第34話『図書館に潜む鎖と、夜の街に誘う副官と』
俺はカナと別れて、王都の街をぶらぶらしていた。
昼間とは違い、通りには冒険者や傭兵、そしてたぶん騎士っぽい人たちの姿も目立ち始めている。
「……異世界でも、夜は飲み歩きなんだな……」
通り沿いの酒場からは笑い声と香ばしい肉の匂いが漂ってくる。
「カナとご飯食べてから別れればよかった……」
腹は減ってる。でも、一人で店に入るのはなんとなく気が引ける。
誰かと一緒に食べる飯のほうが美味いって、異世界でも同じなんだな。
仕方なく、うらめしそうに眺めていたその時──
「おいこら兄ちゃん」
ドスの効いた声と共に、襟首をガッと掴まれた。
「さっきっからよォ、うちの連中の飯ジロジロ見てんのは気のせいにしてやる。
でもなぁ──次は俺の女をニヤついたツラで眺めてくれてたなぁ……?」
──強面のハゲ、登場。
(いや待て!? ほんとに違う! 俺ただ飯に視線が釘付けだっただけで……!)
「いや……そんなつもりじゃ……お、俺には……つ……妻が……いますんで……」
とっさに出た最大級の防御文言。
「はあん? つまり俺の女が──おまえの嫁に“劣ってる”ってワケかァ?」
いやそういうつもりじゃ……!
──ちなみに、件の“俺の女”とやらをちらりと見ると……
……うん、ドワーフだ。
っていうか、性別すら分かんない。たぶん女? たぶん。
「い、いやぁ! お美しいお方で……思わず見惚れてしまったと申しますか……!」
「やっぱ見てんじゃねぇかコラァ!! 表出ろや!!」
──路地裏に引きずられていく俺。
(理不尽すぎる!! 可愛いって言ってもダメ、言わなくてもダメとか何このクソイベント!!)
涙目でズルズルされていると──
「まーまー、落ち着きなって♪」
軽い声と共に、間に入ってきたのは──
(この人は……確か…………)
「……そうだ!……木に干されてたチャラい人!!」
「ちょっとぉ〜その呼び方は傷つくぜ〜?
フェル隊長の副官、グローレンって名前、そろそろ覚えてくれても良くないっすか〜?」
すると、ハゲの態度が急変する。
「フェル……って、あの次期“三栄騎士”の……!? し、失礼しましたあっ!!」
それまでの勢いが嘘のように、ハゲはぴゅーっと逃げ去っていった。
(なんか知らんけど助かった……副官の肩書き、強すぎない?)
「んで? シュンさん、なんでこんなところで絡まれてたんすか?」
「いや、普通に歩いてただけなんだけど……視線が勝手にメシに吸い寄せられて……」
「カナさんは? 一緒じゃなかったんすね?」
「今は図書館。情報収集中」
「へぇ〜〜なるほどなるほど〜」
「……てかさ、俺らってそんなに仲良かったっけ?」
グローレンはにこっと笑う。
「仲が良かったかどうかなんて、些細なことっすよ!」
「今や俺たちは、この国の命運を握る──いわば《運命共同体》なんですからっ!!」
「いやせめて“共同体”組むなら、もっと可愛い子がよかったんだけど?」
「つれないなぁ〜シュンさんは!
俺、わりとシュンさんが想像よりも“話せる人”だったんで、安心してるんすよ?」
「まぁ、確かに……変によそよそしいよりはマシか……」
──すると、急にグローレンの雰囲気が切り替わった。
ピシッと背筋を伸ばし、真顔になる。
「……それで、ひとつ。お伺いしたいことがありまして──」
「えっ!? なにその距離感の変化!? 怖ッ!!」
「……で、シュンさんとカナさんって……どういうご関係で?」
グローレンが急に真面目な顔になる。
それまでの軽口が嘘のように、距離を詰めながら──探るように聞いてきた。
(うわ、きた……一番聞かれたくないやつ)
(スキルで召喚したなんて言えるわけねぇだろ……ドン引きされるわ)
「ん〜……知り合いから預かってる子? みたいな?」
口から出まかせだった。
でも即答できただけマシだ。下手に間を置いたら怪しさ倍増だった。
「……やっぱり、恋愛的な……そういう気持ちとかも……?」
(お前さぁ……さっきからチラチラ様子見てくるけど、分かりやすすぎんだよ)
「やらんぞ?」
「へっ?」
「恋愛とかそういう感情はないけどな──」
「でもお前みたいなチャラ男には絶対やらん!!」
その瞬間、グローレンが。
「っしゃあ!!」
まさかのガッツポーズ。
(なんで!? えっ!? 俺、“やらん”って言ったよね!?)
