第77話『書類と勇者と焼き芋』
書類のチョモランマと格闘すること──4日目。
俺は、焼き芋を焼いていた。
……何を燃やしてんだ?って? うるせぇ!
少しぐらいいいだろ!!
そもそもこんな時に頼れるギルが居ないのがいけない。
俺は決して悪くない。──うん、思い込みは大事だ。
「でも……有能な副官欲しいなぁ……
事務仕事、丸投げしてぇ……」
そんな事をぼやいていたら、
メイドが報告に来た。
「シュン様、来客が──お待ち人が到着されました」
「おっ、やっとか! 焼き芋、持っていく!」
俺は焼き芋を片手に、意気揚々と応接室へ向かった。
◆ ◆ ◆
扉を開けると、立っていたのは──
どこからどう見ても好青年。
陽だまりみたいな笑顔、
無駄のない立ち姿、
第一印象からして爽やかイケメンの権化。
「やぁ、久しぶり。思いのほか早くこうやって話す機会が得られて嬉しいよ」
──ベルヴァイン。
アステリオンの“三栄”と呼ばれたうちの一人。
「待った? 焼き芋食べる?」
俺は自然に焼き芋を差し出す。
ベルヴァインは一瞬きょとんとした顔をして、
それから小首を傾げて笑った。
「これは……長い芋? しかも紫色で……見たことがないな」
「ん? そう? 美味いぞ?」
俺はもぐもぐ食べながら答え、
横に控えるメイドにも手渡した。
次の瞬間、メイドは直立不動で──震えた。
涙をぽろぽろ流して、唇を噛んでいる。
(……え、そんなに腹減ってたの?)
「ほら、あっちでゆっくり食べてきていいよ。
今から二人で話すから」
その言葉を聞くなり、メイドは
宝物のように焼き芋を抱えて走り去った。
(いや……今の感動の涙、絶対焼き芋の範囲超えてたよな?)
ふと視線を戻すと、ベルヴァインは
上品に焼き芋を頬張っていた。
たかが焼き芋を食べてるだけなのに──
やたら絵になる。イケメンの無駄遣い。
(おならで苦しめ……)
「で? 改めて話って何?」
俺は頬張りながら本題を切り出す。
「あぁ、すまない。つい美味しくてね」
ベルヴァインは口元をぬぐい、真面目な顔に戻る。
「色々話したい事はあるけど、まずは……
今回の魔族領の一件、本当に感謝している」
深々と頭を下げられ、俺は慌てて手を振る。
「いやいやいや!? 頭上げて!? 俺何もしてないから!?
てか……生き残ったのガリウスさんだけだったし……!」
「助からなかった者達は残念だったけど、
鉄峰側だろうと助けてくれた事実は変わらないさ。
それに、原因は我が国の大教皇ファルカンだ……
本当にありがとう。国王からも伝えるように言われてる」
(……くそ、真面目イケメンめ。爽やか+誠実=人類の敵だろ)
「で? 今日はお礼を言いに来た感じ?」
ベルヴァインは微笑を崩さず、
少しだけ声を落とした。
「まぁ、それもあるけど……ひとつ、気になっててね」
「君は、一体何者なんだい?」
「へ? 俺? いや、ただのシュンですけど?」
「はは、そういう意味じゃないよ。
初めて会った時から感じてたんだ。
君からは……とてつもない魔力の気配がする。
まるで“大賢者”のような──」
「またそれかよ……! どいつもこいつも大賢者って……無関係だからな!?」
「でもね、魔族領から戻った君からは……
“魔王”のような気配を感じるんだ」
「……は? 勘弁してくれよ!?
今度は魔王!? 俺、どんな匂い出してんの!?」
その時だった。
扉ががちゃりと開く。
「ベル坊は勇者の家系なのよ」
リリィが大量の資料の束を小脇に抱えて入ってきた。
そのまま当然のように話に混ざる。
「勇者の家系!? 超サラブレッドじゃん!」
ベルヴァインは苦笑して肩をすくめた。
「大したことはないよ。
ただ、人よりも少しだけ“見える”だけさ」
「つまり、俺は魔王と大賢者に見えてるってこと?」
「いや、正確には……」
ベルヴァインが少し眉を寄せて言葉を選ぶ。
「君の中には“大賢者の魔法”が宿っていて、
魔族領から戻ってきた今、魂の方に“魔王”が混ざってるように感じるんだ」
(……あの時の儀式……マリーがやった“魂の融合”ってやつか?)
「めっちゃ怖いんだけど!? 乗っ取られたりしないよな!?
ねぇこれ呪い系!? やばいやつ!?!?」
「ごめん、それは私にも分からない。
でも、気をつけておくに越したことはないだろうね」
リリィがそんな俺を見て、微笑みなから話す。
「まぁ〜大丈夫でしょ〜? ベル坊もいるし。
ベル坊のレベル、最後に測定した時にはもう“勇者越え”だったし?」
(……ちょっと待って。勇者より上? 何それチート?
