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「聖女オリアンヌ様のお言いつけで、部屋から替えの上着を取りに参りました」
わたしはリシャールを連れ、オリアンヌが滞在している離宮へやってきた。
離宮の侍女に「聖女の言いつけ」だと伝え、聖女のために用意された部屋へ通される。
オリアンヌはまだ「癒やしの儀式」の最中だし、終わったあとには王太子も交えて大司教との食事会が開かれる予定だ。まだこの部屋には戻らない。
リシャールとともにオリアンヌの私室に入ると、わたしは小声で言った。
「怪しいものを探して」
「承知しました」
リシャールが寡黙なだけでなく察しのいい騎士で助かった。
手袋を嵌めてチェストの引き出しを検めはじめた彼に背を向け、わたしは部屋の反対側を探すことにした。
クローゼットを開ける。中には女性ものの衣服がどっさり入っている。とくに不審な点はない。
その横の本棚に目を移す。半年前に聖女として認定され、ひと月前にこの離宮へ迎えられたばかりの客人だから、本はあまりない。あっても一般書ばかりで、魔術書の類は、当然ながら人目につくこの本棚には見当たらない。
でも、整然と並んだ本の列に、一冊だけ、微妙に本が飛び出しているところがあった。
その分厚い本を抜き出すと、地のページの下部が、四角くくりぬかれていた。
わたしは本の入っていた本棚の奥をのぞいてみた。
小さな箱がある。
取り出して開いてみると、中身は指輪だった。禍々しい黒い石が嵌めこまれている。見ていると気分が悪くなってきた。
魔塔の魔法使いは、メンバーになった証として、魔石の指輪を身につけると言われている。
これがその指輪だろう。
「リシャール!」
興奮して後ろを振りかえる。
なぜか、わたしの背後に彼が立っていた。
布のようなものを手に持っていて、わたしの顔に、それを伸ばす。
「何を……」
しているの、という部分は声にならなかった。
布で口をふさがれ、体を押さえつけられたからだ。
強い薬品臭がして、意識が遠のく。
気を失う前に、扉のところに誰かが立っているのがわかったけれど、逆光で顔は見えなかった。
✻✻✻ ✻✻✻
目を覚ますと、そこは見慣れたわたしの部屋のベッドだった。
天蓋は完全に閉じられていて、今が昼か夜かもわからない。
「わたし……痛っ……」
体を起こしかけ、鋭い頭痛を感じる。
わたしはオリアンヌの部屋を調べている最中に、リシャールに薬品を嗅がされたのだ。
そのことを思い出すと、全身に悪寒が走った。
「……どうしてリシャールが……」
「ジョゼ。目が覚めたのか」
天蓋が開き、お兄様が入ってきた。
「お兄様……?」
なぜ、ここにお兄様が?
状況がまったく飲みこめない。
でもお兄様のきれいな顔を見ると、波立っていたわたしの心は落ち着いた。
昔からそうだった。
どんなに嫌なことがあっても、お兄様がわたしに笑いかけてくれれば、すべて忘れられる。
彼はわたしのベッドに腰を下ろした。
親密な距離に頬が熱くなる。
「お兄様……あの……」
「ジョゼ、いけない子だ」
「え……?」
言葉とは裏腹に、お兄様はわたしの手をやさしく握った。
大きな手から体温が伝わる。
さっきの落ち着きはたちどころに消え去り、心臓が壊れそうなほど激しく打ちつける。
お兄様は顔を近づけ、わたしの目をのぞきこんだ。
銀色の髪が、さら、と揺れる音が聞こえるほど、近くで。
「あんなことをしたら駄目だろう?」
「…………オリアンヌの部屋に入ったことですか?」
「そうだ」
「でも……」
お兄様はオリアンヌがニセ聖女で、しかも魔塔によって王国を支配しようとしていることを知らない。
あの部屋で見つけた魔石の指輪のことも、やはり、言おうとしても魔法のせいで言えなかった。
けれども、彼の婚約者になろうという女性の部屋に、ただの妹のようなわたしが無断で入り、あまつさえ私物を漁っていたのだ。しかも王太子の近衛騎士をともなって。
叱られるのは当然だ。
ところが、お兄様はわたしを叱るのではなく、やさしくたしなめた。
「危ないから、二度と魔法使いの部屋になど入ってはいけない」
わたしは大きく目を瞠った。
「……え……え? …………お兄様、知って………………」
「彼女が魔塔の魔法使いだということを? いや、知らなかった」
お兄様が棒読みでしらじらと言う。
いつもはわたしの目を見て話してくれるのに、今は不自然に視線をそらしている。絶対に嘘だ。でもなぜそんな嘘をつくのだろう。