(なんで勝ち確みたいなリアクションなん!?)
(聞いてた? ねぇ、聞いてた?)
……いや、聞いてねぇな。
こいつ、絶対聞いてなかったな。
(まぁでも……カナってなんかこう、召喚した側の感覚としては“娘”に近いんだよな)
(守る対象であって、渡すとかそういうんじゃない)
(だからこそ、こいつにはやらん。今、正式に心の中で誓った!)
「──じゃ、俺そろそろ行くわ。助けてくれてありがとな」
そう言って踵を返すと──
背後から、ぽん、と肩を叩かれる。
「シュンさん、釣れないじゃないですか〜」
「……んだよ」
「ここ、王都っすよ? 夜っすよ? しかも男が二人っすよ?」
「お前は“ゼロ人”扱いだけどな」
「酷くないっす!? 今けっこう真面目にコンビ感出してたのに!」
「はいはい、解散解散──」
「行かない選択肢、ありますぅ? “夜の街”っすよ?」
(……こいつ)
(さっきまでカナのこと気にしてたくせに──)
(それでいて“夜の街”だと……!?)
(絶対!絶ッ対にお前にカナはやらん!!!)
──でも。
(…………でもなぁ…………)
(今俺、馬鹿にされて魔法まで全否定されて……)
(ちょっとくらい、夜に逃げたって……バチは当たらんよな……?)
「……夜の街、ねぇ」
「ふふん?」
「──案内してもらおうか、グローレンくん」
──誘惑には。
勝てなかった。
────────────
一方その頃。
カナは図書館の片隅で、塔のように積まれた歴史書に目を通していた。
「中々見つからないものですね……」
カナは、静かにページをめくる。
──だが、違和感は強まるばかりだった。
確かに、歴史の“記録”はある。
だが、“理由”がない。
ドワーフとの争いの“始まり”が、どの書にも記されていないのだ。
(戦闘の記録はある……だが開戦理由も、決定的な対立構造も無い……)
「明らかに不自然ですね……これほど長く戦っていながら……」
そんな独白をした時──
「あ……あのぉ……」
声がした。カナが顔を上げると、見覚えのある少女が立っていた。
「……あなたは確か…………ゴミBじゃないですか」
キュリは即座に涙目で抗議する。
「ゴミじゃないですよぉ〜っ! キュリですぅ〜!」
カナは首をかしげるように、静かに言い直す。
「あぁ……フェルという方と一緒にいた……ゴミですね」
「違いますってばぁ〜!! 人のランクに“ゴミ”とかつけないでぇ!!」
キュリが涙ながらに抗議するが、カナは書を閉じながら尋ねた。
「それで、キュリはなぜ図書館に? 来ると怪しまれると自分で言っていませんでした?」
「そりゃ昼間は目立っちゃいますけど……」
キュリは小声で言い訳するように言う。
「でも夜は非番なんで、ちょっとぐらいなら大丈夫なんですぅ……」
「ほう……賢いですね、ゴミの割には」
「やめてぇぇぇ!!」
カナは軽く頷いた後、ふと思い出したように尋ねる。
「で? お友達のゴミAと、廃棄物Cは? 一緒ではないんですか?」
「名前で呼んでくださぁぁいっ!!」
キュリが全力で抗議する。
「……フェル隊長は、会議中です。グローレンさんは“夜に一緒に調べよう”って言ってたのに……」
キュリは唇を噛んで、悔しそうに言った。
「訓練終わってすぐに迎えに行ったのに、もういなかったんですぅ……!」
「……まぁ、どちらでもいい話ですね」
そう言ってカナはあっさりと視線を戻し、書物を読み始めた。
キュリは小さく「ひどい……」と呟きながら、目の前の本を一冊手に取って対面に座る。
「で……探してるものは見つかりました?」
カナは手を止めずに答える。
「いいえ。ですが、逆に“疑念”は深まりました」
「疑念……?」
「はい。争いの詳細が意図的に“記録されていない”ように感じられます。もしくは、消されている」
「え、でも……この街に来たの、今日ですよね?」
キュリが驚いた表情で辺りを見回す。
「なのに、もう全部読んだってことですか!?」
「ええ。造作もないことです」
カナは淡々と答えながら、右肩にスッと金色の鎖を浮かび上がらせた。
