第38話「草むしりの報酬:プライスレス(死刑)」
カナは、フィルバート邸の応接室にて──
先ほどまで案内してくれた執事と共に、主人の登場を待っていた。
見上げるほど高い天井。
壁には古風な絵画が並び、カーペットは柔らかく、調度品のひとつひとつが高級品であることが一目でわかる。
(やはり……外観通り、只者ではない)
そんなことを考えていると──
コン、と軽く扉が叩かれ、奥からゆっくりと入ってくる人物の姿があった。
現れたのは、白髪の紳士。
執事と同様に年老いてはいるが、背筋は真っすぐで、所作には年季ではなく“知性”が滲んでいた。
「初めまして、カナと申します」
カナは自然な所作でスカートをつまみ、淑やかに一礼した。
その完璧な挨拶に、フィルバートは思わず頷く。
「どうぞ、掛けてくれ」
二人は向かい合ってソファに腰を下ろす。
その瞬間、フィルバートは片手を上げて合図を送った。
執事は黙って頭を下げると、そのまま静かに部屋を後にする。
「君の要件は、執事から聞いている。──我が家で働きたいと?」
「はい。こちらのお屋敷……王都の中でもひときわ豪華でしたので」
カナはあえて率直に答える。
フィルバートはその言葉にくつくつと笑い──
「正直だね。つまり、私が金持ちに見えたから来たと?」
「……お見通しのようで」
「いや、嫌いじゃない。むしろ好感が持てるよ」
そう言って笑みを浮かべながらも、彼の目はどこか寂しげだった。
「私もね、少し前までは王政の議会に席を持っていた。
だが今では、引退の身さ。無職でね──使用人も先ほどの執事を含めて五人ほどしか残っていない」
「……では、やはり雇っていただくのは難しいでしょうか?」
わずかに視線を伏せるカナに、フィルバートの口元が少しだけ引き締まる。
──そして、重たく言葉を落とす。
「……実はね。私は、“君を探そうとしていた”んだ」
カナの瞳がわずかに細まる。
(……昨日この街に入ったばかりの私を?)
(それほど早く、“探される理由”が……?)
「ふふ。そんなに警戒しなくてもいいさ」
フィルバートは再び、どこか柔らかな雰囲気を取り戻す。
「私が君を知ったのは──旧友からの話だ。
今は、この街でギルドマスターをやっている……リリィという少女からね」
(……あの奇怪な服装の、妙に生意気なゴミですか)
「……昨日、冒険者登録の際にお会いしました」
「あぁ。あの彼女と“互角にやり合った”と聞いてね。
正直、耳を疑ったよ」
フィルバートは肘掛けに肘を置き、ゆっくりと語り出す。
「彼女は、かつて“勇者一行”の一員として名を馳せた存在。
戦場から退いて100年が過ぎた今でも、私の知る限り──鉄峰連合の英雄でさえ、彼女には勝てないと思っている」
「……100年前、ですか?
見た目は……どう見ても十二、三の少女でしたが」
「不老の呪いだよ」
フィルバートは、遠い昔を振り返るように、淡く微笑む。
「──大賢者がかけた、悪戯のような呪いだ。
彼女はね、私が生まれるよりもずっと前から生きている。
そして今や……旅を共にした者は、みな彼女を置いて去っていった……
私も……きっとそのうち、彼女の記憶の片隅で、“昔いた誰か”になってしまうのだろうね」
どこか悲哀を含んだ口調だった。
「彼女は口が悪い。だが根は、優しい。
もし君が許せるのなら……仲良くしてやってくれないか?」
カナは静かに目を閉じ、そして短く答えた。
「善処します」
フィルバートは目を細めて、くすりと笑う。
「……ありがとう。“否定されなかった”だけで、救われた気分だよ」
しばしの沈黙。
だが空気が再び変わったのは、次の一言だった。
「……ところで。彼女と話して、私は“君に頼みたいこと”ができた」
カナの表情が、わずかに引き締まる。
「この後の話は、誰にも──決して、漏らさないでもらいたい。
万が一にも知られれば……私も、リリィも、下手をすればこの国すら揺るがしかねない」
空気が、急激に静まる。
──情報への欲求が高まる一方で、慎重さも増していく。
カナは、静かに頷いた。
「……承知しました。内容を、教えてください」
「後戻りはできないよ?」
「問題ありません」
その覚悟を確認すると──
フィルバートは、ようやく口を開いた。
「実はこの国……魔族の侵攻を受けている」
カナの瞳がわずかに揺れる。
(──魔族?)
