1話
「君だけを愛しているよ、リリアン。君と結婚できる日が楽しみだな」
今日は婚約者とのお茶会の日。我が家の談話室で、私は婚約者であるエリオット=ノアレインから爽やかな笑顔とともに愛の告白をされた。
【オリヴィエ嬢を愛している。リリアンとの婚約のせいで、彼女に結婚を申し入れることすらできないなんて……】
しかし私に見える彼の本音は真逆の内容を伝えてくる。小さくため息を吐きながら、持ち上げかけたカップを降ろした。
これは私に与えられた神からの祝福。嘘を口にした人間の本音が見えてしまう力。貴族とは見栄と建前で交流を図るものだが、この能力のせいで私はそんな交流が鬱陶しくてたまらなかった。
「私たちが婚約してもう六年ですわ、エリオットさま」
「そうだね。もうそろそろ結婚してもおかしくはないんだけど、君はまだ若いからもう少し待つよ」
【この冷たい女と結婚する前にもう少しだけオリヴィエ嬢との時間がほしい】
私たちの婚約は政略的なものだ。貴族には血筋によって神から与えられやすい魔法の属性があり、相性の良い属性の家同士で結婚してその属性を失わないようにしてきた。そのため魔法が発現し、持っている属性がはっきりしてからでないと婚約や結婚ができないと法で定められている。
エリオットの家であるノアレイン公爵家は三大属性のうちの一つで、水属性を司る。我がグレイシー侯爵家は水の眷属だが、稀に氷属性を持つ者が生まれる家系だ。……私はその、氷属性の魔法持ちとして周囲に認知されている。
(氷は貴重な属性だから、属性が分かると縁談が殺到するのよね)
我が国では貴族が生み出す属性を宿した魔法石が大きなエネルギー源であり、中でも暑い夏を快適に過ごし、食料を保存するのに有用な氷属性の魔石は価値が高い。しかし氷属性の持ち主はなかなか生まれないため、魔法が発現しその属性が氷であることが分かると取り合われるようになる。
大抵は十二歳から十六歳で発現する魔法だが、私の場合は九歳の頃には扱えるようになり、十歳の時に四歳年上のエリオットが婚約者となったのだ。
(オリヴィエ嬢というのは……アイシェ伯爵家のご令嬢ね。私とは違って明るくて愛想のいい子だわ)
彼女も水の家系であり、私と同じ歳だが最近ようやく魔法が発現した。氷属性だということで話題になっていたし、エリオットからすればその令嬢を娶るのと私を娶るなら前者が良いと考えているようだ。
何せ、私には表情がない。青みを帯びた白い髪と透き通るような深い青の瞳に加えて微笑みすらしない無表情。おかげで「氷姫」などと二つ名を付けられる始末である。
もちろん良い意味ではない。冷たく、氷のように表情一つ動かさない。利益を生む特別な属性だからと高慢で、他人を見下している。……そういう意味である。社交界の評判はかなり悪い。
(人の本音など見えなければ、私ももっと笑っていたかもね)
エリオットは黙り込んだ私に対し、懸命に愛の言葉を投げかける。しかしどれも偽りで、その本音では私とオリヴィエを比べているのだ。
そして口にする言葉と本音が違う人間は何も彼だけではない。多感な年頃にそんなものばかり見ていたら、表情が死んでしまうのも仕方がないではないか。……私はもう、笑いたくても笑えないのだ。
作り笑いをしようにも表情を動かせないため、自分ではどうにもならない。医者の診断では精神的なものであるというが、その原因を取り除けないのだから治る見込みはないだろう。
(本来神から与えられる魔法は一つ。……私のように、属性とは別の魔法が与えられるのは特殊だもの)
ごく稀に、神より魔法を二つ授けられる者がいる。私の場合は氷を生み出し操る魔法の他に、他人の本音が見えるという魔法を与えられた。二属性持ちは神に愛されている証とされ、本来なら神の愛し子として公表するものだが、後者の魔法が人の心を見抜くものだったため明かさぬ方がよいと両親が判断したのだ。そのため家族以外はこの能力を知らない。
結婚したらエリオットにも伝えるつもりだったが、どうやらそれは要らぬ気遣いであるらしい。
「エリオットさま。……私たち、婚約を解消しましょう」
「……え?」
「円満に婚約を解消し、お互いに新しい婚約者を探すべきではないかしら?」
戸惑うエリオットをじっと見つめた。貴族の結婚に本来恋愛感情は必要ない。お互いを尊重できれば充分、そこに愛があればさらに良い。
愛し合っていても属性が合わなければ結婚できないので、悲恋はよくある話。もし恋愛が成就すれば美談とされるくらいだ。
(でもエリオットさまとオリヴィエ嬢なら系統的には問題ない。氷属性持ちなら、格下の伯爵家でも叶うでしょうし)
本音が見えてしまいため息は出たが、私も別にエリオットが嫌いなわけではなかった。彼は婚約者である私を尊重しようとしてくれていたし、だからこそ表面上は優しく接し「愛している」とまで口にする。
