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「この紅茶は美味しいね。さすがは王宮だ。相当高価な茶葉を使っているんだろうな」


 庭園でお茶を飲んでいた西の伯爵バジル・フォンブリューヌが、ティーカップを揺らし香りを楽しみながら言った。

 ぼんやりとしていたわたしはハッと我に返り、急いで返事をした。


「あ、はい。王都にある、王室御用達の高級紅茶店から仕入れているそうです」

「へえ。では、姫が私の領地へ嫁ぐ際には、たくさん持ってくるといい」

「……はい」


 嫁ぐ、と聞いて、胃がキュッと縮まった。

 自分から言い出したことなのに、こんなことではいけない。バジル様はたしかにお金の話をよくするけれど、いつも親切にエスコートしてくださるし、聞けば、伯爵領は森と湖に囲まれた美しい場所らしい。

 わたしも紅茶を飲み、彼に笑顔を向けた。


「領地へ行くのが楽しみです」

「ああ、私もだ。田舎だから、王都育ちのお姫様に気に入ってもらえるかはわからないけどね。それに……」

「それに?」


 聞き返すと、彼は精悍な顔を曇らせた。


「……それに、冬の寒さが厳しくて、か弱い女性には少々厳しい環境なのかもしれない。もちろん、私の城の中は常に暖炉に火を入れているが。君の部屋も、常に火を絶やさないように厳命しておこう」


 そう言うと、伯爵は悲しげにほほえんだ。


 彼はこれまでに、二人の妻を病気で亡くしているという。

 でも病気で亡くなることは、珍しいことではない。

 大好きだったわたしの両親も、王都に蔓延した流行り病で相次いで亡くなってしまった。


 大切な人を喪った悲しみは、痛いほどよくわかる。

 もしもわたしがお兄様に出会わなかったら、悲しみの傷がいつまでも癒えずに王宮で一人ぼっちで、もっとずっとつらい思いを味わっていただろう。


 わたしが伯爵へ嫁げば、国とお兄様のためになるだけではなく、バジル様の悲しみも癒やすことができるのかしら?


 ……それに、もしかしたら、次に伯爵領の誰かが病気にかかったときには、わたしが少しは役に立てるかもしれない……。


 すっと手が伸ばされて、彼がテーブルの上のわたしの手を握った。


 背筋にぞわっとした感覚が走る。

 反射的に手を引っ込めそうになった。

 きっと、こんな風に男性に触れられるのは、慣れていないからだろう。


「ジョゼット姫が私の花嫁になってくれて、本当にうれしいよ。良好とは言えなかった王家との関係も、これで円滑になるだろう」

「……はい」


 離れて立つリシャールが、手を握られているわたしをちらりと見たけれど、彼は当然のように沈黙を貫いた。


 ✻✻✻


 お兄様に、もう五日間も会っていない。


 今日はバジル様と正式に婚約を交わす日だ。

 婚約証書にサインしてしまえば、もう後戻りはできなくなる。


 その前に一目、お兄様にお会いしたいと思っていたのに、ここ数日はほとんど王宮を留守にしているようで、いつ執務室を訪ねても会うことはできなかった。

 最後に会ったとき、お兄様を怒らせてしまったことも気にかかっていた。どうして怒ったのかはまるで見当もつかなかったけれど、気に障ることを言ってしまったのなら、謝りたかった。


 でも、会えなくてもしかたがない。

 お兄様にとってわたしは、ただの従妹だ。

 この国のために身を粉にして働いているお兄様に会いたいなどと、わがままを言うことは許されない。


「今日はリシャールはいないの?」


 リシャールの姿まで見えないので、わたしは侍女に聞いてみた。


「そうですね……いつもなら姫様が伯爵に会いに行かれる時間に合わせて、もう部屋の外に待機されているなずなのですが……他の近衛騎士を捜してきましょうか?」

「いいえ、その必要はないわ。今日は正殿で婚約証書にサインするだけなのだから、一人でも大丈夫よ」


 王宮内を移動するだけなのだから、近衛騎士の手をわずらわせるまでもない。

 わたしは侍女を連れて自分の部屋を出た。


 王太子の宮殿を出ると、外は雲一つない快晴だった。

 わたしがはじめて下町からこの王宮に連れてこられたときも、こんな真っ青な空だった。


 国王陛下――わたしの伯父上の住まわれる正殿には、それなりに人が集まっていた。

 署名は、儀式の間で行われる。

 そこへ行くまでのホールや廊下には、宮廷貴族たちがひしめいていた。

 不穏な噂のある伯爵と、下町育ちの姫の婚約を見るために押し寄せたのだろう。


 婚約の立会人は、大臣の一人が務めてくれることになっていた。

 今日も陛下はご不在だ。

 お兄様以上に多忙な陛下は、滅多に拝謁が叶わないことで有名な王様だ。

 先日、伯爵と婚約したいという希望をお伝えするため、たまたまわたしが陛下の空き時間にお会いできたことは、たぐいまれな幸運だったと言っていいだろう。


「姫が来られたぞ」


 誰かがそう言って、貴族たちの視線が一斉にわたしに集まった。

 でも誰も話しかけてきたりはせず、ひそひそと好奇に満ちた囁きが交わされるだけ。


 侍女は儀式の間へは入れないので、控え室で待機となる。リシャールもおらず、一人で少し心細かったけれど、貴族女性は常に優雅で凛とするべし、と幼い頃から叩きこまれている。

 わたしは顔を上げて背筋を伸ばし、儀式の間へ歩きだした。


 両開きの扉が大きく開いているその部屋の中にはすでに伯爵がいて、わたしを待っている姿が見える。

 伯が、廊下に立っているわたしを見つけて、片手を上げた。


 そのときだった。


「姫様!」


 驚いて振りかえると、リシャールがいた。

 急いで駆けてきたようで、金髪が少し乱れている。

 周囲の貴族たちも驚いた様子で、日頃は冷静沈着な王太子の近衛騎士を注視している。


「リシャール……どうしたの?」


 彼はすぐには答えなかった。


 衆人が見つめる中、リシャールは足早にわたしに近づいた。

 そして長身の体をかがめると、わたしの耳に口を寄せて。

 一言囁いた。


 その言葉の意味を理解したとたん、わたしは弾かれたように正殿の出口へ向かって走り出した。


 リシャールはこう言った。


『殿下がお倒れになりました』と。

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