第69話『狂腕王、粉砕。──クー、武器になるのだぁ!
狂腕王は、絶望していた。
目の前の獣人が、恐ろしい勢いで同胞を刈り取っていく。
刃の代わりに稲妻。踏むたび火花。転げた棍棒がころころと乾いた音を立てる。
「……なんだ……あの化け物は……」
クーは頬をぷくっと膨らませ、雷の尾をぶんぶん振りながら跳ねる。
「敵が“うがぁぁぁ”って言っても、全部やればいいだけなのだぁ♪」
ぱん、と軽い音の直後、ひと呼吸遅れて首が宙を舞う。
血の雨が斜めに降り、夜の温度が一段落ちた。
ガリウスも、勢いに乗った。
クーが殲滅して乱れた列の綻びへ、的確に大斧を差し込む。
狼狽えたオーガの胴を、ためらいなく両断――砂に血の弧が走る。
が、異変はすぐに訪れる。
弦をぴんと張るような、耳の奥を引っかく緊張が走った直後、
遠くで、誰かが見えない糸をきゅっと引いた気配。
狂腕王が低く唸り、腹の底から何かを飲み込むように身を折った。
骨が軋む。皮膚の下で黒い筋が浮き、筋肉がさらに盛り上がる。
目の奥から言葉の色が消えていくのが、見て取れた。
「ん〜……なんか、ずるいのだぁ!」
クーが鼻をひくひくさせて眉を寄せる。
ガリウスは目を細め、短く吐いた。
「強化……外からの魔法か。厄介だな……」
ゆっくりと、狂腕王が立ち上がる。
先ほどまでの“王”ではない。別の生き物だ。
呼吸は獣の低音に変わり、拳を握るたび空気が悲鳴を上げる。
「ウガァァァァァァァァァ!!」
唸り――踏み込み――直進。
狙いは、最短でクー。
クーも、先手を取りに跳ぶ。
稲妻が尾を引き、横腹を狙って滑り込む――
「ウガァァァ!!」
その瞬間、別のオーガが横から咆哮。
反射でクーの身体が“くるん”とそちらへ振られた刹那――
「ッ!」
狂腕王の拳が、空いた横腹へめり込んだ。
音が遅れる。胃の底が揺れ、空気が肺から勝手に押し出される。
クーの小さな体が、雷ごと吹き飛んだ。
砂が弧を描き、黒いガラス片みたいに夜を散った。
「クー殿――!」
叫ぶ間もなく、狂腕王はすでに次へ。一歩で間合いを詰め、
巨腕が振り上がり、狙いはガリウス。
避ける――それしかない、と体が先に判断する。
ガリウスは大斧を捨て身で身をひねり、身を紙一重で外へ――
間に合わない。
拳が速い。風圧が先に頬を裂き、
直後、本体が鎧ごと胸を叩き潰した。
砕けた。
金属が割れる高音、肋の奥で嫌な音。
大斧の柄が軋み、手の中で別の形に変わる。
視界が白くはじけ、地面がひっくり返る。
砂が口に入る。血の味がする。
(――まずい)
体を転がしながら、ガリウスは理解した。
王の強化と群れの咆哮――“標的の強制”が束ねられ、
クーの“くるん”反射が罠として機能している。
クーは砂に膝をつき、よろよろと立ち上がる。
耳を伏せ、怒った子犬みたいに、でも目だけは強く光っていた。
「……ずるいのだぁ。いっぱい“うがぁ”するの、ずるのだぁ……」
狂腕王の影が、ふたりの間で大きく膨らむ。
残った群れは咆哮を重ね、反射をねじ曲げる準備を整える。
夜が低く吠えた。
──ここからは、工夫がなければ負ける。
ガリウスは転げ起き、クーの手首を取って引き寄せた。
「クー殿――借りる。武器として」
「えっ、クー、武器なのだぁ!? ……でも主様のためならオッケーなのだぁ!」
「ありがたい。やさしく振る」
「ウガァァァァァ!!」
右から咆哮。
