第74話『大賢者と魔王の約束』
それは、古い記憶──。
「なぁなぁ? いいだろ、魔王〜!
ほら、魔族にも妖狐とかサキュバスとかいるんだしさぁ、可愛い子は救われるべきだって! ついでに言うなら俺のハーレムにぃ〜!」
「はぁ……お前のハーレムとやらのために、俺の魔力を貸せと?」
「そうだよ! この“死の地”の呪いが無くなれば、人間と争う必要も無くなるじゃん!」
真っ直ぐな瞳。嘘偽りのない声。
大賢者と呼ばれるその男は、狼を連れて魔王城へ乗り込んできた。
「その呪いが解けるという戯言を、私が信じるとでも?
仮にも我は魔王だぞ? 魔の極地を極めてもなお、あの呪いの解呪は不可能だと言うのに……人の身の貴様を信じられるとでも?」
大賢者は頬を膨らませ、拗ねるように言った。
「けちぃー! 魔力を貸してくれれば解けるんだって! なぁなぁ、俺のハーレムのために頼むよ〜!」
家臣の一人が前へ出る。
「恐れながら王よ! 此奴は人間! 勇者の差し金やもしれませぬ!」
「はぁ?! あのイケメンモテモテクソ野郎と一緒にすんな!
あんな奴地獄に落ちろ! モテる奴地獄へ堕ちろォォォ!!」
……この男は、馬鹿なのか?
「お前……自分でハーレムとか言っといて、勇者に嫉妬するとは……。
まぁいい。面白い。俺と一騎打ちして勝てたなら、魔力を貸してやろう」
「おっ? 話わかんじゃん! ぜってぇ勝つからな!」
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魔王は動かなくなったガルザの胸から、光る魔石を取り出し、空を見上げた。
「もし……あの時、貴様に負けていたら。
こんな長きに渡る苦痛を味わうこともなかったのだろうな……」
シュンの体を借りた“魔王”は、その魔石を握りしめ──砕く。
天へ手を翳し、静かに呟いた。
「発動」
その瞬間、
空を覆っていた黒雲が裂け、光が降り注いだ。
荒れ狂っていた水は澄み、
空気は清らかに戻り、
“死の地”を覆っていた呪いが、静かに消えていく。
「あやつ……本当に、解呪の魔法を創り上げていたのだな……。
……まったく、ふざけた奴だ」
その言葉とともに、光の膜に包まれていた仲間たちの身体から、光が消える。
次々に、彼らが目を覚ました。
リリィは周囲を確認し、息を呑む。
「魔王は!? 私……クーちゃんと……」
白蓮はキュリの体を抱き起こしながら、
「うち……キュリちゃんは……」
「ふぇ……ここは……」
キュリが戸惑いの声を上げる。
ガリウスは辺りを見渡し、
「どうなった……魔王は……」
クーは目を輝かせて叫ぶ。
「やったー! 生きてるのだぁぁ!」
「あっ! 主人様!」
駆け出したクーは、途中で足を止めた。
「誰なのだ! 主人様じゃないのだ!」
敵意を剥き出しにして、シュンを睨みつける。
「安心しろ。すぐに返してやる。」
その時、嗚咽混じりの声が響いた。
「ガルザさん! ガルザさん! 目を開けて! だめですよ……死んじゃ……
みんなで平和な世界に……ガルザさん……!」
皆はその声を聞きながら、ただ立ち尽くす。
戦いが終わったことを悟りながらも、キュリの涙に言葉を失っていた。
白蓮がそっと寄り添い、
「キュリ……」
とだけ、優しく声をかける。
「ガルザさんがぁ……ガルザさんがぁっ……!」
キュリは白蓮の胸で泣き叫んだ。
その時──
「待っていろ、獣人よ。器を返す前に、もう一仕事してからだ。」
シュンがゆっくりと歩き出す。
ガリウスがその気配に息を呑む。
「シュン殿……?」
シュンは動かなくなったガルザの傍らに膝をつき、両手を当てた。
静かに魔力を込める。
「よくぞ……魔族のために戦い抜いたな。
これは、私からの褒美だ。」
「シュン様……?」
キュリが顔を上げると、ガルザの体が光に包まれた。
「うっ……ここは……俺は……」
ゆっくりと上体を起こしたガルザに、
キュリは涙を零しながら抱きつく。
「ガルザさん!」
「おっ……キュリか……心配かけたな……」
ガルザは優しくキュリを抱き返した。
シュンはその光景を見届けると、ふっと笑みを浮かべ──
糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
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「うぅ…………」
……なんか、顔をぺろぺろ舐められてる気がする。
あと、やけにあったかい。
目を開けると──クーが全力で俺の顔をべろべろ舐めていた。
とりあえず、頭をわし掴みにして止める。
「主人様が起きたのだぁぁぁぁ! 会いたかったのだぁぁ! クー頑張ったのだぁぁ!」
「おー……なんかよくわからないけど、偉いな〜」
撫で撫でしてやる。
ん? クーの頭の向き的に──今、身体に抱きついてるの、誰だ?