わたしはハッと気がついた。
「もしかして、お兄様も証拠を探しておられたのですか? わたし、お兄様の邪魔をしてしまいました?」
お兄様は何も答えず、ほほえみを浮かべている。
そうだったのね。お兄様はオリアンヌの正体を知っていて、わざと泳がせていた。
それなのにわたしは勇み足で彼女の部屋に乗りこみ、お兄様の計画を台無しにするところだったのかもしれない。魔法のせいで相談できなかったとはいえ、一人で空回りをしてしまったわ……。
「ごめんなさい、お兄様……」
しゅんとうなだれると、頬に彼の手が触れた。
目線を上げると、お兄様の美しい紫の瞳とぶつかった。
「あの女に見つからないためとはいえ、手荒な真似をしてすまなかった」
「いえ、いいのです」
「……ジョゼ。俺の宮殿へ移ったのは、魔法使いから身を守るためだったのか?」
「あ……はい、そうです……嘘をついてすみません……」
そういえばわたしもお兄様に「神様の啓示」などと嘘をついていたので、おあいこだ。
お兄様の指が、わたしの頬をなぞる。
かあっと全身が熱くなる。
彼は愁いを帯びた表情で尋ねた。
「俺の近衛騎士を欲しがったのも?」
「……はい……ご迷惑をおかけしてしまい……」
「リシャールが良かった?」
「えっ?」
見ると、お兄様は真剣な顔で質問の返事を待っている。
リシャール……リシャールが良かった……?
ええ、リシャールが良かったわ。
「はい。彼はすばらしい騎士ですから」
「……………………」
なぜかお兄様は無表情で黙り込んでしまった。
何か問題でもあるのかしら……まさか、リシャールにも魔塔の息が……?
……いいえ、そんなことあるはずがないわ。彼は誰よりも忠誠心に厚い騎士だもの。
胸をかすめた疑いを打ち消すように、わたしはお兄様に言った。
「リシャールは強くて仕事ができて、無口だけど親切で頼りがいがあって、そばにいてくれて良かったと本当に心から思います」
「………………………………」
お兄様は無言で聞いていた。
気のせいか、さっきよりも顔が青ざめているように見える。具合でも悪いのかしら?
「お兄様? 大丈夫ですか?」
「…………俺はオリアンヌがニセ聖女だと最初からわかっていた。あの女は何があろうと決して古い聖堂には近寄ろうとしなかったし僅かな神聖力が漂っているだけの大聖堂でさえ入るのはつらそうだったから。だが魔塔を叩き潰す好機ととらえ聖女として受け入れたフリをして尻尾を出すのを待っていた」
「まあ……やはりお兄様は何もかもご存知だったのですね。ご慧眼と思慮深いご対応、さすがはこの国の将来を担う王太子殿下であらせられます」
お兄様は長台詞で説明した。わたしは心底感じ入って称賛した。
ようやくお兄様は普段通りの余裕に満ちた表情に戻り、口の端を上げて笑った。そのうれしそうな顔があまりに美麗で、目を奪われる。
わたしの耳に顔を寄せ、お兄様が囁く。
「そのせいでジョゼに会えなくて寂しかった。魔塔との繋がりをつかむために、ずっとオリアンヌと行動をともにしないといけなかったから」
あまりに近くてどぎまぎしてしまう。
お兄様は単にわたしに事情を説明しているだけだし、顔を近づけているのは誰かに話を聞かれないよう警戒しているだけなのに。
「わ、わたしも、寂しかったです。聖堂に行ってもお兄様がいらっしゃらないから、とても……」
「ジョゼ……」
思わず本心を吐露してしまった。
貴族令嬢はいついかなる場合も、優雅で凛としていなければならない。弱音を吐くのはみっともないこと。どんなにつらいときも、微笑を絶やさずに生きるべし。
十歳で王宮に引き取られてすぐに叩きこまれた教えを、いまだに実践できていない自分が情けない。
でも。
パッと勢いよく顔を上げる。
「でも、お兄様がそのおつもりでしたら、わたしもいくらでも協力いたします! しばらくお会いできない位、王家に仇なす魔塔を叩き潰せるのでしたらなんでもありません! なにしろわたしは、偉大なるグノー王家の王太子であるお兄様の、妹同然の従妹なのですから!!」
気合いをこめて、宣言した。
お兄様は、酒を注文したら薬草茶を出された人のような顔をしていた。
そして、なぜか宙に浮かせた手をさまよわせていたが、やがてそれを下ろすと、穏やかに言った。
「……ああ。ジョゼが協力してくれたら心強い」
「はいっ!」
わたしは笑顔で返事をしたが、お兄様の顔に笑みはなかった。きっと、これからするべきことを考え、気を引き締めているのだろう。