俺だけ“魔王入りバグキャラ”で、向こうは正統派チート!?
運営どうなってんの!?)
ベルヴァインは立ち上がり、軽く一礼した。
「伝えることは伝えたし、そろそろ失礼しようかな」
「ちょっと!? 私が来た瞬間逃げるとか失礼じゃない!?」
リリィが机をばんっと叩く。
その仕草、完全に子供。いや、師匠だけど。
ベルヴァインは苦笑して手を振る。
「違いますって師匠。私も“三栄”だったのが、
今じゃ“一栄”になって忙しいんですよ……」
「忙しい忙しいっていっつもそればっか。
こ〜んな可愛い────」
その言葉を最後まで言わせず、ベルヴァインはスッと背を向けた。
「また今度」とだけ残し、去って行った。
「んもーっ! あの馬鹿弟子!」
リリィが地団駄を踏む。
その横で俺は、ソロ〜っと後退を始める。
……が、逃げきれなかった。
「ちょっと待ちなさい? 手に持ってるそれ、見えてるわよ?」
「えっ……?」
手元には、山のような書類。
リリィがにこ〜っと笑う。
「これ、ギルドからの“国王様確認書類”♡」
どさっ。
机に置かれる。チョモランマ追加発注。
「待て待て待て!? まだ別山残ってるから!?」
リリィはスッと背を向け、手をひらひら振る。
「じゃ♪ お願いねぇ♡」
扉が閉まる。
部屋に残るのは俺と書類と……さっきの焼き芋の香り。
「……魔王が俺の中にいるなら──」
俺は天井を見上げ、
心から、切実に願った。
「頼む……俺の代わりに書類、片付けてくれ……!」
結局、焼き芋で消費した書類は倍以上に増えたのだった。
────────────
──時は、ほんの少しだけ遡る。
シュン専属メイド隊、十人のうちのひとり──キキは、
胸に焼き芋を抱え、そっと部屋を出た。
扉が静かに閉まった瞬間、
こぼれていた涙を指先で拭い、
ぱんっと小さく両頬を叩く。
そして──跳ねた。
「かの偉大なるお方から……! 贈り物を……っ!!」
声を押し殺しながらも、足先が止まらない。
スキップ。ターン。小刻みな喜びダンス。
それは、彼女にとって言葉にできないほどの幸福だった。
アステリオン王国と鉄峰連邦の長き戦争の中で、
彼女のような民は、常に最下層にいた。
家を焼かれ、家族を失い、
奪われることに慣れて──それでも誇りを手放さなかった。
略奪か、隷属か。
どちらかを選ばねば生き残れぬ時代。
セザール国へ流れた者も多く、
中には身を売るしかなかった者もいる。
それでもキキは、潔白であることを選び、
仲間を失いながらも生き延びた。
──そして。
あの“偉大なるお方”が現れた。
鉄峰とアステリオンの戦を終わらせ、
セザール国を解体し、
さらには──
安心して暮らせる土地と、仕事と、家を与えてくださった。
何もかもを奪われた彼女に、“生活”という奇跡を。
ずっと、直接お礼を言いたかった。
けれど、あの方は国にほとんど居られない。
噂では「魔族領の更生活動」なるものに出かけていたらしい。
しかも帰ってきたと思えば──
部屋に籠もって、奇声を上げながら書類と戦っておられる。
とても、奇声を上げるほどの多忙な主人様に
話しかけることなど出来なかった。
(そりゃあ、話しかける隙なんて……無いですよね……)
だが今!
ついに、その方が自らの手で作ったという料理を──
この手にくださったのだ。
キキは焼き芋をぎゅっと抱きしめる。
その熱が胸に伝わって、少し泣きそうになる。
「絶対、生涯忘れません……!」
決意を胸に、そっと廊下を歩き出す。
──が。
向こうから、ひとりの少女が軽やかにやって来た。
書類の束を抱え、ふわふわとしたスカートの裾が揺れる。
「あら〜♪ キキちゃん、今日もご苦労様〜♪」
リリィ・ギルドマスター。
天災が人の姿をして歩いている──と、専属メイドの間で噂の人物だ。
「ギ、ギルドマスター様っ……!」
キキは慌てて廊下の端に避け、深々と頭を下げた。
リリィはすれ違いざま、ふと足を止める。
その鼻がひくひくと動いた。
「……んん? なんか、美味しそうな匂いがする〜♡?」
(う、うそでしょ!? バレてる!?)
キキは心臓を押さえた。
だが、隠し通せる気がしない。
相手は、あの“伝説”のリリィ様である。
「え、えっと……その……」
観念して、胸に抱えた焼き芋をそっと取り出す。
リリィの目が、ぱぁぁっと輝いた。
「わぁ〜っ♡ 美味しそ〜っ♡ 一口ちょーだいっ♡ お願いぃぃ♡」
──瞬間、キキの脳裏を数多の戦略が駆け巡る。
《逃走ルート:封鎖》
《抵抗:死亡確定》
《隠匿:不可能》
(……勝てる未来が、一個もない……!)