確かにこの国は、魔族領の侵入口──“堰”としての役割を担っている。
だが、その戦線は長く動きが無く、近年は封鎖されていたはず。
「侵攻……とは、どういう意味です?」
「そして──その裏で暗躍しているのが、“大教皇ファルカン”なのではないかと、私は睨んでいる」
「……大教皇ファルカン様、ですか?
確か……現在では国王より実権を持っているのでは、と噂されているお方かと」
「知っているのか。なら話は早いな」
フィルバートはゆっくりと頷き、視線を窓の外へと流す。
「そう──ファルカンは若き王を周囲の家臣や貴族で囲い込み、
反発する者たちを次々と議会から追い出した。
……私も、その“追い出された側”のひとりさ」
「ですが……それを聞いたとて、私にできることなど……」
「それは当然だ。だが、彼は──」
フィルバートは言葉を切り、声を低く落とした。
「魔族と結託し、この町に潜む“魔術”を行使しようとしている。私は、そう睨んでいる」
「魔術……ですか?」
「そう。つい最近、鉄峰連合との戦で起きた事だ」
フィルバートの口調が僅かに重くなる。
「戦場の“死体”と“生気”を媒体に──魔王を創り出そうとする魔法が、発動された」
「……魔王を……?」
「恐らく、な。味方もろとも、術式の範囲内すべてを飲み込み、異形の化け物が召喚された。
……それを討ち滅ぼしたのが、鉄峰の英雄ガリウスだ」
「……その魔術を使ったのは?」
「“リティス”という男だ。元々はただの学者だったが……
今は“大教皇の後押し”で、この国の騎士の頂点──《三栄騎士》の座に就いている」
「……きな臭いですね」
「ああ、きな臭い。
私は、リティスが使った術式が──この国のどこかにも、仕掛けられているのではと疑っている」
「ですが……現状では、確証に欠けますね」
「その通り。だが、ようやく“手がかり”が見つかりそうなんだよ」
「……手がかり?」
フィルバートは顎に手を添え、小さく頷いた。
「この屋敷の近く──城門の少し先に広がる草原に、“魔術の痕跡”が見つかった。
だが私も、リリィも……ファルカンの監視下にあってな。調査に行くことすら許されていない」
「──つまり、私に調査してほしいと?」
「話が早くて助かる」
フィルバートは微笑んでから、真剣な眼差しに戻る。
「あの場所には、草むしりの依頼として冒険者を送っていたんだ。
だが──その依頼を受けた者は、ことごとく“行方不明”になっていてね。
報酬を吊り上げても……今や誰も近寄らない有様さ」
「そこで……実力のありそうな私に白羽の矢を?
ですが、私が受ける保証などありませんよ?
ましてや、そこまで危険だとわかっていて──」
フィルバートは手を軽く上げて、遮った。
「いいや。君は受ける」
カナの目が鋭く細まる。
「……何故、そう言い切れるのですか?」
「実はね……君がここに訪ねてくる、ほんの少し前だよ」
フィルバートは立ち上がり、窓の外を見ながら、静かに言った。
「依頼を受けてくれた“物好き”がいたんだ」
──一拍。
カナの中で、何かが弾ける。
思い当たる人物が、たった一人だけいた。
「……まさか──」
彼女は反射的に立ち上がった。
「昨日……君とこの町に来た、彼だよ」
カナの表情が、次第に険しくなる。
「……最初から狙っていたのですね。」
「どう捉えるかは、君次第だ」
カナは彼を一瞥し、無言で踵を返して部屋を出ていった。
──扉が静かに閉まる。
入れ替わりに入ってきた執事が、少しだけ困ったように言った。
「……フェルバート様。よろしいので?