ただ、本音が見えてしまう私は、出会った当初から自分が彼の好みではないことを知っていて、婚約者として振舞おうとするほどに見える嘘と本音に心を消耗させてきただけだ。
彼自体は悪人ではない。私を蔑ろにせず、婚約者として丁重に扱い、愛の言葉を重ねて努力している。もし私に彼の本音が見えなければこのまま結婚して建前で付き合っていくこともできた。だが本音が見えるからこそ、表裏の差異に疲れてしまうのだ。
だからこの提案は、私が彼を尊重した結果なのである。……このまま結婚してもおそらくお互いに不幸になり、いつかは憎しみ合って家を壊しかねない。
「私が何か怒らせるようなことをしてしまったのかな……? 悲しいよ。そんなこと言わないでおくれ」
【それができるなら都合がいいが、急にどうした?】
「貴方が悪いわけではないの。ただこれまでの付き合いで、私と貴方は上手くやっていけないだろうと思っただけ。……ノアレイン家にとって利益になる相手は私だけではないわ。そうね……たとえばアイシェ伯爵家のご令嬢も、氷魔法を発現したと聞いたわよ」
エリオットは笑顔のまま無言で私を見つめている。内心では色々と考えているだろうが、私の力では声にされていない心の中までは分からない。
偽りの言葉であった時だけ、本音が見える。この力はそういうものだ。
「……君がそこまで言うのなら。しかし両親を説得しなくてはならないよ」
「ええ、こちらは問題ありませんわ。エリオットさまこそ、公爵夫妻の説得が必要になりますからどうぞお急ぎになって。……お見送りいたしますわ、エリオットさま」
「ああ、リリアン。……こんなことになって残念だよ」
【なんてありがたい。早く父上に報告しなくては】
ノアレイン公爵家とて「氷姫」と呼ばれる私と、新たに見つかった氷魔法の令嬢だったら後者が良いはずだ。夫人となる人間に悪評はない方がいいのは当然である。
始まったばかりのお茶会を終わらせ、そそくさと帰っていくエリオット。部屋で給仕をしていた者たちは話さないので何を考えているか分からないが、一人がこっそりと出て行ったので両親へ報告に向かったのだろう。
そのまま一人でお茶を飲んでいると、数分後には父であるベルトランがやってきた。
「お父様、どうぞおかけになって。お茶もお菓子もありますし」
「リリアン。……何があった?」
「エリオットさまと婚約を解消したいとお話して、お互いに合意いたしました。……これ以上は、私が耐えられませんでした。申し訳ございません」
家族は私の能力のことを知っている。エリオットと婚約してしばらくの間、彼が私をどう思っているかは両親に伝えていた。
ここ数年はもう何も報告していなかったけれど、表情が消えてしまった私のことを心配してくれていたし、エリオットの気持ちが変わらなかったことも察していただろう。
「……そうか」
ベルトランは短く答えた。反対もしなければ慰めもしないのは、私に内心を悟らせないためである。嘘を言わなければ、私に考えが伝わることはない。それを良く知っているからだ。
「氷の魔石を作りますわ。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
彼が無言で頷くのは迷惑をかけているのが事実だからだろう。「そんなことはない」と口にしたくても、私には嘘がつけない。同情や憐憫でかける慰めであっても偽りがあれば本心が伝わってしまう。
「リリアン、これだけは忘れるな。……私はお前の幸せも願っている。新しい縁談を探してみよう」
「……ええ、よく分かっています。……ありがとうございます」
しかし両親から愛されているのもまた事実。別の言葉が浮かび上がって見えないから、父が私を想ってくれていることもよく理解できるのだ。
表裏のない人間なんてこの世にはいない。けれどできるだけ嘘がない人間でなければ、一緒にいるのも難しい。共に生きるのは、なおさら。
(いっそのこと、氷の魔石を作り続けてグレイシー家の利益を生むだけの一生でもいいのかもしれないわ。……詰まらない人生でしょうけどね)
私は生きて魔石を作るだけで資金を生む存在ではあるのだ。もし結婚できなくても、迷惑だけをかける訳じゃない。……その生に意味があるとも思えないが。
父が談話室を出ていく背中を見送って、私は自分の魔力を手のひらに集めて魔石を作った。魔力を使い切るまで、延々と。
ことり、ことりと固い魔石が机に落ちる音だけが響く。暖炉の炎によって温かいはずの部屋は、酷く寒かった。
今年の秋は新作を書く余裕がなさそう…ということで以前書き溜めていたものを更新していきます。
今日はもう一話更新して、完結まで毎日10時更新の予定です、よろしくお願いします!