がチクチク痛む。
悔しさと情けなさで、泣きそうになる──いや、もう泣いてる。
その時だった。
屋敷の裏手から、ぱちぱちと音が聞こえた。
(……焚き火……?)
そっと覗くと、
焚き火の前に座る──主様の姿があった。
「ん? キキか。そういえば、焼き芋どうだった?」
こちらに気づいた主様が、いつもの穏やかな笑みで声をかけてくださる。
その優しさに胸が締めつけられた。
キキは、涙をこらえきれず、思わず叫ぶ。
「申し訳ありませんっ! 頂いた焼き芋は……みんなが……っ!」
ぽろぽろと涙がこぼれる。
申し訳なさで胸がいっぱいになる。
しかし──
返ってきた言葉は、まるで想像と違っていた。
「そっか。気に入ってくれたみたいで、良かったじゃん♪」
「……え?」
「ほら、食べる?」
主様はにこっと笑いながら、焼きたての芋を差し出した。
あの優しい手で。
「……っ、ありがとうございます……!」
キキは震える手でそれを受け取り、
主様の隣に腰を下ろす。
焼き芋の甘い香りと、薪の音が心を温めた。
「お、美味しいです……! 主様の焼き芋……世界一ですっ!」
「ははっ、それは嬉しいな。……みんなの分も焼いてくか」
主様がそう言って微笑んだ。
──その焚き火の奥で、何かがちらりと見えた。
『重要 エルフの森での不審な動き』
『鉄峰・アステリオン・シルヴァニアによる連邦国家設立について』
──どれも、未開封のまま。
そして、それらは次々と火の中へ。
ぱち、ぱち、と音を立てながら、炎が書類を飲み込んでいく。
(………………見なかったことにしよう)
キキは静かに焼き芋を頬張った。
甘く、優しく、どこか焦げた味がした。
──夜空に昇る煙の中で、
主様の笑い声が、いつまでも優しく響いていた。




