第24話「恩と責任と……二千人」
シュン、ギル、ガリウスは、鉄峰連合の王の前──交渉の卓についた。
石床は冷え、磨かれた長机には古い傷が走り、壁際の燭台がぱちぱちと油を弾いている。
息を潜める近衛の鎧が、わずかに鳴った。
王の背後にはガリウス。
鉄で組まれた影のように、ただ立っているだけで空気が重くなる。
長机を挟み、俺とギルが正対して座る。
向かいのギルは、微動だにしない。片頬を横切る大きな傷跡が、乾いた谷みたいに沈んで見えた。
(てか……このギルっておっさんもこえぇ……
顔の傷、冗談みたいにデカいんだけど? え、刃物で地図でも描いた?)
(クーの野郎、どこでこんな“喧嘩のやり方を顔が覚えてるタイプ”拾ってきたんだよ……!)
(よりによって俺の正面に座らせる? それ、勇者の配置じゃなくて生贄の位置だよな?)
正直、足先からガクブルだ。
けんちん汁を売りに来ただけのはずが、気づけば国家間交渉のど真ん中である。
庶民の営業スマイルで乗り切れる温度じゃない。ここ、摂氏マイナス外交。
転生前に見た芸人の言葉を借りるなら──
(なんて日だ!?)
視線が泳ぐ。逃げ場を探す小動物の目で、俺はそろっと玉座を見る。
王と目が合った。白銀の髭に陰影が落ち、瞳は深く静かだ。
国王は、ふっと微笑んだ。
思わず俺も、条件反射でにっこり返す。営業用フルオート。
──次の瞬間、笑みがすっと消える。
王の顔つきが、氷の面を被るみたいに凛としていく。
空気の密度が一段、重くなった気がした。喉が鳴る。
(切り替え速っ! 仕事の顔! これはもう“会議じゃなくて裁定”の声が来るやつだ!)
王が口を開いた。
低く、石壁に吸い込まれるような声で。
「……客人よ。ここは剣を置き、言葉のみを交わす場である。
だが、言葉は剣より深く刺さる。──心得よ」
(はい怖い。はい了解。心得ます。言葉、今は刺さらない柔らかいの限定でお願いします!)
(ていうか俺の武器、けんちん汁なんですけど!? “汁物は武器に含まれますか”の条項どこ!)
燭の火がまた弾け、蝋が落ちる音がやけに大きく響いた。
俺は背筋を伸ばす。伸びたところで何も強くならないのは知っているが、姿勢だけは交渉力っぽい。
向かいのギルが、ほんのわずかに顎を引いた。目が笑っていない。
(うわ、目で殴ってくるタイプ……! こっちは見つめ合うとスープになるタイプなんだけど!?)
長机の上、俺の指先は布の縁をつまんだまま固まっている。
国王の視線、ガリウスの威圧、ギルの無言。
三方向から静かな圧が押し寄せ、心臓だけがやたら仕事熱心に動いた。
(深呼吸。いけるいける……いや、いけない気しかしないけど、いけると言い聞かせるのが俺の唯一のスキル)
(お願いだから今日だけは、“けんちん汁の話題で和む奇跡”とか起きてくれ)
「報告はすでにガリウスから聞いておる……」
王の声は深く、広間に低く響いた。
「シュンとやら……国を救って頂き、感謝の言葉もない。……深く、私からの謝意を捧げよう」
国王はゆるりと席を立ち、玉座の上から身を折った。
玉座にある王が、頭を垂れる。
その一挙手一投足に、場の空気が張りつめる。
(ちょ……王様が頭下げるとか反則……! 俺どうすりゃいいんだ!?)
混乱のまま、釣られるように腰を折る俺。
額が机にぶつかる勢いで、深々と。
国王が「すぐにお上げくだされ」と言えば、俺も「いえいえそちらこそ」と返し、さらに下げる。
まるでサラリーマン同士の名刺交換のエンドレスお辞儀。
上下に揺れる二人を見かね、ガリウスが重々しく咳払いをした。
「……お二人とも、その辺りで。話を進めましょう」
低く太い声に、空気が再び緊張を取り戻す。
国王は姿勢を正し、机に視線を落とした。
「して……ギル殿よ」
王の声色が硬くなる。
「今回の侵攻、並びにこれまでの戦。……申し訳ないが、和平により免除とは、当然ながらならぬ」
その言葉を受け、ギルは苦い笑みを浮かべ、肩をすくめた。
「……まぁ、当然だな」
一拍置いて、彼は静かに続ける。
「俺はかまわねぇ……だがよ、セザールの民と、ここに連れてきた兵士たちだけは……どうか、見逃してやってくれねぇか?」
その声音には、普段の荒削りな響きとは別の重みがあった。
「俺らは元々、傭兵の寄せ集めだ……戦で食って、戦で生きてきた。だがな……セザールの民は違う。あいつらは……戦に巻き込まれて、行き場をなくした連中ばかりだ。
あんたらがアステリオンと戦に明け暮れて、その余波で居場所を失った奴らなんだ。……せめてあの連中だけは……なぁ、なんとかしてやれねぇか?」
王の瞳は深く、しかし揺らがなかった。
「……言葉は理解した。だが、我らの立場では『許す』とは軽々しく言えん。民も兵も、納得はすまい」
そこで、王はゆっくりと視線を移す。
向けられた先は──俺。
「シュン殿は、どう思う?」
「……俺、すか?」
王は重々しく頷いた。
「正直に言えば、今の訳を聞いてもなお、私は立場上“赦す”と口にすることは出来ぬ。だが──」
その声音が一段低く沈む。
「聞くところによれば……ギル殿は、貴殿に下ると口にしているそうではないか。
ならば、我らが裁くべきは、もはや我が手にはあらず。……一応、尋ねておきたい。シュン殿──そなたはどう考えておる?」
「……………………………………へっ?」
あまりに予想外な方向転換に思わず間抜けな声が出る
(俺!? そんな重い話いきなり振るなって!
