第55話『出発したのは俺のスローライフの方でした』
──魔族領との国境。
アステリオン王国・対魔族前線防衛ライン。
(いや、なんかさ──)
「……緊張感なさすぎじゃね?」
見渡す限り、槍を肩にかけて雑談する騎士団。
地面に座って飯食ってるやつもいるし、ちょっと離れた場所じゃ木陰でポーカーやってるやつまで見える。
お前ら、ここ前線だぞ? 魔族領のすぐ隣なんだぞ?
「なぁ、クー……お前の得意技で“逃げ出す”っての、今使えない?」
「ん〜〜、主様ぎゅってしてるほうがたのしいのだ〜♡」
うん……ありがとうな。
俺の腰にがっちり抱きついてくれてるけど、今だけはマジで助けてくれ。
──しょうがないので、近くにいた騎士に声をかけてみる。
「あの……魔族って今、攻めてきてたりしないんですか?」
「いや……なんか皆さん、めちゃくちゃ暇そうなんですけど」
騎士の一人が振り返り、肩を竦めた。
「まぁ……今のところ、特に動きはないよ。あっちも静かなもんだ」
「むしろ、静かすぎて怖いくらいだね。あれだけの戦力が“音もなく消えた”ってのは……」
(やっぱやばいじゃねーか!!)
(なんだよ、消えたって!! 俺、いままさにその現場に向かおうとしてるんですけど!?)
全力で逃げ出すタイミングを探していると──その騎士が、ふと真面目な顔で俺を見てきた。
「……ところで、君は……禁忌の森の盟主……いや、今はシルヴァリア王国の国王か」
「あ、はい。ま、まぁ、そんな感じ……です……」
「以前、私の同僚が無礼を働いたと聞いた。すまなかった。君の部下に“掴みかかられた”と──」
「あぁ〜〜……」
(それ、ギルがやらかしたやつだ)
「いえ……こちらこそ、売り言葉に買い言葉だったので……おあいこで……」
騎士はふっと笑って、右手を差し出してきた。
「そう言ってもらえると助かる。私はベルヴァイン。アステリオン王国・三栄騎士の一人だ」
「よろしく頼む、“盟主”殿」
「しゅ、シュンです……! よ、よろしく……!」
(え、めっちゃ感じいい人じゃん!?)
(やべぇ、アステリオンの三栄って、全員バルディアスみたいなヤバい奴かと思ってた!!)
「以前、リリィ殿から話は聞いていたよ。“迷惑をかけないようにしろ”と何度も言われてね……」
(あぁ、うん。多分、カナのことだな)
と、俺が安堵していると──
向こうから、リリィとキュリが歩いてきた。
ベルヴァインはその姿を見るなり、すっと片膝をつき──
「お久しぶりです、リリィ師匠!」
「……ベル坊じゃない♪ 久しぶり〜〜」
「また泣きべそかいて、木の上に登って降りられなくなったりしてない〜?」
「師匠! それはもう昔の話ですってば……!」
「今はもう、一国の三栄騎士ですよ!? それよりも……今回は、任務を引き受けていただきありがとうございます」
「本来ならば、私が行くべきだったのですが──三栄が全員前線を離れるわけにはいかず……」
そう言って頭を下げるベルヴァインに、リリィはくすっと笑う。
──なんだろう。
この人、今までの三栄騎士と全然違う。
ちゃんとしてるし、常識通じるし、リリィとも師弟関係っぽいし。
俺は改めて思った。
(せめて──旅の仲間、こういう人がよかったな……)
リリィは、いつもの軽やかな笑顔を少しだけ和らげて、ベルヴァインに視線を移した。
その瞬間、場の空気がほんのわずかに張り詰める。
「そういえば──私も、あんたに話があったのよ、ベル坊」
声色が低くなる。
軽口の“師匠”ではなく、“かつての仲間”としての声音。
「昔、言ったでしょ? “魔法騎士なんてやめなさい”って」
ベルヴァインはきょとんとした表情を浮かべたあと、ゆっくりと首を振り、柔らかな笑みを見せる。
「覚えています。……あのとき止めていただいたから、今の僕があるんです、師匠」
その顔には、迷いも否定もなかった。
胸に宿す信念を、そのまま言葉に変える。
「“魔法は実戦で通じない”。“戦技こそが道を切り拓く力だ”。
