第36話『魔法使い、草と戦う。従者は屋敷に潜入する。』
──アステリオン王国潜入、2日目。
「……なんかさ、二日目にしてどっと疲れてるんだけど……」
俺は宿のベッドに沈みながら、脱力した体をシーツに投げ出した。
片手で目元を覆い、天井を睨む気力すらない。
「主様、さっさと終わらせて帰るのでしょう?」
傍らに立つカナが、俺の方に一歩だけ寄って小首をかしげる。
その声色は相変わらず真面目一辺倒。だが、その無表情の奥に、微かに心配が滲んでいるようにも思える。
「まぁ、それが理想だけどさ……昨日の試験といい、夜の件といい……体力も精神もすり減った気がする……」
俺はゴロンとベッドの上で寝返りを打ち、横になったまま枕をぎゅうっと抱きしめた。
──いや正確には、グローレンとの“夜の街探訪”事件が8割くらい原因なんだけど。
(もうね、なんか……全身の気力が吸い取られた気分……)
「さて、今日はどう動こうかなー……」
ベッドから惰性で呟く俺に、カナがぴたりと姿勢を正し、静かに言った。
「でしたら本日も、別行動にしてはいかがですか?
私は図書館で得た情報の裏付けと、いくつかの記録の照合を進めたいのです。
主様は、ごゆっくりお寛ぎになっていてください」
「いやいや、寛ぐって……」
俺は身体を起こし、両手で顔をこすりながら苦笑した。
そのまま椅子に腰かけ、肩を軽く回す。
「さすがにそれは俺が申し訳なくなるんだけど?」
「何をおっしゃいますか!」
カナは一歩前に進み、ピタリと直立不動の姿勢を取る。
背筋を伸ばし、胸に手を当てる所作は、どこか儀式めいていて──
「このカナ、主様のためならば──いかなる労も苦と感じません!」
(マジでこの子、家臣の鑑かよ……)
昨日、図書館から戻った彼女の報告には俺も本気で驚かされた。
まさか──一晩で図書館の資料を読み終えたなんて言い出すとは。
(いや読むっていうか、もはやデータスキャンの速度だったけど……)
(正直、俺いなくても調査完了するんじゃ……とかちょっと思ったり思わなかったり……)
しかも俺より強いし、頭も切れるし、トラブル回避能力もある。
カナが“いてくれる”だけで、たぶん外交進むんじゃないかな……。
「──んー、じゃあ俺は俺で、冒険者登録もしたし、ちょっと金でも稼いでくるかな」
俺は立ち上がりながら軽く伸びをした。
ふわぁ、と欠伸を噛み殺しつつ、腕を後ろに回して気合を入れ直す。
「主様……!その程度であれば、このカナが──」
「やめてぇぇぇ!!」
俺はすかさず全力で手を振って止めた。
そのまま目を見開き、ジタバタと足踏みをする。
「それすら取られたら、俺もう本格的にヒモだよ!?
ヒモというか、最終的に“生きるヌイグルミ”みたいな生活始まりそうなんだけど!?」
「主様がこのカナを頼ってくださるのなら、私は心より──」
「いや違う!その言い方がダメなの!」
俺は頭を抱えた。
額を押さえてうずくまる俺に、カナが首をかしげる。
「“甘えを肯定されると人は堕落する”って、社会科で習わなかった!?
ていうか俺は習った!すごい習った!!」
(このまま流されたら……最終的にベッドの上でフルオート介護されながら寿命まで生きる人生になっちまう……)
──ともかく。
俺は勢いよく顔を上げ、指をピンと立ててカナに宣言した。
「よし、決めた!俺は冒険者ギルドへ行って、一人でやれることを探す!
カナは昨日に引き続き、アステリオンと鉄峰連合の歴史的な繋がりを掘り下げてくれ!」
「了解しました!」
カナは、どこか嬉しそうに小さく頷くと、
そのまま背筋を伸ばして、静かに──しかし誇らしげに敬礼した。
──こうして、俺とカナの二日目は、別行動で始まることになった。
────────────
冒険者ギルドに到着した俺は、
重い扉をギィ……と開けて中へ入る。
「…………」
瞬間、ロビーの空気がピリッと変わった気がした。
……なんだろう、視線が痛い。
(……あ、これ絶対、見られてるやつだ……)
小さく身をすくめながら、依頼掲示板の方へ足を向ける。
視線の主たちが──案の定、ヒソヒソと声を上げた。
「おい……あれだぞ? 魔法使い」
「この前、“ノロノロ玉”打ってたやつだろ?」
「依頼なんて受けられるの? ウケるんだけど〜〜」
──知ってた。
だが、言っていいことと悪いことがあるよね?
(まぁでも……)
(悪い気はしない……“有名人になった”って思えば……たぶんポジティブ……たぶん)
──さて、気を取り直して依頼を探そう。
「薬草採取に……ゴブリンの退治……猫探し……」
どれもD級からスタートの依頼ばかり。
そもそも、掲示板に貼られてる依頼の数自体が少ない。
(……え、E級の依頼、どこ……?)
