10話
仕立て屋とのやり取りで話し疲れた私たちは、お茶を飲みながらゆっくりと休憩を取ることにした。
「こんなにも意見が通らなかったのは初めてだ。お前がいるとままならない、仕上がりが不安になるな」
【お前のおかげで初めて仕上がりを楽しみに待てる。ありがとう】
そのまま普段の仕立ての様子を聞くと、アレクシオの逆さ言葉に側仕えや取り巻きなどが「さすがです」「素晴らしいセンスだ」などと褒めたたえるせいで、仕立て屋もこれがアレクシオの望みだと思ってしっかり好みと反対の服を作ってくるらしい。しかし注文通りの服を作った仕立て屋を叱責できるはずもない。そして仕上がった服がどれほど気に食わなくても口からは褒め言葉が出てくるという。
「お前と出会ってから毎日最悪だ。こんなにも重々しい気分で過ごしたことはない」
【今は希望が持てるようになって、日々が楽しく思えるのだ。ありがとう、リリアン嬢】
「いえ、お役に立てたなら何よりで……殿下、どうなさいました?」
「……なんでもない」
【感謝すらまともに伝えられず、申し訳ない……】
何故か急にうさんくさい笑顔を浮かべたためどうしたのかと尋ねてみると、感謝を伝えたくともそれを言えない自分が嫌になったようだった。
自分の気持ちを伝えられず、必ず別の意味の言葉になってしまう。その呪いが与える心の負荷は、根が正直な者ほど辛いだろう。
「殿下、私にはしっかり伝わっております。神からの祝福により誤ることなく正確に。ですから心置きなくお話しください」
常に本音が見えているアレクシオは誰よりも分かりやすい。本人の意思で嘘を吐くわけでもなく、彼自身は素直に話そうとしているのも分かる。だから私にとって彼は正直者で素直な人だ。
「はは。私と話すと楽しいだろう?」
【しかし私と話すのは疲れないか?】
「いえ……以前も言いましたけれど、私は殿下と話す時が一番落ち着きます。それに殿下は……本音を見られたくないとは、思わないでしょう?」
嘘を吐けば本音が分かってしまうこの力を知っていれば、嘘の混じった言葉を使えないことを面倒だと感じることもあるだろう。
(こんな力を持っていても大事に想ってくれる家族がいて恵まれているけれど……私と話すことに、疲れることもあるはずよ)
嘘は何も自分のためだけに使うものではない。相手のための思いやりや慰めの言葉ですら、本心と少しでも違えば本音が浮かんで見えてしまう。だからそういう時、私の家族は無言を選ぶ。
私のこの力は心の中を直接覗けるわけではないため、本音を知られたくない場合は口を閉ざすだけで隠すことができる。そして私は、言えない、言いたくないことがあると知って、ある程度を察してしまうのだ。
「本音を知られたいはずがないだろう」
【本音が言えないからこそ知ってほしいと思っているからな】
「ええ。ですから……私のこの魔法を知っていても、会話に身構えることのないアレクシオ殿下とお話しするのは私にとっても気が楽なのです。だからこそ、婚約の話に驚きはしたものの抵抗はありませんでした」
貴族の結婚に恋愛感情は必要ない。しかしやはり信頼関係が築けるかどうかは重要だ。言葉の裏側にあるのが悪意ではなく、善意や好意のアレクシオの本音は見ていても嫌だとは思わないし、ある意味嘘がないので信頼できる。
エリオットと居た時は私を褒めそやす言葉の裏にあるものに心が重たくなった。アレクシオにはそれがない。
(私にとっては……アレクシオ殿下と共にあるのが一番いいのかもしれないわ)
人とここまで気楽に話せる日が来るとは思わなかった。彼と出会ってから、私自身が誰かとの会話に緊張し、ずっと身構えてきたことに気づいたほどである。それだけ今はくつろげていた。
「……おい。その呼び方だが、これからもそうしろ。婚約が決まったからといって馴れ馴れしく呼ぶな」
【その敬称はやめないか? 婚約することになったのだし、それでは距離があるように感じる】
「……それもそうですね。では……アレクシオさまと。私のことも身内らしく、リリアンと呼んでください」
「馴れ馴れしくするなと言ったのに……親しそうに見えるだろうが」
【ああ、ありがとう。お前と親しくなりたいからな、少し近づいた気がする】
結婚に恋愛感情は必要ないが、それは親しくならないという意味でもない。夫婦の仲が良ければ家の雰囲気は良くなるし、恋で始まらずとも親愛を育むものだ。割り切った家もあるだろうけれど、少なくとも我がグレイシー家は仲のいい両親で、私と弟は二人を見て育った。夫婦に信頼関係が必要だと私が強く思うのもそれが理由だろう。
「私は、アレクシオさまとは親しくなれそうだと思っております」
「そうか、私はそう思わないがな」
【私もそう思っていたところだ】
聞こえてくる声や表情は否定的でも、見える本音を好ましく思う。私は彼となら上手くやっていけそうだ。勿論、夫婦関係が良くとも取り巻く環境は厳しいだろうが――それでも、信頼できるパートナーがいれば乗り越えられる気がする。
(アレクシオ殿下と居れば……私はまた、笑えるようになるかもしれない)
今は動かぬこの顔は、精神的なものが要因である。この穏やかな気持ちが続けばいつかはきっと、氷が溶けるように、硬いこの表情も解けるのではないだろうか。
そんな私の元へ、ある日一通の招待状が届く。それは王妃――アレクシオの母親からの個人的な茶会の誘いであった。
五万文字くらいの短めのお話なので、この話で半分くらいですね。
沢山の応援ありがとうございます、後半もお付き合いいただけたら嬉しいです…!