僕はそう信じて、騎士としてここまで来ました。勇者が示した道こそが正しい、と」
リリィは視線だけを横に流し──俺とクーを見る。
「でもね、いるのよ……」
「戦技を使わなくても、昔の魔術のままで、戦場をひっくり返す化け物みたいな人たちが」
「……あのとき、あなたの夢を真っ向から否定したこと。今さらだけど、謝りたかったのよ」
ベルヴァインは一瞬だけ俺とクーに視線を移し、再びリリィへと目を戻した。
その口元に、少し寂しげな笑みが浮かぶ。
「師匠が考えを変えるほどの人物……僕にはできなかったのに。少しだけ嫉妬してしまいますね」
そして、まっすぐ俺を見た。
「──シュン君」
「えっ……あ、はい」
「この任務から帰ってきたら、少し時間をいただけませんか?
君には、僕には到底想像できない“何か”があるような気がする」
「え……あ……はい……」
ベルヴァインは深く頭を下げ、きっぱりと告げる。
「では、師匠──そして三人とも。任務の成功を祈っています」
(いやいやいやいや、なんかめっちゃ綺麗にまとめてるけど)
(俺まだ“行く”って一言も言ってないよな!?)
「あの……俺、行きたくな──」
「出発なのだぁー!」
クーが無慈悲に俺の腕を掴んで、ぐいっと引っ張る。
「ええ、行ってくるわね〜♪」
リリィは軽やかに笑い、ヒールで地面を鳴らして歩き出す。
「が、頑張りましゅ……!」
キュリは涙目で拳を握っている
「ちょ、まっ──まだ間に合うから!引き返せるよな!?今ならまだ助け──」
──俺の叫びを、誰も聞こうとはしなかった。
こうして、シルヴァリア王国臨時使節団──
正式名称【死の大地潜入調査救援隊】、通称“死にたくない人たち”。
俺たちは今、かつて勇者パーティだけが生還した地──魔族領《死の大地》へと足を踏み入れた。
────────────
──死の大地に足を踏み入れて、半日。
空は、曇天というにはあまりにも濁りきっていた。
雲の切れ間から覗く光はなく、常に薄暗く──朝なのか夜なのかすらわからない。
風は湿り、土は黒く。
草木は生気を失い、森の影はまるで口を開けた獣のようにこちらを見ている。
何も喋らず歩いていると、だんだん精神がすり減っていく。
“死の大地”というネーミング、伊達じゃない。
──そんな中、俺たちは黙々と進んでいた。
先頭はキュリ。
彼女の知識を頼りに、魔族領の地図もない未開地を進んでいるのだが──
「……なぁキュリ。あとどんくらい歩くんだよぉ……足が棒っていうか、もう原木レベルなんだけど……」
俺はぶつぶつと愚痴をこぼしながら、砂利道をとぼとぼ歩いていた。
すると、すかさず後ろから煽り声が飛んでくる。
「こんなけ歩いただけで〜〜〜疲れたとか〜〜〜♡」
「ねぇそれでぇ〜〜〜“国王”名乗ってるってマジぃ〜〜〜?ウケるんですけどぉ〜〜♡」
……うん、聞こえない。
これは空気。空気だ。
もしくは風。聞き流せば害はない。脳が自衛してる。
キュリが振り返って、困り顔で言う。
「ふぇぇぇん……少しは緊張感持ってくださいよぉ〜〜……!」
「で、でもさ? どっかで休憩ってないの?」
俺はすがるように質問する。
キュリは地図代わりの記憶を辿りながら答えた。
「えっとぉ……この辺りは“妖狐族”と“ドラゴン族”の領土の境界でしてぇ……」
「だからお互いに手出ししづらい場所に中立拠点があるんです……あと、だいたい二時間くらい……」
「に……二時間……!?」
俺は崩れ落ちそうになる。
「きょえぇぇぇぇ!!歩きたくねぇぇぇぇぇぇぇ!!」
──そのとき、また聞き捨てならない言葉が。
「ったく……だっらしな〜い♡」
「こんなんじゃ〜〜〜童てぃ──────」
「このクソババアがぁぁぁあああああああああああああ!!!」
俺は全力で無視モードに入る。
聞こえない。何も聞こえない。
無駄口叩く元勇者は風になれ。
(……いや、最初はちゃんと緊張感あったんだよ?)