目を皿にして掲示板の下のほうを探していくと──
「……あった。E級──“草むしり”……」
「…………草むしり………………」
(草むしり……って、冒険者関係ある!?)
(なんで俺、剣でも魔法でもなく“草”と戦わされるの!?)
でも、他に受けられそうなのはない。
「……仕方ない。これしかねぇか……」
俺は掲示板から依頼書を一枚はがし、
覚悟を決めて受付嬢のカウンターへと歩いた。
「あのぉ……これ、受けたいんですが……」
受付嬢は俺の手元をちらりと見て、
ふわっと微笑んで依頼書を受け取る。
「草むしりのご依頼ですね?
こちらの依頼は“出来高制”となっておりますので、頑張った分だけ報酬が出ます♪」
(なんなんだ……この……)
(この差別も嘲笑も無い、完璧すぎる接客スマイル……)
(惚れてまうやろーーーーーッ!!!)
「ご依頼の詳細につきましては、依頼主様より直接説明がございます。
王都東区にございます《フィルバート邸》へお伺いくださいませ」
彼女は慣れた手つきで小さな地図を描いて渡してくれた。
「お気をつけて、行ってらっしゃいませ♪」
俺は地図を手にしながら、ギルドを後にする。
──草むしり。
(あの“魔法見下し時代の王国”で、俺が最初に戦う相手が草……)
(いや、違うな……これは試練だ)
(草との戦いの中に、何か大切なものがあるはずだ……きっと……多分……知らんけど……)
──そう自分に言い聞かせながら、
俺は東の屋敷街に向けて歩き出した。
────────────
フィルバート邸に到着すると──
そこには、やたらと豪勢な洋館がそびえ立っていた。
「うわっ……ガチの金持ち屋敷……」
広い敷地に整った石畳、白亜の壁に噴水つきの中庭。
──どこをどう見ても、“草むしり”の気配は皆無だ。
(なんだこの……森の木造拠点とは次元が違う……)
(“森の盟主(笑)”の俺って…………)
とりあえず門の前に立ったものの、インターホンなんてあるわけもなく──
「しょ、職業:草むしりの者でぇーす!!」
腹から声を張ると、屋敷の奥から執事風の男性が姿を現し、恭しくお辞儀した。
「お待ちしておりました。ご案内いたします──」
(この人、絶対貴族とか仕えてるタイプ……俺、場違いすぎる……)
案内されるがまま、なぜか用意された屋敷の馬車に乗せられる。
揺られること数分──
たどり着いたのは、王都の外にある広大な平原だった。
風が吹き抜けるその場所には、腰丈ほどの草が一面に生い茂っている。
ちょっとした野生の楽園だ。
「……え、ここ、ですか?」
俺は呆然と立ち尽くす。
「はい、作用でございます。
いくらでも刈っていただいて構いません。報酬は、出来高にてお支払いいたします」
執事は当然のように言うが──
(草のスケールが異常なんだよ……!)
(これ草っていうか、“草界”なんじゃない!?)
「……ちなみに、このくらいの区画で、いくらくらいになるんです?」
「そうですね……ざっと一万ゼクトほどでしょうか」
「一万……!」
思わず声が出た。
(た、高ぇ……! 一日でその額!?)
(昨日の夜、40万ゼクトの地獄を見たばかりの俺にとっては天使の囁き……!)
