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前回から間が空いてしまってすみません!
連載再開しますので、よろしくお願いいたします。
「リシャール、ジョゼを見なかったか?」
「存じません」
「そうか」
お兄様の声と足音が遠ざかる。
わたしは隠れていた分厚いカーテンの中から顔を出した。
離宮の廊下には、もうリシャールとわたしだけだ。カーテンから出ながら礼を言った。
「ありがとう、リシャール」
「何がですか」
無表情で直立不動している近衛騎士は、目も合わせずに空とぼけた。
リシャールは金髪に灰色の瞳の塩顔美形だが、常に寡黙で無表情を崩さない。
そんな彼に、さきほどわたしは「お願い、見ないふりをして」と頼んでカーテンの中にもぐりこみ、そのあとすぐにお兄様がやって来た。
頼んだ通りにそしらぬふりをしてくれたのだが、リシャールは、この国の王太子であるお兄様の近衛騎士だ。
主に逆らえば職務違反となる。
わたしのお礼を受けられないのは当然だ。
「ごめんなさい。もう行くわね」
代わりに謝罪をすると、彼は正面を向いたまま答えた。
「お気をつけて」
***
わたしの従兄のお兄様、エドワール・グノー王太子殿下は、とてもすてきな人だ。
きらめく銀の髪に、アメシストのような瞳。
圧倒的な美貌に恵まれているだけではなく、聡明で思慮深く明朗な、まさにこの国の王太子となるにふさわしい方。
市井で育ったわたしが十歳のときに両親を亡くして王宮に引き取られてから、お兄様はわたしの太陽だったし、今でもそうだ。
けれど、太陽に近づきすぎると身を滅ぼす。
西の伯爵との婚約騒動以来、わたしはお兄様の顔をまともに見ることができなくなった。
自分が「従妹」としての気持ちを越えて、お兄様を慕っていることに気がついてしまったからだ。
わたしの母は国王陛下の妹だが、父は平民だ。
母が王宮を出奔し、父と駆け落ちして生まれた娘。
王家の銀髪を母から受け継ぐことはなく、父方の平凡な金茶色の髪と瞳を受け継いだ。
そんなわたしを「下賤の生まれ」と蔑み、忌避する人は、この宮廷にも大勢いる。
マナーや宮廷の常識を教えてくれた女官たちも、最初はわたしと会話をすることさえ汚らわしいという顔をしていた。
だが、教わったことを一生懸命に学び、吸収して実践していくにつれ、だんだんと女官たちや周囲の人たちから認めてもらえるようになってきた。
それがうれしくて、宮廷で「普通」の人間として扱われたくて、わたしはますます周囲に溶けこもうとマナーや技芸、勉強に精を出した。
特に力を入れたのは語学で、今では三か国語に通暁している。
頑張れば大好きなお兄様がほめてくれるし、少しでもお兄様に近づきたいという思いも大きかった。
だけど、どんなに頑張ったところで、所詮わたしの半分は平民だ。
純粋な王族の血筋であるお兄様は、純粋な貴族の血統を持つご令嬢と、いつか結婚する。
それはもう決定事情であり、何人たりとも覆すことなどできない。
たとえお兄様本人でも。
もしも二百年ぶりに聖女でも現れれば別だろう。
だがつい先日、教会に認定までされた聖女が偽物として断罪されたばかりだ。
聖女などという時代錯誤なものは、きっとこの国には、金輪際現れない。
そして教会勢力が強いこの国は完全なる一夫一婦制であり、愛妾を持つという選択肢はない。
わたしがどんなにお兄様を慕おうが、彼と結ばれるという未来は完全に閉ざされている。
太陽に恋をしても、その恋は自分を焼き焦がすだけなのだ。
「ジョゼ、開けてくれないか?」
ノックの音がして、お兄様がわたしの部屋の外から呼びかけた。
侍女が困ったようにこちらを見る。
わたしは反射的に首を横に振った。
唇だけ動かして「いないと言って」と侍女に伝え、素早くベッドの陰に隠れた。
お兄様と侍女のやりとりが断片的に耳に入り、罪悪感が胸を刺した。
こんな風に居留守を使うのはもう十三回目だ。
以前なら、お兄様が会いに来てくださったら、わたしは喜んでお茶でも散歩でもご一緒したのに。
わたしの身勝手だとわかっていたが、一度でも会ってしまえば、この気持ちを抑えられなくなりそうだった。
なにしろわたしの母は、王妹でありながら平民の父に恋をして、駆け落ちを実行してしまった人だ。
その血を引くわたしだって、お兄様に焦がれてどんなことをしでかすか、自分でもわかったものではなかった。
お兄様に迷惑をかけることだけは絶対に避けたい。
だって、お兄様は初めて会ったときから、こんなわたしを従妹としてかわいがってくれた、とても優しい人だから。
「ジョゼット様。王太子殿下があなたに、『会いたいと伝えてくれ』と」
「……わかったわ。ありがとう」
お礼を言って、侍女には下がってもらった。
わたしはどうすればいいのだろう。
恋心を忘れるための方法なんて、女官たちは教えてくれなかった。
***
隣国からこの国へ、王女様が訪問することが決まった。
わたしより一つ年上の十九歳で、隣国の王家の第四王女、カリーナ姫だ。
見事な赤毛に長身の、それは美しい姫らしい。
彼女はお兄様の花嫁候補としてこの国の下見に来るのではないかという噂が、宮廷ではまことしやかに囁かれていた。
語学が得意なわたしは、カリーナ姫の通訳兼案内係に任命された。
国を代表して賓客のお世話をさせていただくのは、とても光栄なことだ。
わたしの生まれをとやかく言い、難癖をつける人もいたらしいけれど、お兄様の口添えもあって決まったそうだ。
決定から王女様がこの宮廷へやってくる日までの一か月ほど、わたしは準備に余念がなかった。
語学も、お部屋の用意も、文化や観光の案内も、すべて完璧に整えて隣国の貴賓を迎え入れるために。
……カリーナ姫は、もしかしたらお兄様の花嫁になるのかもしれないけれど、そのことは今は考えないようにした。
そして迎えた、カリーナ姫一行の到着日。
正殿の儀式用の広間で、お兄様とわたし、それから王族に連なる方々がずらりと並び、お出迎えをする。
ちなみに、多忙な国王陛下は国内の有力貴族の領地を順次回っていて不在なので、今は王太子であるお兄様が国王代理として姫をもてなすことになっている。
他の王族の方々も、ここで王女に顔をお見せし、ご挨拶をする。
何度も外国に遊学しているお兄様の従兄のアラン様をはじめ、いつもは王宮にいらっしゃらない高貴な方たちが居並び、広間はにぎやかだった。
部屋の外から足音が聞こえ、談笑が止んだ。
扉が開き、王女様たちの一団が入ってくる。
腰までの波打つ赤毛に、気の強そうなはっきりとした顔立ち。
あの方がカリーナ姫だろう。
目が合った。
わたしはドキリとした。
カリーナ姫が、赤茶色の燃えるような瞳で、わたしをにらみつけてきたからだ。