「私はこの鎖を、情報取得のために張り巡らせています。読む必要はありません」
「えぇぇぇ〜〜!? ずるいですぅぅぅ〜〜!!」
キュリが椅子ごとガタッと揺れる。
「魔法……なんですか、それ!?」
「いえ。厳密には“魔法”ではありません。スキルに近いものです」
「スキル? 戦技とは違うんですか?」
「似たようなものですが……目的も成り立ちも異なります。私は常にこれを使い、周囲の情報収集や警戒に役立てています」
「常時展開してるんですか!? 何それ反則じゃないですか!?」
カナは微笑すら浮かべずに言う。
「情報戦の基本です。読んでいる“フリ”をしないと怪しまれますからね」
「くぅぅぅぅぅぅ〜〜〜〜〜っ!」
悔しげに唸るキュリの前で、カナは静かに席を立つ。
「……これで収穫は終わりです。主様に報告しなくては」
「えっ、もう帰っちゃうんですか!? この本は……」
キュリは目の前に積まれた山のような書物を見て絶望する。
「……もしかして、これ……私が片付けるんですか……?」
「当然でしょう。私は“非番”ではありませんので」
「うぅぅぅぅ〜〜〜〜〜っ!! 私だって非番なんですぅぅぅぅ!!」
──カナは静かに図書館を後にする。
残されたキュリは、山のような本を前にして、膝から崩れ落ちた。
「うっ……うぅ……これ全部……一人で……」
──こうして、“非番の少女”は泣きながら本を片付ける羽目になった。
【あとがき】
「く、来るなああああああああああああ!!!」
湯殿に響き渡る、必死の咆哮。
全力疾走で床を滑るのは、全裸の狼獣人──クーである。
「泡だけは!泡だけはやめるのだぁぁぁぁぁ!!」
ぺたんと伏せた耳、尻尾をばっさばっさ振り乱しながら、
木桶の上を飛び、湯船の縁を踏み台にし、ついには天井近くの梁に飛び乗ろうと──
──ザンッ!!
「ひっ……!?」
床を走る鎖。
金属音と共に、クーの足元にするりと絡みついた。
「捕獲、完了」
「うそぉぉぉぉぉぉぉ!? 足首ぃぃぃぃぃぃぃ!!」
カナは鎖を引き寄せ、床に向けて一気にクーを“ずるずるずる〜っ”と引っ張る。
「やだやだやだやだ!ぜったいに洗われたくないのだぁぁぁぁ!!」
「選択権はありません」
ずしゃっ!!と桶をひっくり返しながら引きずられるクー。
「離せーっ!!この……この鎖女ぁぁぁぁぁっ!!」
「暴れても無駄です」
カナは湯気の中、静かに腰を下ろすと──
そのままクーの両手首と胴を、鎖と膝と体重でがっちり封じた。
「完全拘束」
「ぎゃあぁぁぁあぁぁぁ!?身体が動かないのだぁぁぁ!!」
「動かないようにしてます」
「当たり前のことを当たり前に言うなぁぁぁぁ!!」
カナは無表情のまま、泡立てた香草液を片手にすくい──
「まずは耳の裏からですね」
「や、やめっ……わわっ……!」
──しゃかしゃかしゃかしゃか……
「くっ……くすぐったっ……! あっ……そこは、へんな感じがするのだ……!!」
(※でも動けない)
「汚れが溜まりやすい部分です。念入りに」
「ぐぬぬぬぬ……っ!」
指が毛の根元をくるくる撫でるように動き、
鼻先、耳の下、首筋、すべてが泡まみれにされていく。
「顔も洗いますね」
「それだけはやめ──ぶふっ!?目ぇぇぇぇぇっ!!しみるのだぁぁぁ!!」
「目は閉じてください」
「先に言ってほしかったのだぁぁぁぁ!!!」
──しばらくして、ようやく洗浄が終わる。
ぐでぇぇぇぇぇ………
クーはタオルに包まれて、湯殿の隅で仰向けにされていた。
「……ぅぅ……耳の中までぬれてるのだぁ……」
「乾かしますので、動かないでください」
「……ふえ……」
カナは静かにタオルを交換し、
黙々とクーの毛並みをふきふき。
毛はふわふわ、耳はぺたん、目はとろん。
「……よし、衛生完了です」
「……まけたのだ……完全に……」
「洗浄は戦ではありません」
「ぜったい戦いだったのだぁ……!」
湯殿には、勝者の静けさと、
ぺたんこになったふわふわ狼の嘆きが、静かに残された。




