第51話『平和なはずの王国と、暴走する忠義と、魔の胎動』
──シルヴァリア王国、建国から数日後。
──魔族領・死の大地。
かつて魔王と勇者が激突し、今は焼け焦げた大地と砕けた砦が広がるこの地は、“戦後の墓標”と呼ばれている。
その廃都の一角、崩れかけた石造りの屋敷の中で、二つの魔が向かい合っていた。
「俺の下につかねぇか──白蓮?」
濁った声が、薄闇に沈む空間を貫いた。
空気が微かに重くなる。魔力の粒子が、壁の模様すら鈍く霞ませていた。
「……私に、“下につけ”と?」
その声に応じたのは、一人の女。
開け放たれた窓から差し込む月光の下、九本の白い尾を揺らすその姿は、まるで霊峰の幻獣のようだった。
冷気と静謐をまとい、そこに立つのは──白蓮。
「ふふ……相変わらずよう言うたなぁ、ガルザはん」
微笑みと共に、空気が一変する。
次の瞬間、壁の角が白く曇り、天井から滴る水が凍結を始めた。
棚に並んだ書物の背表紙には、粒のような霜が広がっていく。
「冗談も大概にしときや。うち、あんたのこと甘く見る気はないけど──」
白蓮の口元は笑っていたが、その気配は確かに“殺しに来ている”ものだった。
「昔みたいに泣いて謝るまで……
お仕置きしてまうで?」
それに対し、ガルザはわずかに手を上げる。
その胸元に埋め込まれた魔晶石が、淡く光を放った。
空気の流れが乱れ、白蓮の周囲を漂っていた魔力が、微かに引き寄せられていく。
「……おっと。やる気なのは構わねぇが──こっちにも、切り札はあるって話だ」
白蓮の眉がわずかに動く。
「……それ……」
「思わぬ“報酬”が手に入ってな。おかげで、今この石を狙って、猿と山鼠がこっちに牙を剥いてる」
「だが──いくつかの部族は、もう俺の旗下についた。皆、復讐の機会を待っていたんだ」
紫の魔力が淡く周囲に拡散し、重苦しい波動が部屋の石壁に微細なひびを刻んでいく。
「どうだ白蓮、お前も──」
その言葉を、白蓮は一つの所作で断ち切った。
扇子を閉じる音だけが、はっきりと空気を切る。
「千年早いわ、阿呆が」
手にした扇を、軽やかに横へ一振り。
その瞬間、室内の温度が急激に低下した。
水気のすべてが凍り付き、壁に走っていたひび割れが、そのまま凍結して広がっていく。
空間そのものが裂けるように──建物の外壁が、氷とともに砕けた。
天井の一部が落下し、石と魔力の残響が地を満たす。
一歩も動かぬ白蓮の足元には、冷気の奔流が渦を巻いていた。
だが。
崩壊した壁の先から、声だけが残った。
「……まぁ、いつまで“高嶺の花”でいられるかだな。実物、見せてもらうぜ」
ガルザの姿は、もはやなかった。
氷塊の破片が砕け散り、石粉が空に舞う中、白蓮は動かず、ただ静かにその場に佇んでいた。
月光が、彼女の瞳を静かに照らしていた。
「……いつになったら──」
「迎えに来てくれはるんですか……大賢者様」
その呟きは誰に届くこともなく、空虚な闇に溶けていく。
九本の尾が静かに揺れ、凍てついた廃都に再び沈黙が戻った。
──死の大地にて、魔の側にもまた、“目覚めの兆し”が芽吹いていた。
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──魔族領とアステリオン王国の国境。
二国から精鋭が集結していた。
アステリオン王国側は、選抜された二十名の将兵──そして、その指揮官として立つのは、三栄騎士の一人・バルディアス。
対する鉄峰連合からも、同数の精鋭が揃えられ、そこに立つは英雄ガリウス。
荒れた草原に、二つの陣営が静かに対峙していた。
「よう!バルディアス殿!」
先に口を開いたのは、鉄峰連合の巨躯、ガリウス。
「まさか、こんなにも早くアステリオン王国と共に戦う日が来るとはな。頼りにしているぞ!」
豪放な笑みに対し、バルディアスは眉を寄せたまま応じた。
「協定時のあの件……失った信用を、現場で取り戻せると信じていますよ。英雄殿?」
皮肉まじりの声音だったが、ガリウスは気にした様子もなく、朗らかに肩を揺らした。
「まだシュン殿を疑っておるのか? まぁ……無理もないか」
「だがいずれ分かる。彼の“底知れなさ”は、戦場にこそ真価を現すものだ」
「……山鼠風情が、何を──」
バルディアスはそれだけを言い残し、部下に命じて前進を始める。
背を向けたそのまま、隊を率いて歩き去るその背中には、一切の共闘の色はない。
ガリウスはその背に、少しだけ深いため息を吐いた。
「まったく……」
それでも、彼もまた、歩を進める。
目指す先は──
魔族領の奥深く。
ガルザの手に渡った“紫の魔石”の奪取だ
──────
「んひぃーーーーーーー!! だずげでぇぇぇーーー!!!」
俺とクーは、変な絶叫が響く屋敷の一角で、のんびりくつろいでいた。
「なぁ、クー?」
「なんなのだぁ〜?」
膝にぐでぇっと乗っかったクーを、いつものようにもふもふしながら問いかける。
「ギルってさ……そんなに悪いこと、したっけ?」
「助けに行ったほうが、良くね?」
クーは、あくび混じりに興味なさそうな声で言った。
「カナが『邪魔したら一週間おやつ抜き』って言ってたのだ〜。だからクーは行かないのだぁ〜」
「うわ……もう先に偵察行ってたのね……」
──中、どんなだった?
そう尋ねる前に、また扉の向こうから響く悲鳴。
「ぎゃあああああああ!!! むりですぅぅぅ!! ほんとにむりぃぃぃ……あぁぁぁぁぁぁ!!」
俺がチラとクーを見ると、
彼女は耳をパタンと寝かせ、聞こえないふりで呟いた。
「ん〜、カナがメイスでドンドンして〜」
「ギルがだんだんになって〜」
「そのあと、カナが光をぽわぁ〜ってして〜、またドンドンなのだ〜」
「……うん、全然わからんけど」
「酷いことになってるのだけはわかったわ……」
そのとき──
バンッ!!
扉が音を立てて開いた。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ主様あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
助けて!!助けてくださいぃぃぃぃぃ!!!
このままだとぉぉぉ……このままだとぉぉぉぉぉ!!」
ギルが半泣きで這い出てきた、かと思えば──
直後、カナが無言で背後から肩を掴み、
そのままズリズリと部屋へ引きずり戻していった。
「主様ァァァァァァ!!!
あるじさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!」
──バタン!
(ピギャアアアアアアアアアアアア!!)
……ドアの奥から、何かが砕けるような音が聞こえた気がする。
「なぁ、クー?」
「ん〜?」
「……やっぱ助けに行ったほうが良くない?」
クーはのび〜っと両腕を広げて、空を見上げたまま言った。
「たいわ大事なのだ〜」
……最近この子、“めんどくさい話題”を全部「たいわ大事」で流してる気がするな。
俺は深く突っ込むのをやめて、黙ってナデナデを続ける。
そのまま、窓の外の空を見上げた。
──今日も、平和だなぁ。
……たぶん。