第3話『静かに暮らしたい俺と、忠誠バグった家臣と、集まり始めた人々』
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──朝露の匂いって、こんなにちゃんとしたものだったっけか。
目の前に広がるのは、誰も踏み込んでいない森の縁。
土は湿って柔らかく、まだ陽の射さない枝のあいだから、
冷えた空気が静かに流れてくる。
草が揺れ、遠くで鳥が鳴く。
そのどれもが、“生活音”ではない。
ただ、世界そのものの音だ。
「主──このあたり、視界が開けてきました」
俺の隣で、少女がそっと声をかけた。
真っ白なローブのような服に、金糸の飾り。
丁寧すぎる所作で裾を持ち上げ、足元の枝を避けながら歩いてくる。
カナ。
経験値100万を消費して召喚した、俺の“臣下”。
……いや、“初めての話し相手”だ。
「この先に小さな丘があります。
水源も確認できますので、拠点からの延伸候補地に──」
「いや、ちょっと待て。俺たちは“探検”に来ただけだぞ?」
「探検、ですか……?」
「そう。“静かに暮らすために、周囲を把握しようぜ”って趣旨の……わかる?」
「……つまり、“防衛線の下見”と理解すればよろしいのですね?」
「なんでそうなんだよ!?」
俺のツッコミを受け流し、カナは軽く微笑む。
……いや、笑ってる場合じゃない。
俺の方が“召喚主”なのに、なぜか立場が逆転しそうになってる。
っていうかもうされてる。
朝の森を抜け、俺たちは小高い丘へ出た。
目の前には、開けた草原と、いくつもの小川が交差する美しい風景。
遠くに見えるのは、赤い実をつけた低木群と、それを囲うような自然の林。
人工物は──何ひとつ、ない。
「……いいな、ここ」
俺は思わず、そう呟いていた。
誰もいない。
税も地代も、人間関係も、町のルールもない。
……人付き合いが嫌いなわけじゃないけど、
この静けさが、今の俺には何より心地いい。
カナが、そんな俺の横顔を一瞬だけ見て、柔らかく口を開いた。
「主は、本当に……“穏やか”を好まれるのですね」
「悪いか?」
「いえ、とても素敵です。
だからこそ──その穏やかさを、永遠に守るべきだと思いました」
「なんかすげー物騒な前置きになってない?」
カナはそれ以上何も言わず、また静かに歩き出す。
森の匂いと朝の光を纏いながら、まるで精霊のように。
俺もその後ろ姿を追うように、歩を進めた。
風が、優しかった。
空は広くて、世界はどこまでも続いていて。
やっと、やっと……“報われる場所”に辿り着いた気がした。
──そのときだった。
カナが、ピタリと足を止めた。
「……魔物の気配です。走っています」
「へ?」
「三体。直進中。
……目標、人間──非戦闘民、親子三名。小規模の遭遇事故と思われます」
「ま、待ってくれ!? それって──」
カナは、首だけこちらに向けて、言った。
「主。今ここで許可を」
「──ああ、くそっ、もう! 行ってこい!!」
「了解しました。必ず、生存者を」
その瞬間──カナの姿が、風のなかに消えた。
静寂だけが、あとに残った。
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──風の中に、何かが駆け抜けたような音が残っていた。
俺が慌ててカナを追って林を抜けたとき、
そこには“あまりにも静かな現場”が広がっていた。
魔物──たぶんオオカミ型の何かだと思う。
三体いたはずのそれは、地面に倒れている。
ただし、妙だった。
全身が焼け焦げたように黒ずみ、
外傷も出血もないのに、動く気配がない。
なにより──
「……なんで、跡がない……?」
地面が割れているわけでも、武器の痕があるわけでもない。
ただ、そこに“動かなくなった魔物”が横たわっている。
状況がわからず固まっていると、カナが静かに歩いてきた。
胸元に手を当て、まるで祈るような仕草で。
「殲滅、完了いたしました」
「お、おう……」
「主。こちらを」
カナが片手を軽く上げると、木陰から三人──
ひと組の親子らしき姿が、恐る恐る姿を現した。
父親は中年の痩せた男。
母親はおぼつかない足取りで、子供をかばうように抱えていた。
子供はまだ幼い。五歳か、六歳くらいの男の子。
どの顔にも、深い疲労と、飢えの気配がにじんでいた。
「っ……た、助けてくださったんですか……?」
男が震える声で言った。
俺は戸惑いながら、軽く頷いた。
……いや、実際に助けたのはカナだけど。
「お怪我はありませんか?」
カナが優しく問うと、三人は思わず泣きそうな顔で首を横に振った。
「で、でも……な、なんで……」
父親が、地面に転がる魔物たちを見て言葉を失う。
──当然だ。
戦闘の痕がまったくない。
敵は確実に“処理”されているのに、まるで何も起きてないように見える。
「我が主の御意志により、すべて排除しました」
