第21話 【我、戻る。しかし――】
夢を見ていた。遠き日の追憶おもいでを夢見ていた。
地球上の日本という国で生まれて、清華な笑いに囲まれた家族がいた夢を。
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「じぃじ、朝だよ~、おきておきてー」
孫は、4歳だ。孫娘だ。
違和感を感じる。
なんで、なんで――、この当たり前が失った世界に夢見ていたのだろうか……?
違う世界にいた気がした。
目を開けると、孫娘の顔が覗き込んでいた。
「じぃじ、やっとおきたー、ご飯たべよー」
「■■■ちゃんは、可愛いやっちゃな、じいじは、野菜の手入れをしてから食べるが、手伝ってもらえるかな、小さな姫様よ」
アレ……、目の前の孫の名前が分からないわけではない、知っているつもりなのに、
■■■としか思い出せない。
――そもそも■■■とは名前なのか……?
「わたしも行くー、じぃじのお手伝いしたいー♪~♪~」
じいじと呼ばれているが、我の名前は■だ。
名前はペンキか何かの塗料で塗り潰されいる。
名前は、塗料で塗り潰せるものなのかとという問いは、解せない。
「トマトを朝ごはん分の取ることを■■■ちゃんに命じよう」
「とまと、すきー、おいしー」
「では、じいじも行くから、トマトハウスで大玉トマトを5個を採ってこようか」
「わーい」
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着替えを済まし、誰かと擦れ違う。
「■さん、起きていたのですか。顔色が優れませんけどどうかされましたか?」
「いや、悪い夢を見ていただけだよ、マイハニー♡」
■■さんだ、我の妻であり嫁である。肝心なことに嫁の名前も塗料で潰されていた。
どうしてだろう、違和感は止まらない。背筋から稲妻が走るように、ゾクゾクする。
「愚直な質問だが、名前は塗料で塗りつぶせるものなのか、■■■さん」
「■さん、まだ寝ぼけているのですか……? 確かに二日酔いなら、在り得るかもしれませんね……?」
二日酔いではない、でも、二日酔いなら在り得るのか。
「■■■ちゃんが待っているのでな、トマトハウスにちょっくら行ってくる」
「はいはい、わかりましたよ。くれぐれもお気をつけてくださいね。あの子は、元気過ぎますから、ね」
「マイハニー■■■よ、愛している。では、な」
わーきゃー、ほわー、きゃー。
中庭で孫娘が騒いでいる。庭に設置したブランコで遊んでいた。
たしか先日、トマトの収穫が黒字だったので、奮発して孫娘にプレゼントしたものだ。
AM〇ZONにて、特売セールで売っていたので奮発して、ホームセンターの業者に設置作業もやってもらった。
孫娘の嬉しそうな顔を見ると、買ってよかったと心から思える。
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靴を履き替え、中庭に出ると、「とまとはうすー、いこー」と笑顔でこっちへ孫娘■■■ちゃんが寄り添ってくる
どうして、どうして、どうして――。
名前が、出てこないのだろう。
どうして、どうして、どうして――。
どうして、どうして、どうして――。
どうして、どうして、どうして――。
「じいじ具合わるいのー?」
「大丈夫だよ、■■■ちゃん。じいじは、少しお酒を呑み過ぎちゃったみたいなんだ」
「ふつかよい、だぁあ!だぁー!ふっつかよい、だぁー! ふっつか、ふっつか、かよーいー♪~♪」
【二日酔い】という言葉はどこで覚えたんだ……?
君は、まだ四歳だろう……?
君は、まだ園児だろう……?
君は、まだ子供だろう……?
そんな君に、伝えたいことがある、心からの叫び。
【16年間の年を積めば、じいじとお酒が吞めるんだよ】
……ということを教えるのは野暮だったので黙ることにした。
「難しいことよく知ってるね、■■■ちゃんは、偉い~偉い~」
頭をそっと優しく撫でてやることにすると、■■■の顔がパァっと満面の笑顔に変わっていく。
可愛いな、と心の底から慈愛に満ちた感情が溢れてくる。
■■■ちゃんの名前は、何だろう……か?
ペンキに恨みはないが、恨みたくなる気持ちも理解できる。
「では、。とまとはうすに出発しんこーうー♪」
我らは、歩き出す。10メートル先の――、
【トマトハウス】へと歩き出す。僅10秒掛からず着くけどね。
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【トマトハウス 入口】
看板は、我が自作した。板ッ切れに張り紙して、木の棒に板ッ切れを釘で繋いで、
地面に刺しただけの単純な看板で、5分も掛からずに作ることが出来た。
トマトハウスのビニールで構成されている扉を開けると、数列にも連なるトマトの木がある。
木といっても茶色の木のように固くはないし、素手でへし折れる緑の木だ。
「にんむかいしー!!!だぁあ!とまと五個とるよぉお!!」
「頑張ってね、じいじは、ここで見守ってるよ」
孫娘がトマトハウスの中にて、大声でそう言うと、大粒のトマトをあちらこちらと探し回る微笑ましい光景が目に入ってくる。
生きてきてよかったと、肌で感じる瞬間だった。トマトを一生懸命もぎる姿は子供そのものだ。
◆◆◆◆
「五個以上とっちゃったあ!!」
カゴには20個の大玉トマトが入っている。大収穫だ。ミッションコンプリートもいいところだ。
今日の昼ご飯はピザでも作るかな、と思っていると、後ろの方で呻き声が聞こえてくる。
「タスケテクレ……、シニタクナイ」
黒い影がヒュウヒュウと煙幕のように上げている。
理解した。
理解した。
理解した。
◆◆◆◆
我は、もう、
死んでいたんだ。
孫娘ニ視線ヲ向ケルト、【黒い影】を纏っていた。
【ジィジ、ドウシタノ? アサゴハン、タベヨー、トマトデ、ゴハン、タベヨーヨ】
やめろ、ヤメロ、ヤメテクレ。
見たくない。もう、こんな現実は見たくない。
【ジィジージィジー、ドーシタノー!”#$%&’()!”#$%&’!”#$%&’アサゴハーン!!】
やめろ、止めろ、止めてくれ――。
【また目を背けるの? 現実を見ないふりするの? じいじぃ、答えろよ】
黒い影はもう孫娘ではないナニカだ。もうここには、我はいない。
死に体となった残骸が、後ろで喚いている。
〔現実に帰るかい?〕
誰かの声がする。
〔意識を研ぎ澄まして、目を瞑れば帰れるよ、野菜がない世界にね〕
そうだ。
〔野菜は、あの世界にはなかったものだ、君が持ってきたんだ。変えてくれ、世界を〕
全神経を研ぎ澄ます。目を瞑り、自動操縦モードへ移行する。
十を数える。
1、2、3、4、5、6、7、8、9、
10。
◆◆◆◆
目を開けると、《常盤木亭》のテーブルで魔獣の肉を食べていた。
「新作の魔鹿の黑スライムスープ、だよ、味はどーお?」
我は答える。
「とても美味しいね」
つづく。




