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翌日はあいにくの土砂降りで、狩りは中止となった。
かわりに女性王族たちが豪華なお茶会を催し、カリーナ姫をもてなすことになった。
だが、肝心の姫が体調不良で欠席と、姫の侍女がわたしの元へ告げに来た。
わたしは侍女に尋ねた。
『それは心配ですね。カリーナ姫のお部屋に、お医者様をお連れしてもよろしいでしょうか?』
『いえ、結構です。今日はどなたにもお会いしたくないと仰せでした』
『まあ。では、お食事はお部屋に運ばせましょうか?』
『結構です。お構いなく』
侍女は、ふいっと行ってしまった。
わたしはあっけにとられてその後ろ姿を見送った。
大事な王女様の具合が悪いのなら、医師を呼んでくれとあちらから頼んできそうなものなのに……それとも、この国の医療を信用していないとか?
たしかに隣国の方が医療の面ではずっと進んでいるけれど。
ともかく、わたしは女官長にこのことを伝えた。
「カリーナ姫が体調不良でお茶会を欠席、ですか? 医者もいらないと? それはそれは……」
女官長はあからさまに眉をひそめた。
うしろで聞いていた女官たちは目くばせし合い、ひそひそと囁き交わした。
「きっと仮病よ。女性だけのお茶会なんて行きたくないのでは? やはり美しい王太子殿下がいらっしゃらないと」
「そうよねえ。ジョゼット様は王太子殿下のお気に入りだと、隣国でまで噂になっているそうだし。カリーナ姫はお嫁入りの下見にいらしたのに、殿下ではなくそんな方とお茶なんて、ねえ?」
ぎろりと女官長が部下たちをにらむと、噂話はぴたりと止んで静かになった。
女官長がわたしを振りかえる。
「お伝えいただきありがとうございました。ジョゼット様も、今日は自由になさってくださいませ」
「……わかりました。失礼いたします」
わたしは顔色を変えずに女官の控え室を出たが、内心では滝のような汗をかいていた。
隣国で、わたしが王太子殿下のお気に入りだと噂になっている?
それは本当なのかしら?
もしそうなら、カリーナ姫がわたしを気に入らないのは当然だ。
お兄様の元へお嫁に来るつもりなら、そのお兄様が大事にしている女など、この上なく邪魔な存在だろう。
地味な格好だから姫ににらまれていたのかも、なんて、とんでもなくおめでたい考えだったということになる。
ふと、廊下の鏡に映った自分の姿に目を留めた。
胸元には、お兄様からいただいた銀のペンダントが光っている。
聡明で万事にそつのないお兄様が、その噂話を知らないはずがなかった。
だがそれなら、このペンダントをわたしに贈った理由はなんだろう。
お兄様のことだから、何か深いお考えがあってのことなのだろうけれど。
わたしは正殿を出て、王太子の宮殿へ向かった。
この雨だから、狩りは中止だとすでに参加者全員に知らせが出ている。
お兄様は執務室で仕事をしているようだった。
扉の前にわたしの知らない近衛騎士が立ち、護衛をしている。
リシャールだったら手紙を託そうと思っていたのだけれど、さすがに初対面の相手には頼みづらい。
近衛騎士はわたしに敬礼をすると、笑顔を見せた。
「姫様、殿下に何かご用でしょうか?」
「あ、いいえ。なんでもありません。お仕事ご苦労さまです」
再度びしっと敬礼をされ、わたしはぴんと背筋を伸ばして通り過ぎた。
リシャールの愛想のカケラもない対応に慣れているので、近衛騎士からあんな風に丁寧に扱われると、なんだか調子が狂う。
そのリシャールは休憩中のようで、探し回ると、宮殿の談話室に他の騎士たちと一緒にいた。
広い談話室には女官たちや宮廷官吏などもいて、それぞれがくつろいでいる。
わたしは騎士たちの一団に近づき、声をかけた。
「お話し中ごめんなさい。リシャール、ちょっといいかしら?」
「姫様」
リシャールは嫌そうな顔をするまいと努力しているように見えた。
他の騎士たちはわたしを見ると姿勢を正し、軽く会釈をした。
わたしも小さくドレスのスカートをつまんで挨拶をする。
リシャールはすぐさまわたしを談話室の反対側の隅に連れていった。
はぁ、と小さなため息をつきながら。
彼は腕組みをしてわたしを見下ろし、尋ねた。
「何のご用ですか」
「この手紙をお兄様に渡してほしいの」
「お断りします」
わたしが手紙を出したとたん、にべもなく断られる。
清々しいまでの塩対応だ。
「ど、どうして?」
「今は非番なので」
「あの、それならあとであなたに渡せばいいかしら」
「お断りします」
二度目だ。
少しは仲良くなれたと思っていたのに、ひどくないだろうか。
「リシャール、そんなこと言わないで……」
「あなたも私になど言わず、直接ご本人にお伝えしたらいかがですか。その方が私が迷惑を被らず……いえ、あの方がお喜びになるかと」
途中は早口で聞き取れなかったけれど、とにかく、彼には手紙を届ける気がないことだけはよくわかった。
でも、リシャールの言う通りにお兄様に会いに行けば、噂話に拍車をかけてしまう気がする。
「……休憩中に邪魔をしてごめんなさい」
受け取ってもらえなかった手紙を握りしめ、わたしは談話室を出た。
***
通訳兼案内係という仕事もなくなり、せっかく書いた手紙も渡せなかったわたしは、雨の中とぼとぼと離宮の方へ歩いていた。
傘を差してくれる侍女も連れていないので、一人で雨に濡れながら。
せめてカリーナ姫のお見舞いに行こうと思ったのだが、具合が悪いのに異国の姫が濡れそぼった姿で現れたら、よけいに悪化させてしまいそうだ。
こちらには、ただでさえ半分平民という負い目があるのだ。やはり出直した方がいいかもしれない。
離宮の近くでそんな風に思案していたら、当のカリーナ姫を見かけた。
あちらは侍女を連れているが、なぜか傘も差さず、人目を忍ぶように植木の陰をこそこそと移動している。
「どうしたのかしら?」
何かお困りなのだろうかと、近づいて声をかけた。
『カリーナ姫、いかがいたしましたか?』
『きゃっ!』
姫はビクッと震え、わたしを振りかえると大きく目を見開いた。
『あ、あなたは……ジョゼット姫? こんなところで何をなさっているの?』
それはこちらのセリフだ。
カリーナ姫の美しい赤毛は雨に濡れ、雫を垂らしている。
けれども赤茶色の瞳はきらきらと輝き、白い頬は上気して、目を瞠るような美しさだった。
侍女はこれまでと同じように、何も言わず控えめに姫の後ろに侍っている。
『わたしは自分の部屋へ戻るところです。カリーナ姫はどちらへ?』
再度質問をしたわたしに、カリーナ姫は鋭い視線を向けた。
『散歩をしているのです』
『このような雨の中、傘も差さずに?』
『放っておいてください』
『……差し出がましいようですが、もし何かお困りでしたら、わたしでよければお力になりたいです。カリーナ姫は、わたしたちの大切なお客様なのですから』
他国の宮廷で、雨の中を濡れながらさまよっているのだ。よほどの事情があるのだろう。
そう思って口にした言葉に、カリーナ姫はしばし逡巡していた。
そして、すがるようにわたしを見た。
『…………わたくしを助けてくださいますか、ジョゼット姫?』
わたしはにっこりほほえんだ。
『ええ、喜んで』