「こんな美味しい依頼なら、他の冒険者が殺到しそうですけど……」
俺がそう尋ねると、執事は少しだけ目を伏せ、視線を逸らした。
「えぇ……ですが、“地味”ですので……
冒険者の方々には、どうやらあまり好かれないようでして」
「……あっ、なるほど……(察し)」
見た目は雑草、作業は地味、虫は大量。
いわゆる“映えない仕事”ランキング上位。
「では──また夕刻に迎えに参ります」
執事は深々と一礼すると、そのまま馬車に乗って去っていった。
──残された俺と、草原。
風が吹く。
蚊が耳元でぷ〜〜〜ん……と鳴く。
草は……ビッシリ生えている。
「…………やるしかねぇ……」
俺は気合を入れ、手袋を締め直した。
──こうして、“冒険者シュンの草むしり戦争”が幕を開けた。
────────────
──────その頃。
カナは、王国内の“歴史の核心”に近づくため、
王政に関わる上層の人々──つまり国のお偉方への接触を試みていた。
「……まずは、どのような人物が“重鎮”として存在しているのか。
それを知るところからですね……」
道行く民を避けるように、静かに街路を歩きながら、カナは街の様子を観察する。
──視線は、常に人ではなく“建物”へ。
(権力のある者ほど、権威の象徴を家に持ち込む傾向があります)
そう判断したカナは、いくつかの大きな邸宅を巡回していた。
その時だった。裏通りの路地から、冒険者風の男たちが数人で話している声が耳に入る。
「……そういや今日、誰か草むしりの依頼受けた奴いたよな」
「ん? ああ、フィルバート邸のやつか?」
「マジかよ……あれ、やべぇやつだろ? たまに人が戻ってこないって噂あるぞ」
「報酬の割に危険すぎるって有名だろ、あそこ。誰も受けねぇよ。
命より金が欲しいって奴が、たま〜に……な?」
「ったく、あの草むしりだけは触れちゃいけねぇ。そういう空気になってんのに……」
カナは足を止め、視線を向けることなく耳を傾けた。
(──フィルバート邸。草むしり……にしては不自然な報酬と、不可解な行方不明者)
(なぜそんな依頼が成立し続けているのか。そしてなぜ、国は調査せず放置しているのか……)
彼女の中で、“調査対象”が一つ、明確に定まった。
「……まずはこちらに、接触してみましょうか」
カナはそのまま東区へと向かい、街を抜けて歩き出す。
やがて、王都の東区にて──
一際大きく、重厚な造りの豪邸を見つける。
重厚な黒鉄の門、整えられた庭、警備の人影。
門構えからして、街の中でも屈指の名家であることは明白だった。
──ちょうどその時。
邸宅の門が音を立てて開き、馬車が中へ入ろうとしていた。
「……!」
カナは一瞬だけ迷い、そして走り出す。
「も、申し訳ございません!」
声を張ると、馬車がゆっくりと止まり、
窓がスッと開いて、執事風の男がこちらを見る。
「……どうなされたのかなお嬢さん?」
紳士的な口調と落ち着いた態度。
明らかに“使用人として長く仕えてきた”空気を纏っている。
だが、カナも負けてはいない。
一拍の間を置き──カナは、目を伏せ、少しだけ困ったような表情を浮かべた。
「私……この町に来たばかりなのですが……。
働き先が見つからず、もし可能であれば──
こちらの邸で雇って頂けないかと……」
声は控えめに、けれど、はっきりと。
(声量は抑えつつ、語尾の強さは明確に。信頼を得るには“芯”を見せる──)
──それは、彼女が身に付けた“演技としての礼節”だった。
その整った容姿、落ち着き払った物腰、所作の一つ一つに無駄がない。
男は、じっと彼女を見つめたまま、わずかに目を細めた。
「……一つ、お尋ねいたします。
マナーや礼儀作法の心得は、どちらかで?」
カナは、スカートの端を両手で軽く持ち上げ──
淑やかに、そして完璧な角度で一礼する。
「はい。以前の街で……しばらく、メイドとして務めておりました」
「ふむ……」
男は顎に手を添え、少しだけ考えるそぶりを見せる。
そして──
「では、フィルバート様にお伺いを立てましょう。
ちょうどこれより邸へ戻るところ。乗っていただいて構いませんよ」
「……ありがとうございます」
カナは深く頭を下げ、馬車の扉が開けられると、
そのまま優雅な所作で乗り込んだ。
──こうして、カナは自然な流れで、
フィルバート家の内部へと足を踏み入れることに成功するのだった。
(主様……私も、独自に“根”へと潜ってまいります──)
その心中で、静かに誓いを立てながら──
カナの馬車は、ゆっくりと屋敷の中へ消えていった。
【あとがき小話】
グローレン「よっ!読者の皆さん、今回も読んでくれて──ありがとっす!」
フェル「……本当に、感謝しかない。
物語をここまで追い続けてくださるというのは、簡単なことではないからな」
グローレン「実際、作者さん……裏で何度“ありがとう”って言ってたか……」
フェル「……数えていたのか?」
グローレン「そりゃもう、“草をむしりながら泣いてた”って噂があるくらいで──」
フェル「それは完全に情緒崩壊だろう」
グローレン「でもさ、マジな話──
“読んでくれる人がいる”って、作者にとってどれだけ力になるか……」
フェル「それは、私たちにもよくわかる。
言葉ひとつで、人は歩ける。逆に、それを失えば歩みも止まる」
グローレン「だからこそ──」
フェル&グローレン「“あなたが読んでくれたこと”に、心からありがとう!」
グローレン「あとさ、できればまた次も来てね?
オレたち、もっと出番ほしいし──」
フェル「……下心が漏れてるぞ、グローレン」
グローレン「だってぇ〜!? また隊長とコンビ出動とか、したいじゃないっすか〜!
しかもあわよくばカナちゃんとも……」
フェル「黙れ、クビにするぞ」
グローレン「ヒィィィ!? ご、ごめんなさいっす〜〜〜〜!!!」
──というわけで。
草との戦いも、潜入劇も、
まだまだ《物語の序章》です。
引き続き、読んでいただけたら嬉しいです!
──そして。
読んでくれて、本当にありがとう。
また、お会いしましょう!




