5話
「お前に頼ることなどない。二度と会うこともないだろう、さっさと失せろ」
【恩に着る……しかし今日はひとまずこれで。近いうちに連絡する】
「ええ、ご連絡をお待ちしております。それでは失礼いたします」
アレクシオに別れを告げ、怪我も治り軽くなった足取りで会場へと戻る。そろそろパーティーも終わるはずだ。
しかし広間へ向かう道中、人気のない廊下で男女がこそこそと密会している現場に出くわした。やはり若者ばかりが集まるパーティーともなれば、恋愛ごとになりやすい。恋人であれば二人で抜け出すこともあるだろうと、少し引き返して別の道を行こうとした時だった。
「リリアン……?」
聞き慣れた声で名前を呼ばれて立ち止まり、振り返る。見慣れた顔と目が合った。……密会していた男の方は元婚約者のエリオットだったようだ。
(ということは……お相手は……)
慌ててエリオットに寄せていた体を離し、怯えたようにこちらを見ているのが彼の想い人、オリヴィエだろう。
ふわふわと柔らかそうな海色の髪をした愛らしい顔立ちの令嬢だ。私とは正反対ともいえる雰囲気で、こういう可愛らしさがエリオットの好みだったのだと理解した。
「リリアン嬢……私は、その……」
「大丈夫だよ、オリヴィエ嬢。リリアンとの婚約はもう解消されているし、君との婚約は間近だ」
「エリオットさま……」
やはり婚約の話は進んでいるらしい。私としては喜ばしいことだ。これでエリオットは幸せになれるだろう。
私と居た時よりもエリオットの笑顔が明るい。……今の顔は作り物ではないはずだ。ならば、よかった。婚約解消の提案は間違いでなかったと安心できる。
「私のことはお気になさらず。どうぞお幸せに」
「……リリアン。不満なのは分かるが嫌味はやめてくれ」
「……嫌味ではなく心から祝福しておりますが」
「その顔でそんなことを言われてもな。心にもないことを言っているようにしか見えない」
私は自分の顔に触れた。相変わらず笑みの一つも浮かべられない顔だ。アレクシオとは違うが、私もまた自分の表情を自由に操れないのだからこれは仕方ない。
しかし二人の婚約が実現しそうなことを祝っているのは事実なのである。……エリオットには嫌味に聞こえるらしいが。
「私は君に対して誠実だった。オリヴィエ嬢との付き合いも、これまでは友人でしかなかったよ。誤解しないでくれ」
「ええ、分かっております」
本音が見えないのでこれは事実だ。私は頷いたがエリオットは焦ったような表情を浮かべている。何をどう話しても伝わらない。私たちは六年もの間婚約していたが、彼は常に表面を装っていたし、心を通わせたことはない。
だからこそ本当の私がどういう性格なのかエリオットには理解できておらず、祝福の言葉も疑って不安になるのだろう。
(婚約者がありながら他の令嬢と心を交わしていたなんて話はよくあるけれど……そんな噂を流されたら、オリヴィエ嬢との婚約を他の家に取られかねないものね)
次期公爵であるエリオットの醜聞を消し去るためオリヴィエとの結婚は許されず、泣く泣く手放すことにもなりかねない。三大公爵家は対立しているし、ノアレイン公爵家も敵の付け入る隙などつくりたくないはずだ。彼はそれを恐れて必死に言い訳をしているのだと思う。
「……もし余計なことをしたら、その時はグレイシー家を……」
「楽しそうな話をしているな」
【くだらない話に邪魔をするぞ】
エリオットが何かを言いかけた時、隣から割って入る声があり、私は横に並んで立ったアレクシオの顔を見上げた。……立ち話が長かったせいで、先に戻ったはずなのに彼が追い付いてしまったようだ。
「あ、アレクシオ殿下……! いえ、これは、その、身内の話でして……もう終わるところでした。それでは失礼いたします」
【まだ話はあるがオリヴィエ嬢を好色王子から逃がすのが先だ!】
女好きと噂のアレクシオからオリヴィエを隠すように背後に庇う姿は健気と言えるかもしれない。そのままそそくさと彼女を連れてエリオットはいなくなった。
王族に対して不敬ともとれるが、アレクシオと関わりたくない貴族の対応はこのようなものである。……本当に、苦労しているはずだ。
「殿下のご心労をお察しいたします」
「お前は楽しそうで羨ましいな」
【お前こそ大変だろう。大丈夫か?】
彼の本音はとても優しい。いつも取り繕われた表面とは違う本音を見て、それが嫌だったけれど彼の思いを見るのは穏やかな気持ちになる。
本心から気遣われているのが伝わってくるのに、嫌な気になるはずもない。
「ええ。おかげさまで……殿下と話すと落ち着くようです」
「よく言われる。まあ当然だがな」
【そんなことを言われたのは初めてだ……】
世辞でこう言われることはあったかもしれないが、それはアレクシオの表面の言動に対してだ。彼も自分に言われたとは思えなかっただろう。
アレクシオは満足そうな顔をしているが、その指は不自然に耳の裏をかいていた。表情は呪いのせいで彼の感情を表しているとは限らないが、耳の裏をかく動作はもしかすると照れているのかもしれない。
「一緒に戻るか?」
【先に戻れ、一緒にいるのは見られない方がいい】
「そうですね、今度こそ失礼を」
女好きと噂のアレクシオと、婚約を解消したばかりの氷姫が一緒に会場へと戻ればどんな噂が立つか分からない。そう配慮してくれているのであろう彼と別れて一人で会場へと戻った。
まもなくパーティーは終わり、魔動車に乗って帰宅する。我が家の車は良質な風の魔石を使っているため揺れは最小限かつ、移動速度も出るので家まで一時間と掛からない。
(……そんなに悪い気分でもないわね)
家から出る時はパーティーで人の建前と本音を見せられ続けて疲れるはずだと思っていたが、実際にはそうでもなかった。アレクシオという人間との出会いがあったおかげだろう。
私よりもずっと不遇な彼を、生きていく上で邪魔だとしか思えなかったこの力でなら救えるかもしれない。
(とりあえず連絡を待ってみましょう。文字なら素直に書けるという話だし、手紙でも届くのかしら)
そして家に戻ったのち、家族にもアレクシオと出会ったことは伝えたが、あまりいい顔はされなかった。……彼の評判は皆が知っているので予想通りの反応ではある。
「それは、疲れただろう。あの方はあまりいい噂がないからな」
「いえ。……そうでもありませんでした。あの方は……そう悪い方でもございません」
勝手に呪いの件を広めてはまずいと判断し、詳細は話せなかったせいか娘を心配する父は黙り込んでしまった。例えば「騙されているんじゃないか、目を覚ませ」と思いながら「そうか」と肯定すれば、考えていることが私には見えてしまう。
……こういう時、私の家族は無言を選ぶのだ。そうすれば私に考えが筒抜けになることはないから。
「……今日はもう休みなさい」
私も呪いのことを伏せたまま上手く説明できる気はしない。結局そのままアレクシオの話題が出ることはなく、一週間が経った日のことだった。
朝、一通の手紙が届く。その内容は、シルトリア王国第四皇子アレクシオから、グレイシー侯爵家のリリアンに対する婚約の申し入れであった。
傍から見てるとアレクシオとリリアンってすごく険悪な会話してそうですね…