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「こら、メルド、ニドラ。勝手に入ってくるでない」
不躾な行為にオリディオはギロリと二人を睨んだけれど、それ以上咎めることはしなかった。フレードリクも、やれやれと肩をすくめるだけ。
メルドとニドラは、代々セーデル家に仕えるヤノク家の双子。共に25歳で現在、兄のメルドは執事を務めている父の下で執事見習いとして働き、妹のニドラは8年前からフェリシアの専属侍女として仕えている。
黒髪に灰色の瞳を持つ双子は、とても優秀でセーデル家にとってなくてはならない存在だ。だが優秀な二人でも欠点はある。揃いもそろって顔の作りはいいのだが表情筋が死んでおり、時々使用人としての一線を飛び越えてくる。
「ご主人様、フレードリク様、あまりお嬢様を困らせてはなりません。お嬢様が自粛を望むなら、四の五の言わず叶えてあげればよろしいではないですか」
「四の五の言わずだと!?」
おおよそ使用人とは思えないニドラの発言に、さすがに聞き流すことができなかったオリディオの額に青筋が浮く。
しかしニドラは悪びれることなく再び口を開く。
「さようでございます。……ご主人様、そのような顔をなされてますが、常日頃から”フェリシアの願いは何でも叶えるように!これは当主命令だぁー”と仰っているではありませんか。そうよね?メルド」
同意を求められた執事見習いのメルドは、懐から手帳を取り出しパラパラめくる。
「はい。間違いありません。僕が執事見習いとなってから通算142回ご主人様はそのように我らに命じております」
「……メルドよ、お主のそういうマメにメモを取るところは美徳だが、限度があるぞ」
「そうでしょうか?」
キョトンとするメルドに、オリディオは拗ね顔になる。そんな父に憐憫の眼差しを向けつつ、フレードリクはコホンと咳払いをした。
「確かに父上は常日頃からシアの願いは何でも叶えるように言っているが、今回はシアにとって良くない結果になるかもしれないんだ。だから──」
「良くない結果とはなんでございましょう?」
「だから……その……シアの名誉が傷つくし……」
「下々の人間がどのようにシア様のことを悪く言おうとも、シア様の本来の美しさは誰にも汚すことはできないと思います。フレードリク様はそうは思われないのですか?」
キッと二ドラに睨まれ、フレードリクは「うっ」と口ごもる。
「そ、そんなわけないじゃないかっ」
「なら問題ございませんよね?」
「……ない。だがシアのあらぬ噂を耳にするのは、俺が嫌だ」
「子供じゃないんだから我慢なさってください。それに文句があるなら、そんな命令を我々に下したご主人様に向けてお願いします」
「た、確かにそうだな。……父上!!」
息子から怒鳴りつけられたオリディオは、完璧に孤立状態だ。
傍から見れば当主イジメになるこの光景に、オリディオは悔しさから「使用人の立場を遺憾なく発揮しやがって」と吐き捨てる。
だがそんなことを言っても状況が変わることはなく──オリディオは当主としての威厳を保つことを選ばざるを得なかった。
「……わかった。フェリシアの望み通り二ヶ月間、社交界行事の自粛を許そう」
無駄なやり取りを多分に含んだこの時間にようやく終わりが見えて、フェリシアはぱあぁぁっと顔を輝かす。
「お父様、ありがとうござ──」
「つきましては、ご主人様。わたくしから一つご提案がございます」
一歩前に出てフェリシアの言葉を遮ったニドラは、オリディオが続きを促していないのにもかかわらず口を開いた。
「そもそもフェリシア様が自粛を望まれたのは、先日のお見合いが原因でございます。自ら決めたとはいえ、長年恋い慕っていたお相手を諦めざるを得ない心境は、一介の使用人では到底想像できないほど苦しいものでしょう。その証拠に、お見合いからお戻りになられてからすぐに伏せられてしまいました。……おいたわしいです」
ここで言葉を止めてグスッと鼻をすすったニドラは、真っ直ぐな眼差しをオリディオに向けた。
「ですのでわたくしは、心身ともに傷ついておられるフェリシア様にはスセルの別荘でゆっくり過ごしていただきとうございます」
スセルの別荘は、王都にほど近いスセルという名の森にあるセーデル家が所有する別荘のこと。
この森には砦があり、国の独立と平和を守る任を国王から与えられ騎士の家系であるセーデル家は、代々ここを管理し常に有事に備えている。
森の中とはいえ、騎士が常駐している砦が近くにあるスセルの別荘はとても安全で、これから更に暑くなる季節に過ごすのは最適な場所ともいえる。
(ニドラ、ナイス発案!)
テラスで森の清涼な風に身を任せながら、のんびりと過ごす自分を想像して、フェリシアは一刻も早く荷物をまとめたい。
しかしオリディオとフレードリクは、苦々しい表情を浮かべている。
「ニドラよ……言っていることは筋が通っておるが、要はお前が母親に会いたいってことだな」
スセルの別荘の管理は、病弱なニドラの母親が療養を兼ねて任されている。己の母親を病気で失った過去を持つフェリシアは、母親を案じるニドラの気持ちが痛いほどわかる。
そして妻を病で亡くしたオリディオが、ニドラの思惑に気づかないはずがない。
しかし図星を指されたニドラの表情は、まったく動かない。
「とんでもございません。わたくしは差し出がましいとは思いつつも、フェリシア様の御身を気遣って、提案させていただいただけでございます」
そう力説したニドラの瞳に、使用人としての忠誠心はなかった。