“下る”って何!? それつまり、国ごと俺の下にって意味か!?
いやいやいや! 民がこれ以上増えたら、絶対めんどくさい未来しかないから!)
俺が顔を引きつらせて固まっていると、向かいのギルが椅子を蹴りそうな勢いで立ち上がり、深々と頭を下げた。
「──シュン殿! 頼む!」
「い、いや……──」
思わず否定の声を出しかけた瞬間、王の重い声が遮った。
「シュン殿の一任に、鉄峰連合は任せるという話で纏まっておる」
その声音に、場がさらに張り詰める。
「正直なところ……我々は、貴公の実力を計りかねている。
だが──ガリウスの言葉が誠であるなら、貴公と争うことだけは避けたい。
そして何より……我らには恩がある」
(な、何それ……断れない奴ですやん!?
“恩がある”って、最大級に逃げ場塞いでくるパターンじゃん!
辞めてー! マジで辞めてー!!)
必死に笑顔を貼り付けつつ、俺は恐る恐る口を開いた。
「で……でも……住む場所とか……そもそも何人ぐらいいるんでしょうか……?」
ギルは腕を組み、しばし考えるように目を細めた。
「うちは首都を持たず、あちこちの拠点で散り散りに暮らしてきた。……集めれば、二千はゆうに超えるかと」
(はい無理! 絶対無理! けんちん汁のキャパどんだけあっても足りねぇよ!)
その横で、ガリウスが顎に手をやり、静かに言葉を落とした。
「住む場所か……しかし鉄峰連合の領土内で、一度旗を掲げたセザール国。
そのまま放置というわけにもいかぬ」
王も腕を組み、重々しく頷く。
「……流石に恩人といえど、国土を切り渡すことはできん」
(だよなぁ……そりゃそうだよなぁ……! 俺に丸投げとかヤメテ!)
思考がぐるぐる空回りする中、俺は恐る恐る、知っている唯一の地名を口にした。
「……き、禁忌の森……とか……?」
次の瞬間、場の空気が一変した。
全員の視線が一斉に俺へと突き刺さる。
「……!」
「なんと……」
王も、ガリウスも、ギルですら、目を見開いていた。
ガリウスが重々しく呟く。
「……確か、クー殿と出会ったのも禁忌の森だったな。
彼女が詳しいかもしれん。だが……あの森は何処の国も手を出しておらん。危険が多すぎる。……住めるとは思えんが」
するとギルが、何かを思い出したように声を上げた。
「そういや……あの森に足を踏み入れた時、住んでる奴らを見たんだ」
「住んで……いた?」
ギルは頷き、苦笑交じりに語る。
「あぁ……ただもんじゃなかった。
主婦が包丁で木を切り倒してたり……ガキが岩を丸ごと動かしてたり……。
今にして思えば、あの異常さ……クーもあの森の出なんだろ? 納得がいくわけだ……」
重苦しい沈黙が広間を満たす。
その沈黙の真ん中で、俺の胃だけがぎゅるぎゅる悲鳴を上げていた。
【あとがき小話】
作者「いや……昨日投稿しとるやん……
わかるよ? みんなが言いたいこと……
**『水曜日に投稿って言ってたのに、火曜日してんじゃん!』**って……
でもさ……
俺の心境になってみてよ、読たん……
昨日の俺さ、疲労具合的に“水曜日”だと思い込んでたのよ……
そしたらさ、
今日が水曜日だったのよ!?
つまり……1週間が1日増えたのよ……!
精神的ダメージ、えぐいのよ……ッ!!
えっ?
「曜日わからない方が悪い」って?
「普通カレンダー見るでしょ」って?
──ふっ。
じゃあ……クーちゃん、解き放つぞ?
読たんたち、全員よだれまみれにされるからな!?
ともかく、昨日の投稿は完全に誤爆です。はい。
でもまぁ……
今日も投稿するんだけどね☆




