第52話『変態扱いされたけど、これは文化です』
「お前たち──無事か!?」
ガリウスが、地に倒れた兵士たちを次々に確認していく。
魔族領への侵攻開始から、すでに数日が経過していた。
深い霧と瘴気のただようこの地で、彼らは──
普段は目にすることすらない異形の魔物たちとの連戦に晒され、すでに疲労は限界を迎えようとしていた。
その上──
隊の指揮系統には、深刻な綻びが生じていた。
アステリオンの三栄騎士・バルディアスは、強行軍と無理な戦闘を繰り返し、進軍を急ごうとする。
一方で、鉄峰連合の英雄・ガリウスは、隊の疲弊と地形の不明瞭さを鑑み、慎重な進軍を求めていた。
──この二人の対立が、隊全体の足並みを大きく乱し始めていた。
「バルディアス殿!!」
ガリウスの怒声が響く。
「先程の突撃──無策が過ぎる!!このままでは死人が出てもおかしくないぞ!!」
怒りを抑えきれない様子のガリウス。
普段は寡黙で温厚な彼の声が荒ぶるなど、異常事態の証左だった。
だが、バルディアスは涼しい顔のまま肩を竦める。
「ついて来れない方が、実力不足ってだけでしょう?」
「……っ!」
「それに──死の大地の情報は、ほとんど存在しない。慎重に進んでいては、目的地に辿り着けませんよ?」
「言い分は理解できる。しかし、ここで隊が崩壊すれば、“情報を持ち帰ることすら”叶わなくなる!!」
「ならば──」
バルディアスはため息をつきながら、懐から一枚の羊皮紙を取り出す。
「これは……?」
「うちの国に居た魔族の女を──少々手荒に扱って吐かせた地図です」
笑みすら浮かべながら、バルディアスは言った。
「まぁ、その後そいつの上司に掴みかかられましたけどね? まったく、忠義とは面倒なものだ」
「貴様……っ!」
怒りに震えるガリウスの姿を、バルディアスは鼻で笑うように流す。
「ここは──“妖狐”と“ドラゴン”がそれぞれ縄張りとしている領域の中間地点です」
「奴らは長年敵対しており、互いに干渉を避けてきた。だからこそ──この中立地帯を強行突破するのが最適解なのです」
バルディアスは地図を指し示しながら、冷静に続ける。
「リッチの支配領域ギリギリを抜ければ、ガルザの領土へと最短で潜入できる」
「──むしろ、今ここで足を止めることのほうが最も危険だと、理解していただけましたか?」
ガリウスは拳を強く握りしめる。
その視線には怒りと不信が色濃く滲んでいたが、それでも彼は何も言わなかった。
──言えなかった。
「さあ、進みましょう」
バルディアスは、それだけを言い残して先陣を切っていく。
後に続く部隊の兵士たちの足取りには、明らかに疲労と不安が混じっていた。
それでもガリウス達は進む選択をするのであった
────────────
──一方その頃、シルヴァリア王国では。
「来ちゃった♡ 寂しいかな〜って?」
「……なんでロリマスがここにいんの?」
唐突に現れたその姿に、俺は思わず目を疑った。
そして次の瞬間には、視線が自然と荷物の山へ向かう。
「てかなんだよその荷物!?引っ越しかよ!?」
リリィはイラッとした顔でこっちを睨んでくる。
「ロリマスってまだ言うんだぁ? ほんと……“皮くるくる〜”ってされたいんだ?」
「はっ?」
「それとも〜、知能がスケルトン並みなのかなぁ〜? あ〜ん、かわいそ♡」
「スケルトンって中身空っぽってことじゃねーか!!」
俺のツッコミを流しつつ、リリィはドヤ顔で鞄の中から一枚の紙を取り出す。
「はいっ、見て驚け〜♡」
差し出されたそれを見て──俺は絶句した。
「……冒険者ギルド“運営許可証”? って、はぁ!?なにそれ!? 国王なのに聞いてないんだけど!?!?」
「え〜? 申請出したら、す〜ぐ返ってきたわよ? もしかしてぇ……国王なのに──」
「……ハブられてるの……?」
「うん、かわいそ♡」
俺の顔がワナワナと震え始めるのを、心底楽しそうに見つめながら──リリィは軽く伸びをする。
「で、カナちゃんは?」
「あー……今はその……」
俺は無言で、屋敷の一角を指差す。
そこは、カナの“拷問部屋”──もとい、“ギルの特訓部屋”。
「多分、当分出てこないけど?」
「あら〜、色々話したかったのにな〜」
リリィが残念そうに唇を尖らせたそのとき。
どこからともなく──ぴょこん、と顔を出したクーが匂いに釣られてやってきた。
「ん〜? ご主人〜? なんか見慣れないやつがいるのだ〜。こいつ誰なのだ〜?」
「誰って……」
俺が口を開こうとした瞬間、リリィがクーに視線を向け──ピタリと動きを止める。
「……この子、はじめましてのはずなのに……」
表情が、曖昧な驚きに変わる。
「……どこかで会ったような……なんだろう、この感じ……」
──そして次の瞬間。
脳内で、パチンと公式が完成した。
【公式】
大賢者の相棒=クー
大賢者に呪いをかけられた=リリィ
よって──
クー = リリィの“宿敵”
「……終わったわこれ」
思わず、血の気がサァーッと引いていく音が聞こえた(気がした)。
「き、気のせいじゃない!? たぶん街とかで偶然見かけたとかさ!?」
俺が慌ててフォローを入れると──
リリィはまだ眉をひそめたまま、じっとクーを見つめていた。
「ん〜〜……私、ギルドマスターやってるでしょ?」
「だからさ、才能ありそうな子は一目見たら大体覚えてるんだけど……」
「でもこの子……耳と尻尾……この雰囲気……どっかで……」
クーはきょとん顔でしっぽを揺らしている。
(頼むから黙っててくれ!!)
