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あらかじめ用意していた馬車までフェリシアを案内すると、イクセルは扉を開けた。
「乗り心地はいいとは言えませんが、辻馬車よりは幾分かマシでしょう。さぁ、お乗りください」
「……お手数をおかけして申し訳ございません」
「いいえ、当たり前のことをしただけです。では……また明後日」
馬車に乗り込んだフェリシアは、無言のままだし、視線すら向けてくれない。
「お気をつけてお帰りください」
扉を閉めたと同時に走り出した馬車に、イクセルは後を追いたくなる衝動をグッと堪えた。
*
フェリシアに仕事だと伝えたけれど、イクセルは完全なる休暇を取っていた。夏の間、生真面目に自分の元に通ってくれたフェリシアへのささやかなお礼と、単純に好きな女性とデートをしたいという下心で。
祭りを見て回っている間中、イクセルはずっと楽しかった。町娘に扮したフェリシアは、壁を殴りつけたくなるほど可愛かったし、真剣な表情で屋台を覗く彼女を見ていたら、全てを買い占めてあげたくなった。
無論、そんな成金のような真似をするつもりはない。でも、本気でそうしたくなるほど、二人で肩を並べて歩く時間はまるで夢のようで、幸せすぎて何度も眩暈を覚えてしまった。
「……それなのに、なんだこのざまは!」
本当だったら、向日葵を模した髪飾りが売っている屋台に行って、それとなく幼少の思い出を語るつもりでいた。
共通の話題は親密度が上がる──類似性の法則を心底信用しているわけではないが、少なくともシュンという男より、自分とはもっと早くに出会っていることを主張したかった。
持てる全てを使って、シュンという男を探しているが、未だに何一つわからない。容姿も、年齢も、身分さえも。本当に、この世に存在しているのだろうか?
「いや、絶対に……いるはずだ」
妄想で作り上げた男に対して、あんな切ない顔なんてできるわけがない。逆に、できてしまったなら、自分が架空の男より格下となる。そんなの絶対に嫌だ。
イクセルは、元来た道を歩きながら激しく後悔する。フェリシアに直接シュンという男のことを訊くんじゃなかった。彼女が自ら語らないのは、それなりの理由があるはずなのに。
思い出せば出すほど、イクセルは己の馬鹿さ加減に苛立ちが募る。
これまで理想の男を目指して頑張ってきたのに、全部台無しだ。でも口づけしたことは、後悔していない。
むしろ、他の男のことなんて忘れるほどの激しいやつをすれば良かったと、最低なことすら考えてしまう。
「いいじゃんか、別に……どうせできなかったんだから」
フェリシアの前では絶対に口にしない子供みたいな台詞を吐いたイクセルは、笑った。
それは、自分に向けての嘲笑だった。
一人で祭り会場にいる理由が見つからないイクセルは、馬を飛ばしてスセルの砦に戻った。門を抜けた途端、青ざめた顔のエイリットに出迎えられた。
「あ、あ、あ、兄上……!大変です!!兄上にお客様がいらっしゃったんですが、その……」
「知っている。アンジェリカ殿下とリアンドだろ?すぐに行く」
大股で応接室に向かうイクセルの後を、エイリットは小走りで追う。
「兄上、待ってください!お二人は応接室にはおりません」
「じゃあどこに……ああ、なるほど」
ピタリとイクセルの足が止まる。その表情は、辺りが凍り付くほど冷ややかだ。
「あそこで、三人仲良くつるんでいるってことか」
唸るイクセルの足は、既に地下牢に向かっていた。
着替えもせず地下牢に足を踏み入れたイクセルは、己の推測が当たっていたことに、全力で舌打ちした。
「ちっ……!恐れながらここは罪人を収容する場でございます。殿下がお越しになるようなところではございませんので、今すぐお帰りください」
慇懃無礼な態度だが、イクセルの目はデートの邪魔をされた怒りも加わり、殺気に満ちている。
しかしそんな視線を受けても、アンジェリカは動じることはない。
かび臭い地下牢をカフェ仕様に変える権力を持つ彼女は、艶やかな黒髪に王族の証である金色の瞳を持っている。
ため息が出るほどの美貌を自覚しているアンジェリカは、ゆっくりと背に髪を払いながら、余裕たっぷりの笑みを浮かべた。
「あら久しぶりなのに、随分冷たいこと。そんな怖い顔をする暇があったら、冷めたお茶を淹れ直してちょうだい」
「お戯れも大概にしてください」