視線を下に向けると……胸に頭を預ける妖狐の女がいた。
「やっと起きたん? 大賢者はん……♡」
「えっ!? ちょっ!? だからあんた誰!?」
「うちは白蓮言います……大賢者はんの妻になる女♡」
「だから俺は大賢者じゃないって!! シュン! 俺はただのシュンだから!」
だが聞く耳を持たない。
「シュンはん♡」
「コイツも会話通じないやつだぁぁぁぁ!!」
すると──
「やっと起きたのね? 連れて帰ってくるの大変だったんだから……。
今度また、私のお願い聞いてくれるよね♡」
いつものゴスロリ服に身を包んだリリィが、扉の向こうから現れた。
「冗談じゃねぇ! 二度とお前と旅なんて行くか!! ぜってぇ行かねぇ!!」
遅れてガリウスが入ってくる。
「運んだのは私とクー殿だけだろう……。
寧ろリリィ殿も“足が痛い”とか言いながら、私の背に乗っておったではありませんか……」
「お……起きたんですか!? よっ……よかったですぅ〜!」
キュリが、いつもの泣き顔で部屋に飛び込んできた。
そして────
「本当に感謝しかない」
「うぉ! その声はガルザ!?」
ガルザが、ゆっくりと部屋に入ってきた。
(ガルザって……敵の親玉じゃなかった!?
なんでここに、みんなと仲良さそうにいるんだよ!? わかんねぇぇぇぇ!!)
そんな俺の混乱をよそに──
「私は、呑まれた意識の闇の中で見ていた。
シュンが……いや、シュン様が……俺を乗っ取ったアークデーモンを止め、
そして“死の大地”の呪いを解いてくださったことを……。
何と……何とお礼を申し上げればよいのか……!」
魔族の大男が、涙をこらえきれず咽び泣く。
「本当に! 本当にありがとうございます!!」
キュリが涙を流しながらお辞儀をする。
「ほんま……よかったわ……」
白蓮も目を潤ませながら微笑む。
「なんかよかったのだぁぁー!」
クーも……多分よくわかってないけど、全力で喜んでる。
「全く……お子ちゃまばっかり……」
「えっ?!」
(なんかリリィも後ろ向いてるし!?)
「流石シュン殿だな!」
ガリウスが俺の肩をポンと叩いた。
(わかんねぇぇぇぇ! しかもこの感動的な雰囲気、言い出せねぇぇぇぇぇ!!)
「う、うん……よかった……」
こうして、俺の初めての冒険者任務は──
無事? 終わったのだった。
──しかし、この時の俺は忘れていた。
そう。
“冒険とは、家に帰るまでが冒険”なのだと。
そして──
国で特訓中だった部下に置いていかれ、
ついでに新たな女性を連れ帰ったことで、
荒れ狂うカナの怒りに再び巻き込まれることなど──
この時の俺は、想像すらしていなかった。