俺は焦って強引に話題を変える。
「ま、まぁまぁ! そんなことよりさ!? 荷物置いたら食べよ? 名物のけんちん汁とか、ほらステーキもあるし!」
リリィはふっと表情を戻し、ぱぁっと明るくなる。
「わぁ、ステーキ!いいじゃない♡」
「けんちん汁ってのは知らないけど……なんか響きがしぶくて逆に興味あるかも♪」
「ちょっと待ってて。すぐ荷物片付けるからっ!」
その場をなんとか乗り切り、リリィが去っていくのを見送った俺は──
すかさずクーに顔を寄せる。
「なぁ、クー……お前さ……」
「リリィのこと、覚えてるのか?」
クーは頭を抱えながら、うーん、と唸るように考え込む。
「ん〜……なんかね? におい嗅いだときに“敵ーっ!”て思ったのだ!」
「でもすぐに、敵じゃない……ってなって〜、なんか……ふにゃ〜ってなって……」
「…………たいわ、大事なのだ!」
「出たよ!!」
脳みそが処理を放棄して、“たいわ大事”で逃げ切る定型パターン!!
「いいか? クー、よく聞け?」
「絶対に、リリィと戦うなよ? 絶対にだぞ?」
クーはコクリと頷く。
『なんかよくわかんないけど、わかったのだ〜♪』
(わかってねぇ……絶対にわかってねぇ……!)
この状況でクーが戦闘で過去思い出したら──
マジでこの王国、吹き飛ぶわ。
「……とりあえず、まだバレてねぇっぽいし……」
「様子見、様子見……」
王の心、胃に穴。
俺のスローライフ、今日もまた危機である。
────────────
荷物を片付け終えたリリィを、俺の──というか、
**“いつの間にか王の屋敷になってた俺の家”**に招待した。
テーブルに着いたリリィはご機嫌そのもの。
俺とクーも腹が減っていたので、一緒に食事をとることにした。
運ばれてきたのは──けんちん汁と、ステーキ。
(……うん、あのステーキだ)
正直、最初は吐いた。俺もカナも。
だが不思議なもんで、**“元の素材を気にしなければ”**意外と美味かったりする。
慣れって、恐ろしいね。
だからリリィには──何も言わないことにした。
料理が並ぶと、リリィの目がぱぁっと輝く。
「わぁ〜、美味しそ〜♡ まずは〜……この“けんちん汁”ってやつね!」
スプーンでひとすくい。口に運んだ瞬間──
リリィの表情がさらにぱぁぁっと広がった。
「なにこれっ!? 初めて食べたけど……しょっぱくて、甘くて……なんか奥深い!」
「こういう味、すっごい好きっ!気に入ったわ〜!」
「お、おう……それは何より……」
「これ……元々は、俺の特製でさ……今はもうクビだけど……」
言ってて涙出てきた。
でもリリィはそんなの気にせず、けんちん汁の勢いそのままにステーキへ。
「……んんーーーーっ!おいしーっ!!」
「脂が乗ってて、味が濃厚で、口の中でとろける〜〜!」
「こんなステーキ食べたの、勇者と旅してた頃以来かもっ!」
その言葉に──
ピクリ、と反応したのはクーだった。
「……勇者……?」
「……あのムカつく小蝿みたいな……ちくちくして逃げてばっかの奴なのだぁ〜?」
なんか唸り声みたいなの出始めてる……!
「ちょ、ちょっと待って落ち着けクー!?」
リリィは眉をひそめ、呆れたように答える。
「ムカつく奴って……もう何百年も前の話でしょ?」
「会ったこともないのに、何言ってんのよ?」
「いやぁ〜……なんかこう……センギー?……とか変なこと言って……ちくちくしてきてぇ〜、すぐ逃げてぇ〜……」
「イラっとするっていうかぁ……腹立つっていうかぁ……」
(ダメだ……これ、うっすら記憶残ってるやつだ……!)