門番の話によれば……あのお二人、夫婦に見受けられたとか……。
少々、やりすぎでは……?」
フィルバートは何も言わず、窓辺に立つ。
白いカーテンが風に揺れる中、遠くを眺める背中に、老いの影はなかった。
「……例え“悪魔”と罵られようと、もう私は引き返せんのだよ」
「…………」
「この国の民を救い、若き王を導くこと──
それが私の、生涯を賭けると誓った“先代国王”との約束だ」
その声に、迷いは一片もなかった。
「何を犠牲にしようとも……もはや、止まることなどできん」
──フィルバートの目には、狂気と紙一重の“覚悟”が燃えていた。
────────────
一方その頃。
草原では──
「うぅぅぅぅ蚊が……蚊が……多いよぉぉぉぉぉおおお……」
泣きべそをかきながら、草をぶちぶちと抜いている男がひとり。
蚊への抵抗はすでに放棄。
彼はただ……涙を流しながら草をむしる機械と化していた。
ぷーーーーん
ぷーーーーーーーん
ぷーーーーーーーーーーーーーーーーん……
──ブチィッ
何かが切れた。
「……クソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
シュンはついに立ち上がり、空を仰いで叫んだ。
「草むしってりゃぁいい気になりやがって蚊ァァァァァ!!!!!」
怒りのあまりウインドウを乱暴に展開すると、指先でスクロールを連打。
「魔法だ魔法!ぶっ飛ばしてやるわお前ら全員まとめてぇぇぇ!!」
目に飛び込んだのは風魔法。
『風神の鎌
風でズバッ 略』
「略すなや!!!!!!」
説明文の手抜きに思わず突っ込むも、もはや細かいことなどどうでもよかった。
人はいざ限界を越えると、UIの不親切さにも寛容になれるらしい。
「もう知らん!これでいいわ!発動ッ!!」
──手を前に突き出す。
次の瞬間。
ズオオオオォォォォォ……!!
空気が“唸った”。
彼の10メートルほど先──
虚空に、**淡い青光を帯びた“風の塊”**が発生した。
だがそれは、ただの球体ではなかった。
ごう、ごう、ごう……!!
風の塊は回転を始める。
まるで台風の目のように、中心を軸にしながら膨張。
最初は直径2メートル程度だったそれが、
5メートル、8メートル、10メートルと、恐ろしい速度で肥大化していく。
「──ん? ちょっと待て、え?え?」
周囲の草が、風圧で軒並みなぎ倒されていく。
風はすでに地を抉り、
木の幹をきしませ、
葉を吹き飛ばし、
小石を巻き上げ──
「なんかやばい!?ねぇ!?これやばいやつじゃない!?!?」
ズオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!
玉が──家一軒分の大きさに達したその瞬間。
風が、爆ぜた。
ドゴォォォォォォォォォォォォォン!!!!!!!!
空が砕けたような轟音。
地が震え、木が折れ、空気が叫ぶ。
地面に触れた風の玉は、その接触点を中心に
全方位へ暴風を解き放った。
「ぶっふぇええええええええええええ!!!!??」
その爆風は、何もかもを呑み込む。
シュンの体は、まるでビニール袋のように軽々と宙を舞った。
「うわああああああああああああああ!!!!!!!!!」
ジェットコースター?
違う。
これはもはや──
生身で戦闘機のエンジンに吸い込まれる寸前の人間。
「ぶべべべべべべべべべべべべべべぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!」
砂が口に入り、鼻に入り、目に入り、耳に入り。
「ぶべぶべぶべぇぇぇ!!! かっは!! んぐぇ!! ぐえええ!!!」
髪の毛が逆立ち、顔の皮がめくれそうになりながら──
全身を風で“脱皮”させられる勢いで、彼は地面に転がる。
手で必死に草を掴み、地にしがみついた。
だがその草も……根っこごと抜ける。
「アホかあああああああ!!! 草も役に立たねぇぇぇぇ!!!!」
顔面から滑りながら地を転がり、ようやく吹き飛ばされる勢いが止まったのは──
全身が砂と枯葉と虫まみれになった後だった。
──風が、止む。
「…………っっはぁ……っ……死ぬかと……」
シュンは、半開きの目で空を仰いだ。
そして──上半身だけ起こし、前を見た。
「………………うそだろ…………?」
目の前に広がっていた“草原”は、もうなかった。
いや──そこにあるのは、“砂漠”だった。
大地はえぐれ、
草は一本残らず消失し、
吹き飛ばされた木々は折れ曲がり、