仕方なく、小さく割って差し出す。
「す、少しだけですよ……?」
リリィはにこにこ笑って口を開けた。
「あ〜ん♡ ん〜〜♡ おいひぃ〜♡ ありがとっ♡」
(…………殺したい)
──いや、ダメダメ!
そんなことを思うなんて、私めが間違っている!
(私は主様を支えるメイド! 主様の平和のために、我慢!)
リリィがご機嫌で書類を抱えて去っていくのを見送り、
キキはそっと深呼吸をひとつ。
「ふぅ……危なかった……」
──しかし、まだ終わりではない。
この先には、広間がある。
そこは、マナとライラの持ち場。
つまり、“検問所”。
キキは壁際にぴたりと張り付き、
柱の影からそっと覗き込んだ。
マナが椅子に座りながら優雅に紅茶を啜り、
ライラは掃除道具を構えながら退屈そうに欠伸している。
(……見つかったら終わる……)
キキは息を殺し、慎重に足を踏み出した。
──焼き芋を抱えて。
(どうか……どうかバレませんように……!)
キキは廊下の柱の影に身を寄せ、耳を澄ませた。
呼吸ひとつでも音を立てたら──焼き芋が終わる。
(……静かに……静かに……)
広間の中では、マナとライラがいつもの調子で話していた。
「あーあー、私も主様の当番の週だったらなぁ〜」
ライラが椅子に座り、足をパタパタさせながら頬を膨らませる。
「そうねぇ……ベルヴァイン様もイケメンだけど〜、
やっぱり私は主様かな〜♡」
マナは紅茶をそっと置き、うっとりと天井を見上げた。
まるで恋する乙女。いや、完全に恋してる。
「だってぇ〜カナ様だってお美しいし、
クー様だって可愛らしいし〜! 白蓮様だって〜っ!」
「ほんとほんと〜っ♡」
──メイドトーク。平和の象徴。
今この瞬間だけ、国が安泰に見える。
(早くどっか行ってぇぇぇぇ!!)
祈るように耳を澄ませたその時。
空気が──ピシッと張り詰めた。
覗かずとも分かる。
この圧。
この殺気。
(……来た──!!)
メイドの指導役にして、主様の自称・正妻。
この屋敷の最上位捕食者。
──カナ様、降臨。
「あなた方?」
凛とした声が響く。氷より冷たい、戦場の音。
「サボっているとは……いい度胸ですね?」
(ひぃぃぃぃぃ!!やっぱり来たぁぁぁぁ!!)
マナとライラの息が同時に詰まる音が聞こえた。
「い、いえ!そのようなことはっ……!」
「いっ、一生懸命やってますっ!!」
「なら、あちらも掃除しておいて?」
声のトーンは一定。
逆らえば──死。
『は、はいぃぃぃぃぃ!!』
二人は猛ダッシュで走り去った。
廊下に残るのは、コツ……コツ……と近づく靴音。
(やばい、やばい、やばい!逃げられない!!)
キキは祈るように両手を組み、目をギュッと閉じる。
(お願いです主様……せめて……魂だけでもお救いください……!)
……足音が、止まった。
恐る恐る目を開けると──
すぐ目の前に、カナが立っていた。
その姿勢、完璧。
表情、無表情。
圧力、戦車級。
「あなた? 何を──」
(終わった……今、私の人生ナレーション入った……)
殺される。
もしくは死ぬほど説教される。
頭が真っ白になる中、口が勝手に動いた。
「きょ、今日も主様に……お似合いで……お美し──」
ギロッ。
目だけで空気が切り裂かれた。
冷気が肌を刺す。
「お似合い? かの偉大なる主様が……
“その程度”だと? 死にたいのですか? 産業廃棄物?」
「ひっ!?」
(やばいやばいやばい殺されるやばいやばい死ぬやばいっ!!)
反射的に口が喋った。
意識はもう無い。
ただ、生存本能だけが支配していた。
「あ……あの……! あ、あるじ様がっ……!
お、お、俺の……妻をって……探しておりましたっ!!」
出鱈目。
全方位嘘。
成功率0%。
だが。
カナの瞳がぱぁっと輝いた。
「きゃああああああああああ♡♡♡♡
主様が……っ!? 早く言いなさいっ!!主様っ!!今すぐ参りますっ!!」
そして。
カナは、走った。
風を切り、靴音を残さず、
疾風の如く去っていった。
静寂。
残されたキキは、放心。
「………………生きてる………………っ!!」
壁にもたれ、ずるずると座り込む。
手の中の焼き芋は、命より尊い。
(守り切った……っ! まだ……任務は終わってない……!)
キキの“焼き芋防衛作戦”は、なおも続くのだった。




