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移動した先は応接室ではなく、砦内にあるイクセルの自室だった。
「あら?砦の中にもまともな部屋があったのね。どなたのお部屋?」
「私の部屋です」
「ふふっ、つまらない冗談はやめてちょうだい。こんなに整理整頓が行き届いている部屋が、貴方の部屋なわけないじゃない」
「真顔で随分と失礼なことおっしゃいますね。ちょっと前に、愛する婚約者の手を借りて片づけたんですよ。夢のような時間でした」
「嘘……あなた、とうとう夢と現実の区別がつかなくなったの?まさか……それが理由で退官を命じられたとか?」
「殿下こそ、つまらない冗談はやめていただきたい。全部、事実です。証言者もおりますし。それに、私が退官するわけないじゃないですか」
吐き捨てるように訂正をしたイクセルは、アンジェラをソファに促す。
「どうぞお座りください。お望み通りお茶を淹れて差し上げましょう。それともワインをご希望ですか?」
そう言いながらイクセルは、隠し戸棚を開ける。そこにはズラリと銘酒が並んでいた。
「お茶で結構よ。貴方は飲みたいの?好きになさい」
「では、お言葉に甘えて」
ソファに座ったアンジェリカを横目に、イクセルは手早く茶を淹れテーブルに置く。
それからグラスに並々と酒を注ぎ、向かいの席に座ると、すぐに本題に入った。
「率直にお伺いしますが、どういうつもりでここに来られたのですか?」
長い足を組みながら問うたイクセルに、アンジェリカはすっと目を逸らした。
「どういうつもりって……フレードリクに頼まれたら断れないじゃない。頑張ってるのに、どうしてだか報われない男に弱いのよ……わたくし」
「殿下の性癖なんか知りたくありません。噂が現実になったら殿下もお困りになるのではと、伺っているだけです」
「もちろん困るわよ。貴方との婚約なんて、死んでもお断りだわ」
「それがわかっていて、アイツに肩入れしてるってわけですか?呆れますね」
「……そこまで言わなくてもいいじゃない」
拗ね顔になったアンジェリカだが、なぜかモジモジしている。
王都から抜け出してここにやってきた理由は、どうやらフリードリクに手助けする以外にも、何か思惑があるらしい。
「殿下、言っておきますが、好きでもない女を追う男はこの世に一人もおりません」
「わかっているわ。だからリアンドを連れてきたのよ。実の弟のように可愛がっているリアンドが横暴な王女に拉致されたら……心配して、忙しいあの人だって迎えに行こうとするものでしょ?」
「確かに。あと殿下が笑ってしまうほど迷走されていることもわかりました。ははっ」
「信じられない……本当に笑うなんて。イクセル、貴方がわたくしの共犯者であることを神に感謝なさい」
そうじゃなければ、即刻不敬罪で身柄を拘束してたわ。と、付け加えたアンジェリカに、イクセルは残念な子供を見る目つきになる。
アンジェリカとイクセルは、絶対に婚約はせず、互いに想い人を口説き落とすまで、双方邪魔はしない。協力も惜しみなくする。という協定を、密かに結んでいる。
ちなみにアンジェリカが口説き落としたい相手は、四大家門の一人、アレクシス・ヨーシャ。10年前、異国の部族に誘拐され殺害された侯爵令嬢の兄である。
あの事件から、ヨーシャ家は門を閉ざし、社交活動はほとんどしていない。嫡男であるアレクシスは、病に苦しむ人々を救うべく国内を駆け回っている。
国王から医療全般を任されているヨーシャ家の跡取り息子なら当然のことではあるが、わかる人にはわかる。アレクシスは、妹を失った悲しみから身を削るような行為をしているのだ。
そんな彼を、アンジェリカは10年以上前から好いていた。片想い歴はイクセルよりも長い。しかしながら、その想いは成就していない。
