第64話『氷の華と小悪魔の口撃戦──なお被害者は俺』
白蓮がゆっくりと扇を広げた。
瞬間、地を這う冷気が奔流となり、足元から白い霜が一気に広がる。
ひび割れた大地に霜柱が立ち、空気をきしませながら鋭利な氷の矢が次々と生まれていく。
「……元勇者、ねぇ。見た目は止まったまま、中身まで子供のままやなんて──ほんま笑わせてくれるわ」
凍てつく声と共に、氷槍の雨がリリィを貫かんと一斉に突き出された。
リリィは宙を軽やかに回転しながら、ひらりと舞い避ける。
飛び散る氷片を足場にし、ナイフを投げ返すと、銀の刃が閃光を描いて白蓮の頬をかすめた。
「ふふ〜♡ 私が変わってないからこそわかるんですよぉ?──“あの頃は泣き虫だった小狐ちゃん”が、いまじゃすっかり“お姉さま気取り”ですもん♡」
白蓮は氷の扇をひらりと払って、飛来するナイフをことごとく弾き落とす。
砕け散った氷片が周囲を覆い、視界は白い光に染まる。
「背伸びした小娘にそう見えるなら、それだけ大人になったいうことやろね」
再び足元の大地が割れ、氷柱が林のように隆起する。
刃のような氷の壁がリリィを閉じ込め、退路を塞いだ。
だがリリィはにこりと笑い、氷壁を蹴って宙返り。
逆手に握ったナイフで壁を切り裂きながら、白蓮の懐へ飛び込む。
「大人って言い方、便利ですよねぇ♡ 背が伸びただけで、結局まだ“置物候補”──ほら、役立たずの飾り物ってやつ〜♡」
銀閃が白蓮の髪をかすめた。
だが次の瞬間、冷気が炸裂し、咲き誇る氷の花弁が盾となってリリィの突きを防いだ。
「あらあら……口の悪い小娘やこと。可愛い顔して、可愛げが足りんのやない?」
扇の先から伸びた氷の鎖が、リリィを絡め取ろうと襲いかかる。
冷気が触れただけで肌が裂けそうなほどの鋭さを帯びていた。
「え〜っ♡ 子供だった子が、急に大人ぶって背伸びする方がよっぽど可愛げないですよぉ? ──ねぇ、“急成長した狐”ってあだ名、付けてあげましょうかぁ♡」
リリィはくるりと身体をひねり、紙一重で鎖をかわす。
背中から抜いたナイフ三本を指の間に挟み、次々と投げ放ちながら、回し蹴りで氷鎖を弾き飛ばした。
白蓮の瞳が鋭く光る。
「……必死に煽らんと、自分の“止まった時間”が惨めに見えてしまうんやろ?」
「むしろ逆ですぅ♡ 止まった時間でも十分通用してるから焦らないんですよぉ? 可哀想に……必死で年齢を武器にしてるお姉さま♡」
氷と刃が交錯する音が連続する。
白蓮が氷刃を突き出す。
その一撃は剣より鋭く、弧を描いてリリィの正面を薙ぎ払った。
リリィは横っ飛びで避けつつ、空中でナイフを振り抜き、氷刃と正面衝突。
火花と冷気が同時に弾け、金属音が戦場に響く。
「ふん……過去の栄光でも、語られるだけマシや。今のあんた──武功より先に“背丈”の心配せなあかんのちゃう?」
リリィの目がカッと見開かれる。
「うっ……! ──ちょ、ちょっとはありますっ!」
白蓮は鼻で笑い、扇をくるりと回す。
「“ちょっと”言うとる時点で自白やんか。そのままでは男の視線も胸元すべり落ちてまうで?」
「なっ……!」
リリィは顔を赤らめ、同時に地面を蹴って一気に詰め寄った。
至近距離、目の前すれすれでナイフを突きつける。
「えへへ♡ でもそれでも“可愛い”って抱きしめたくなるのが──スレンダーの魔力なんですぅ♡」
白蓮はひらりと後方に舞い、氷の花弁を散らして距離を取る。
「そうやって“守ってほしい”って言わせるのが狙いやろ?──けどな、それは“子ども扱い”って言うんよ」
「お姉さま扱いされるよりマシですよぉ♡」
リリィは再びナイフを複数展開し、円を描くように白蓮を取り囲んだ。