カナが平然と、そんなことを言う。
「……あの、助けていただいて、本当にありがとうございます。
俺たち、……もう、行き場がなくて……」
そのとき、子供が俺の方に歩いてきた。
ふらふらとした足取りで──
でも、真っ直ぐにこちらを見て。
「……おにーちゃん」
「……ん?」
「ありがとう……たすけてくれて……」
その言葉に、
俺は──胸の奥を、ぐっと掴まれたような気がした。
「っ……あー、あのさ……」
なんて言えばいいかわからず、俺が視線を逸らしたそのとき、
カナが横からすっと寄ってきて、静かに囁いた。
「……主。おそらく、彼らは行き場を探して彷徨っていたのでしょう。
この地を目にした者は、希望を抱かずにはいられないはずです」
「いや、布教すんな。希望とか言うな。フラグ立つから」
「私ではありません。希望を見せたのは、主です」
──やばい。
この流れ、絶対にろくなことにならないやつだ。
でも今は、とりあえず──
「ここ、少し休めるスペースがあるからさ。一時的なら……いてもいいよ」
……そう口にした時点で、もう半分、俺の負けだったのかもしれない。
数時間後。
焚き火の煙がくゆり、湯気が立ちのぼる仮設の調理場で、
俺はひたすら肉の臭み抜きと格闘していた。
素材は、さっきの魔物──狼っぽいやつ。
正直、「これ食って大丈夫か?」という葛藤はあったけど、
見た目と解体状況を見る限り、たぶんいける。
たぶん……だ。
「主。内臓と血はすべて除去済みです。筋肉繊維も加熱により分解が……」
「解説すんな。食欲が死ぬから黙っててくれ」
横では、さりげなくスキル生成した野菜類が並べられていた。
にんじん、たまねぎ、じゃがいも。
……異世界にはまず存在しない、完全に“日本式”のラインナップ。
薪に火をつけ、スキルで組んだ簡易厨房に火が通る。
鉄製の鍋が、まるで文化財のように光って見えたらしい。
「……あれは、鉄……? まさか……」
父親がごくりと喉を鳴らし、
母親は火が“底から”出ているのを見て、息を呑んだ。
「な、なんで……どうして火が……鍋の下から……?」
「おにーちゃん、これ、どうなってるの?」
子供が俺に聞いてきたが、
その目は完全に「すげぇ大人」でも見る目だった。
「……まぁ、ちょっとした“便利スキル”ってやつだ」
もちろん、“ちょっとした”で済んでるとは思ってない。
異世界の文明基準を、いくつも飛び越えた存在。
それが俺の調理場だった。
──グツ、グツ……。
狼肉を油で軽く焼きつけ、玉ねぎと一緒に煮込む。
じゃがいもは下茹でしておき、にんじんはあえて大きめに。
醤油と砂糖と酒で味を整える。ダシも入れる。
焦げないよう火加減を調整しつつ、落とし蓋で煮詰める。
社畜時代、何度も“自分を慰めるためだけ”に作ってきた味。
いっそ、俺の魂そのものと言っていい料理──肉じゃが。
「……もうちょっとだ。あと五分くらい」
「この香り……っ、いままで……嗅いだこと、ない……」
母親が泣きそうな顔で呟き、
父親は言葉を失ったように鍋を見つめている。
子供は完全に固まり、鼻をピクピクさせながら鍋から目を離さない。
……気持ちはわかる。俺だって腹が減ってる。
「はい、完成。熱いから気をつけてな」
俺は三人分の器に盛りつけ、そっと差し出す。
カナは無言で一歩下がって見守っている。
……いや、たぶん**“感動する瞬間を鑑賞している”**だけだ。
この子、そういうとこある。
三人が、恐る恐るスプーンを持つ。
子供が一番に、ひとくち──
「……!!」
口に入れた瞬間、目を見開いた。
それは驚きとも感動ともつかない、何か言葉を失ったような表情だった。
その反応を見て、母親と父親も、おそるおそる口に運ぶ。
──そして。
「……これが……料理……?」
父親が、呆然とした顔で呟いた。
「柔らかい……のに、崩れない……。
しっかりしてるのに、とろけて……なんだこの味は……っ」
母親は赤い根を指差しながら、震える声で言う。
「この……根っこ……甘い……。野菜なのに……優しくて……。
しょっぱいのに……あまい……でも、冷たくない……あったかい……」
涙がぽろりと落ちた。
母親は器を抱えるようにして、震える手でまた一口、口に運んだ。
父親も、黄色い芋を一つ、口に含んで──
「ほろほろなのに……噛める……中まで味が……。
なんだこれは……どうやって作った……っ」
驚きと混乱と、言葉にできない感情が入り混じって、
言葉がどんどん途切れていく。
そして──子供。
最初に目を見開いたその子は、何も言わずに笑っていた。
でも、笑いながら……ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「……あったかい……」
その一言に、俺の中の何かが崩れた。
──それでも子供は、スプーンを止めなかった。
「これ……おにく!? あってる!? おにくなの!?
