15.5話
アレクシオの世界はリリアンとの出会いから急激に変わりつつあった。自分の思いを掬い取ってくれる相手が一人いるだけで、こんなにも違うものなのかと毎日驚いている。
「殿下、本日のお召し物は……」
困ったように尋ねてくる使用人は、がらりと雰囲気の変わった衣服に困惑しているようだ。グレイシー家で仕立てた服が出来上がった後、そのままあちらの従者を伴って戻り、元から持っていた服を処分してもらった。
現在アレクシオの衣装室にはグレイシー家で仕立てた物しか存在しない。おかげで「品がない」とされる服は選びようがなく、大変気分がいい。
(さて、何を着てもいいが……自分で選ぶと気分とは別の物になるからな)
もし「これがいい」と選ぼうとすれば「これ以外にしろ」と言い、「紺色のものだ」と言おうとすれば「紺以外だ」と言うに違いない。
(しかし何を着るにせよ悪い気はしないからな)
「どれも趣味ではないのだから勝手にしろ」
「……氷のグレイシーが傲慢という噂は事実のようですね。王子たる殿下の服装にまで、このような狼藉……殿下が王へと訴えられない状況なのをいいことに、なんと横暴な」
アレクシオの周りにいるのはこのような者ばかりだ。表に出るアレクシオの性格に合わせておべっかを使い、肯定しかしない。だからアレクシオは自分の望みとは別の方向へと進むしかできなくなっていた。
だがリリアンは違う。本音を見抜く魔法を持つ彼女は、アレクシオが望む方へと進めるよう手を差し伸べてくれる。……なんという幸運だろう。その力を持っている相手が、善良な心の持ち主で本当によかった。
そしてリリアンと王妃の茶会の日がやってきた。
彼女を迎えに行きたかったが余計なことをする気だろうと王妃付きの侍女に邪魔をされ、降車場で待つしかできない。そんなアレクシオを監視するよう、侍女は片時も目を離さなかった。
この侍女には随分と目の敵にされている。王妃を傷つける悪魔とでも思われているのだろう。どうにか母に呪いのことを説明しようにも、ことごとく彼女に阻まれてきた。ここまで親子関係がこじれた原因の一端とも呼べるかもしれない彼女には苦手意識を持っている。
城へと到着したリリアンを、王妃が愛する温室へと送り届けた後、侍女からは早く帰れと言わんばかりに睨まれたためにその場を離れた。
しかし合図があればいつでも駆けつける約束をしている。魔動具の指輪に触れながら、近くの東屋で待機していた。
(……リリアンが心配だ)
本音を見る魔法を持つ彼女しかいないと縋ったはいいものの、その能力は危険性を孕む。口にしなければ嘘が分からないという制限を知っていれば明かす情報を絞ることは可能で、それを知らない政敵からの情報を探るのには非常に便利な力だ。まだ他に知る者の少ない能力であり、今後明かす予定もないのだから味方に引き入れて利用したいと思うはず。しかも貴重な氷魔法の遣い手でもある。……危険分子と判断し処分するにはもったいない。
(母上は正しい人だ。だから私にも厳しい。……悪道に落ちた私と企みがあるのだと、そう判断されなければいいが)
母は王妃として正しい選択をするはず。長らく関わりが薄れていてもそう信じているからこそ、リリアンにも協力を依頼できた。
それでもどこか不安になりながら待っていたところで合図が来て、アレクシオは大股に歩きながら温室へと向かった。その扉の前にいた侍女には止められたが、今日ばかりは大人しく戻るわけにもいかず突き進む。
「お待ち下さい、アレクシオ殿下! 王妃陛下に非礼ですよ!」
「わたくしが許可したわ。この者の席を用意して下がりなさい」
王妃のその言葉で、リリアンの説明が上手く進んでいるらしいことを察して安堵した。そうでなければ数年まともに顔を合わせていない王妃が、アレクシオの同席を許すはずがない。
(機会をくれてありがとう、リリアン。……ようやく、母上と話ができる)
筆談とリリアンからの補足のおかげで、王妃の誤解は解けた。ただこれまでの行いの評価で、アレクシオの僻地行きはすでに決定事項のようだ。自分自身はそれでも構わない。この呪いでは陰謀の中心地ともなる王都から遠く離れた地の方が過ごしやすいだろう。
……ただヴィアトレイほど遠く、暑さの厳しい土地であったのは想定外だったし、リリアンがそこへ共に行くことに躊躇いなく返事をしたのも予想外だった。
(……まさかここまで覚悟を決めていてくれたとは……)
リリアンの答えには王妃も感心したのか、自ら装飾品の下賜をするほどだった。新しく作らせた装飾品を贈ることは多々あっても、自分が気に入って使っている装飾品を贈ることは滅多にない。遠目にしか王妃を見なかったアレクシオでも彼女がよく使っているものだと知っているくらいなので、リリアンがそれを与えられたことに皆が驚くだろう。
(この感謝の気持ちを、どう表したものか……)
アレクシオはリリアンに感謝している。彼女に出会わなければ、こんな日は訪れなかった。
だからこそ膝を突いて感謝を示したのに、アレクシオの口は決して彼女に「ありがとう」とは言えない。
「お前は本当に迷惑だな、お前がいなければよかったと心底思う」
自分の耳に入る醜い言葉に吐き気がする。何故、恩人に礼の一つすら言えないのかと。改めて紙に言葉を記しても、胸にのしかかる重苦しさは消えなかった。
魔法を授けられた時点で体には支障が出る。その消えない障害を呪いと呼ぶのだ。アレクシオは死ぬまでこの呪いと付き合っていくしかない。……リリアンも、いつかは嫌気が差すのではないだろうか。
(それは……怖いな)
彼女はアレクシオにとって救いだ。リリアンだけがアレクシオの本音を正確に知ることができる。本音を見せられる、見てくれる唯一の相手。リリアンと過ごしている時だけ誤解を恐れる必要もなく、会話を楽しむことができた。……それがこれまでの孤独を、どれほど癒してくれたことか。そんな彼女に嫌われ、呆れられるのが心底怖い。
「私にとっては人の本音が何よりも重要です。表の言葉は、人の本質ではありません。……ですから、アレクシオさまは私にとってはとてもまっすぐなお方。貴方の本音はいつも優しくて、貴方と話せる時間は心地よいです」
だがリリアンにとってもアレクシオとの会話は特別なものであるらしい。本音が見えるからこそ、他人に思うところがある。彼女からすればアレクシオが表に出している言葉は気にならず、話すことを楽しんでくれているようだった。
(……そうなのか……それは、よかった)
自分だけが満足しているのではなかったのだと、ほっと安心した時だった。アレクシオの視線の先で、まるで春の雪解けと共に蕾が綻んだ花のような微笑みが浮かぶ。
「私はアレクシオさまのお人柄が好きですよ」
彼女は人の表裏を見続けたことで傷つき、表情が動かなくなったと言う。その動かぬ顔に氷人形、氷姫だとあだ名されるほど彼女には表情がなかったが、それでも声の雰囲気などから感情は伝わってきていたので気にしたこともなかった。
そんな人がアレクシオと過ごすのは心地よいと言って、初めて美しく笑ってみせたのである。
(これは……これは、反則じゃないか……?)
ドッと音を立てるように激しく鼓動する心臓に、その感情を自覚して熱が集まる顔を覆った。
今、自分はどんな顔をしているだろう。恐らく感情と反して醜い顔をしているから絶対に見せられない。……経験がなくとも分かる。この熱を人は恋と呼ぶのだ。
アレクシオ、陥落。
残り四話で終わる予定ですが、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです…!