──時間は、少しだけ遡る。
────────────
数時間前。
「ぎゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃ!!絶対出てくる!!出るってこれぇぇぇ!!!」
霧の中を進みながら、俺は叫んでいた。
足元はぬかるみ、視界は悪く、陰鬱な空気が肺にまとわりついてくる。
まさにホラー映画の導入シーン。
キュリが背後から慌てて補足する。
「しゅ、シュン様……ここはですね……あまり人間が入らないので、魔物の密度が異常でして……」
「普段は対峙しないような……危険な個体も出ますから、注意してくださいね……!」
その言葉に、さすがのリリィも冗談をやめ、神妙な顔になっていた。
「ふーん……なるほどねぇ……」
「こりゃあ〜〜、油断したらヤられちゃうかもねぇ〜〜♡」
(真面目なリリィ!?こわっ!)
(え、ガチのやつ!?俺、もう死ぬ!?)
そんな中、クーだけはやたら元気だった。
鼻をふんすふんすと鳴らしながら、ずっと前方の匂いを嗅いでいたかと思うと──
「やっと……たいわできるのだぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!」
「ちょっ!? クー!? 走んなって!!お前そんな突っ込むキャラだったか!?」
──その直後だった。
地面が、うねった。
「な──ッ!?」
そこから、巨大な魔物が突如として姿を現した。
その外見は──猫のような顔に、蛇の胴体。背中にはコウモリの羽、四肢は獣のような爪。
明らかに何種も混ざった“キメラ”型。
本能的にわかる。
“雑魚じゃない”って。
「でっっっ出たァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!」
俺の叫びと同時に、リリィが駆け出そうとする──その前に。
「猫と蛇なのだあああああああああああああ!!!!!」
クーが真っ直ぐに飛びかかっていた。
──以下、描写を割愛します。
いや、書きたくないんだ。
だって、グロかった。
噛みちぎられた。
もげた。
踏みつけられて“ブチッ”って言った。
内臓、外に出てた。
目玉、二つとも吹っ飛んでた。
最後の仕上げがまさかの“地面ごと引き裂く”だった。
……カナと張るぞ、これ。
キュリは全身を震わせてた。
リリィは口をぱかーんと開いたまま固まっていた。
そして俺は──
「ウ゛ッ……ゲホォッ!!」
口元を押さえながら、胃液を盛大にリバースした。
────────────
現在。
ということで、今のところ魔物が出ても全てクーが即処理してくれる。
早い・強い・グロいの三拍子。
そのせいで死体もすっかり見慣れた。
「かえりてぇぇぇぇよぉぉぉぉぉ……」
精神的には、もう限界。
この大地には、スローライフの“ス”もない。
唯一あるのは──毎回クーの高速魔物解体を目撃する度に死んでいく俺のSAN値だけ。
──そして。
そんな俺たちの行軍を、遠くの岩陰からじっと見つめる“影”があった。
その目は、わずかに見開かれていた。
「……あれは……」
「勇者パーティの……」
何かが、確実に気づいた。
“かつての英雄”が、ふたたびこの地に現れたことに──
そして、“今の同行者”が──かつての魔王をも震わせた“獣”であることに。