第13話『そもそも肉体の概念を壊せばいい──とか言ってる奴が出てきた件』
「首領……この女……どう扱いましょう?」
斥候の一人が、気まずそうに視線を向けてくる。
セザール国・首領ギルは、騎馬の上から小柄な獣人の少女をちらりと振り返った。
自軍の筋肉傭兵どもに囲まれたその少女──
妙に明るく、ぴょこぴょこと歩きながら、尻尾をブンブン振っている。
その様はまるで──
“地獄へ向かう道をお散歩中の野生児”
「……あぁ。ありゃ中々のべっぴんだな。帰ってから楽しんだ後、高く売れりゃ上出来だろ」
ギルは肩をすくめる。
「幸い……なんか頭も悪そうだしな。素直で言うことも聞く」
そう呟いた瞬間、少女がにこっと笑ってギルと目を合わせた。
「クーは早く肉を食べたいのだっ♪」
「クー、っていうのか……まぁ、いい。大人しくついてくれば肉ぐらい食わせてやるよ」
クーは嬉しそうに、スキップ混じりに歩く。
その無邪気さに、部下の数名が少し引いていたが──
ギルは気にしない。
むしろ口元には、うっすらとした笑みすら浮かんでいた。
(頭の悪そうな奴も一匹釣れたし……案外、悪くねぇ収穫かもな)
──そう、この時までは。
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やがて視界の先に、木柵で囲まれた拠点が姿を現した。
「……おお、建ってやがるな。中継基地か」
荒野に突如として出現した要塞じみた施設。
数日前には存在すらしていなかったそれが、まるで根を張るように展開されている。
セザール国の強み──それは、こうした“即席戦場運用”にあった。
元傭兵・流れ者・元犯罪者。
各地から流れ込んだ“戦場の猛者たち”をまとめあげ、規律の代わりに即応力と流動性で支配する国家。
前線を押さえるより、拠点を捨て、別の場所を襲う。
そのたびに基地を建て、補給を繋げ、陣を広げる。
あらゆる戦地に“遊撃型拠点”を出現させながら、
正規軍の背後を突き、鉄砲連邦を少しずつ蝕んでいた。
ギルの戦略は、“風を読む”に近い。
・正面からぶつからず
・敵の出方を見てから動く
・勝てる時だけ、全力で狩る
その柔軟な指揮力と、冷静な撤退判断はセザール国の“攻めながら逃げる戦法”の要だった。
「鉄砲連邦が軍を率いて潰しに来ようが──拠点は捨てりゃいい。逃げた先で、別の場所を喰えばいいだけだ」
そして──
ミノタウロスとの和平・共闘路線が成立した今、
セザール国は一気に戦力を膨張させていた。
──あの獣人族は、どこにも与せず、独立独歩を貫いてきた。
それが今、戦中のタイミングで“セザールとだけ”手を組んでいる。
これは鉄砲連邦にとって、かつてないほど“予測不能な一手”だった。
ギルは満足げに顎をさすった。
「……仕上がってきたな」
目前の戦局は、確実に“傭兵国家”が優位を築きつつある。
あとは一気に駆け上がるだけだ──
そのはずだった。
後ろでは、尻尾を振りながらクーが小石を蹴って遊んでいた。
「おにく〜♪おにく〜♪クーははやく たべたいのだ〜♪」
……地獄の足音は、まだ誰も気づいていない。
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一方その頃──
戦場は、沈黙に包まれていた。
屍が折り重なり、倒れた兵士たちからは生気が抜け落ちていく。
中央の魔法陣から生まれた黒き球体は、ゆっくりと人型へと変貌していた。
(なんなんだ……こいつは……)
ガリウスは巨斧を握り直す。
肌が総毛立つ。
全身が、本能的に危険を訴えている。
──直感が告げていた。
「これ以上、待ってはならない」
「第七戦技ッ──《断空覇斬》!!」
怒声とともに、ガリウスの巨体が“消えた”。
地を蹴ったはずなのに、その姿は視認すら不可能な速度へと移り──
次の瞬間、黒い人型の頭上に出現。
斧が空気を裂き、唸りを上げながら、真っ二つに叩き割らんと振り下ろされた。
──これが、《第六戦技》。
それは英雄のみが踏み込める領域。
“六”を超える戦技は、もはや常人には到達できない“至高の一撃”。
技名を持つ戦技の中でも、別格。
ドワーフの武人たちにとっては“夢”であり、“証”であり、“神話の一端”ですらあった。
しかし──
ガァァン!!!
その一撃を、黒き存在は“化け物の姿”へと変貌し──
爪のような腕で、真正面から受け止めた。
「痛いですねぇ……」
空気が凍りついた。
それは、低く、滑らかで、人のものとは思えぬ声。
「目覚めて早々……いきなりこれとは、いやはや……とんだ歓迎ですよ?」
ガリウスの腕ごと、大斧が跳ね返される。
全身を軋ませながら、彼の身体が宙を舞い──
後方の岩肌へと叩きつけられた。
「ッ……ぐ……!」
骨がきしむ。血が滲む。
それでも英雄は、立ち上がる。
相手は──“受けた”のだ。《断空覇斬》を。
しかも、まともに、無傷で。
「……お前は……何者だ……?」
ガリウスの問いは、唸りのようだった。
「召喚陣から出た……悪魔か? それとも……」
一瞬、思考を拒絶しかける。
「まさか──魔王……!?」
思い出したくもない名だ。
数百年前、世界を焼いた存在。
多くの王国を滅ぼし、討伐のために種族を超えた連合軍が組まれたという“古の災厄”。
それが、また目の前に──?
