第66話『社畜、鎖付きでもポジティブ。』
マリーが部屋を出ていってから、数刻。
俺は──爆睡していた。
「おはよう……キュリ……」
「あの……よく平然と寝れますね……?」
「馬鹿野郎! 社畜たる者、どんな地獄でも寝られるときに寝る!
これが社畜の奥義“定時爆睡の術”だ、覚えておけ!」
「しゃ……ちく……?ってなんですか……?」
俺は遠い目をしながら天井を見つめた。
「ふっ……まだお子ちゃまには早い世界だ……」
キュリは本当に、いろんな意味で心配そうに俺を見ていた。
「ところでさ、キュリ。あのマリーって、同じ魔族なんだよな? 知り合いとか?」
「知り合い……というか、任務上の関係です。
あの人は、ガルザさんの部下なんです」
「あぁ……アステリオンと鉄峰を喧嘩させようとしてたあの……」
キュリはうなずく。
「はい。ガルザさんは“悪魔族”の指揮官ですから。
ただ、私とは……考え方が違う人なんです」
「同じ魔族でも、見た目が全然違うよな。キュリなんて普通に人間に見えるし」
「……私は“半魔族”です。
父が魔族で、母が人間。だから人の姿に近いんです」
「半魔族……」
「前にもお話ししましたよね? 魔族の支配構造のこと」
「あー、“強い順に領地が決まってる”ってやつか」
「はい。力ある一族ほど、アステリオンの国境近くの“豊かな地”を支配してるんです。
上には古竜王と妖狐族の長──その下に死霊王、夜侯王、狂腕王。
そして……最下層に、私たち“悪魔族”。」
「最下層……」
「“死の大地”って呼ばれる場所です。
毒の雨が降り、風は刃のようで……生きることが罪みたいな土地。
だから、私たちは人間領に“働きに出る”んです。危険な任務を代わりに引き受けて」
「ブラック企業の出張みたいな話だな……」
「……ブラック?」
「うん、まぁ……そういうもんだと思っておこう」
「でも、半魔族ってことは、人間のほうにも近いんだろ? 逃げようと思えば逃げられたんじゃないか?」
キュリは小さく首を振った。
「……逃げたら、悪魔族が殺されます。
任務から逃げた者の家族や仲間は、全員……。
だから、逃げられません」
「優しいんだな、キュリは」
「優しい……?」
「だってさ。生まれた場所も、選んだわけじゃないのに。
それでも“誰かが困るなら逃げない”って、簡単に言えることじゃないよ」
キュリは少しだけ俯いた。
その肩が、僅かに震えた気がした。
「……私が逃げたら、ガルザさんが困るんです。
あの人は……両親を失った私を拾ってくれた。
人間としての暮らし方を教えてくれて、平和をくれた。
フェル隊長やグローレンさんと過ごした時間も……全部、あの人がくれたんです」
「そっか。じゃあ──ガルザって、地味にいいやつ?」
「はい。
誰よりも“争いを嫌う魔族”でした。
なのに……その人が今、戦いの先頭に立ってるんです」
「……皮肉だな」
「悪魔族を守るため、何百年も任務を続けて。
仲間の死に何度も耐えて、それでも……止まらなかった。
そのガルザさんが、ついに言ったんです。
“この死の大地を終わらせる”って」
「……」
「“人間に閉じ込められた歴史を断ち切る”ために、
魔族の王になって……豊かな大地へ進むと」
俺は少しの間、言葉を探して──
「……ガルザってさ」
と、呟いた。
「不器用だけど、たぶん誰よりも“正しいこと”をしてるつもりなんだろうな」
キュリは小さくうなずいた。
でも、その顔は迷っていた。
「……はい。でも、その“正しさ”が、みんなを戦わせてしまうんです。
フェル隊長も、グローレンさんも……アステリオンの人たちも……。
私は、誰かを救うたびに誰かを傷つけてる気がして……どうすればいいのか……」
その瞳には、迷いと罪悪感と、ほんの少しの希望が混ざっていた。
鎖の冷たさが手首に食い込む。
だけど、それよりも重いのは──沈黙だった。
キュリはずっと俯いたまま、ぽつりと呟く。
「……どうすればいいんでしょう。
ガルザさんも……フェルさんたちも……みんな、争いに巻き込まれる。
でも魔族を見捨てるのも、怖くて……」
その横顔は、どう見ても子供のように震えていた。
俺は、鉄鎖の音を鳴らして少しだけ体を起こす。
「……でもさ、キュリが“誰かを救いたい”って思ってるなら──」
彼女がこちらを見た。
涙の光が微かに揺れる。
「みんな助けようと、欲張ってみてもいいんじゃないかな?」
「そんなの……無理に決まって──!」
「いや、なんとかなるかもよ?」
俺は肩をすくめた。
「俺なんて、大体の大変なことは“明日の自分がなんとかしてくれる”って信じてる。
──これぞ社畜の哲学」
「……あ、明日の自分って……それ、ただの後回しでは……?」
「細けぇことはいいんだよ!」
鎖がガシャンと鳴る。
「とにかくさ、悩んで“どうしようどうしよう”って言っても、
結局どっかで踏ん張る時は来るんだ。
だったらもう、気楽にわがままに生きりゃいいんじゃないか?」
キュリはきょとんとした表情で俺を見た。
「“わがままに”……ですか?」
「そう。キュリはキュリとして生きればいい。
やりたいように全力で、わがままに、願って、進めばいい。
それで誰かを救いたいって思うなら、その欲張りを信じてみてもいいんじゃない?」
一瞬、彼女の目が潤む。
でもすぐに、ほんのり笑った。
「……あなたって、やっぱり変な人ですね」
「うん、自覚ある。あと社畜だし。
寝不足とストレスの権化だからね」
「……意味はよく分かりませんけど、ちょっと元気出ました」
「よし、それで十分。俺も寝るわ。
明日の俺に任せる」
「……後回しじゃないですか」
「いいの!社畜の哲学だから!!」
鎖がまた鳴り、
キュリの笑い声が、それに重なった。
──その笑い声が、冷たい石壁の奥で、かすかに反響していた。