クーの体が反射で“くるん”と回り始める――その回転軸を、ガリウスはクーの上衣の裾をつまんで、半身ぶんだけ舵を切った。
雷の尾が、予定より内側へ滑り込み、オーガの頸動をきれいになぞる。
ぱん、と血蒸気。巨体が糸の切れた人形みたいに崩れ落ちた。
「今の、当たったのだぁ!」
「次も行く!」
「ウガァァァ!!」左前。
“くるん”の始点を肩口でわずかに遅らせ、終点を膝へ落とす。
細い雷が膝窩を撫で、敵は片膝から砂に沈む。そこへ王の拳がかぶさり――崩れた雑兵が盾になって軌道が鈍る。
(効く。“ウガァ”はトリガー、俺は方向だけ決める)
三方から重なる咆哮。
クーの体は勝手に三連の“くるん”の起点を作り、ガリウスは襟→袖→裾とつまむ位置を連打で変える。
ねじる/ゆるめる/止める――三拍子で回転を制御。
「首、手首、アキレス――順に!」
「りょうかいなのだぁ!」
くるん、くるん、くるん。
雷のラインが三点を順番に断ち、前列が同時に崩落。
狂腕王の拳風は空を殴り、砂だけが爆ぜた。
「すごいのだぁ! もじゃもじゃ、クーのリード上手なのだぁ!」
「舞踏の心得は無いが――相棒の歩幅なら合わせられる!」
「ウガァァァァァァァ!!」
狂腕王、自ら咆哮。
反射でクーの回転が行き過ぎる――ガリウスは襟を軽く押し戻し、遠心のベクトルを手前に畳む急制動。
雷の尾が逆刃になって、背後から割り込んだオーガの顔面を横一文字に裂いた。
「ひゃわっ、いまのくるん、ちょっと天才なのだぁ!」
「君が天才だ、クー殿!」
群れの咆哮は合図に変わり、クーの“勝手”は狙い澄ました刃へ昇華していく。
狂腕王の足元の砂が、わずかに沈んだ。
(――王の脚、落とす!)
正面からの直進。
ガリウスは斧の腹で拳を滑らせ、肩で受け流し、肋で殺す――同時に裾を下へ引く。
クーの回転が低空へ落ち、雷の線が王のアキレスを浅く裂いた。
巨体が半歩沈む。世界が、その半歩ぶん遅くなる。
「クー殿――振るうぞ!」
「やさしくなのだぁぁぁ!」
ガリウスはマントの端を片手で掴み、もう片手でクーの腰帯を取る。
膝を支点に、ぐんと円を描く――流星鎚の要領で一回転。
「ウガァァァァァ!!」
王の咆哮がトリガーを踏む。
その瞬間、クーの“くるん”が加速、雷が巻き付き一本の線になる。
「いま――首の付け根!」
ガリウスは手首のひと捻りで終点角を半呼吸ぶんずらし、
盛り上がった僧帽筋の隙に、雷の線を誘導して叩き込んだ。
閃光。
遅れて、重い音。
狂腕王の肩口が裂け、巨腕が根元から半ばまで砕ける。
力の柱が抜けるみたいに、巨体がぐらりと沈んだ。
「とどめ――踏め!」
ガリウスは膝を落として階段を作る。
クーはふわっと足を乗せ、二段・三段と空気そのものを踏み、
高い位置でちいさく“くるん”。
落下。
雷光と風圧が一本に束ねられ、傾いた首へすべり込む。
ぱきん、と乾いた音。
続けて、砂が受ける鈍い音がふたつ。
狂腕王が、倒れた。
残った群れは主の影を失い、咆哮がばらばらに解けていく。
夜風が戻り、焦げた匂いだけが遅れて流れた。
クーは着地の反動で、ちょこんと“くるん”を余分にもう一回。
そのまま、むぎゅっとガリウスに抱きつく。
「クー、武器としても超優秀だったのだぁ! もじゃもじゃのナイス操縦なのだぁ!」
「呼称には難があるが――最高の相棒だ、クー殿」
雷の残光が、ふたりの影をやわらかく縁取り、
遠くで誰かの舌打ちが、風にちぎれて消えた。