地面には巨大な渦の跡が残されている。
「こ、これって……」
「草むしりってレベルじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
──ここで、ようやく冷静になる。
「いや、まて……まてまて……これやばくね? 普通に怒られるどころじゃねぇだろ……?」
彼は思い出す。
──あの丁寧すぎる執事の接客。
──豪華絢爛な屋敷。
──「ご依頼、草むしりでございます」と笑顔で送り出した受付嬢。
「絶ッッッッッ対ッ!すまねぇ!!」
「“頑張って草むしってたら庭が無くなりました!”とか言えるかバカぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
彼の脳内に浮かぶ、罪状──
■ 国有地破壊
■ 屋敷損壊
■ 草原生態系へのテロ行為
「これワンチャン死刑!ワンチャンどころかツーチャンぐらいで死刑まであるからね!?!?」
顔面蒼白。
全身砂まみれの男が、震える指で空を指さす。
「おまえかぁぁぁ“風神の鎌”って命名したやつぅぅぅぅ!!!」
叫びは風に乗って、誰にも届かず消えていった。
──かつて前世で、六浪確定通知を見た瞬間よりも。
今が一番……怖い。
──“それ”を見ていた者が、ひとりだけいた。
「…………っっ」
草原のはずだった場所──否、更地となった現場を、遠くの木陰から見下ろしていたひとつの影。
黒装束に身を包んだその男は、声を出すことすらできず、ただその場に立ち尽くしていた。
(……な、なんだ今のは……)
地を薙ぎ倒す暴風。草が消え、大地がえぐれ、風だけで風景が消し飛ぶ。
(……人間が……使った魔法なのか……?)
理解が追いつかない。
「っ……」
目が、脳が、拒絶した。
世界が上書きされたような異常事態に、内臓がきしむ。
冷や汗が止まらず、吐き気が込み上げる。
──そう、この男は“監視役”。
ファルカンの命令により、草むしり依頼を受けた冒険者を“いつも通り”処理する──
それだけのはずだった。
だが──
(……あれはもう、処理とか……そういう次元じゃない……!)
それはまるで、神の所業だった。
足は震え、視界はぐにゃりと歪む。
「っ、く……うぅ……っ!」
──逃げ出したい。
だが──逃げられない。
彼もまた、“家族”を人質に取られていた。
(……やるしかない……ここで報告もせず逃げれば、俺の家族が……!)
彼は震える手で、黒布の中から一つの水晶を取り出した。
紫がかった魔力の光が脈動する、それは──
ファルカンから授かった、“最終手段”の魔石。
(……もはや“出し惜しみ”している場合ではない……!!)
覚悟を決め、水晶を空へ翳す。
次の瞬間──
更地となった大地に、音もなく魔法陣が浮かび上がる。
複雑に絡み合った幾何学模様、四方に向かって広がる封印式。
男は、懐からナイフを取り出した。
それを、自らの腹へ──
グサリ。
「────ッ!」
痛みに呻く間もなく、口元から血を垂らしながら、かすれた声で呪文を紡ぐ。
「……開けよ……門……魔神の眠りを……解き放て……」
──男の命と引き換えに、儀式は完了した。
地はうねり、空気が焦げつくように熱を帯び──
“それ”は、現れた。
────────────
「…………はぁ、はぁ……」
なおも地に伏し、口から砂を吐きながら、シュンは己のやらかしに頭を抱えていた。
「これ……すまんじゃ済まねぇ……たぶん国際問題までいくやつ……」
彼は必死に草をかき集めて“再生”しようとしていた。
(※草は戻らない)
──だが。
そのときだった。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!」
突如、大地が震えた。
空気が軋み、鼓膜が破れそうな咆哮が耳を貫く。
「っっっっっっ!?」
咄嗟に耳を塞ぐ。
──だが、無意味だった。
振動が**“地面ごと”伝ってくる。**
石が跳ね、視界が揺れる。
「なにこれ!?なんの音!?なにが吠えてんの!?」
ガタガタと身をすくめながら、恐る恐る、前を見る。
──そこに、いた。
「……へっ…………?」
見間違いかと思った。
だが瞬きをしても、そいつは消えなかった。
そこに立っていたのは──
身の丈4メートル、筋骨隆々の巨躯。
漆黒の皮膚。
山羊のような角。
目は血のように赤く光り、口元からは鋭い牙。
背筋を伸ばして佇むその姿は、まるで地獄の使者。
──まさしく、“デーモン”だった。