「クー!なでなでするぞー!ほらほら!癒しだぞー!優しいぞー!!」
俺が全力でクーを撫でまわしてクールダウンさせていると──
リリィが、心底引いた顔で一言。
「……うっわ……キッッッモ……」
「獣人の女の子を、堂々と“なで回す”とか……」
「えっ、普通に……変態なんだぁ……? きっしょ♡」
俺、フリーズ。
「…………」
確かに──
これまで一度も考えたことなかったけど──
人前で獣人の女の子を膝に乗せてナデナデしてるとか──
倫理的に……グレーどころか真っ黒なんじゃ……
俺がショックのあまり、意識だけ離脱しかけたそのとき──
「んー?いいのだ〜!クーは主になでなでされたいのだぁ!」
「おまえのほうが、ムカつくのだぁ〜〜〜〜〜!!」
クーが全力で反論した。
耳ぴんぴんで怒ってる。
リリィはそれを見て──ニィッと悪い笑みを浮かべた。
「へぇ〜?」
「ちょうどいいわ♡ 才能ありそうな子見つけると、試してみたくなっちゃうのよね〜〜♪」
(あっぶねぇぇぇぇぇぇぇえええええええええ!!!)
と、思った瞬間──
テーブルが吹っ飛んだ。
窓ガラスを突き破り、クーとリリィの二人が──
派手に、空を舞った。
(な ん で そ う な る)
──平和だったはずの夕食が、戦いの場へと変わった。
森の中──
二人の戦いを追って、俺は走った。
いや──追ってるつもりなんだけど、まっっったく見えない。
視線で追うなんて不可能。
残されたのは、遠くで木々がぶっ倒れる音と、派手に響く衝撃音だけ。
「ちょ、待てって!どこだよここ!? どこまで行ってんだよ!!」
音のする方へ、がむしゃらに走る。
地響き、砕ける枝、木が軋む音──
(やばい、地形が変わる!!)
──ようやく近づいてきた。
声が聞こえる。
「わぁ〜♡ すっばしっこーい♪ でもでもぉ〜?」
「まっすぐ突っ込んでくるしか脳がないのぉ〜〜ざっっっこ♡」
(煽ってる!!超煽ってる!!)
「クーはザコじゃないのだぁぁぁぁぁぁああああ!!」
その瞬間──
視界の先で、木々が“一斉に”斬り倒された。
しかも空中から、見えない刃が何本も飛んできてる!
「ちょっっっぶねぇえええええええ!?!?」
「2人ともやめろって!!!マジで森が死ぬ!!!」
──俺の叫びなんて、届くわけがなかった。
「へぇ〜〜♡ 斬撃も飛ばせるんだぁ?」
「しかもぉ……ふーん、分身までして……」
「すごぉ〜い♪ カナちゃんと同じで、戦技なしでこれぇ!? 強〜〜い♡」
(やべぇ……煽り性能が高すぎる……!)
だが。
次の瞬間、空気が明らかに変わった。
(って、待て──)
(クーの体に……青い電流が……!)
「え、ちょ、おま──そんなの使えたっけ!?ねぇ!そんなの使えるなんて俺聞いてないけど!?」
──バチッ!!
雷光のような閃きと同時に、リリィの身体が吹っ飛んだ。
「おぉぉぉぉぉい!?リリィぃぃぃぃぃ!?」
反射的に叫んだ俺は──叫びながら、とっさに切り札をぶち込んだ。
「クー!! いい加減にしろ!! おやつ抜きだぁぁぁ!!」
バッ!!
その瞬間、クーが俺の足元に飛び込んできた。
「しゅ、主様ぁぁぁ……それだけは……それだけは許して欲しいのだぁぁぁ!!」
「クーが悪いのだあぁぁあ!!反省するのだあああああ!!」
ごろんとお腹を見せ、全力の“降伏ポーズ”。
しっぽが萎びてる。
(うん、やっぱり“おやつ”は最強)
「……はぁ……マジでやめろよな、もう……」
そう言いながら、吹き飛ばされたリリィの方へ向かう。
木々をかき分けて、倒れたテーブルと折れた枝の中に──
ガタガタと震えるリリィが、いた。
「リリィ? おい、大丈夫か──って」
──その目線の先にあるのは、
朽ちた小屋の奥。
【クーのばしょ】──と書かれた、その場所。
アークデーモンの再生肉が収容されている、
かの**「ステーキ肉製造工場」**である。
そして、それに気づいたリリィが──
「……あれ……アーク……デーモン……?」
ガタガタと肩を震わせ、顔が強張る。
それでも、横から無邪気に現れたクーが──
「ステーキ美味いのだ〜〜♡」
と、悪気ゼロで宣言してしまう。
次の瞬間。
リリィが、ブリキの人形のようにギギ……と首を回し、
そのまま口を押さえ──
「オロロロロロロロロロロロロロロロロ……!!!」
盛大に胃の中を放出した。
(うん……わかる)
勇者パーティの元一員であろうが、
大賢者と渡り歩いた伝説の戦士であろうが、
──あれは、壊れる。
※シルヴァリア王国、建国から数日。
すでにメンタル崩壊者が一名、発生していた。