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カリーナ姫の侍女は捕えられ、徹底的に調査された。
魔塔の一員である証拠の魔石の指輪が発見されると、侍女は観念したのか、苦痛の少ない処刑方法と引き換えに、隣国に散った残党について洗いざらい自白した。
魔塔の生き残りが全員捕まるのも、時間の問題だろう。
自分の侍女が魔塔の魔法使いだったなんて寝耳に水のカリーナ姫だが、そのことをひどく気に病み、わたしとお兄様に何度も謝罪をした。
隣国も事態を重く見て、公式にこの国に謝罪をし、魔塔の調査と撲滅に協力すると申し出た。
隣国の王が望んでいたというカリーナ姫とお兄様の婚姻も、この一件で完全に白紙に戻ったようだ。
胸を刺されたお兄様の近衛騎士は、駆けつけた医者からは匙を投げられた。
だがリシャールの迅速な応急措置と、カリーナ姫一行に帯同していた隣国の医師の手当てにより、なんとか一命をとりとめた。
それをきっかけに、遅れていたこの国の医療は、隣国を模範に見直されることとなった。
そして、驚いたことに、わたしは教会から「特別聖女」の称号を与えられた。
二度に渡って魔塔の魔法使いの正体を暴き、この国の治世の安定に多大なる貢献をしたから――という理由らしい。
「特別聖女」なんて初めて聞いたけれど、それもそのはず。
お兄様が教会にかけあい、新たに作った称号なのだそうだ。
わたしがお兄様を避けていたこの一か月あまり、彼は地下書庫に通いつめ、その称号を創設するのに必要な根拠や事例を片っ端から調べていたということだった。
本物の聖女のように列聖はされず、ご褒美のようにそういった称号が与えられるだけらしいが、元庶民としては、もらえるものは何でもありがたく頂戴しておくべきだと思う。
天国のお父様とお母様も、きっと喜んでくれるはずだ。
そんな称号を与えられたら、ますますわたしが王太子殿下のお気に入りという噂が流れてしまいそうだけど……カリーナ姫が教えてくれたように、わたしはわたしだ。
この国とお兄様を魔塔の手から救ったことは、誇ってもいいだろう。
わたしは他人からどう思われようと、もうあまり気にしないことにした。
***
「何を祈っていたの?」
古い聖堂の中で、わたしは跪いて祈りを捧げていた。
それが終わり、立ち上がると、声をかけられた。
「お兄様」
礼拝堂のステンドグラスごしの光にきらめく銀の髪に、アメシストのような紫の瞳。
八年前にここで初めて会ったときよりも背が伸び、さらに煌びやかさが増したお兄様が、わたしを見つめている。
頬が熱くなり、胸が高鳴る。
でも、もう逃げることはしない。
わたしはお兄様に答えた。
「お父様とお母様に、特別聖女の称号をいただいたことのご報告を。きっと喜んでくださっていると思います。お兄様のおかげです」
「ジョゼはそれだけのことをしてくれたから、当然だよ。ご両親にとっても自慢の娘だろうな」
「そうだといいのですが」
まっすぐにわたしを褒める言葉に、さすがに恥ずかしくなって目をそらす。
胸元のペンダントが揺れて、まだお礼を言っていなかったことを思い出した。
それに、聞きたいこともあった。
「お兄様、お礼が遅くなりましたが、このペンダントを贈ってくださってありがとうございました。それと……これは、何か特別な力を持つペンダントなのですか?」
地下書庫で、カリーナ姫の侍女はたしかにわたしに向かって呪文を唱えた。
屈強な近衛騎士の動きを、一瞬で封じた呪文を。
だが、わたしにはその魔法は効かなかった。
そのときに一瞬、何かが光り、胸元のペンダントが熱くなったことと、きっと無関係ではないはずだ。
お兄様は優雅なほほえみを浮かべた。
「ああ、そうだよ。それははるか北にある聖域の奥深くで採掘された希少な銀で作ったペンダントで、十年物の聖水で清め、大聖堂の司教たちが三日三晩祈祷を捧げた、特別に神聖力のこもった神器なんだ」
「そんなにも貴重で神聖なものだったのですね……!」
「隣国からの一団に魔塔の残党がまぎれこんでいるという情報は掴んでいたんだが、誰なのか特定はできなかった。だから、俺の大事なジョゼに危険が及ばないようにと思って用意させた。君が身に着けていてくれてよかった」
今、さりげなく殺し文句が混ざっていた気がするのだけど……?