食い気味に拒否したイクセルは、今度はフレードリクに目を向ける。
「二人を呼び寄せるなんて、どういうつもりだ」
「決まってるだろ、貴様に対する嫌がらせだ」
鉄格子の隙間から支給されたティーカップを優雅に口元に運ぶフレードリクは、ざまあみろという表情を隠さない。
「お前とアンジェリカ殿下が婚約間近という噂は、警護隊なら誰でも知っている。そこで、明後日開催される慰労会にアンジェリカ殿下がご出席されたら、周りはどう思うだろうな?おそらく3日後の王都は、この話題で持ちきりになるさ」
「……それが、狙いか」
「ああ、狙いはそれしかない。言っただろ、手段は選ばないと。どんな手を使ってシアを婚約者にしたのかは知らんが、時として噂は真実に勝つ。俺は、噂を全力で利用して、この縁談を潰してやる」
「はっ、やれるもんならやってみろ」
「ああ、やってやるさ。言っておくが、お前の弱みだって俺は握ってる。最悪それも公表してやるから覚悟しとけ」
「なるほど。本気なんですね。なら、私も──」
「ねぇーーーーちょっと、待ってよ!!」
火花散る争いに割って入ったのは、アンジェリカに強制的に連れてこられたウルフ家の嫡男リアンドである。
「10年ぶりに集まったのに、どうしてそんな怖いことばかり言うんだよ!もっと楽しい話をしようよ!!」
場の空気を読まずに、そんなことを大声で訴えるリアンドが一番恐ろしい。
ふわふわの栗毛に藍色の瞳を持つ彼は、性格もふわふわしている。しかしウルフ家は、代々司法を担う家門だ。
騎士をまとめるセーデル家の人間は正義感が強く、警護隊の長であるアベンス家は冷静沈着。医療全般を任されているヨーシャ家は、情に厚い人柄だ。
公正中立な判断力や高い倫理観を求められる司法において、はたしてリアンドの性格で務まるのか不安である。
しかも、イクセルとフレードリクを止めに入ったリアンドの手には焼き菓子が握られており、主張を終えるや否やモグモグと食べだした。
「んーーーっ!ヤバいよこれ、激しく美味しい」
「恐れ入ります。よろしければ、プティングもどうぞ」
「え、いいの!?」
「もちろんです。フリードリク様は甘いものは苦手ですし、アンジェリカ殿下は少ししか食べてくださらないので、光栄に存じます」
慇懃無礼にリアンドを餌付けしているのは、セーデル家の執事見習いであり、ニドラの双子の兄でもあるメドラである。
実はこの男、イクセルが姿を現す前からずっとここにいた。
「砦への不法侵入は禁固500年だ。あーあ、可哀そうに……まだ若いのに、二度と娑婆の空気を吸えないなんて。そこの執事君、恨むなら自分の主を恨みなさい」
「ふざけるな。好きにしろと言ったのは貴様だ。とやかく言われる筋合いはない」
再びバチバチと火花を散らし始めたイクセルとフリードリクに、リアンドは菓子を頬張りつつオロオロし、アンジェリカは我関せずといった感じで茶をすすっている。
一方、逮捕寸前のメドラは、懐中時計で時刻を確認すると、おもむろに懐から羊皮紙を取り出した。そこには複雑な魔法陣が描かれている。
「お取込み中のところ申し訳ございません。そろそろ終業時刻になるので、失礼させていただきます。僕、残業はしない主義なんで。あと僕は不法侵入はしてません!ちゃーんと、フレードリク様とアンジェリカ殿下にご招待いただいた身なんで。では……!」
お前、空気読めよと、言いたくなるような発言をかましたメドラは、羊皮紙を真っ二つに引き裂いた。
ビリリッと、紙が破れる音とともにメドラの足元に魔法陣が浮き上がり、瞬きする間に見習い執事は姿を消した。
「携帯転移紙を利用するとは盲点でしたが、随分とドライな性格の執事君ですね」
「ふんっ、我が家は働き方改革に取り組んでいるんだ」
「なるほど。では柔軟な対応ができた執事君に免じて、今回は不問にして差し上げましょう」
肩をすくめて気持ちを切り替えたイクセルは、アンジェリカに視線を向けた。
「殿下、少しお話をしたいので、別室においでいただきますか?」
口調こそ丁寧だが、イクセルの目つきは鋭く、王族に対する敬意はどこにもない。
そんな無礼極まりないイクセルに、アンジェリカは気を悪くするどころか、待ちくたびれたと言いたげに溜息を吐いて、片手を持ち上げる。
「いいわよ。でも、それなりのもてなしをしてちょうだい」
「出来る限りのことは」
イクセルは差し出された手を取り、アンジェリカを廊下へとエスコートした。




