4.5話 アレクシオ
アレクシオはある日突然自分の思っている通りのことを話せなくなった。
「アレクシオ殿下は治癒魔法をお持ちですか! さすがです! しかもこんなに早く魔法を発現するなんて天才に違いありません!」
転んで腰を痛めてしまった側仕えに触れ、その痛みが治れば良いと願った時だ。六歳という年齢で魔法を発現するのはかなり早い。そして発現の早さは魔力が多い証でもある。
秀でた力であるのは事実かもしれない。それにしても側仕えが褒めすぎるため、それを止めようと口を開いた。
「当然だ、もっと言ってくれ」
「そんなことはない、そろそろやめてくれ」と言おうとしたはずなのに口が勝手に動く。自分でも訳が分からなかったが、側仕えはその言葉通りアレクシオを褒め称え続けた。
(なんで、言葉が変になる……?)
それを周囲の大人に伝えたかったが、それすらもねじ曲がった言葉として放たれてしまう。子供からすればそれは恐怖でしかない。叫んで助けを求めると、それは傲慢な声となって周囲に伝わってしまう。
(ちがう、こんなことが言いたいんじゃない。言葉がおかしいんだ!)
「これからは素直な自分であると決めた。もう我慢なんてしないぞ!」
この現象の恐ろしいところは、会話がちぐはぐにならないこと。思っていないことを口にするのに、会話は成立してしまうのである。
「治癒魔法を手に入れたからと傲慢が過ぎます。考え直しなさい、アレクシオ」
(母上、違うのです。上手く話せないだけなのです)
「考え直す必要などありません! おかしいのは母上です!」
「なんと愚かな……! 末の子だと甘やかしすぎましたね。反省するまで部屋から出てはいけません!」
(母上! 私がおかしいことに気づいてください!)
「私は間違っていません! 何故ですか母上!」
言葉が変わって伝わらないことが恐ろしくて泣き叫びたくとも、出るのは怒声ばかり。周囲には「偉大な魔法を手に入れたのに不当な扱いをされていると怒っている」としか思われない。
泣いてばかりいても部屋からは出られない。鏡を見て気づいたが、表情ですら感情とは違う方向へと動いていた。
部屋に閉じ込められ、自分の異変が恐ろしくてたまらないのに、鏡には笑顔の自分が映って悲鳴を上げる。……しかし、耳から聞こえたのは笑い声だった。
(顔も声も、いうことをきかない……これは呪い、なのか……?)
とりあえず喋らないようにすれば余計なことは言わないので、黙り込んでいたらしばらくして軟禁は終わった。そして反省し勉学に励むようにと教師をつけられたが、人と関われば話さない訳にはいかなくなる。
当然勉強も進まなかった。返事をすれば反対の意味になり、返事をしなければ付け上がっていると叱られお仕置きとして部屋に閉じ込められてしまう。
なんとか文字の読み書きができるようになった頃にはアレクシオはすっかり悪童と呼ばれるようになり、それまでの関係はかき消えて、別の人間が近づいてくるようになっていた。
「治癒魔法をお持ちの殿下を冷遇するなど、あまりにも酷い。貴方は悪くありませんよ、殿下」
(いや、表に出る言葉を考えればあの判断は正しいのだ)
「よく分かっているじゃないか」
アレクシオの現状を嘆き慰めるような言葉をかけてくるのは、甘い汁をすするために媚を売る者ばかり。そしてそれを嫌がれば嫌がるほど、受け入れるような言葉を口にしてしまう。アレクシオの言葉を聞いて、従者たちもそんな相手を進んで招き入れるようになる。負の連鎖が続いていき、状況は悪くなるばかりだった。
(……そうだ、最初から嘘をつけばいいんじゃないか?)
言葉が逆さになるのなら、初めから思っていないことを言えばいい。……しかしその考えは間違っていた。
「よく来たな、待っていたぞ!」
国王や王妃を責め、アレクシオに同情するようなことばかり言う同世代の令息に嫌気がさし、帰ってほしかっただけだ。言葉が逆さになるのなら、初めから反対のことを言えばいいと思ったら、こちらは素直に口から出てきた。本心でない言葉ならいくらでも言えるらしい。
そして気づいた。……もう一生、自分の思いを口にすることなどできないのだと。
いっそのこと本当に性格が変わってしまえばよかったのに。魔法が発現してから十数年、自分の言葉が起こす出来事のすべてが苦痛だった。
来年で成人の二十歳となるが、おそらくそれを機に公爵という役割を与えられて遠方の領地に追いやられるだろう。幼い頃から魔法が発現していても婚約者はいないし、しがらみもなく簡単に地方へ送れるはずだ。
(この状態の私に言い寄るのはろくでもない家だけだろうからな)
実際、高位貴族の令嬢は一切近づいてこない。玉の輿を狙った下位貴族の令嬢が言い寄ってくるばかりで、断ろうにもこの口は誘いを否定できないのだ。
かといって黙り込めば、今度は周囲の取り巻きたちが「アレクシオの望み」を叶えようとお膳立てをしてしまう。どちらに転んでもアレクシオの意思とは違う結果を生んでしまう。
春の祝いの宴でも、そういう令嬢に声を掛けられた。断りたくても口は誘うような言葉しか出さないため、身を隠そうと無言で逃げたら勘違いした相手が追いかけてきてしまったのだ。ドレスを着ているのに足が速い。アレクシオは庭園の奥まで追い詰められてしまった。
(いつもこうだ。勘弁してくれ)
こうなってしまうとどうにか相手を帰らせようと説得するしかないのだが、アレクシオの口は意のままにならない。まるで令嬢を誘惑するような台詞ばかりを言う。
そしてその気になった令嬢が、抱き着いてきたらもう振りほどいて無理矢理逃げるしかない。……こうしてまた、弄ばれたという噂が一つ増えるのだ。
それでも仕方がないかと絡みついてきた令嬢を突き飛ばそうとした瞬間、がさりと葉がぶつかり合う派手な音が響いた。
「失礼、少々休憩をしておりまして……」
月明かりに照らされて輝く白銀の髪、透き通るように白い肌。薄明りしかない庭園でもはっきりとその姿が浮かび上がるようだった。
静かな青い瞳が、無感情にこちらを見つめている。スキャンダルを楽しむ風でも、この不埒にしか見えない現場に呆れている風でもない。
彼女の登場によって、アレクシオに絡みついていた令嬢はその素早い足を活かして即逃げ出した。
「いいところだったのに……」
本当に助かったと思っているのに口から出るのは別の言葉だ。助けられたのだから礼を言うべきだが、一体どんな言葉として出てくるやら。そう思いながらも恐る恐る感謝を述べる。
「余計なことをしてくれた」
しかしやはり、感謝の言葉など出てこない。表情も笑顔には程遠く、不機嫌を露わにしていることだろう。
礼の一つもまともに言えない己に自己嫌悪が湧き上がっていたら、その令嬢は悪態を吐かれたと言うのに顔色一つ変えずにアレクシオを見上げていた。
「感謝をしているならそうおっしゃればいいのですよ、殿下」
「……は?」
「先ほどの女性についても、はっきり拒絶なさればよろしかったのですわ。その気がないのに何故わざわざ人気のない場所へ来られましたの?」
心底驚いた。何故、彼女にはアレクシオの言いたいことが伝わるのか。今まで誰も気づいてくれなかったというのに。
……それが氷魔法を発現したことで知られ、傲慢な「氷姫」と呼ばれるリリアン=グレイシーとの出会いだった。
アレクシオからすれば希望の光に見えたでしょうね。
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