「で、ですが、それならわたしよりもお兄様が身に着けるべきなのでは?」
「着けているよ」
「え?」
お兄様は首のクラヴァットをほどき、胸元のペンダントを見せた。
わたしと同じデザインで、少しだけ大ぶりの、銀のペンダント。
小首をかしげ、お兄様がかわいらしく告げる。
「お揃いで作らせたんだ」
「……おそ……」
顔に血が集まり、真っ赤に染まっていくのが自分でもわかるほどだった。
お兄様が距離を詰め、わたしの目の前に立った。
間近で見ると至極端正な顔がよりよく見えて、より心臓に悪い。
なんだかいい香りもする。
薔薇を浮かべたお風呂で長湯したときのように、お兄様にのぼせてしまいそうだ。
お兄様は、とても美しいが目だけは笑っていない、という笑みを浮かべた。
「ところでジョゼ、君がリシャールに恋文を渡したという噂を耳にしたんだが」
「……えっ?」
ぐっと、顔が近づけられ。
硬質なアメシストの瞳が、わたしの心の奥底まで見透かすように、のぞきこむ。
こんなにお兄様を怖いと感じたのは初めてだ。
彼は冷たい声で尋ねた。
「それは本当なのか?」
「ちっ、違います! 誤解です! あのときはリシャールが非番で、受け取ってすらもらえなくて……」
お兄様の整った顔が歪んだ。
「……は? あいつはジョゼの恋文を拒絶したのか? やはり一度あの高い鼻を叩き折らねば……」
「違うのです!! そもそも恋文ではありません。あれはお兄様にあてて書いた、ペンダントのお礼のお手紙なのです」
「俺に?」
「はい。ですが、リシャールは勤務時間外だからと受け取ってくれなくて……たぶん、手紙よりも直接わたしがあなたに会ってお礼を言った方がいい、という意味かと」
「……なるほど」
あごに手を当て、お兄様が呟く。
わたしはほっと胸を撫でおろした。よかった。もう怒ってはいないようだ。
けれど、安心するのは早過ぎた。
お兄様はくるりとわたしの方を向き、核心を突いた。
「それで、どうしてジョゼは俺を避けていたんだ?」
「っ……」
言葉に詰まる。
どうしようもなく鼓動が速まる。
お兄様の隣にいてもいいと、自分で自分を許したけれど。
肝心のお兄様の気持ちは、まだわからない。
戸惑いながら、ちらりとお兄様を見た。
彼は、常になく不安そうな顔をして、わたしの返答を待っていた。
それでやっと気がついた。
ああ、お兄様も怖いのだ――と。
わたしと同じように。
わたしは一歩を踏みだして。
お兄様に想いを伝えようと、口を開いた。
「ごめんなさい、お兄様。この間から変な態度を取ってしまって。お兄様の顔を見るとドキドキしてしまって、会っていないときも、あなたのことがずっと頭から離れなくて…………わたし、気がついたのです。わたしはお兄様のことがふごっ」
大きな手で口をふさがれた。
目だけを動かしてお兄様を見る。
彼は、首まで真っ赤に染まっていた。
真剣な光を宿した紫の双眸が、まっすぐにわたしに向けられる。
「俺はジョゼのことが好きだ。初めて会ったときからかわいいと思っていたが、王宮に馴染もうと必死に努力する君からいつの間にか目が離せなくなった。明るく笑う顔も好きだし、誰も行かないような場所を楽しそうに探検する姿も、下町育ちで思い切りが良くてときどき大胆なところも好きだ。この先もずっといつまでも、俺の側にいてほしい」
わたしはいっぱいに目を見開いた。
お兄様の言葉は、わたしを空高く舞い上がったような気持ちにさせた。
好きな人に好きだと言われることが、こんなにも幸福で心の底から満たされることだなんて、知らなかった。
わたしの口から手を離すと、お兄様は少し困ったように言った。
「すまない。王太子の俺がこんなことを言ったらジョゼは断れないのはわかっていたから、なかなか伝えられなかった。でも、どうしても俺が先に伝えたくて…………」
「ありがとうございます、お兄様」
わたしは頬をほころばせ、ありったけの想いを彼に伝えた。
「わたしも好きです。両親を亡くしたわたしが王宮で頑張れたのは、お兄様が側にいてくださったからです。他の誰よりも、お兄様のことが大好きです」
「ジョゼ……」
わたしの頬に彼の手が添えられる。
愛おしげに見つめながら、お兄様は、わたしを優しくたしなめた。
「……名前で呼んでほしいと、以前にも言ったはずだが?」
「あ…………エド兄様」
「『兄様』は、もういらない」
至近距離で囁かれ、心臓が壊れそうなほど早鐘を打つ。
本当にこれからわたしは、このすてきな人の恋人になるのだ。
ただの従妹ではなく。
わたしはお兄様の名を口にした。
「エド」
彼は満足そうに、美しい笑みを浮かべた。
「ジョゼ」
それから、甘いくちづけが降ってきた。
***
その後、特別聖女の式典でエドがわたしとの婚約を電撃発表したり、カリーナ姫もアラン様と婚約したりと、王宮は賑やかになってゆくのだけれど。
わたしのすてきなお兄様の話は、ひとまず、これでおしまい。