「だってそれって、気を遣わなきゃいけないって意味でしょ? ──あぁ、面倒くさぁ〜♡」
白蓮は扇を閉じ、冷気を奔流のように解き放った。
天より降り注ぐ氷鎖が、白銀の雨のように戦場を覆う。
次の瞬間、リリィの周囲を取り囲んでいたナイフの輪が、鋭い氷に叩き砕かれた。
砕け散った刃片が光を反射し、宙を舞う。
その合間を抜けた一本の氷鎖が、リリィの頬をかすめ──
切り裂かれた髪の先端が、白く凍りながらふわりと落ちていった。
「気を遣われることすら知らん子……。そんなんなら、男に飽きられるんも早いんやろな」
「飽きられるって……おばさまこそもう“選ばれる舞台”から降りちゃってるじゃないですかぁ♡」
リリィは切り裂かれた髪を指でつまみ、わざと挑発するように投げ捨てた。
「今はせいぜい、若い子を見て“昔はね……”って語る側〜♡」
白蓮の扇の先に、氷の蓮が咲く。
その瞳に射抜くような光を宿しながら、言い放った。
「……でもあんた、自分が羨ましがられてると思っとるんか? ──止まった姿のまま、心まで置き去りにされて。哀れやなぁ」
リリィの笑みが一瞬、揺らいだ。
けれどすぐ、唇を吊り上げる。
「ふふっ♡ 哀れって言いながら、結局は焦ってるんですよねぇ? だって、いくら年を重ねても、私には勝てないって自覚してるから♡」
白蓮の氷扇と、リリィのナイフが同時に振るわれる。
火花と氷片が飛び散り、互いの挑発がそのまま斬撃の重みとなって交錯した。
──それは、氷の女と小悪魔の、意地と体型と女のプライドを賭けた戦い。
戦場の空気はどこか凍りつきながらも、火花のように熱を帯びていった。
俺は2人の戦いに割って入ることができず、
ふとクーに視線を向けた。
「た……たいわ……た……い……」
耳をパタパタしながらオロオロしている。
いや、お前が一番たいわしろ!
仕方なく最後の頼み──ガリウスを振り返る。
……スッ。
目を逸らされた。
「ですよねぇぇぇぇ!? 死にに行くようなもんですよねぇぇぇ!?」
そのとき──脳内に、妙に艶っぽい声が響いた。
『ねぇ〜……こっち、きてぇ……?』
……めっちゃ綺麗な声。
透き通ってて、甘くて……でも怖ぇぇぇぇぇ!!
ガリウスをチラッと見る。
スッ。──また逸らされた。
クーを見る。
「たいわ〜たいわ〜」
壊れてた。
もうダメだ……。俺しか聞こえてない、これ。
『ねぇ〜聞こえてるでしょ? こっち、きてぇ〜♡ ねぇ、ほら♡』
いやいやいやいや!
誰が行くかそんな怪しいASMR!!
いくら綺麗なお姉さんでも、
脳内ボイスで誘惑してくる時点でホラー確定だろ!?
『ねぇってばぁ〜♡ お姉さんと……いいこと、しよ?』
はい出たーー!!アウトォォ!!
エロい=罠。古来より決まってる!!
無視一択。完全スルー。
俺は聖人。そう、心の中に理性の防壁。
『一目見た時から気になってたのぉ〜♡
ねぇ、きてくれないと……寂しいなぁ〜♡』
──ッ。
いや……そんな、寂しいとか言われたら……
ちょっとだけ、確認だけ、ね?
いや違う違う違う違う違う!
確認じゃない!救助だ救助!
寂しがってる人を放っておけない、それが冒険者魂!
そう、俺は人助けに行くんだ! 決して下心では!
……うん。
……で、なんで今、岩陰に向かって歩いてんの俺。
止まれ俺の脚!
止まれ理性!
──止まらん!!
「いや、これはあれだ……任務だよな? うん、任務。調査調査。ほら仕事だし」
俺は自分に言い訳を重ねながら、
岩陰の裏を──そっと覗き込んだ。
そこには──
緑色で、太った、顔面パックリ系のおばさんモンスターがニタァァと笑っていた。
「あっ…………終わったぁ…………」
次の瞬間、俺は闇の中に引きずり込まれていった。
──理性も、プライドも、一緒に。