とろとろのやつ……草!? 火!? 火でとけたの!? え、魔法!? 魔法なの!? おにーちゃん、魔法使い!?」
目がぐるぐる動いて、言葉が渋滞して、口が追いついてない。
「明日もある!? また作る!? たべていい!? 全部!? だめ!? ちょっとだけ!? でももっと!?」
止まらないテンションに、母親が慌てて笑ってなだめる。
でもその横顔には、間違いなく……久しぶりの笑顔が宿っていた。
俺は、ただ呆然とそれを見ていた。
自分の料理が、人を笑わせて、泣かせて、こんなにも心を動かすなんて──
そんな未来、想像したこともなかった。
「……たかが肉じゃが、だろ……?」
小さく呟いた俺の言葉に、
カナが静かに返した。
「たかが、ではありません。
これは──主が積み上げてきた、“努力”の味です」
……努力の味、か。
誰にも褒められなかった。
誰にも評価されなかった。
ずっと、意味がないと思ってたそれが──
今、誰かの涙になってる。
「……あの」
父親が、器をそっと置き、頭を下げた。
「どうか……この地に。住まわせては、もらえませんか……」
「な、なんでもします! 薪割りでも! 狩りでも! 農作業でも!」
母親も頭を下げる。
子供が俺の裾を握って、上目遣いで見てくる。
くそ、やめろ。
その目はずるい。
「……一時的、って条件だぞ。ずっととは言ってねぇ」
そう答えるのが精一杯だった。
……たぶんもう、“静かに暮らす”って目標が、
遠くで首をかしげながらバイバイしてる。
俺は、まだそれに気づいていなかった──
──数日後、
彼らは“仲間”を連れて戻ってくることになる。
──その日は、朝からやけに鳥の声が騒がしかった。
俺は畑に水を撒きながら、「なんか嫌な予感するなぁ……」とか考えていた。
で、案の定。
「主。門の前に人が集まっています」
「門っていうか柵レベルのあれな」
「……十一名です。先日お迎えした旅人が、案内してきたようです」
「やっぱりかぁああああぁぁぁ!!」
俺はスコップを放り投げて、頭を抱えた。
昨日までここにいたのは、俺とカナと、旅人の一家──3人。
計5人。
その一家が「もう少しここで過ごさせてください」と言ってきたから、
仕方なく“数日間だけ”ってことで了承した。
そしたらこれだ。
「いやいやいや!! 一言も言ってなかったよね!? “仲間を連れてくる”なんて!?」
「……言ってませんでしたっけ?」
父親は、申し訳なさそうに笑う。
「いや、言ってねぇよ!? なにその“ちょっと近所の友達呼びました”的な軽さ!!」
「でも彼らも同じなんです……住む場所も食べ物もなくて……。
ここなら、安全で、水もあって、野菜まである……!」
「その野菜育ててんの俺だからね!? 俺が!?」
「主、建築許可をお願いします」
「出す気ないけど勝手に建てる気だろお前!!」
──俺の叫びは、見事に空へ吸い込まれた。
すでにカナは【簡易建築】スキルを発動しており、
地面が勝手に石畳へ変わり、丸太の組み木が組み上がり始めている。
「……どんだけ慣れてんだよ。誰が建てろ言うた……」
「主の徳を慕い、人が集った。それに応えるのが臣下の務めです」
「それ、宗教の始まりだって知ってるか……?」
気づけば、子供たちが畑の前で「すごーい!」とか言って走り回ってるし、
母親たちは井戸の水を見て歓声を上げてるし、
若い男たちは薪割り手伝い始めてるし──
「……お前ら、馴染むの早ぇな……」
気がつけば、もう“俺だけが異物”になっていた。
みんな楽しそうに、ここを“生きる場所”として受け入れている。
なのに俺だけが、まだ引き返せると信じてた。
この場所は、俺ひとりの安らぎで、誰にも見つからないはずだったのに──
「主。……私は、間違っていないと思っています」
カナが、そっと俺の隣に立った。
「この地で、あなたが積み上げた努力が、人を救いました。
“静かに生きる”というのは、“孤独であること”と同義ではありません」
……そう言われると、なんか、否定できない。
「……でもなぁ。俺はただ、静かに暮らしたかっただけなんだよ……」
「ならば、静かに繁栄しましょう」
「語感がヤバい」
──俺の理想は、誰にも迷惑かけずに、静かに生きることだった。
でも──
気がつけば。
小さな集落ができつつある、その中心に。
なぜか俺が立っていた。
「やっぱこれ、どう考えても流れおかしいだろ……!?」
叫びながら空を仰いだ俺の上で、
カナが優しく微笑んだ。
「主。
──あなたは、“神”と呼ばれる器であると、私は思います」
──冗談じゃない。
俺はただ、けんちん汁と肉じゃがを作っただけだぞ!!
【第3話・完】
『過労死したら経験値カンストしてた俺、異世界でようやく評価される』
をお読みいただき、ありがとうございます!
本作は“静かに暮らしたい”だけの元社畜が、
なぜか異世界で拠点を作り、人が集まり、気づけば村ができてしまう物語です。
作者の別作品
『才能奪って成り上がる!無職の俺がヒロイン達と社会を支配するまで』
も、もしご興味がありましたらぜひ覗いてみてください!
日常ギャグ×スキル×超個性ヒロインズによる社会破壊系ラブコメです。
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