男尊女卑が激しいラスタン国に産まれたことが残念と思うほど、アンジェリカは頭がキレるが、その頭脳を持ってしても、アレクシスを振り向かせることができていない。
人の心とは、かくも難しい。好き好き大好きアピールしまくるアンジェリカに、アレクシスは絆されるどころか、日に日に遠ざかる。
アレクシスが未だ独身でいてくれるのが唯一の救いだが、27歳になる彼がいつ誰かと婚約してもおかしくはない。
焦れて焦れて焦れまくるアンジェリカの元に、イクセルとの婚約話が持ち上がってしまった。当然、断るつもりだったが、イクセルから手を組まないかと提案をされ──今に至る。
イクセルはアンジェリカより、頭脳も、手段を選ばないヤバさも、性格の悪さも、はるかに上回る。
敵にしたら最悪な相手だが、味方になればこれほど頼りになる相手はいない。
協定を結んだ二人は、想い人にちょっかいをかける輩を、協力し合って潰していった。その様は、もはや協力者というより共犯者だ。
それなのに、今回に限ってアンジェリカはイクセルの邪魔をした。これは立派な協定違反なのだが、互いの恋を応援している立場上、イクセルは責め立てることもできない。
そんな事情から、軽く馬鹿にした態度を取ってしまったが、トラブルを上手く利用するのはイクセルの得意技である。
「ええ、感謝してますよ。殿下が共犯者でいてくれることに」
にこりと笑ったイクセルは、アンジェリカの前に跪く。
「ですから少々リアンドをお借りすることも、殿下は快く了承していただけますよね?」
一応、お伺いを立てているが、イクセルの目は「当然貸してくれるよな」と訴えている。
王族を脅すような真似をするなんて、命知らずもいいところだが、アンジェリカは片方の口の端を持ち上げた。
「もちろんよ。わたくし、そのためにリアンドを連れてきたんだから。王都から抜け出すのは、かなり骨が折れたわ。感謝なさい」
まるで大事な友人のために奔走したような口ぶりだが、アンジェリカの発言は矛盾している。
そういう強かさは、きっと国王の前でも発揮されているのだろうとイクセルは冷静に分析するが、正直どうでもいい。
役に立ちそうな人材を連れてきてくれたのだから、ここはアンジェラの嘘に乗るべきだろう。
「持つべきものは、美しい共犯者です。ありがとうございます。私も、殿下への協力は惜しみませんよ」
「ふふっ、ありがとう。その言葉、死ぬまでお忘れなく」
「ええ、もちろんです」
にこっと微笑み合って、固い握手を交わすが、すぐにアンジェリカの表情が曇った。
「でも……リアンドは、今回に限っては諸刃の剣になるかもしれないわ。実はね、ここに来た一番の目的は、アレクシスを誘い出すためだけど、ついでに貴方に警告を与えるためでもあったのよ」
握手した手を離して、アンジェラは頬にかかった横髪を耳にかけながらそう言った。
「警告?それは私に関わることですか?」
イクセルは、誰にも言えない秘密を抱えている。その秘密を知っているのは、アンジェリカだけ。彼女もまた、イクセルと同じ秘密を抱えている。
親にも部下にも隠し続けている秘密は、当然、フェリシアも知らない。
しかし、フェリシアの兄であるフリードリクだけは勘付いている。アンジェリカの警告とやらが、秘密に関わることなら、フレードリクとリアンドが接触するのは危険である。
「もう秘密がバレた可能性もある。なら仕方がない……どちらかを消すしかないな」
まともな人間では口にできない台詞をイクセルが吐いた途端、スパーンとアンジェリカがイクセルの頭を引っ叩いた。
「お馬鹿!極端なことを考えるのはおやめなさい!!」
力任せに一喝され、不満げな顔をするイクセルに、アンジェラは声を落として囁いた。
「貴方の秘密が暴露されると、わたくしも困るからそれは全力で阻止してあげる。至急処理しなくてはいけないのは、それじゃないわ──貴方のお義母様のことよ」
低く耳に届いた言葉にイクセルは息を吞み、これ以上ないほど顔を顰めた。