だが、黒き者はそれを聞くと──
「魔王、ですか?」
一拍の間の後、滑らかに笑った。
「──あぁ、いい響きですね、“魔王”。」
足音もなく近づきながら、その異形は酔いしれるように両手を広げた。
「この身体……この力……不可能ではない気がしますよ?」
その姿は、完全に人ではなかった。
肉体は黒い靄に包まれ、輪郭が曖昧で、
だがその奥には理性を持った“人格”が宿っている。
──それこそが、最も恐ろしい。
理知を持った災厄。
“目的”を持った破壊者。
その瞳が、ただ“破壊”の衝動ではなく、明確な“意志”を宿していることが──
何よりも、恐ろしかった。
(──やばい。こいつ、“ただの怪物”じゃねぇ)
再び、全身が悲鳴を上げる。
ガリウスは再び巨斧を構え直す。
だが、胸の奥に浮かぶのは──“確信”。
(──これは……本物だ)
ガリウスの背筋に冷たいものが走る。
だが、その目にはまだ炎が宿っていた。
「……なら、ここで討つしかない」
呼吸を整える間もなく、彼は斧を握り直す。
「──戦技、発動」
呟くように唱える。
戦技とは、本来、詠唱を必要としない“即応の技”。
だがその分、意志と集中力が鍵を握る。
詠唱を叫ぶことで威力は跳ね上がるが、手の内もバレる。
(さっきの《断空覇斬》……あれを奴は“全力”と見たはずだ)
ならば──
その先にある“別の一撃”が、まだ見えていない。
そこに勝機があると、ガリウスは読んだ。
無詠唱のまま、身体強化の戦技を連続で重ねる。
脚部強化、腕部強化、視覚拡張、反応速度補助──
一つ一つが、高速で脳内から神経へと走り、肉体を“戦闘特化”へと変貌させていく。
「──行くぞッ!」
巨斧を大きく振り上げ、一歩で間合いを詰める。
黒き化け物は、それに呼応するかのように拳を構え──
ガァン!!!
激突。
拳と斧がぶつかり合い、地面に走る亀裂が視界を裂く。
「いイイイイイイイィィィィィィィィ!!!」
突如、異様な奇声を上げる黒き存在。
「これです! これこれこれこれ!!」
拳を軋ませながら、まるで歓喜に震えるように跳ね回る。
「英雄! ガリウス! 流石ですとも! あぁ、人間の身でこれと渡り合っていたとは……理不尽極まりない!!」
──その瞬間。
ガリウスの斧が弾かれ、腹部に拳が──
「ぐぉっ……!」
ずしりと、臓腑に響く鈍音。
ガリウスの膝が地をつく。
「──けれど今や……その理不尽を押し付けているのは……私の方なんですがねぇッ!!!」
そう吠えた異形は、片手を伸ばし──
ガリウスの頭を鷲掴みにした。
「ッ……!」
力強く、鉄のような圧力が頭蓋にのしかかる。
そのままガリウスの巨体を片手で持ち上げ、宙に掲げる。
「この語り口……“弄る”だの“肉体の限界”だの……」
ガリウスは呻くように問う。
「……お前……まさか……リティスなのか……?」
一瞬、空気が凍った。
黒き存在が──ピタリと動きを止める。
そして、
「そうですとも♪」
──にやり、と笑った。
「まさか気づかれるとは。さすが英雄ですね?」
声色はかつての人間のものに近い。だが、言葉の熱が違う。
その口から漏れる“楽しげな知性”は、狂気そのものだった。
「人間の肉体をいじって強くする? 限界があったんですよ、えぇ、えぇとも!」
「──でもね、ガリウス英雄!」
「**“そもそも肉体の概念を壊してしまえばいい”**んですよッ!!」
振り上げたその手から、ガリウスを放り投げた。
巨体が空を描き、岩肌へと激突。
土煙が立ち上る。
黒き異形──リティスは、両の手を高く掲げた。
魔力が集中し始める。
「……ふふ、見せてあげましょうか。英雄と、世界に──」
掌の中心に光が集い、震える球体が生まれる。
「これが、“理”を超えた、新たな魔術式……!」
球体は膨張し始める。
明らかに、ただの魔弾ではない。
“核”にも似た、圧倒的な魔力の塊。
地面が低く唸り、空間が歪む。
──ガリウスが、血を吐きながら膝を押さえ、立ち上がる。
(このまま……撃たせれば……全滅だ……!)
歯を食いしばり、巨斧を引き寄せる。
全戦技、全魔力、全命──
それを込めてでも、この一撃だけは止めなければならない。




